草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

日本は今音を立てて崩壊しようとしている

2024年05月04日 | 思想家
 国が壊れていくということは、まさしく今の日本の姿ではないだろうか。マスコミは真実を伝えず、ネットはネットで、わけもなくいきり立っている。国民の多くは何が何だか分からず、政治的な争点は、自民党の「裏カネ」だけだと思わされている。
 岸田首相は、財務省とアメリカの言いなりで、迫りつつある危機に、まったく対処しょうとしていない。こんなときこそ保守はまとまるべきなのに、分断が進み、平気で人格を否定するようなことを口にしている。
 そんななかで、時代遅れの特定野党が衆議院補選では3議席を獲得した。これを見て喜んでいるのはかの国ではないだろうか。日本がまともな国家になり、核武装をするような事態にでもなれば、全てが水泡に帰してしまうが、そんなことはまずあり得ないからである。
 このまま日本は、行くところまで行くしかないだろう。確実に台湾有事は置き、中国は武力を行使してくるだろうし、沖縄もまた戦場になるだろう。その騒ぎに乗じて、ロシアに、北海道の一部が占拠される危険性もある。
 未だに自衛隊は軍隊にしてもらえず、正当防衛の範囲内でしか、武器も使用できない。腑抜けになった日本は、どん底に落ちるしかないのである。そこから這い上がってこれるかどうかも疑問だが、あまりにも悲観的な材料ばかりである。
 どうすればようかという案も浮かんではこない。音を立てて日本が崩れ落ちていくさまを、今はただじっと見ているしかないのだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グローバリズムを乗り超える超民主主義への不安

2024年03月24日 | 思想家
 人類が今後どのようになっていくか。ジャック・アタリの『21世紀の歴史』によれば、下層ノモド(現代の遊牧民)がグローバリズムの世界を根本から揺るがし、超民主主義の世界が到来するのだという。
 下層ノモドは、現代の貧しい遊牧民であり、2035年には35億人以上に達し、貧困に耐えられず農村から都市部に異動し、暴動に加担し、海賊的な経済行為にも参画し、怪しげな宗教団体のターゲットになる。
 それでいて、超民主主義が実現した場合には、彼らがその原動力となるというのだ。これはまさしく、アントニオ・ネグリのマルチチュードの思想と一緒ではないか。
 貧困と抑圧された少数者の違いはあっても、多数派を形成することで、負け組が勝利者となるのである。革命と呼ぶにふさわしいだろう。
 アタリが言うように「市場民主主義をベースとした利他愛に基づく人類の新たな境地」としての超民主主義に向かうというのは一筋の希望の光ではあるが、それが実現するまでに夥しい人々が犠牲になるのではないか。それを経過せずに済むようにするための知恵を、今の私たちが手にしているとは思えないのだが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本保守党は福田恆存の論争の仕方を学ぶべきだ

2024年03月20日 | 思想家
 日本保守党に期待していただけに、あまりにも残念でならない。口汚く罵るのはやめた方がいい。岸田首相に批判的な僕であっても、度が過ぎると眉を顰めたくなるからである。
 保守派の論客であった福田恆存をお手本にすべきだろう。福田は全学連集流派(60年ブンド)の若者たちを罵倒しなかった。彼らの気持ちになって『常識に還れ』と教え諭した。
 そして、短絡的な物の見方ではなく、日本近代史の弱点である「異常事に興奮しやすい、緊張に堪えられぬ個人の弱さ」を問題にした。異常な速さで達成した近代化と、精神が未熟なままの矛盾から「時折、国民を軽挙妄動に走らせる」と分析した。
 また、福田は「民主主義もまた必要悪であることを知らねばならぬし、何事にも必要悪が伴なうものである以上、それを回避するには何が必要かを深刻に考えなければならぬ」(『常識に還れ』)と書いた。政治はきれいごとでは語れないからである。
 福田は偉そうなことを口にしたわけではない。日本人全体の欠点を自覚し、その一人として、若者たちに、冷静になることを呼びかけたのであり、政治の本質であるリアリズムを説いたのだ。「汝の敵を愛せ」とは言わないが、相手の立場を思いやる余裕を持つべきなのである。
 福田が全学連主流派に呼びかけた文章は説得力に満ちていた。これによって正気を取り戻した若者が多かったのである。
「私が最も好意をもつ主流派諸君に忠告する、先生とは手を切りたまへ。ついでに、共産党から貰ったニックネームのトロッキストを自称する衒学趣味から足を洗いたまえ。歴史を手本とする教養主義を棄てたまえ。警官より物を知っており、郷里の百姓に物を教えうるなどという夢から醒めたまえ。あるいは、そんなことは十分心得ていると言うかもしれない。それなら『純粋なる学生の心』に賭けて戦術主義をさっぱり棄てたまえ」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

