草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

国民の関心事は「モリカケ」ではなく安全保障の問題だ!

2018年06月18日 | 思想家

共同通信に続いて読売新聞の世論調査でも、安倍内閣の支持率が不支持を上回った。調査方法が固定電話に限られており、実際はもっと支持率が高い可能性もある。「モリカケ」などで納得しなくても、それ以上の問題があることを国民の多くが気付きつつあるのだ▼マルクス主義が妖怪であったのは、せいぜい昭和45年頃までである。それ以降はまったく力を失ってしまった。それを金科玉条としてきた者たちは立場を失った。そこで逃げ込んだのが反原発であり、マイノリティの擁護であった。差別とかヘイトとかが政治の前面に出てきた。全体主義的なイデオロギーの呪縛から抜け出せない者たちは、現実を直視する勇気がなく、墓場からマルクス主義を復活させようとしてもがいており、それは時代に逆行するアナクロニズムでしかない▼レイモン・アロンの「イデオロギー的総合体の崩壊は無味乾燥な実用主義になり下がったり、知的討議の価値を低めることはない。まったく逆に、ともかく実際的に解決されなければならぬ諸問題を合理的にとりあげることができるようになり、人間の心と歴史の喧騒のなかにこめられている永遠の願いを発見することにつながる」(『発展の思想』浜口晴彦訳)との言葉が正しいのである。今我が国が「実際的に解決されなければならぬ諸問題」とは安全保障上の危機をどう乗り切るかである。そこにこそ私たちは英知を傾けなければならないのである。

にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村

応援のクリックをお願いいたします


政治ランキング


コメント
この記事をはてなブックマークに追加

高学歴を鼻にかけた政治家に欠落しているのは常識だ!

2018年06月16日 | 思想家

特定野党の政治家に高学歴者がそろっている。しかし、国会での発言を聞いていると、屁理屈を並べているだけだ。枝野幸男や玉木雄一郎は安倍総理を罵倒することが政治だと勘違いしている▼藤原保信の『政治理論のパラダイム転換ー世界観と政治―』は政治の本質を突いている。「アリストテレスが実践知を賢慮とし、蓋然性を含まざるを得ないとしたのは、たんに実践の領域が人間の選択意志にかかわり、善の多様性を前提とせざるをえないという消極的理由からではなかった。むしろそれは、すでに述べたように、蓋然的であるがゆえに、他者との対話を通じて確かめられ、よりよきものへとつくり変えざるを得ない性格をもっていたのである。かかる魂の相互交流こそ共通感覚=常識を育み、固有の意味での政治的空間を可能にするものであった」▼政治に科学的真理なるものをもちこんだのはマルクス主義であった。単純な勧善懲悪によって全てを割り切ろうとした。それでは政治が成り立たないというのが藤原の主張である。エリートであればあるほど「共通感覚=常識」が欠落しているのが今の日本である。高学歴を鼻にかけた者たちの愚かさが次々と暴露されており、特定野党の支持率もジリ貧から脱することができない。どんな人間であろうとも完全ではないのであり、頭の良さを誇るのではなく、誰に対しても謙虚でなくてはならないのである。

にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村

応援のクリックをお願いいたします


政治ランキング


コメント
この記事をはてなブックマークに追加

HINOMARUが危い歌だと批判されるのは褒め言葉だ!

