草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

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淋しき浪人の心を失わず絶対尊皇思想家であった四宮正貴先生!

2021年04月07日 | 思想家
淋しい浪人の心を持った思想家がまた一人この世を去った。四宮正貴先生の訃報に接し、言葉を失ってしまった。四宮先生は4月3日付のフェイスブック上において、「私の宗教体験」という一文をアップされておられた。それは政治的な活動家というよりは、まさしく求道者としての記録であった▼10代の頃から神社や菩提寺の参拝に行かれ、キリスト教の日曜学校に通ったこともあった。中学校3年で谷口雅春氏の『生命の實相』を読んで感激し、生長の家の活動に参加するようになり、それがイコール愛国運動であったともいう。それでいて人生の疑問を解くために、創価学会、霊友会、大本、立正佼成会の教団本部に出かけ、各教祖や会長と面談したのだった。最終的に手にされたのが神社神道であり、天皇信仰であられた▼四宮先生の『天皇国日本』を読み返して再認識したのは、その絶対尊皇思想が「この世界に起るすべてのことはなべて神意であるという」と確信を抱いておられたということだ。四宮先生は「天皇は、天上の神、皇祖神の神意を地上に顕現せしめるために、天津神のことよさしにより、天津神のみこともちて、地上に御統治あそばされ、常に天神地祇を祭り給うているのである。従って、国民として、臣下として、現人神として天皇の真姿を拝み奉り、絶対的に信仰してゆくべきである」と述べておられたからである。四宮先生の思想は古臭いアナクロニズムなのだろうか、そう断言するのは間違っている。日本の国柄たらしめているのは、天皇陛下がおられるからであり、その点を力説されていたのが四宮先生であったのだから。
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日本人が深い慮りを手にするにはどん底に落ちるしかない!

2021年03月27日 | 思想家
『日本は滅びるのか』という本を書いたのは江藤淳である。今江藤が健在であれば、もっとラディカルな文章を残したのではないだろうか。江藤はあらゆる国家は常に崩壊する可能性があることを指摘し、それが「常態」であることを訴えた。だからこそ、内なるパトリアを再建し、国家としての日本を持ちこたえなくてはならないのである▼今の日本の現状はどうであろうか。安全保障の面では、尖閣諸島を中共に奪われるのは近いとみられている。北朝鮮の核ミサイルの開発に対しても、有効な手立てがない。バイデン政権の誕生にともなって、危機的な状況になっても、日本を何とかしてくれるとの幻想を抱くことはできなくなった。国柄の根本である皇室にしても、女系天皇ということが公然と口にされ、選択的夫婦別姓にいたっては、日本の伝統を否定する暴挙である。日本までもが欧米のポリコレに振り回されてしまっているのだ▼江藤は「国は今日只今亡びるかもしれない。それも中心から、内側から崩れて亡びるかもしれないのだから、小学生に至るまで、みんなで支えていかなければならない」と主張しながらも、「君主制であれ民主制であれ、あらゆる制度が常に崩壊の危機をはらんでいる」にもかかわらず、それに気づいていないために、とんでもないパニックが起きることを予言していたのだ。そのどん底を経なければ「深い慮り」が生まれないというのだ。あくまでも江藤は日本という国家の復元力を信じたのであり、当面の混乱などは恐れに足らずなのである。
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米中ともに少数者による支配が進み行き着く先は全体主義だ!