保守主義の根本にあるのは高貴な精神と品位だ

2024年03月10日 | 思想家
 保守主義というイデオロギーを語るときに、よく引き合いに出されるのがエドモンド・バークである。バークは「自然は省察なしに知恵であり、省察にまさるのである。革新の精神は、一般に利己的な気質と限定された視野との結果である。祖先をかえりみない人々は、子孫にも期待しないであろう。さらに世襲という思想が、改良の原理をまったく除外することなしに、保守の確実な原理と伝達の確実な原理を提供することを、イギリスの人民はよく知っている」(『フランス革命の考察』水田洋訳)と書いたのである。
 人間が進歩するのは、自然の営みとして行われるのであって、勝手な妄想によるものではない、と断言したのだ。そこで世襲というものにこだわったのは、イギリスの貴族制度を容認したからである。高貴な精神に支えられた階級が世襲として受け継がれることは、文化の型を保全することでもあるからだ。
 そうした観点に立てば、日本に保守主義が根付いているかどうかとなると、はなはだ心もとない。自民党ですら、自由と民主主義いう党名を使用しており、戦後の目覚ましい経済成長を支えたのは、イノベーションの革命であり、本来の保守主義とは無縁に思えてならない。
 さらに、左翼からすれば、保守主義と反動との区別もつかず、一緒くたにしてしまった。日本保守党が誕生したが、そこに品位が抜け落ちているのが残念に思えてならない。保守主義は文化的な型を重視する。大衆を煽るようなこともせず、変えるべきものは変えつつ、守るべき文化を大切するのである。その原点を見失ってしまえば、保守主義と呼ぶべきではないのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

政党は政策で政治家は業績で評価すべきだ

2024年02月23日 | 思想家
 ネットを見ていて心配になることがある。政党や政治家を批判する場合に、単なる感情論でXしている人たちが多いからである。中村菊男は『政治家の群像』において政治評論について、次の四つを常に念頭に置くべきだという考え方を示した。
 第一に、政党の批判は政策を中心とすべきである。第二に、政治家の評価はその人の挙げた業績をもってすべきである。第三に、個人面では政治家の負担を減らすような評論が求められる。第四に、政党の権威をたかめ、国民が政党に親しみのもてるような環境をつくるべきであるーと書いた。
 自公政権で景気がどうなっているか、安全保障の面で充実が図られているかということで、痛いところを突くべきなのである。スキャンダルなどは二の次でいい。
 政治家はあくまでも何をしたかである。反対するだけが政治家の仕事ではない。野党であってもできることはあるわけで、そこで判断されるべきだろう。反対のための反対の政党は問題外なのである。
 あくまでも政治家は公的なサービスに徹しなくてはならない。小選挙区になってからなおさらだが、あらゆる相談に応じるとか、小さな会合にまで顔を出すようなことでは、公僕としての使命を果たせない。
 政党を悪しざまに罵るのは、政治不信を高めるだけである。政治を身近に感じてもらうためには、政治の果たしている役割を啓蒙する必要もある。
 中村はあたりまえのことを言っているだけである。スキャンダルだけで投票し、政権交代のかけ声に踊らされた過去を、私たちは反省しなくてはならない。冷静に物事を見るためには、床屋政談のレベルの議論に迎合してはならないのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三島由紀夫の『反革命宣言』は少数派による決起を訴えた

