草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

脱原発のためにもテレビ放送とパチンコの営業時間の規制を!

2012年04月30日 | パチンコ

 テレビなど見なくても生きてはいけるわけだから、電力が足りなくなれば、止めてしまえばいいのである。全面ストップではなくて、深夜とか朝早くとかに流さなくなれば、電力消費量はかなり減るはずだ。オイルショックのときだって、深夜の時間帯には流れなかったのだから、それを考えれば何でもない。民主党政権は、テレビのワイドショーのおかげで政権を手にしたせいで、どうせ踏み切れないとは思うが、お笑いタレントの番組を連日見せらるよりは、精神衛生上もよい。さらに、電力を使うパチンコだって、制限すればいい。朝から深夜までギャラギャラやっているというのは、世界中で日本しかない。休日以外の昼間は開店せず、平日は夜の7時から11時までにすればいいのである。それをすれば、エアコンが使えなくて、老人が熱射病になることもないし、万々歳ではないか。駒澤大学の山口浩准教授が「夏の電力ピーク時にテレビ放送を中止してはどうか」と言っているそうだが、そんなことはテレビ局の側から提案すべきだろう。とくに、国民の金で運営されているNHKは、率先してそれを行うべきだ。パチンコについては、博打であることは明らかで、それを規制しないのが問題なのである。そうでなくても、大金をつぎ込んで身を滅ぼした人が多いのに、これまで野放しにしていたことが異常なのである。禍転じて福となすという言葉もあるように、テレビやパチンコを自粛させられれば、原発などなくてもやっていけるのではないか。

 
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行楽地へ殺到するのは日本人の常世志向のせいだ!

2012年04月30日 | 観光

 ゴールデン・ウイークが始まったばかりなのに、花粉症は治らないし、体調にしても、もう一つしっくりしない。できるだけ人混みを避け、家でぶらぶらしていたい気分だ。石川啄木ではないが、私もまた「人はみな/同じ方角に向いて行く/それを横から見てゐる心」(『悲しき玩具』)の持主である。ともすれば日本人は、遠つ祖の時代から、常世を求めたがるようだ。だからこそ、私とは大違いで、ゴールデン・ウイークともなれば、じっとしていられないのだ。そうした日本人の心理を分析したのが、江藤淳であった。江藤に言わせると、「野原があって、そこに自分の車をとめて、お弁当をたべながら一家が団欒する、その場所は空気がきれいで太陽が照っているというような、ごくささやかなこと」(『批評家の気儘な散歩』)を望んでいるのであり、「そういう場所に行けるのは連休の日だと、みんな信じて疑わないから行く」(『同』)のだそうだ。しかし、現実にそういう場所が存在するかとなると、あくまでも夢物語である。それでいて、来年になれば、同じことを繰り返すのだ。日本人には、昔ながらの常世志向があるからだ、というのが江藤淳の見方だ。昨日あたりも、福島民報や福島民友を覗いてみると、県内の行楽地を訪れた、観光客の数が記事になっていた。原発事故による悪条件にもめげず、ささやかな幸福を追い求める日本人の性向は、そう簡単には変わらないようだ。

 
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庶民の足である高速バスの安全対策を怠るなかれ!

2012年04月29日 | 災害

 いやはや、今朝の関越自動車道での高速バスの大事故には、背筋がぞっとした。貧乏人の常として、私ほど高速バスを利用している人間はいないだろう。会津から京都に出かけるのにも、新潟から利用しているし、東京から萩までの長距離を乗ったこともある。会津から東京に行くのにも、ここ10年ほどは、新幹線とはご無沙汰である。ほとんど会津バスやJRバスであり、代々木駅近くのバス停などは、自分の家のようで、付近の喫茶店のウエイトレスとも顔見知りになって、ちょいちょい声をかけられる。その事故で解せないのは、運転手が一人しかいなかったことだ。それよりも距離的に短い会津バスであっても、交代要員がかならず乗車している。王子の前で首都高を降りると、運転手の助手をしたり、車掌のようなことをしている。値段を下げる競争が過酷なために、人を減らしていたとすれば、それは大問題である。会津でも磐越自動車道でおなじような事故が起きたことがある。ただ、あのときは居眠りではなかった。会津盆地に入るトンネルを抜けた途端に、川霧で視界が遮られ、ハンドル操作を誤まったのである。高速料金を無料にすると意気込んでいた民主党政権も、もうそれを口にしなくなった。そこで庶民は高速バス、長距離は夜行ということになるが、安全対策だけは、しっかりやってもらわなければ、私のような者が一番困ってしまうのである。

 
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原発事故のうかがい知れない闇と夢野久作の「猟奇歌」!