2018年06月15日 | 思想家

HINOMARUの歌を目の敵にすることは、日本文化を認めないことである。三島由紀夫は『文化防衛論』において、戦後日本の文化が歪められたことを嘆いていた。外務官僚や文化官僚によって推し進められたのは「文化の水利政策」であり「文化を生む生命の源泉とその連続性を、種々の法律や政策でダムに押し込め、これを発電や灌漑にだけ有効なものとし、その氾濫を封じることだった」からである▼三島にいわせれば「『菊と刀』の連環を絶ち切って、市民道徳の形勢に有効な部分だけを活用し、有害な部分を抑圧することだった」というのだ。例として占領政策初期の歌舞伎の復讐ドラマやチャンバラ映画の禁止を挙げている。そして、三島は独自の文化論を展開したのである▼「能の一つの型から、月明の夜ニューギニアの海上に浮上した人間魚雷から日本刀をふりかざして躍り出て戦死した一海軍士官の行動をも包括し、又、特攻隊の幾多の遺書をも包含する。源氏物語から現代小説まで、万葉集から前衛短歌まで、中尊寺の仏像から現代彫刻まで、華道、茶道から、剣道、柔道まで、のみならず、歌舞伎からヤクザのチャンバラ映画まで、禅から軍隊の作法まで、すべて『菊と刀』の双方を包摂する」▼私たちがHINOMARUを聞いて感動するのは「文化における生命の自覚は、生命の連続性を守るための自己放棄という衝動へと人を促す」との三島の言葉が表現されているからだろう。軍歌だとか危険だとかで批判されるのは褒め言葉なのである。

にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村

応援のクリックをお願いいたします


政治ランキング


コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「アベガ―」の朝日新聞と共産党に特大のブーメラン!

2018年06月07日 | 思想家

個人的なスキャンダルは左右を問わず出てくるものである。特定野党が「アベガ―」と騒いでいると、ブーメランになるのは世の常である。セクハラで聖人君主のようなことを口走っていた朝日新聞も、ご多聞にもれずそうであった。経済部のお偉いさんが部下の女性にキスまでしたというのだから、明らかに犯罪レベルである。言うこととやることは違うのである▼「アベガ―」の急先鋒である共産党は、安倍総理の人格攻撃まで行っているが、党所属の市会議員が自転車のサドルに体液をかけて逮捕されるという事件があった。ネットでさらしものになっているが、政策で安倍内閣を批判しないからブーメランが返ってくるのである▼ブーメランという言葉を使ったのに花田清輝がいる。昔は結構花田ファンがいたものだが、今はあまりお目にかからない。それでも彼の名言は有名である。英語に堪能であったせいか正確に「ブーメラング」と書き記しているあたりが心憎い。他人のことをとやかく論評する批評家について、「ブーメラング」に注意しないと「そいつがこちらに命中して、ミイラとりがミイラになり、地上にながながとのびてしまう危険性があることはいうまでもない」(『乱世をどう生きるか』)と書いていた▼マスコミや政党ともなると、ブーメランは致命傷となる。それに気づかないのだから、朝日新聞も共産党も救いようがないのである。

にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村

応援のクリックをお願いいたします


政治ランキング


コメント
この記事をはてなブックマークに追加

罵りたいだけの「大衆」になり下がったマスコミを嗤う!

2018年06月05日 | 思想家

日本国民は健全なのである。「モリカケ」をめぐる連日の反安倍キャンペーンにもかかわらず、多くの日本国民はマスコミに踊らされなかった。一時的に政治が混乱したとはいえ、安倍総理は危機を乗り切ったのである▼マスコミの問答無用の報道ぶりは、オルテガが『大衆の反逆』(寺田和夫訳)で批判したファシズムと変りがない。「理由を述べて人を説得しようともしないし、自分の考えを正当化しようともしないで、ひたすら自分の意見を押しつけるタイプの人間が現れたのである。これは新しい事実だ。理由をもたない権利、道理のない道理である。この新しい事実のなかに、私は、資格もないのに社会を支配する決意をした新しい大衆のあり方の、もっとも顕著な特色を見るのである」▼朝日新聞の人間が「エビデンスなどどうでもいい」と書いたそうだが、ただただ罵りたいだけなのである。意見を述べるにあたっては、それなりの前提や条件を受けいれなければならない。そのことが理解できないのである。天下の御意見番を自称する朝日新聞ですらそうなのであり、オルテガがいう「大衆」であるかどうかは、「専門バカ」という言葉があるように、学歴とは無関係なのである。コモンセンスを働かせるためには、過去から引き継がれた精神文化がなければならないが、日本国民にはまだそれが息づいているのである。

にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村

応援のクリックをお願いいたします


政治ランキング


コメント
この記事をはてなブックマークに追加

高橋和巳の「自己否定」と無縁な今の日本のリベラル!