2024年02月21日 | 思想家
 愛国心はファッションであってはならす、日本の文化と伝統を守ろうとする者たちは、あくまでも少数派なのである。三島由紀夫は『文化防衛論』に収録されている「反革命宣言」でそのことを訴えた。
 三島は「われわれ反革命の立場は、現在の時点における民衆の支持や理解をあてにすることはできない」と明確に述べ、「前衛としての反革命は世論、今は右も左もその顔色をうかがっている世論の支持によって動くのではない」と自分たちを位置づけ、「われわれは先見によって動くのであり、あくまでも少数者の原理によって動くのである」と書いた。
 そして、三島は「もし革命勢力と行政権とが直結しそうな時点を狙って、その瞬間に打破粉砕するものでなければならない」と主張した。
 三島が予言したように、岸田首相が国家権力のトップに就いたことで、日本は根本から破壊されようとしている。自民党の親中派がネオ・スターリニスト政党と結託し、日本の国柄を破壊しつくそうとしている。
 それに対抗するには「中国の属国になることを欲するか、否か」という決断を日本国民に迫らねばならない。当面は自民党の保守派を支持しながらも、それすらも期待できなくなったときには、少数派であろうとも、日本国民を覚醒させるべく決起しなければならないのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

政治家は政策で勝負すべきだ

2024年02月10日 | 思想家
 中村菊男は「政治家を過信するな」(『政治家の群像』)と警告していた。中村は「終戦以来日本の学界やジャーナリズムの一般的傾向として、日本のことを蔑視し、なかんずく政治家を悪く言うことが進歩的であり、正当であるといった風潮がある」ことを批判した。その多くは感情的に反発している場合が多いからである。
 なぜそうなるかについて、中村は『政治家の群像において』①政治への期待が大き過ぎる②国民のなかに判官びいきというか、悲劇の主人公に同情する心理状態がある③学界やジャーナリズム特有の正義観④日本では同期と意図が高く評価され、あげた効果や、与えた結果の分析をしない⑤貧乏が売りものにされているーといった点を指摘している。
 これに対しての処方箋として、中村を①政党の批判は政策を中心にすべきである②政治家の評価はその人の挙げた業績をもってすべきである③個人面では政治家の負担を減らすことが大切である④政党の権威を高め親しみやすくするーといった提案をしている。
 昭和35年に出た本の中で、中村が分析し問題提起をしたにもかかわらず、日本の政治は変わっていないが、政策以前に、会合に顔を出してくれたとか、辻立を何回やったかが選挙に影響するようでは、立派な政治家など育つわけがない。マスコミがうるさく騒ぎ立てるのを横目で見ながら、政策を吟味する力を育てなくてはならないのであり、一番の問題は私たち有権者なのである。

 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山本夏彦の毒舌が懐かしい

2024年01月28日 | 思想家
 会津の山の中にいるくせに、天下国家を論じるのは気が引けるが、どこにいても常識を武器にすれば、それなりのコメントはできるのである。
 いうまでもなく、僕の常識というのは、これまで馬齢を重ねてきた経験が主である。読書も得るものがあったが、万遍なくというのは無理であり、大御所的な意見を述べてくれるような言説が中心である。
 誰もが口にするような正義は、あれは常識ではないと思う。イデオロギーという色眼鏡で世の中を見ているから、ついつい偉そうな口ぶりになるのだ。そん意見に水を差すようなことを言う人が少なくなった。山本夏彦が売れっ子だったのは、何のことはない正論を述べたからである。時代に迎合しないことで、ピカリと光ったのである。
 どこを見渡しても、山本のような論客はいない。同じようなことを正義面して主張している。汚職がなくならないのは、どんな人間でも、チャンスがあれば、その恩恵に浴したいと考えているからだろう。そう山本は書いていた気がする。
 世間が口をそろえて批判の大合唱であるが、沖縄返還を実現した佐藤栄作は、後一歩で逮捕されるところを、指揮権発動で助かった政治家である。最近になって人気ができてき田中角栄は、真相はともあれロッキード事件で捕まっているのだ。
 汚職をしろとはいわないが、下手は正義よりは安全であると、山本は口を酸っぱくして言ったのである。そんな毒舌家がいない言論界は淋しい。山本は傑出した評論家だったのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

