草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

日本を守り抜くためにも韓国を他山の石とすべきだ!

2018年11月30日 | 自衛隊

韓国はもはや同盟国ではない。日本に対しての敵愾心は異常であり、手が付けられなくなっている。全体主義の前には民主主義はあまりにも脆弱なのである。北朝鮮の工作員として韓国に潜入した「土台人」は、司法を始めとして、マスコミ、官界にまで浸透し、かつての反共国家を根本からひっくり返してしまった。もはや韓国にはそれに対抗するすべはなく、嫌気をさした者たちは次々と海外へ逃亡している。その数は実に3万ともいわれる▼現在の韓国を我が国は他山の石としなければならない。日本を守り抜くにはどうすればよいか。そのことが問われているのである。民主主義とは民衆による支配を意味し、民衆が誤った選択をすることもある。そのときには自由を奪われないために、超法規的な手段を講じることも容認されなくてはならない。カール・シュミットの「国家緊急権」の発動である。熱狂して興奮している者たちの背後には、それを扇動する国家や勢力があるからだ▼そこで問題になってくるのは、自衛隊の士気である。国軍としての地位と名誉が与えられてこなかった彼らが、国の危機に決起するかどうかなのである。日本を守る最後の砦は自衛隊である。彼らが腑抜けでないことを祈るばかりだ。日本が韓国と同じ運命を辿るのを阻止するために、今何をすべきかを考えるべきときなのである。

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日本は堪忍袋の緒が切れし 10句

2018年11月29日 | 川柳

隣人の付き合いをせぬ無法国

付き合うな反日国是の韓国と

日本の不幸を喜ぶだけの国

北からの支配を受けて滅亡へ

言論の自由もなくなり亡ぶのみ

国捨てる人多くして奈落かな

日本は堪忍袋の緒が切れし

じっと耐え謝り続けて馬鹿らしや

政治家は韓国に媚び勇気無し

友邦にあらずば特権与えるな

 

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スターも歌もなく「帰る場所」も見失ってしまった平成!

2018年11月29日 | 思想家

11月も後わずかである。平年と比べて暖冬になりそうな気もするが、この先のことは分からない。明後日からは師走である。江藤淳の「スターもなく、唄もなく」というエッセイが思い出されてならない。平成の幕開けは景気がよかったものの、もう一つパッとしなかった。そこで江藤は「平成元年の日本には流行歌、ヒット曲というものが一つもない。景気がいいというのに、流行歌が一つも生まれない年というのがかつてあっただろうか?」と嘆いたのだった▼平成は30年を数えるに至った。今もって「スターもなく、唄もなく」というのは変わらないのではないだろうか。国民誰しもが口ずさめる歌はどこにも見当たらないし、スターと呼べる存在はどこにもいない。日本人であることの共通の基盤が壊れてしまっているからだろう。日本人同士が分断され、罵りあっているような状況下では、国民がこぞってということにならないのである▼江藤は「帰る場所」という言葉も私たちに残した。「私は喪失感を主張しようとしても、正義を主張しようとはしなかった」(『崩壊からの創造』)とも書いたように、我が国の敗戦によって失われた、ささやかな暮らしにこだわった。大久保百人町の住宅街がなくなり、連れ込み旅館ばかりになったことに憤ったのである。共同体としての一体感を失い、「帰る場所」もないとすれば、私たちはどうすればいいのだろう。平成も終わりに近づき、日本について思いめぐらすべきときなのである。

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グローバリズムと保守言論の劣化に対して批判の声を!

2018年11月28日 | 世相

今こそ保守は隊列を整えなくてはならない。警戒すべきは二つの流れである▼一つはグローバリズムを加速させる安倍政治である。移民を容認するかのような法律が衆議院を通過したことは由々しき事態である。中共の日本侵略を防げなくなるばかりか、治安の悪化も懸念されている。もう一つは劣化した保守の台頭である。売らんかなという商業主義と馴染まないのが保守の思想であり、ベストセラーになって派手な話題を振りまくのではなく、素朴な日本人の常識に根ざすのが本来の保守である。自虐史観を攻撃すれば何でも許されると思うのは間違いである▼政権与党の自民党の体たらくに対しては、保守新党を立ち上げるしかない。それも若い人が中心の政党でなくてはならない。これまでの行き掛かりを捨てて、日本の危機を共有する者たちが結束しなくてはならない。来年の参議院選挙では、全国区に候補者を擁立させるべきだろう。それ以外に残された選択肢はない▼保守言論の劣化については、いかに微力であろうとも、ネットでの個々の言論戦で反撃するしかない。金儲けや商売としての発言は、すぐに馬脚を現してしまう。名も無き民草の主張こそが国を救うのである。参考文献を公表しない歴史書はあり得ない。とくに保守はその点について厳格であるべきだ。誰が信用できるか、保守であればあるほど、冷静な判断が求められているのである。