2012年04月29日 | 災害

 民主党政権の報道管制もあって、多くの日本国民とっては、原発事故は過去の出来事になりつつあるのではないか。しかし、福島県東部の人口密集地が放射線管理地域であり、今なお150万人ともいわれる県民が、そこに放置されているのである。さらに、福島県だけにはとどまらず、東京湾にもホットスポットができている。関東山地に降り注いだセシウムが、隅田川や荒川に流れているからで、広大な地域に影響が及んできている。もっとも危惧されるのは、海洋のホットスポットが、水蒸気となって雲となり、それがまた山に雨となって降り、絶えず循環することだ。福島第一原発自体も問題がないわけではない。2号機の原子炉格納容器の水素濃度が4月25日から徐々に上昇しており、まさしく一進一退を繰り広げている。情報が伝わってこないだけで、とんでもないことが起きている気がしてならない。まるで夢野久作の「猟奇歌」の世界ではなかろうか。「闇の中に闇があり/又闇がある/その核心から/血潮したゝる」「郊外の野山は/都会より残酷だ/静かに美しく微笑してゐるから」。人が悪いうがった心がなければ、現実が見えてこないのが今の時代なのである。世の中は行楽シーズン真っ盛りだが、「静かに美しく微笑してゐる」東日本の野山はセシウムまみれであり、真実がうかがい知れない闇の「その核心から」は、血潮がしたたっているのだ。薄気味悪いことこの上ない。

 
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三春の滝桜を愛でて 5首

2012年04月28日 | 短歌

滝桜千年前の地鳴りして逃げ惑う民手塩にかけし

つつがなく連れ添いしこと悔いはなく老いし男女は大木に手を

みやびなる松の間杉戸絵三春なる桜の花は天女となれり

十重二十重長蛇の列は信徒なり巨木の桜にひれ伏せしかな

被爆地のドームにあらず滝桜千年の先花吹雪かな


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国防軍を名乗るのであればアメリカの傭兵から脱却せよ!

2012年04月28日 | 自衛隊

 自民党の総務会が27日、憲法改正にあたっては、自衛隊を国防軍に変更することに決めた。憲法改正推進本部がまとめた案を了承したもので、当初は自衛軍としていたのを、国防軍とすることで、より一層保守色を打ち出した。日本国憲法9条2項で「前項の目的を達するため」との芦田修正が行われたことで、侵略戦争は否定しても、自衛力までは否定していないという議論があるのは確かだ。しかし、素直に日本国憲法を読めば、自衛隊が違憲であることは明らかだ。本音と建前を使い分けるかのような憲法解釈では、もはや通用しなくなっており、不健全な状態を改めるのは、至極当然のことである。演習とはいえ、弾道ミサイルを大気圏外で撃ち落したことがあるのは、アメリカと日本だけである。かなりの戦力を保持した日本の自衛隊は、非武装とはほど遠いのである。ただし、国防軍にするのであれば、自衛隊はアメリカの傭兵ではなく、独立した主権国家の軍隊であるべきだ。アメリカ流民主主義のために、命を投げ出すのではなく、日本を守るために、身を捧げるのである。現在のように、国産の戦闘機の開発も許されず、あらゆる面でアメリカの指揮下にある軍隊では、まるっきり傭兵と同じではないか。自民党が国防軍にしたければ、そこまで腹を固めるべきだ。尖閣を見れば分るように、アメリカが本当に日本を防衛してくれるかどうか、私は疑問に思えてならないからだ。

 
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原発事故で過度に汚染された土地は国が買い上げるべきだ!

2012年04月28日 | 災害

 小沢一郎の裁判だとか、政局にばかり目を奪われて、原発事故についての関心が薄まっているが、福島県を始めとする東日本の状況は、一向に改善されていない。一時は大騒ぎになった福島市渡利地区では、空間線量が毎時2・5マイクロシーベルトを測定した住宅と、毎時2・0マイクロシーベルト以上で18歳以下の子供や妊婦がいる住宅など、合わせて727戸の除染が進んでおらず、福島民友新聞によると、3月23日現在で17戸しか終了していない。今の民主党政権が、真実を見つめることなく、場当たり的な対応に終始しているからだ。『季刊日本主義』の2012年春号に「若者よ、田舎へ帰ろう!『3・11』1周年ー日本はいかなる道をとるべきか?」という座談会に出席した、近代アジア史研究家西来路秀彦氏の言葉に、私は目から鱗が落ちた。西来路氏は、「福島の原発を中心にした、80キロ圏の土地を全部国が買い上げる、というような抜本的な政策を提起してもよかった」と述べたからだ。「沖縄基地の土地借用なものです。被害者がみな地主さんになるわけなので、一定の給付を必ずや受けるということ」になり、補償を貰うのとは別なのである。そして、そのエリヤ内に、廃棄物資のデポジットとか、10キロ四方を全部太陽電池で埋める形にするのだそうだ。そうすれば観光地にもなり、見学者が訪れるようになるというのだ。現在住んでいる人たちには酷かも知れないが、そのエリアに封じ込めるしか手がないのであれば、あえてそれを決断するのが政治ではないかと思う。

 
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石原慎太郎と加藤紘一が保守とリベラルの双璧ではないか?

