草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

「完全な正義も社会分裂の原因になる」と指摘したホッファー!

2020年06月03日 | 思想家

黒人差別に抗議する暴動は分裂するアメリカを象徴している。エリック・ホッファーの皮肉な見方が的を射ているように思えてならない。「不正を正しても社会の協調度が増すわけではない。女性解放、人種間の平等、貧困に対する闘いは、さらなる国民の結束をもたらしはしなかった。それどころか、社会正義は不満を倍増させ、不和に油を注いだ。完全な自由のように、完全な正義も社会分裂の原因になるもかもしれない」(『安息日の前に』中本義彦訳)▼ホッファーがもっとも恐れるのは社会的連帯感の喪失である。その点を考慮するならば、「完全な正義」はセーブされねばならないのである。ホッファーが依拠するのは、教会や家族といった伝統的な権威の見直しである。それに取って代わるものを見い出せないでいる欧米社会を、「進歩の行進によって破壊された共同体のゴミ捨て場と化している」とまで書いたのだった▼そうした危機を克服した国家として、ホッファーは日本を高く評価した。「強固なアイデンティティと連帯感をもつ日本は、他国が経験した近代化に伴う社会分裂を回避し得た」との見方を示したのだ。欧米の悲劇は「社会分裂」によって引き起こされたものであり、彼らが学ぶべきは共同体を大切にし「中庸」に徹する日本人の生き方だというのである。

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強大な権力をもつ検察とマスコミの癒着は許されるべきでない!

2020年05月23日 | 思想家

検察とマスコミとの癒着は今始まったことではない。検察が自分たちに有利な世論をつくるために、意図的にマスコミにリークするというのは、これまでも行われてきたことだ。それ自体も大問題であるが、今回は黒川前東京高検検事長とマスコミ関係者が日常的に賭けマージャンを行っていたことが露見したのである▼マージャンの相手が産経新聞と朝日新聞だったというのも驚きであった。マスコミでは朝駆け夜討ちという言葉があるが、取材対象に密着することが推奨されてきた。友達になって情報をもらうというのは、彼らにとってあたりまえのことなのである。検察もマスコミも巨大な権力である。一緒に組めば時の権力者を倒すことも容易であり、あまりにも衝撃的であった▼尾高朝雄は「法の性格は、政治によって規定されつつも、政治の動向を牽制し、政治の対立を調和し、社会団体の統一を保持しようとするところに見出される」(『法哲学』)と述べていた。法が一定の立場に固執して世の中を動かそうとすれば「かえって対抗政治勢力を内向せしめ、これに急激な爆発力を与え、ために法と政治の正面衝突を惹起するおそれがある」(『同』)というのだ。検察がマスコミと一緒になって騒ぎ立てるというのは、法の根本理念からしても絶対に許されることではないのである。

https://www.youtube.com/watch?v=e3-QnhQemYo

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㉝笠井尚氏の会津の本を読む 家近良樹の『江戸幕府崩壊 孝明天皇と「一会桑」』

 

 

 

 

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世界では絶滅危惧種の共産党が命脈を保っているのは日本だけ!

2020年05月15日 | 思想家

かつて谷沢永一が面白いことを書いていた。「もう直、地方からの観光バスや東京のはとバスが三宅坂と代々木を回って、『これが世界で絶滅した社会党本部及び共産党本部でございます。わが国にだけございます』と言って案内するのではないか」(『大国日本の正体』)▼残念ながら、谷沢の予測は一部外れた。代々木の共産党はかろうじて命脈を保っているが、社会党は社民党と名称を変更し、支持率は泡沫政党のレベルである。イタリア共産党は消滅し東欧の共産党が壊滅したにもかかわらず、日本の共産党だけが勢力を維持しているのは、団塊の世代の年寄りがいるからである▼面白いのは、共産党を名乗りながらも、マルクスの文献を読んだことがない党員が多いことだ。宮本顕治が委員長だった時代には「科学的社会主義」をスローガンにしていたが、不破哲三が思想的リーダーになってからは、それすらも口にしなくなった。変わらないのは、自分たちが選ばれたものであるとの「前衛意識」である。民衆は愚かであるというのが彼らの見解なのである。だからこそ、ネット工作を行って民衆を煽ることも許されるのである▼谷沢も引用しているが、芥川龍之介は「レーニン」という題で、「最も民衆を愛した君は、最も民衆を軽蔑した君だ」という言葉を残している。的を射た論評ではないだろうか。共産党の同伴者となっている芸能人や文化人は、そのことに気づかないおめでたい人たちなのである。

㉕笠井尚氏の会津の本を読む 田宮虎彦の『落城』

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https://www.youtube.com/watch?v=lbFJxiyfgiI

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一部の扇動者に踊らされることは「大衆人」になりさがることだ!