2021年03月21日 | 思想家
文明史的に見て世界は岐路に立たされているのではないか。民衆の管理を強化して、ドストエフスキーが『地下室の手記』で述べていたように、ユートピアとしての「水晶宮」に近づこうとしている国家があるからだ。いうまでもなく今の中共である。顔認証制度によって、個々の民衆の情報を瞬時に判断し、体制に逆らう者の存在を許さないのである▼一握りの共産党員が全てを支配しており、独裁であるにもかかわらず、それが民衆の幸福に結びつくと信じている。自由よりもパンを与えれば、畜群は満足することを知っているのだ。永遠にこわれることのない蟻塚の蟻となることに異議を差しはさまない、そうした民衆の習性を熟知しているのである▼米国のエリート層も中国共産党と一緒である。自分たちだけが民主主義の担い手であり、大衆迎合主義に熱狂する民衆を指導しなければ、との自負心を抱いている。特権的な地位を甘受していながら、それを維持することを最優先にしているくせに、絶えず民主主義を口にするのである▼この二つの支配者が手を握れば、世界はまさしく終わりに近づくだろう。民衆は不満を持つこともなく、過酷な現実を受け入れてしまうのである。これに抵抗する者は異端として裁かれ、教育的措置が講じられるか、さもなければ病院に送られるのである。そんな時代の到来をドストエフスキーは予言していたのだ。今回の新型コロナウイルス騒ぎでも、感染することを異常に恐れるあまり、体温の測定が日常化し、平均値が重んじられ、例外の人々は病人扱いにされた。世界はどんどん住みにくくなっているのである。
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「祖先教」に背を向ければ日本人は精神的バックボーンを失う!

2021年03月12日 | 思想家
日本人の家族観を否定するような議論が巻き起こっている。結婚そのものに疑問を抱く選択的夫婦別姓などは、まさしくその典型である。マスコミや野党が躍起になって煽っているが、そうした空気に押し流されることは、日本の国柄を根本から突き崩すことなのである▼中村雄二郎は日本人の性格を「感情的自然主義」と評した。その観点から明治以降における我が国の「家族制度」と「天皇制」を問題にしたのだ。とくに中村は『哲学入門』で、憲法学者穂積八束の明治憲法の解釈に言及した。穂積の「祖先教ヲ以テ社会ノ秩序ヲ正フシ祖先ヲ崇拝スルノ教ハ即チ民族ノ宗家タル皇室ヲ奉戴シテ一国一社会ヲ団結スルト云フノ歴史ニ稀ナル法則ヲ数千年間ノ下ニ維持シ得タ」(「祖先教は公法ノ源ナリ」)といった考えは、「感情的自然主義」にほかならないからだ▼文明国でありながら、祖先の霊を崇拝することを我が国の社会構成の基礎にすることは、中村からすれば「『制度』が『自然』に還元され、『法律』が『道徳』に還元されていること、あるいはおのおのが融即敵に、つまりあいまいにまざり合ったものとしてとらえられている」(『哲学入門』)ことであった▼中村は哲学者として、日本の特殊性を取り上げているのだが、西洋的な意味での神が存在しない風土にあっては、自らを律するものが「感情的自然主義」のもとづく「祖先教」なのである。それに背を向ければ、我が国は大混乱に陥るのは必至である。過去から受け継がれてきた価値観を破壊する恐ろしさを、私たちは今こそ立ち止まって考えるときなのである。
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人格性において男女は平等で機能の違いは人間社会の妙味!

2021年03月11日 | 思想家
男女平等についてどう考えるべきかについては、様々な見方がある。一つ言えることは、男女平等についても良いものと悪いものがあるということだ。高山岩男は『哲学とは何か』でそのことに言及しており、傾聴に値する▼高山は「協同社会」という目標を掲げているが、人間はその人格性においては全く平等という考え方を示すとともに、人格性を数量的交換的に扱うことには異を唱える。肉体は数量化できても、心はそうした対象にはならないからである。一人ひとりの人格性のかけがえのなさがまず根本になければならないのだ▼その一方で高山は「機能上職能上の相違があればこそ、社会というものが成り立つ」と書いている。「男女の性別がなければ家族は勿論、人間社会が成り立たない」との立場なのである。今の世の混乱は、高山からすれば「人間社会を単色の結合社会と考え、人間の結合をひたすら機械的に考え、結合社会を一途に機械化してしまった。そしてこの社会が実際に不平等を現わすや、今度は平等を目指す闘争を演じるに至った」というのだ▼人格性に裏打ちされたのが真の男女平等なのである。「人格上の平等と機能上職能上の不平等とは矛盾せず、排斥し合うわけでもない。むしろ両者相俟つ故に人間社会の妙味があり、両者相補って人間社会の調和が成り立つのである」との高山の主張は、人格的平等に立脚しながら、機能上職能上の違いを認めるということだ。昨今はマスコミもポリコレ一色だ。それすらも男女差別という人たちは、世界を全て単色で塗りつぶしたいのだろうか。
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母親にはできない父親の役割を認めた進歩的学者遠山啓!

2021年03月05日 | 思想家
ジェンダーとか男女平等とかいわれるが、それで全てを割り切ってしまってよいのだろうか。男と女とは同じなのだろうか。男女の差異を無視してよいのだろうか。進歩的な数学者として知られた遠山啓は、家庭における父親の役割について書いている。『かけがえのないこの自分』のなかで、母一人子一人の教え子と、手紙でやり取りした内容が掲載されている▼子供の教育に思い悩んでいる教え子に向かって「父親という防波堤のない家庭は世間という大洋の波をじかにかぶるようになっている」「父親は家族に対する小権力者なのだ」「父親はなんといっても家族でいちばん世間学者」と書いている。防波堤のない家庭の子供は、人一倍気が強くなるか、反対に意気地なしになる。小権力者との父親との関係を通して権力との付き合いを学ぶことができず、そのせいで世渡りが下手である。俗物の父親から世間知を学ぶ機会をないことで損をするといった点を、遠山は列挙したのである▼遠山がすごいのは、それらのマイナス点は、同時にプラスでもあると指摘していることだ。父親がいないことで、荒波に堪えるだけの強い人間になる機会が与えられる。権力者の顔色をうかがうことができないために、独立自恃の精神が鍛えられる。交際が下手なことで、他人の思惑が気にならなくなる。物事には両面があることを強調したかったのだろうが、遠山は男女の違いを認めているのである。「母親が父親のかわりになれるはずがない」と言い切ったのだ。遠山は差別主義者なのだろうか。
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欧米のエリートによる民衆支配を批判したチョムスキー!

2021年03月04日 | 思想家
今のアメリカを支配している者たちは、民主主義を理解していると自負している少数者である。アメリカという国家を統治できるのは自分たちであると、勝手に思い込んでいるのである。ノーム・チョムスキーは『覇権か生存か―アメリカの世界戦略と人類の未来』(鈴木主税訳)で、そのことについて触れている▼ウッドロー・ウイルソンが大統領であった時代から、それが欧米のエリートの共通の考え方になった。強制的な手段は公益に反することもあり、「世論と国民意識を操作する」という方法が用いられるようになったのだ。そこで登場したのが巨大広報産業なのである。ウォルター・リップマンは「一般大衆は、本来の場所に押しとどめておかなければならない」とまで言い切ったのだという。それはまさしく、少数による革命を正当化するレーニン主義と一緒である▼グローバリズムに抗するトランプの敗北を決定づけたのは、ネットを含めた巨大広報産業であった。格差社会の中で、勝者であるエリートの代弁をしたのだ。その者たちは、生産現場の拠点がアメリカから失われたために、勝ち組に反発を抱くトランプ支持者の対極に位置する。トランプがプロパガンダを駆使したのではなかった。逆に4年間にわたって権力の座から遠ざけられたエリートたちが編み出した戦術なのである。チョムスキーが見抜いていたように、いくらリベラリズムであろうとも、その権威の前に膝を屈してはならないのである。
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世界も日本も不合理な力を制御できなくなってきている!