2018年06月03日 | 思想家

マスコミや官僚、さらには学者の傲慢さは常軌を逸している。しばき隊に加わっていたNHK の職員にしても、天下の「公共放送」に属していたにもかかわらず、活動家そのものであった。安穏とした地位を捨てることなく、二股をかけていたのである▼国立大学で給料をもらいながら、反日国家に加担している者たちもどうかしている。60年安保騒動のときには、東京都立大学の教授を辞すことで抗議した竹内好のような人間がいた。今はそうしたリベラルは皆無である。特権階級として暮らしていながら、口先だけで民主主義の大切さを説いているのである▼高橋和巳が『人間にとって』で訴えたことを思い起こすべきだろう。「なにもせねば当然約束される安定や利益を犠牲にし、ほとんど自らを懲罰するように否定に否定を重ねていって、現代の青年たちはなにを獲ようとしているのか。それは革命社会といった具体的なものではないように思える時がある。彼方から射し込んでくるかすかな光、全く次元の異なった自由、獲得しうるという保証は、まだどこにもない。しかし希求せざるをえないもの…」という問題意識は皆無である▼それ相応の権威を手にした者たちは、自らに刃を向ける誠実さを失ってしまっている。彼らは代々木官僚のスターリン主義者と大差はなく、大学を否定し、自らを否定した全共闘世代とは縁もゆかりもない者たちなのである。

にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村

応援のクリックをお願いいたします


政治ランキング


コメント
この記事をはてなブックマークに追加

日教組の独断的無知を次々と暴露する若いネット世代!

2018年06月02日 | 思想家

日本国民のなかにある亀裂は情報の違いによるものである。世代間の差が浮き彫りになっており、60歳以上はアベガ―ばかりである。新聞やテレビが唯一の情報源であり、連日の朝日新聞の反安倍報道に振り回されてしまっているのだ▼葦津珍彦は『土民のことば―信頼と忠誠との情理』に収録された「右翼ハイ・ティーン」において、昭和35年の安保騒動の頃から若者の間に日教組への反発が広がっていたと書いている。「日教組の教員たちの独断的無知を立証するのは、少年たちにとっ決してむつかしいことではない。少年たちは、教師とは独立して、読書する。図書館や古本屋で発見した右翼文書は、いまでは国家権力の背景をもたず、むしろ公的な場所では悪書として断罪されている。だがそれだけに、それは切々として、わかい日本人のたましいの要求に、素直に呼びかける生命力を復活したとすらいい得るであろう」▼58年前からすでに日教組の偏向教育への反発は広がっていたのだ。そうした情報も今はネットで自由に手にすることができる。葦津が「教師がいかに非難しようとも、英雄的な日本の戦記文学に心をひかれ、悲壮な戦争映画にあこがれるのは自然である。そして子供たちは、戦争についても、公式平和論者の教員たちよりも遥かに豊富で、遥かに正確な知識を有つにいたる」と指摘したとき以上に、若者の意識はまともになってきたのである。

にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村

応援のクリックをお願いいたします


政治ランキング


コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「人間の理性の復権」を訴える保守派論客長谷川三千子!