2020年05月14日 | 思想家

芸能人が政治的な発言をすること自体は自由である。一部の者たちの扇動に乗せられて、つまらないことを口にするからネット民に叩かれるのである。それは芸能人にとどまらない。エリートと目されている者たちについても同じなのである。オルテガが指摘しているように、高貴な賢者の精神とは無縁な凡庸な「大衆人」に堕落することが問題なのである▼「賢者は、自分がもう少しで愚者になり下がろうとしている危険をたえず感じている。そのため彼は、身近に迫っている愚劣さから逃れようと努力するのであり、その努力のうちにこそ英知があるのだ。ところが愚者は自分を疑うことをしない。彼は自分がきわめて分別に富む人間だと考えている」(『大衆の反逆』桑名一博訳)▼オルテガの「大衆人」の定義は、凡庸な愚者を意味する。それは学歴とか、社会的な立場とは無関係なのである。かえって知的選良の方が愚者である場合が多い。自分を絶対視し、聞く耳を持たないのが「大衆人」なのである。今回の「検察庁法改正案に抗議します」とのツイートにしても、法律の文面も読まずにムードの押し流された人たちが多かった。とくに芸能人の場合は、反対の意思表示をすればインテリと思われると勘違いしたのではないだろうか。オルテガは「大衆人」の信念について「彼の虚栄心から生まれてくる」と指摘している。私たちは己惚れるのではなく、高貴な賢者を目標にすべきなのである。

㉔笠井尚氏の会津の本を読む 萩原延寿の『遠い崖―アーネスト・サトウ日記抄7江戸開城』 

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https://www.youtube.com/watch?v=YR23Ght--cY

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空理空論ではなく「やるべき仕事」の大切さ説いたホッファー!

2020年05月09日 | 思想家

世の中が騒然としていればいるほど、沖仲士であったエリック・ホッファーの言葉ほど胸を打つものはない。ホッファーに「われわれが失ったもの」(中本義彦訳)という文章がある。『エリック・ホッファーブック情熱的な精神の軌跡』(作品社編集部編)に収録されている。一肉体労働者であったホッファーは、「やるべき仕事がある」という決まり文句が通用しなくなったことを問題視した。それこそがアメリカの危機だというのだ▼労働者が知識人よりも優っていたのは、それがあったからであり、空理空論に付き合うことがなかったからなのである。ホッファーは処方箋として「自らを人類の先頭に位置づけることによってのみ、すなわち、現在の世界を苦しめている諸問題を解決するために自分のもつエネルギーとノウハウをすべて動員して、それらの問題を迅速かつ劇的に解決することによってのみ、アメリカは希望を取り戻せるだろう」と書いたのだった▼日本においても同じではないだろうか。武漢発の新型コロナウイルスで世界はパンデックになっており、それを克服する先頭に立つことで、日本人もまた、失ってしまった大事なものを取り戻せるのである。私たちは評論家であってはならない。現実の課題と真摯に向き合わなければならない。「やるべき仕事」として立ち向かうことで、未来が切り拓かれるのだから。

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「フィルタリング」をしたマスコミに踊らされてはならない!

2020年04月27日 | 思想家

私たちは難しい問題に直面しているような気がしてならない。他者との交流の場に出て行く道が狭まっているように思えてならない。主義主張が違う者同士の間で、議論が成立することが難しくなってきているからだ。日々もたらされる情報の多さに耐えかねて、ついつい私たちは「フィルタリング」をしがちなのである▼新型コロナウイルス対策の布マスクの問題もそうであった。政府の説明不足があったとはいえ、誰しもが考える政策であったにもかかわらず、一部の国民から不評を買ったのだった。不良品が出たことを批判するのは当然だが、配布自体に難癖を付けるのは行き過ぎであった。マスコミが倒閣に利用するために、勝手に「フィルタリング」をかけて、テレビや新聞しか見ない人を煽るというのは、あまりにも常軌を逸している▼考えが違う自分以外の他者がいることで、かえって私たちは自由を手にするのである。齋藤純一は『自由』において「受動的に他者に曝されてあるという条件が、そのつど何かである私に、その何か(自己同一性)から逸れていく『運動の自由』を与えているのである」と書いている。他者に心動かされる自分が存在するということが、まさしく自由にほかならないのである。罵り合いからは何も生まれない。私たち自由であるためにも、自分以外の他者を尊重すべきなのである。

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強大な権力を行使するマスメディアの問題点指摘した佐伯啓思!

2020年04月25日 | 思想家

世界的な傾向かもしれないが、ジャーナリズムの権威が失墜している。今回の武漢発新型コロナの報道でも、不安感を煽るだけである。佐伯啓思は『戦後民主主義の病理』で、デモクラシーにおいて強大な権力を行使するマスメディアの問題点を指摘した▼「世界についての情報、世界についての映像、世界についてのイメージを動かすことができるマスメディア」を抜きには、デモクラシーを語ることはできないからだ。誰もが知らない世界を切り取り、簡略化し、討論可能のような形に変形するのがジャーナリズムの仕事なのである。佐伯は「学者、ジャーナリストに限らずに、われわれの認識は、決して中立などありえず、結局、われわれは、常に自分が見たいように世界を見、あるいはそうでなくとも、大衆が望むように世界を見、切り取るものだからである」と書いている▼私たちは、マスメディアによって差し出された情報や事実を鵜呑みにするのではなく、それを疑ってかかる必要があるのだ。討論可能な形にするには、さまざまな分野での専門家や評論家の役割も大きいが、佐伯によればそれも弱体化しているというのだ。デモクラシーが機能するには、建設的な議論の場が不可欠である。右を左も、そうした知識層が育ってきていないのが我が国の不幸なのである。

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全体主義テロ国家中共による日本分断工作を許してはならない!