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真白なる飯豊連峰 5首

2018年11月27日 | 短歌

真白なる壁となりてみちのくの会津と出羽を画す飯豊は

青空に吸われる白さそのままに飯豊連峰神おわす山

大人への通過儀礼は飯豊山水ごりとり父も登りし

冬を告ぐ飯豊の山を仰ぎけり北に向かって手合わせけり

雪かぶる飯豊連峰望みたる一角の地に墓標並べり

 

 

 

 

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抗しがたい時代の勢いが百田尚樹現象の背景にある!

2018年11月27日 | 世相

日本で保守派が勢いづいているのは、竹山道雄の言葉を借りるならば「抗しがたい時代思潮の力」(『昭和の精神史』)ということになるだろう。戦後の平和ボケした言論空間が音を立てて崩れている。そのただなかにある私たちは、目の前のことに心を奪われているが、それが何であるかを語れるのは、20年から30年先になるのではないだろうか▼紆余曲折はあっても、確実に日本は国家としての体裁を取り戻しつつある。それを象徴するのが百田尚樹現象である。『日本国紀』の出来栄え云々よりも、そうした本がベストセラーになるには、それなりの背景があるからだ。竹山は「歴史は意外な働きをする。行きすぎ、過誤、外国の反撃とそれへの対抗、勢い、偶然‥‥などがからみあって、しまいにはヒョウタンから駒が出たような結果になってしまう」(『同』)とも書いていた▼日本人の心が揺れ動いており、中共や韓国の嫌がらせに敏感に反応するようになっている。それが過剰であるかどうかは別にして、日本人同士が結束し、それに対抗するエネルギーが爆発しつつあるのだ。それを理屈で説明することはできない。百田氏の『日本国紀』がパクリであるかどうかについては議論が分かれるが、そこでの主張は単純明快である。憲法を改正して、軍事力を強化することである。あえてそのタブーに斬り込んだから、拍手喝さいする国民がいるのであり、「抗しがたい時代の思潮の力」が顕在化してきているのである。

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甘んじて国の為に死んでいった者に敬意を表した平泉澄!

2018年11月26日 | 思想家

百田尚樹氏の『日本国紀』では物足りないという意見が、保守派からも出ている。後半の部分が自虐史観を批判していることで、それなりの意義があったとしても、それだけでは駄目なのである。残念でならないのは、参考文献に何を使ったかを公表する気がないことだ▼これまで保守派が重んじてきた歴史学者は、いうまでもなく平泉澄である。平泉の「国家護持の精神」は昭和4年11月16日の昭和天皇の御大典に際して、ラジオで放送された。若井敏明の『平泉』ではそこで語った内容を紹介している。「国歩艱難の時に、生命を捨てて君国の為に尽くした忠君志士を思い起こす」という趣旨で、北畠親房、楠正成、榊原忠次、水戸光圀から幕末の横井小楠、橋本佐内、橘曙覧、吉田松陰へと継承された精神を、国民に向かって語ったのである▼「考えてくれば実に無数の人々が、何等利益を求めず、名誉に目もくれないで、甘んじて国家の為に死んでいったのでありまして、其の数多くの捨石の力によって、今日の我が国の隆盛となり、我が国の尊厳を見得るのであります」との見方を示すとともに、「この無数の崇高なる霊魂を、我々の心の中に呼び起こしたいと願うのであります」と述べたのである。百田氏のような放送作家はパッチワーク的に自分なりのストーリーを作りがちである。平泉を参考にすればよかったと思うのは、私一人であろうか。

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台湾与党の地方選大敗で蔡英文総統がピンチに!