2021年02月27日 | 思想家
今の世界や日本の動きをみていると、人々はわざわざ破滅に向かって突き進んでいるように思えてならない。ドストエフスキーは『地下生活者の手記』(中村融訳)において「人間というものは自分自身の本当の利害はちゃんと承知していながら、それを後回しにして別な途へと、冒険へと、一か八かの道を進む」と書いている。中村菊男が『天皇制ファシズム論』で引用しており、日本が軍国主義に突き進んだのは、不合理な力を制御できなかったのが、根本的な原因だというのだ▼中村は、それ以外にもベルジャーエフの「歴史のうちにも、また合理的要素ばかりでなく、力強い非合理的要素がはたらいているのである。人間は、こうした歴史の非合理性に打ちのめされ、混沌に傷つけられ、宿命的な暴力に鞭うたれて、自分が次第に人間でないものにかわってゆく事実を、いやでも認めざるを得なくなる」(『現代における人間の運命』野口啓祐訳)という文章を紹介している▼中村は教条的な左翼の天皇制批判を展開するなかで、歴史を突き動かした現実を直視したのである。昨今の批判のための批判に民衆が迎合するのは、単に騒ぎたいだけなのである。それによって引き起こされる混乱を望んでいるのだ。これは世界にとっても、日本にとっても由々しき事態である。悪霊に取りつかれた豚が湖になだれ込んで溺死したように、合理的な判断ができなくなっているのではないか▼歯止めをかけようとして、ネット言論が必死に抵抗しても、情勢はどんどん悪化している。かつてのように軍国主義化することは考えられないとしても、このままでは、凶暴な敵である中共に対して、自ら武装解除し、かけがえのない自由を失いかねない。それで本当に良いのだろうか。
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危機の時代の指導者はプライドだけのエリートに非ず!

2021年02月25日 | 思想家
危機の時代にはどのような人材が必要なのだろうか。永井陽之助は『現代と戦略』において、旅順攻防戦での伊地知幸助と児玉源太郎の違いを指摘している。伊地知は砲兵科出身の生え抜きで、士官学校卒業後、最初から参謀将校として軍官僚機構の中で純粋培養されたキャリアであった。中尉のときにはドイツに留学し、軍部切ってのヨーロッパ通であった。これに対して、児玉は伍長からスタートし、下士官を4年間もやらされた。それだけに伊地知のように固定観念に捉われることがなかった▼永井は児玉の優れた点として、28センチ榴弾砲の陣地変換を命じた際に、プロの専門家から1カ月か二カ月かかるといわれたのを20数時間でやりとげさせたことや、児玉は歩兵の突撃にあたっても、30人ずつに区分けして、攻撃隊計上、山に登間隔を置かせたことを挙げている▼永井は児玉について「ながくヨーロッパ留学などしなかったことが、どれほど有益であったか、はかりしれない」と書いたのである。目の前の現実を直視して、一列にきちんと整列して、直立不動にゆっくり前進するといった戦術を取らなかったことなどが、結果的に功を奏したのである。日露戦争当時は軍人のプロを養成している暇がなかったことで、フレッシュな感覚をもった指導者が先頭に立ったのである▼あらゆる状況に対応できる柔軟な思考がなければ、危機は突破できない。想定外のことが起きるわけで、予測しがたいミスと失敗をどう乗り切るかが重要であり、エリートのプライドと固定観念では対処できないのである。
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「戦々兢々」と国家の舵取りをした陸奥宗光は政治家の手本!

2021年02月21日 | 思想家
江藤淳に「戦々兢々(せんせんきょうきょう)」というエッセイがある。江藤は陸奥宗光を政治家として高く評価する。陸奥は日清戦争の開戦と、日英条約の改正、議会の解散を、わずか一カ月の間にやってのけてしまったからだ。陸奥には「戦々兢々と薄氷を踏むような思いで事に処すという精神」があったというのだ▼その一方で江藤は、勝海舟の弟子で二代目の日銀総裁であった冨田鉄之助の陸奥批判も、的を射ていたとの見方をする。外相であった陸奥と首相の伊藤博文が姑息にも、内政上の失敗を覆うために、開戦と選挙とを同時に行って日本を戦争に引きずりこんだことを問題にしたからである▼陸奥は国家の舵取りをする責任を痛感していた。これに対して批判的な者たちは揚げ足取りではなく、冨田のように本質的な議論を展開した。がっちり四つに組んでいたのが明治という時代であったというのだ▼翻って戦後の日本はどうであったろう。江藤は外交がなおざりにされていることを嘆き、大衆民主主義の弊害に危機感を抱いたのだった。「ところが人口一億余り、国民は男女とも参政権を持っているという大衆民主主義の今日、批判は揚げ足取りばかりだし、政府・与党はぼんやりしている。図体だけでかけなって、脳みそがといさくなったという印象を与えているのはまことに困ったことです」。今の日本は中共の脅威に直面しており、政治家も国民も明治の気概を取り戻さなくてはならないのである。

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