日本の保守派の原点にあるのは、天皇絶対であると同時に、国権、民権の思想である。葦津珍彦が『大アジア主義と頭山満』のなかで、頭山満に板垣退助が民権の大切さを説いた、というエピソードを紹介している。大久保利通が暗殺されたのは、明治11年5月14日のことであったが、福岡でその報に接した頭山は、すぐに土佐に板垣を訪ねた。そのときに板垣は、まだ無名の青年であった頭山に向かって、懇々と語って聞かせたのだった。会津藩の落城が近いと思われていた時期に、一門の者を集めて、懸命に食糧を城中に運び入れている百姓がいた。それを目のあたりにした板垣は、その百姓の義心に感激した。そして、「すべての国民が、百姓でも町人でもたれでも、会津の百姓某のような心がけにならねばならない」との考えを抱くようになったというのだ。板垣は会津戦争の体験談を披露したわけだが、民衆の側に立った立憲政治を行えば、民衆もまたそれに応えてくれるのである。日本の右翼の源流である玄洋社のリーダーも、その根本にあったのは、民権思想なのである。だからこそ、玄洋社憲則は「一条皇室を敬戴すべし、第二条本国を愛重すべし、第三条人民の権利を固守すべし」からなっていたように、日本の国柄は、天皇絶対、国権、民権の思想が 三本の柱なのである。
↑
会津っぽに応援のクリックをお願いします
アンチエジプトでユダヤの民族神を絶対化させたモーセ以降の旧約聖書の世界。
しかし、イザヤ書あたりから民族神エホバを離れて保守本流の動きが始まっている。
日本文化の絶頂期、聖武天皇が帰依し光明皇后の大仏信仰のような保守本流の真髄を、現代人も目覚める必要がある。
しかも占領政策の自虐史観が加わり、戦後日本人は背骨をなくしてクラゲ状態、ただよっている。