2018年11月25日 | 国際問題

台湾は日本の生命線である。その意味でも昨日投開票の統一地方選挙で、与党・民主進歩党が大敗したことは、日本にとっても大きな衝撃であった。蔡英文総統は責任を取って同党の主席を辞任すると表明した。今回の敗北で2020年の総統選が苦しくなったともいわれる▼中共との統合を策する中国国民党が勢いを盛り返してきているのだ。経済的にも中共は台湾を締め上げており、その影響が出てきているのではないだろうか。すでに韓国は北朝鮮の手に落ちており、台湾まで同じようなことになれば、日本は深刻な事態を迎える。友邦である台湾を日本は支援しなければならないし、蔡英文総統の後ろ盾とならなければならない▼今日は憂国忌である。今日の危機を予言するかのように、平和ボケを嘆いて三島由紀夫と森田必勝は自刃したのである。未だに自衛隊は国軍として認められず、アメリカの手助けがなければ、国の防衛もままならない。そのアメリカすらも、東アジアから手を引こうとしているのだ。蔡英文総統が次の総統選で負けるようなことにでもなれば、まさしく日本は四面楚歌になってしまう▼一日も早く、交戦権を否定するような憲法を改正して、国家として身構えるべきなのである。三島由紀夫が抱いた危機感を共有しなければならない。このままでは日本の存立そのものが危うくなってしまう。中共の脅威は切実な問題になってきているのだから。

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我が国を敵視する韓国の暴挙を許してはならない!

2018年11月24日 | 安全保障

今の韓国の日本敵視はあまりにも目に余る。カール・シュミットの「友・敵概念」にもとづけば、明らかに日本を敵として想定している。いかに文在寅が我が国に向かって「未来志向」という言葉を使おうとも、それは表向きでしかない。究極的には相手の存在を抹殺することを目指すのが政治的な存在としての「敵」であり、我が国も座して死を待つわけにはいかないのである▼去る20日には、我が国の排他的経済水域の中で、韓国の警備艦が日本漁船に対して、操業停止と他の海域への移動を要求してきた。前代未聞の嫌がらせである。海上保安庁の巡視船が中に割って入ってことなきを得たが、そんな生温いことではなく、もっと断固たる対抗処置を取るべきであった▼シュミットは『政治的なものの概念』(田中浩、原田武雄訳)で「政治的な行動や動機の基因と考えられる、特殊政治的な区別とは、友と敵という区別である」と書いている。誰が敵であり友であるかは、美醜や経済的な利害とも無関係である。敵に対しては情け容赦ない行動が是認されるのである。先の戦争は全て我が国が悪かったという自虐史観のせいで、これまでは韓国には気兼ねしてきた。しかし、もはや交渉で解決するのは困難になっている。相手が敵視しているわけだから、我が国としても安閑とはしていられない。日本国民は結束して危機に備えなくてはならないのである。

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自らが死ぬことで心に響く言葉を残した三島由紀夫!

2018年11月23日 | 思想家

明後日は憂国忌である。三島由紀夫の死とは何であったのか。いうまでもなくそれは、日本人の魂が腑抜けになったことへの苛立ちであった。日本学生新聞社編の『回想の三島由紀夫』に収められた保田與重郎の「天の時雨」を読んでいて、なおさらその思いを強くした▼保田の「三島氏は人を殺さず、自分が死ぬことに精魂をこらす精密の段取どりをつけたのである。人を殺さずして巨大機構を根底でゆり動かした」との見方は、三島の死の本質を突いているのではないだろうか。さらに、日本浪漫派の巨匠は「三島氏は壁につき当ったのではなく、好んで激突したのでもない。その人自身が壁だった。壁は玉であって、玉は玉砕するゆゑに尊しといふ、東洋五千年の文明観の精髄をその身にしてゐたと思はれる。石は破れるが、玉は砕ける。これが生命観とか霊魂観を象徴する。この考え方は、極く美的である」と批評したのである▼「玉は砕ける」から後世に語り継がれるのである。自らが死ぬことで、誰しもの心に響く言葉を残したのである。あの檄文の「今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか」との悲痛な叫びは、今も日本中に響き渡っている。とくに未曽有の危機が迫っている祖国を守り抜くためにも、今こそ三島の精神を思い起こすべきなのである。

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