正統派保守の論客であった福田恆存に学ぶべきだ

2024年01月23日 | 思想家
 保守について「ネトウヨ」「限界保守」「ビジネス保守」とは色々な批判がありますが、日本の思想界をリードしてきたのは、進歩的文化人と呼ばれたサヨクではありませんでした。
 戦前から西田幾太郎を中心とする京都学派は、反近代を先取りするかのような功績を残しました。だからこそ、日本の新左翼の理論家すらも、その影響下にあったのです。西田の門下には梯明秀、和辻哲郎門下には梅本克己、さらに、高山岩男を高く評価したのが廣松渉でした。
 保田與重郎の日本浪漫派についても、吉本隆明、竹内好、橋川文三らが一時期、共感し心酔していたのは確かです。吉本はそれを自ら認めています。
 70年安保騒動の時点でも、日本文化会議が結成され、そこには田中美知太郎、小林秀雄、岡潔、福田恆存らの日本の英知が結集したのです。
 しかし、残念ながら今はそうした思想家が見当たりません。どれだけ情報を持っているかの勝負になっています。だからこそ、私たちは、先人の偉大な思想家に学ばなくてはならないのです。
 常識をわきまえた日本人であれば、どれが本物か偽物かは分かります。それだけになおさら、福田が残した言葉を思い出すべきではないでしょうか。
 福田は日本人が「異常時に興奮しやすい、緊張に堪へられぬ個人の弱さといふことに根本の問題がある」(『常識に還れ』)と指摘するとともに、「日頃から『マス・コミ』を個人の生活の一部に位置づけ、集團的自我にそのつきあひをさせて、個人的自我は深部に取つておくといふ近代人の『精神の政治學』を心得てゐないことに、日本の近代史の弱點があるのだ」(『同』)との見方は正鵠を得ています。
 正統派の保守の論客の主張を理解すべきであって、知ったかぶりの自称ジャーナリストに振り回されるようでは、保守を名乗る資格はないと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田村智子委員長の就任は日共の幕引きだ

2024年01月20日 | 思想家
 日本共産党の委員長に田村智子が就任したが、笑止千万でしかない。人材が底をついてしまったのだろう。もともと日本共産党が誕生したのは大正22年のことであり、正式には「コミンテルン日本支部日本共産党」としてであった。『天皇制打倒』を主張したために、戦前においてはあくまでも少数派であった。
 敗戦後に合法化されたことで、徳田球一、宮本顕治、志賀義雄らの手で再建されたが、昭和25年にスターリンのコミンフォルムが野坂三らの「平和革命論」を批判した。これに対抗して徳田が所感を発表したため、党内はコミンフォルムを支持する国際派と、野坂を支持する所感派に分裂した。
 これによって、スターリンを絶対視する日本共産党は国際派の影響力が強まったが、その一方では、所感派が中国共産党の意を受けて昭和26年には第4回全国協議会で武装闘争に転じた。翌年には朝鮮戦争が起きる直前でもあり、路線を転換したのである。
 もともと平和革命に反対であったコミンフォルムは、国際派の宮本顕治らを自己批判させ党に復帰させた。しかし、そうした冒険主義は失敗したことで、昭和30年7月の第6回全国協議会で宮本顕治らの国際派が主導権を握り、毛沢東理論による武装闘争を放棄した。このため若者を扇動しながら、最終的には裏切ったのである。
 昭和33年からは名実ともに宮本顕治が実権を握った。その当「敵の出方論」を掲げるなぢ武装闘争そのものを放棄したわけではなかった。日本共産党の反対派を次々と排除して独裁体制を築いた。
 宮本以後は不破哲三がトップに立ったが、構造改革に近かったにもかわらず、従来の党の方針を踏襲しただけであった。その後継の志位和夫は24年間にわたって委員長の座にあったが、万年少数野党にとどまり、それで田村が選ばれたのだ。理論家でもなく、オピニオンリーダーでもない田村がなったというのは、スターリン主義の代々木の終わりを意味するのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする