草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

安倍内閣の移民政策は日本の国柄を破壊する暴挙だ!

2018年12月14日 | 思想家

日本の歴史や伝統を破壊すれば、二度とそれを再建するのは難しい。平成最後の12月を迎えて、日本人が拠り所とすべき価値観が、音を立てて崩れている。それで本当によいのだろうか。リベラリストがすぐに引き合いに出すハイエクですら、その著書『市場・知識・自由―自由主義の経済思想―』(田中真晴・田中秀夫編訳)において、伝統や慣習の大切さを説いていたのではなかったか▼「個人主義社会が機能的に働くために、これらの比較的小さい人間集団に劣らず非常に重要なのが、自由な社会において成長する伝統と慣習である。そのような伝統と慣習は、強制的であることなしに、可撓(かとう)的ではあるが常態においては遵守される諸規則を定着させ、それによって他人の行動が高度に予測可能にせられるのである。そのような規則の存在理由を理解するかぎりにではなくて、反対すべき確たる理由がないかぎり、規則に進んで従うことが、社会的交流の規則の漸次的発展と改善のための、ひとつの本質的な条件である」▼全体主義的な強制に対抗するには、それぞれの国家が国柄に従って運営されなければならない。それが否定されてグローバリズムに屈服することが問題なのである。安倍内閣が移民政策に舵を切ったことで、日本は国家として新たな試練に直面している。少子化を解決するためにはもっと別な処方箋があるのであり、外国人に頼るというのは本末転倒ではないだろうか。

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名声や金儲けと無縁な「浪人の淋しき心」が真の保守だ!

2018年12月12日 | 思想家

保守という言葉が手垢に汚れてしまって、使うのもためらうようになってしまった。立憲民主党の枝野幸男あたりまでが口にするようでは、本来の意味が失われてしまう。保守というのは、生きている者ばかりではなく、死者たちや、これから生まれてくる者たちの声にも耳を傾けるという立場である。エドモンド・バークがその代表的な思想家であり、日本の国柄が重視されるのは当然のことである▼安倍首相は保守派の応援によって、政権に復帰し、国政の舵取りを任せられたのではなかったか。ここにきてグローバリズムに屈したように思えてならない。だからといって安倍首相を退陣に追い込む決断もできず、保守派の多くは迷走しているのではないだろうか▼そうしたなかで、保守派の多くは、虎ノ門ニュースに出演するジャーナリストに期待した。自虐史観が一方的なイデオロギーにもとづくものであり、それを批判するのに拍手喝さいしたのである。しかしながら、あまりにも杜撰な百田尚樹氏の『日本国紀』が世に出たことで、裏切られたという失望感が広がっている▼もともと保守は名声や金儲けとは無縁な名も無き者たちに支えられており、それを保田與重郎は「浪人の淋しき心」と評したのである。時流に媚びることなく、それこそ「護国の鬼」となるべきなのである。一度白紙に戻って、安倍首相や虎ノ門ニュースとも距離を置きながら、保守の立場を再構築するときではないだろうか。

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皇室祭祀の重要な行事である大嘗祭は私事にはあらず!

2018年12月10日 | 思想家

いくら秋篠宮様の発言であろうとも、異議を唱えなければならない。民主化なるものによって、皇室の根本が失われてしまうのは問題である。秋篠宮様が来年の皇位継承に伴う大嘗祭の公費支出について疑問を呈されたのには驚いた。「皇室の家庭行事」と述べたからである。そこまで謙遜される必要がないのに、周囲の者が大嘗祭についての説明を怠ってきたからだろう▼大原康男は『天皇―その論の変遷と皇室制度』において、大嘗祭の意義について書いている。「大嘗祭は、皇位に即かれた天皇が最初に親祭される新嘗祭のことで、皇祖天照大神ならびに天神地祇を祭って新穀を供し、またみずから共食され、これによって天皇としての<いのち>を得られるところに本質がある」▼さらに、大原は「その起源も、古事記・日本書紀の伝えるところによれば、遠く神話時代までさかのぼることができるといわれ、江戸時代まではシナ風が混じったこともあった即位の礼とは違って、践祚とともに純粋に国風・国式の儀礼といっていい」とも指摘している▼大嘗祭によって、天皇は天皇となり、皇祖皇宗としての天照大神と一体となるのだ。現憲法の象徴天皇においても、それは否定されたわけではない。公費をあてることは当然であり、大嘗祭において、私たち日本人は、皇室を押し戴く日本人であることを自覚するのである。その観点からしても、開かれた皇室への動きは、かえって皇室を貶めるだけなのである。

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本当の保守であればグローバリズムに立ち向かうべきだ!

2018年12月09日 | 思想家

保守の分断を恐れてはならない。今フランスで起きているようなことは、日本にとっても他人事ではない。使い古された言葉ではあるが、グローバリズムに屈するアメリカポチと私たちは一線を画さなくてはならない。共産主義を打倒すると同時に、アメリカニズムとしてのグローバリズムを敵としなくてはならないのである▼二つとも根っこの部分は一緒である。世界を一つのイデオロギーによって統一しようとしているからだ。移民を入れ、経済的な合理性によって全てが決まるようになれば、日本の文化と伝統は否定されることになる。いうまでもなく、日本の文化と伝統を象徴するのは天皇陛下である。日沼倫太郎が『病める時代』において紹介した三島由紀夫の言葉を思い起こすべきだろう▼「僕は大嘗祭というお祭りが、いちばん大事だと思うのですがね。あれはやはり、農本主義文化の一つの精華ですね。あそこでもって、つまり昔の穀物神と同じことで、天皇が生まれ変らるのですね。そうして天皇というのは、いま見る天皇が、また大嘗祭のときに生れ変られて、そうして永久に、最初の天照大神にかえられるのですね、そこから再生する」。今上天皇陛下は、常に皇祖皇宗とともにあられる。だからこそ多くの日本人が「天皇陛下万歳」を叫ぶことができたのである。日本を日本たらしめる原理を取り戻すことが、本当の意味での戦後レジームからの脱却なのである。

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今パリで起きているのは不幸な人びとの叛乱だ!

2018年12月09日 | 思想家

今フランスで起きている騒動を理解するには、あまりにも情報が不足している。西側の先進国で人々が暴力でもって権力に対抗するというのは、想像を絶する出来事である。司令塔がどこにあるかも不明である。それこそハンナ・アレントが『革命について』(志水速雄訳)で、フランス革命について「不幸な人びとがパリの街頭にあらわれた」と書いたような事態が起きているのだ▼もはや法や秩序は意味をなさなくなっている。騒いでいる人々を束ねられるのは、その怒りを社会変革のエネルギーに転化できる党派だけだろう。アレントもそのことに触れている。「生き残って権力の座につくことができたのは、大衆の代弁者となって、まだ構成されていなかった政治体の『人工的』な法律を、大衆の従っていた『自然的』な法律に、つまり大衆が突き動かされていた力、実際、自然そのものの力、根源的な貧窮[必然]の力に委ねた人たちだけであった」。「裸のままの欲求と利害だけが偽善のないものであると確信したとき、不幸な人々は激怒する人びとに変わった」からである▼グローバリズムで勝ち組といわれた者たちを糾弾する声が、フランスにとどまらずに、世界中に吹き荒れることになるのではないだろうか。アレントの言葉を待つまでもなく、そこで解き放たれたエネルギーはとんでもない力を発揮するのである。人類は建設よりも破壊を待望しているように思えてならない。私たちは文明の曲がり角に立っているのではないだろうか。

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権威の崩壊と受け皿の組織がなければ革命は起きない!

2018年12月06日 | 思想家

今の世の中で革命が起こりうるのだろうか。それは誰にもわからない。今回のフランスでの騒動がどうなるのか、中共の民衆が中国共産党を倒せるかどうか、予測することはできないのである。ハンナ・アレントは『革命について』(志水速雄訳)のなかで、革命に関して自然発生的な流れを重視し、職業革命家が指導したという見方に関しては否定的である▼アレントは「ほとんどのばあい、革命の勃発は、他のすべての人びとと同じように革命のグループや政党をおどろかせた」と述べるとともに、「レーニンの職業的革命家の党でさえ革命を『つくる』ことはできなかった」と指摘した。今回のフランスの騒ぎでも、デモを組織したグループが予想しなかった事態が生まれているのである▼それでいて、アレントは「革命は、政府が命令する権威とそれに伴う敬意を維持できないばあいに必ず起こるものだという結論を引きだすことはできない」とも分析をしている。前提として「すなわちその権威の崩壊にそなえており、同時に進んで権力を握るつもりがあり、熱心に組織活動をおこない、共通の目的のために団結して行動する人びとが十分に存在するばあいがそれである」と書いたのである▼自然発生的であっても、受け皿がなければ駄目なのである。フランスや中共で暴動レベルにとどまっているのは、そうした組織がないからだろう。法を破る力としての革命を行うには、それなりの条件が必要なのである。

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吉川英治の文章の極意は資料に振り回されないことだ!

2018年12月02日 | 思想家

百田尚樹氏は『日本国紀』について、きちんとした説明をしてくれると信じているが、資料や本を参考にするにあたっては、それなりの原則があるのではないだろうか▼「国民文学作家」とまで呼ばれた吉川英治は、物書きとしての極意を身につけていたからだ。吉川は『随筆私本太平記』において「今読んで今それを役立てているようなあわただしいことでは、実際に於いて間に合うものではない」と書いていた。消化されなければ身に付かないというのだ。あくまでも小説家としての弁ではあるが、吉川の言い方には説得力がある▼「自分が目的もなく、興味で読んだものは、何年か経って居るうちに、それは一体本から得た知識だか、自分に生まれながら持っている知識だか分からなくなる。そうなってから蚕のように手繰ると糸になって出て来る。そこに価値があるのだ」(『同』)▼小説家が学者と違って参考文献をいちいち掲げないのは、消化して自分の文章にしているからである。「手繰ると糸になって出て来る」というのは才能である。無駄なように思える読書の方が結果的に、小説を書く上でプラスに働くのである。原稿を埋めるために付け焼刃であってはならない。本や資料に振り回されずに言葉を紡いでいくのがストーリーテーラーであり、吉川の忠告に百田氏が耳を傾けたかどうかなのである。

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スターも歌もなく「帰る場所」も見失ってしまった平成!

2018年11月29日 | 思想家

11月も後わずかである。平年と比べて暖冬になりそうな気もするが、この先のことは分からない。明後日からは師走である。江藤淳の「スターもなく、唄もなく」というエッセイが思い出されてならない。平成の幕開けは景気がよかったものの、もう一つパッとしなかった。そこで江藤は「平成元年の日本には流行歌、ヒット曲というものが一つもない。景気がいいというのに、流行歌が一つも生まれない年というのがかつてあっただろうか?」と嘆いたのだった▼平成は30年を数えるに至った。今もって「スターもなく、唄もなく」というのは変わらないのではないだろうか。国民誰しもが口ずさめる歌はどこにも見当たらないし、スターと呼べる存在はどこにもいない。日本人であることの共通の基盤が壊れてしまっているからだろう。日本人同士が分断され、罵りあっているような状況下では、国民がこぞってということにならないのである▼江藤は「帰る場所」という言葉も私たちに残した。「私は喪失感を主張しようとしても、正義を主張しようとはしなかった」(『崩壊からの創造』)とも書いたように、我が国の敗戦によって失われた、ささやかな暮らしにこだわった。大久保百人町の住宅街がなくなり、連れ込み旅館ばかりになったことに憤ったのである。共同体としての一体感を失い、「帰る場所」もないとすれば、私たちはどうすればいいのだろう。平成も終わりに近づき、日本について思いめぐらすべきときなのである。

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甘んじて国の為に死んでいった者に敬意を表した平泉澄!

2018年11月26日 | 思想家

百田尚樹氏の『日本国紀』では物足りないという意見が、保守派からも出ている。後半の部分が自虐史観を批判していることで、それなりの意義があったとしても、それだけでは駄目なのである。残念でならないのは、参考文献に何を使ったかを公表する気がないことだ▼これまで保守派が重んじてきた歴史学者は、いうまでもなく平泉澄である。平泉の「国家護持の精神」は昭和4年11月16日の昭和天皇の御大典に際して、ラジオで放送された。若井敏明の『平泉』ではそこで語った内容を紹介している。「国歩艱難の時に、生命を捨てて君国の為に尽くした忠君志士を思い起こす」という趣旨で、北畠親房、楠正成、榊原忠次、水戸光圀から幕末の横井小楠、橋本佐内、橘曙覧、吉田松陰へと継承された精神を、国民に向かって語ったのである▼「考えてくれば実に無数の人々が、何等利益を求めず、名誉に目もくれないで、甘んじて国家の為に死んでいったのでありまして、其の数多くの捨石の力によって、今日の我が国の隆盛となり、我が国の尊厳を見得るのであります」との見方を示すとともに、「この無数の崇高なる霊魂を、我々の心の中に呼び起こしたいと願うのであります」と述べたのである。百田氏のような放送作家はパッチワーク的に自分なりのストーリーを作りがちである。平泉を参考にすればよかったと思うのは、私一人であろうか。

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自らが死ぬことで心に響く言葉を残した三島由紀夫!

2018年11月23日 | 思想家

明後日は憂国忌である。三島由紀夫の死とは何であったのか。いうまでもなくそれは、日本人の魂が腑抜けになったことへの苛立ちであった。日本学生新聞社編の『回想の三島由紀夫』に収められた保田與重郎の「天の時雨」を読んでいて、なおさらその思いを強くした▼保田の「三島氏は人を殺さず、自分が死ぬことに精魂をこらす精密の段取どりをつけたのである。人を殺さずして巨大機構を根底でゆり動かした」との見方は、三島の死の本質を突いているのではないだろうか。さらに、日本浪漫派の巨匠は「三島氏は壁につき当ったのではなく、好んで激突したのでもない。その人自身が壁だった。壁は玉であって、玉は玉砕するゆゑに尊しといふ、東洋五千年の文明観の精髄をその身にしてゐたと思はれる。石は破れるが、玉は砕ける。これが生命観とか霊魂観を象徴する。この考え方は、極く美的である」と批評したのである▼「玉は砕ける」から後世に語り継がれるのである。自らが死ぬことで、誰しもの心に響く言葉を残したのである。あの檄文の「今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか」との悲痛な叫びは、今も日本中に響き渡っている。とくに未曽有の危機が迫っている祖国を守り抜くためにも、今こそ三島の精神を思い起こすべきなのである。

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