草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

玉石混淆のネットの方が地上波テレビより格段に面白い!

2018年11月19日 | ネットの世界

地上波のテレビを見なくなって久しい。携帯で全て用が足りてしまうのだから、生活にはまったく支障はない。かつては朝からテレビをつけて、それで時間を確認しながら、仕事や学校に出かけていくのが普通であった。NHの朝の連続ドラマの「おはなはん」が国民の共通の話題になり得たのである▼ネットが普及するにつれて、もはや新聞同様に、古代の遺物となろうとしている。どのチャンネルでも出てくるのはジャニーズと吉本興業で、同じような番組しか流しておらず、報道も画一的である。とくにワイドショーにいたっては、専門家でもない素人が、いい加減なコメントをしている。そんな意見に賛同する国民は、ほんのわずかである。放送法の縛りがない分だけ、多様な意見がネットにアップされており、大いに参考になる。深く深く掘り下げることもできるから、はるかに便利である▼ネットは玉石混淆であるといわれるが、今以上に今後はブロガーやユーチューバーに国民の目が向けられるのではないだろうか。肩書や組織が優先される時代は終わった。大手マスコミのNHKや朝日の記者がどれほどのものか、ネットで次々と暴露されている。たった一人であっても、まともな情報を発信していれば、多くのファンを獲得することが可能になった。今私たちの目の前で文明史的な転換が起きている。既成の知の権威は音を立てて崩れているのである。

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保守派ネット民は自称リベラルの挑発に乗ってはならない!

2018年11月18日 | ネットの世界

かつての日本人は断定的な物言いはしなかった。それだけ奥床しさがあったのである。保田與重郎の一言一言に魅了されるのは、日本ロマン派のリーダーであった彼は、それを実践していたからなのである▼「もともと歌は言ひ終へるものでなかつた。文学的な小説と、通俗文学の讀物とのけぢめは、言ひ了へるか否かにある。本來の文學の誠實さといふ點に立つて、言はなくてもよいところ、言へないところで、通俗文學は皮相のことを、眞實がわかつたといつた思ひ上りの氣持で書いてゐる。これは技法でなく、作者資質や文學的誠心の問題である」(『日本の文學史』)▼売り言葉に買い言葉ということがあるが、保守派ネット民は自称リベラルの挑発に乗ってはならない。相手はそれを待っているのであり、それが戦法なのである。韓国や中共を批判することは間違ってはいないが、人権無視の罵倒をしてはならない。日本人の精神に反するからである▼共産主義とアメリカニズムを一挙に打倒するのが保守派の主張だとしても、無意味な言挙げをしないのが日本人なのである。口にしなくても、相手に悟らせるのである。ネット民の多くは慎みのある言葉を選んでいる。だからこそ、ネットで多数派を形成しているのだ。本当の保守をめざすにあたっても、過激な言動で注目を集めるべきではないだろう。日本には神ながらの道があり、萬葉集には「やすみししわご大君かむながら神さびせすと葦原の瑞穂の国は神ながら言挙げせぬ国 」の歌がある。神ながらの道を明らかにすればいいのである。

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櫻井よしこ氏が外国特派員協会で勝訴判決の意義を強調!

2018年11月17日 | 思想家

ジャーナリストの櫻井よしこ氏が昨日、東京都千代田区の外国特派員協会で記者会見を行ったが、一分の隙も無い完璧なものであった。司会者が歴史主義者と決めつけ、日本会議のメンバーであるかのように紹介したのに対して、冒頭のあいさつで「このこと自体が私はある種の価値判断をもって、一方的な見方をしているのではないかと思います。そして日本会議のことを言いましたけれども、私は日本会議とはなんの関係もありません」と言い切った。いかに挑発されても、冷静に対応したのは立派であった▼去る11月9日の札幌地裁での判決を受けての記者会見ということもあり、まず櫻井氏の主任弁護士から法律的な説明があった。名誉棄損にあたらないとした今回の判決は、元朝日新聞の植村正氏が書いた記事を批判したことが名誉棄損にあたるかどうかで争われたが、真実相当性と公益目的の観点から植村氏の請求は全て棄却されことが述べられた▼引く続き櫻井氏が自らの所見を語った。櫻井氏が力説していたのは「言論には言論で争う」ということであった。裁判に訴えるのは、ジャーナリストとして、筋が通らないからである。この裁判に関しては、櫻井氏が一部非を認めたとの報道もあったが、たいした瑕疵ではなかったことは、判決が物語っているのではないだろうか。国を憂いて正論を吐くジャーナリストを孤立させてはならない。

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民衆を「ネトウヨ」と罵倒する宇野常寛と朝日を嗤う!

2018年11月16日 | 思想家

今の日本のリベラルの劣化があまりにも酷過ぎる。竹内好が戦後の早い段階で「民衆は不断に形成すべきものであって、それを形成するものは、ほかならぬ民衆自身である」(『国民文学論』)と書いたのを読んだことがないのだろうか▼朝日新聞は宇野常寛のような評論家を登場させ、上から目線の「読者を育てる」という観点から論じているのは、竹内とはまったく逆の立場である。宇野に「水は低いところへ流れる、というだけですが、強いて言うなら僕らメディアの人間の怠慢ではないでしょうか」と語らせることは、朝日新聞が自分たちを選ばれた者と勘違いしているからだろう▼「水は低いところへ流れる」との言い方はあまりにも傲慢であり、定義すら明確ではない「ネトウヨ」なる言葉も安易に用いるべきではない。それを喜んで載せるような新聞社も最悪である。「戦後左翼のテンプレを語ることで楽してきた」という批判は一応的を射ているが、その典型が憲法であることをなぜ口にしないのだろう。本来のリベラルは護憲であるわけがない。アントニオ・ネグリが憲法制定権力としての民衆の存在に着目したように、憲法は絶えず改正されて当然である。どうして守りに徹する必要があるのだろう。宇野のような発言がまかり通り、朝日新聞がそれを掲載するのは、竹内の本など一度も手にしたことがないからだろう。

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大雪でのタイヤチェーンの義務化はあまりにも唐突だ!

2018年11月16日 | 観光

役人の考えることは、自分たちの仕事をつくることを優先させて、国民の迷惑などお構いなしなのである。この冬から国土交通省は、気象庁が警報を出すレベルの大雪の際には、立往生が懸念される高速道路や国道では全ての車にタイヤチェーンを義務付けるのだという。あまりにも唐突ではないだろうか▼そんなことをされれば、面倒な手間が増えるわけで、会津などの雪国は、観光客が来なくなって壊滅的な打撃を受けるだろう。スキー場も閑古鳥が鳴くのは必至である。死亡に至るような人身事故は、慎重な運転をすることもあり、かえって冬期間は減少するのである。よほどの大雪でない限り、冬タイヤであれば峠道も越えられる。わざわざそんなことをしなくてもいいのに、チェーンメーカーにでも頼まれたのだろうか▼道路が雪で埋まるようになれば、通行止めにすればいいのである。会津地方を通る磐越自動車道や国道49号線は、それで何も問題がなかった。タイヤチェーンということになれば、道路がボコボコになり、粉塵も舞い上がって健康にも影響がでかねない。スパイクタイヤが復活するのと同じである。冬タイヤであれば、そこまでにはならない。自分たちの思い付きで方針をコロコロ変えるのが役人である。それを監視するのが政治であるはずなのに、今の政治家にはそれができないのである。

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