2018年05月20日 | 思想家

日本の議会制民主主義が危機に瀕している。あまりにも野党が愚かであるからだ。憲法改正を阻止せんがためには、何でもありの体たらくである。これでは建設的な議論などできるわけがない。「モリカケ」にしても、明らかに嫌がらせのレベルである▼今の日本の保守派の論客である長谷川三千子は『民主主義とは何なのか』のなかで「本当の意味での人間の理性の復権」を訴えている。聖徳太子の17条憲法の最後の条で語られている文章を現代語訳して、衆議において何が大事であるかを説いているのだ。「そもそも一人の人間の理性には限界があり、自分で理を尽くしたつもりでも、思いがけないところに見落としがあったり、充分に遠くまで見通せていなかったりすることがある。その限界を自らよく心得る者は、重大な事柄については、むしろ自らすすんで独断をつつしみ、虚心に他の人々の意見に耳を傾けるはずである。まぜならば、もっとも重要なことは、誰の意見が通るかということではなくて、理の通った正しい結論が得られるかどうか、ということなのだからである」(『民主主義とは何なのか』)▼今の国会は「理の通った正しい結論」のための論戦の場ではない。野党がもっと大人になるべきだろう。日本維新の会が一定程度評価されるのは、対案を出す努力をしているからである。「民主主義の大洪水」(『同』)が全体主義を招き寄せる。民主主義はその危険性を絶えず秘めているのである。

にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村

応援のクリックをお願いいたします


政治ランキング

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「菊と刀」の絆を回復すべきと主張した三島由紀夫!

2018年05月18日 | 思想家

朝鮮半島有事や中共の侵略に備えて、昼夜を問わず国防の任にあたっている自衛隊の諸君がいるからこそ、日本国民は平和を享受できるのである。三島由紀夫が『文化防衛論』で述べているように、アメリカの占領政策で「『菊と刀』の永遠の連環」は絶たれてしまった。それでもなお自衛隊の諸君に国のために死ぬことを強いるのは、あまりにも理不尽に思えてならない▼三島が訴えたかったことは明確である。「菊と刀の栄誉が最終的に帰一する根源が天皇なのであるから、軍事上の栄誉も亦、文化概念としての天皇から与えられなければならない。現行憲法下法理的に可能な方法だと思われるが、天皇に栄誉大権の実質を回復し、軍の儀丈を受けられることはもちろん、連隊旗も直接下賜されなければならない」▼三島が立脚したのは、「国家が分裂しても国民の統一は失われなかった」という和辻哲郎の文化的天皇制の理論であった。「天皇は原始集団の生ける全体性の表現者であり、また政治的には無数の分裂していた日本のピープルの『一全体としての統一』の表現者であった。かかる集団あるいはピープルの全体性は、主体的な全体性であって、対象的に把握することのできないものである。だからこそそれは『象徴』によって表現するほかない」(『国民統合の象徴』)▼平成になって文化概念としての天皇の根本が揺らいできている。菊と刀の絆を回復することで、日本を日本たらしめる最後の砦を守り抜かなくてはならないのである。

にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村

応援のクリックをお願いいたします


政治ランキング

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

史上かつてなき独裁国家北朝鮮を甘くみてはならない!

2018年05月17日 | 思想家

金正恩はかなり焦っている。当初はトランプを簡単に丸め込めると思っていたはずだ。そうは問屋が卸さないのに気付いて、米朝首脳会談に応じるかどうかで迷っているのである。6月12日にシンガポールで行われる予定にはなっているが、実現は微妙である。アメリカはリビア方式での解決を主張しており、北朝鮮の思い通りにはならないのは明らかである。独裁者を好意的に評価したマスコミや野党は、今後の成り行きをどう考えているのだろうか▼トロツキーは『裏切られた革命』(藤井一行訳)において、ソビエトロシアを痛烈に批判した。「それは史上かつてなかったような強制の機構へと肥大化した。官僚は大衆に席をゆずって消滅するどころか、大衆の上に君臨する無統制の権力と転化した。軍隊は武装した人民におきかえられるどころか、元帥を頂点とする特権的な将校階級をその中から生みだした。一方、『武装した独裁のにない手』たる人民は今日のソ連では刀剣類の武器を携行することさえ禁じられている」▼北朝鮮はソビエトロシアよりもさらに深刻なのである。独裁者が世襲であり、民主的な手続きは一切無視されている。我が国が国家として北朝鮮に身構えることは、それこそマルクスも容認するだろう。平和を守り抜くためにも、我が国は断固とした姿勢を貫くべきなのである。絶対に甘い顔をすべきではない。

にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村

応援のクリックをお願いいたします


政治ランキング

コメント (3)
この記事をはてなブックマークに追加