2012年04月27日 | 政局

 橋下徹とか、小沢一郎よりも、私が今もっとも注目するのは、石原慎太郎と加藤紘一だ。前の二人は明らかにポピュリズムで、根っこがまったくない。それと比べると、後の二人は違う。確信犯であり、腰が据わっている。今の日本人の多くは、前者の二人を過大評価しているが、歴史に名をとどめるのは、石原と加藤ではないか。この二人は、対立軸がはっきりしている。石原にとっては、国益を重視するというのは、尖閣を手放さないことである。尖閣の島々に日の丸がはためいていないと、気が気でならないのだ。加藤の方は、それとは180度違う。日中が反目するのであれば、それを避けることを最優先させる。戦後民主主義の落とし子であり、経済オンリーで、リベラルそのものである。私は石原の意見が正しいとは思うが、加藤がどんなことを言うかについても、注意を払っている。政治家は命がけで、ことにあたらなくてはならない。生半可な思いつきでやられたのでは、国民は大いに迷惑するのである。野田佳彦首相と谷垣禎一自民党総裁の党首討論よりも、私は石原と加藤の大人の議論を聞いてみたい。国民が頼りにしている指導者は、本当のところは数少ないのである。横山ノックや青島幸男を大阪や東京の知事にした二の舞を演じるようでは、日本もおしまいである。今こそ第二の石原と第二の加藤が出てこなければならないし、それを待望しているのは、私だけではないと思う。

 
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小沢一郎無罪騒動は民主党政権崩壊の始まりだ!

2012年04月27日 | 政局

 小沢一郎無罪騒動は、私が予想したごとくの展開を辿りつつある。一日過ぎた今日の段階で、小沢は元の木阿弥に戻りつつあるからだ。昨日の日本テレビの「情報ライブミヤネ屋」でも、コメンテーターが「あんな判決が出るようでは、どんな犯罪者でも無罪になるんじゃないの」と呆れていたが、それが国民全体の感想ではなかろうか。無罪になったというので、鬼の首でも取ったかのように大はしゃぎしたのは、小沢擁護のいつもの顔ぶれだけで、国民は案外覚めていたのである。しかし、民主党内はこれからが大変だ。国民のことなどそっちのけで、権力闘争にうつつを抜かすはずだ。9月の代表選に向けて、今の民主党執行部と、小沢グループの綱引きは過熱する一方だろう。水と油で一本化するのは難しいわけだから、野党が攻勢に転じるのは必至で、いよいよ解散総選挙が日程に上ってきた気がする。国民はほとほと民主党政権に嫌気をさしており、小沢がどうのこうのよりも、もっとまともな政治をやって欲しいのである。橋下徹が大飯原発の再稼動をめぐって、発言がぶれているのは、いよいよ政権の一角を担う可能性が出てきたために、少しばかり軌道修正をしたのだろう。このまま推移すれば、自公と大阪維新の会の連立政権が誕生する可能性が強い。小沢はすでに過去の亡霊でしかなく、民主党政権も泥舟でしかないからだ。国民にとっては、民主党の政治はくわばら、くわばらなのである。

 
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宮内庁は天皇陛下の埋葬方法について軽々しく口にするな!

2012年04月26日 | 思想家

 天皇陛下は神であられるべきだーと三島由紀夫が主張したのは、彼なりの天皇観があったからだ。三島が林房雄との『対話日本人論』のなかで、「僕は大嘗祭が、一番大事だと思うのですがね。あれはやはり、農本主義文化の一つの精華ですね。あそこでもって、つまり昔の穀物神と同じことで、天皇が生まれ変わられるのですね。そうして天皇というのは、いま見る天皇が、また大嘗祭のときに生まれ変わられて、そうして永久に、最初の天照大神にかえられるのですね。そこからまた再生する」と述べている。大嘗祭では、天皇に即位の後の新穀を、天照大神を始めとする天神地祇に奉り、自らも食される。それによって神になられるのである。しかし、戦後の日本の皇室はどうだろう。聖書の勉強会が公然と皇居で行われたり、どこにでもいるファミリーとして、週刊紙のグラビアを飾ったりした。そこに今度の宮内庁の発表である。両陛下が埋葬の方法として、火葬を望んでおられることを、マスコミに向けて語ったのである。とんでもない勇み足ではなかろうか。かつて仏教を受け入れ、火葬だった時代があったとはいえ、軽はずみに口にすべき問題ではない。原則的には、これまで通り祖型としての「天照大神にかえること」を最優先にすればよいのであって、天皇制の根幹に関わることに対して、宮内庁が軽率な発言するのは、越権行為も甚だしい。

 
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