2020年04月24日 | 思想家

中共のお先棒を担いでいる人たちが日本の分断を策している。武漢発の新型コロナウイルスが世界を恐怖のどん底に突き落としているのは、習近平ら中国共産党執行部が初期の段階で情報を公開しなかったからである。人と人との感染が起きていないと世界中が思ってしまったのは、真実が伝えられなかったからであり、そこにWHOが加担したことで、どこの国も甘く考えてしまったのである▼中共は表向き共産主義国家を名乗っているが、実際は全体主義テロ国家でしかなく、多くの人民を鉄鎖に繋ぎ抑圧しているのである。「完璧な共産主義は完全な民主主義的自由のもとで可能である」と述べたのはローザ・ルクセンブルクであった。あくまでも集会の自由や言論の自由が前提とされていたのである。彼女は「民衆を締め出し、エリートの労働者を招集して、拍手と同意によって基盤を固めようとするレーニン主義」を厳しく糾弾したのである▼中共を擁護するというのは、レーニン主義に屈服することにほかならない。ウイグルやチベットでのジェノサイドはナチスが行ったことと大差がない。暴力によって香港や台湾の政治的自由をも奪おうとしているのだ。全体主義テロ国家に対して、自由と民主主義の国家は結束しなければならないが、私たち日本国民もまた結束しなければならないのである。

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今日本は新型コロナばかりではなく内部の敵に脅かされている!

2020年04月23日 | 思想家

武漢発の新型コロナウイルスに世界中が振り回されている。これまでは危機に直面すれば日本人は結束するのが常であったが、今回ばかりは違っていた。政府に協力するという団結力が乏しくなってしまったように思える。日本における内なる敵が頭をもたげてきているからだ▼エリック・ホッファーは「現在、各国は外敵よりも内部の敵に脅かされていると一般的に言われている。だが、一般に認められた内部の敵への対処法といったものはない。外敵が平和を乱せば戦争状態となり、自動的に軍事力が動員される。しかし、内部の敵が爆破や殺傷によって国内の生活を混乱させても、緊急事態とはならない。裁判所は機械的に判決を出しつづけ、警官たちは日常業務にしがみつき、大多数は沈黙を守る」(『安息日の前に』中本義彦訳)と書いている▼日本国内で爆破事件が起きているわけではないが、分断を策する者たちは激しい憎悪を政府に浴びせている。必死になって舵取りをしている者たちを罵るのは、あまりにも異常である。背後に中共がいるのは明らかである。内なる敵に対する組織的な防衛をする手段が今の政府にはない。私たちができるだけ結束して日本を守り抜かなければならない。もう一つの深刻な危機を迎えていることを私たちは自覚すべきなのである。

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今安倍首相に求められるのは一寸先闇の中で博打をうつ覚悟だ!

2020年04月21日 | 思想家

今起きていることだって、私たちは全体像を鳥瞰できるわけではない。あくまでも一部分の情報に接しているだけであり、目の前の危機である新型コロナウイルスの対策にしても、どれが絶対かは誰にも分からない。あれほどまでに万全と思われた欧米がパンデックの中心地になろうとは、夢想だにしなかったことである▼日本の現状がどうかといえば、死亡者数でいえばかなり善戦している。忍耐強い国民性のゆえに、これまではじっと我慢をしてきたからだ。一部にはピークを過ぎたの見方もあるが、実際どうなっているかは見当が付かない▼福田恆存が「乃木将軍とと旅順攻略戦」で「近頃、小説の形を借りた歴史読物が流行し、それが俗受けしているゐる様だが、それらはすべて今日の目から結果論であるばかりでなく善悪黒白を一方的に断定してゐるものが多い。が、これほど危険な事はない」と書いていた▼現在から過去を論じことは容易いが、現在の「見える目」で裁いてはならないというのだ。司馬遼太郎らが乃木希典を無能呼ばわりすることに、福田は反論したのである。「日本海大海鮮におけるT字戦法も失敗すれば東郷元帥。秋山参謀愚将論であらう。が、当事者はすべて博打をうつてゐたのである。丁と出るか半と出るかは一寸先闇であった」ことを重視するのだ。「見えぬ目」で決断をしなければならないのだから、いつの時代もトップに立つ者は孤独なのである。安倍首相にその覚悟があるかどうかなのである。

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