草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

言葉を奪われた日本民族の悲劇を訴えた石原慎太郎!

2014年10月31日 | 思想家

大部分が政治とカネのことに国会が費やされているなかで、次世代の党石原慎太郎の独演会は立派であった。昨日、衆議院予算委員会で質問に立ったもので、アメリカによってつくられた日本国憲法が、どれだけいい加減な代物であるかを訴えていた。とくに、憲法前文の翻訳のでたらめさは、助詞の使い方にも表れており、あえて持ち時間の全部を用いて、日本国民に問いかけをしたのである。くだらない質問ばかりしている民主党の議員は、欠伸をしている者もいたが、文学者石原慎太郎の迫力に圧倒されたのだった。その前文が九条にもつながるのであり、日本国民が平和ボケになった一番の原因なのである。未だに九条にこだわる人たちがいるが、当初は日本共産党も日本社会党もそれを批判していた。急に擁護を言い出すようになったのは、朝鮮戦争あたりからであった。全国民にその模様は中継されても、ニュースとしては絶対に報じられないだろう。唯一の救いはネットがあることだ。若い人たちには、何度も何度も見て欲しいと思う。言葉を奪われたことが日本の不幸であった。日本を取り戻すというのは、まさしく現在の憲法の文言とも関係があるのだ。政治家は状況に押し流されしまいがちだ。それと比べると、石原慎太郎のような文学者は本質を見抜いているのである。

 

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身構えたり自己決定権の回復のナショナリズムは健全だ!

2014年10月30日 | ネットの世界

今度はTBSの記者が北朝鮮に拘束される。韓国も北朝鮮も、どちらもやりたい放題のならず者国家である。産経新聞のソウル支局長も、日本への帰国が妨害されており、言論の自由などはどうでもいいのである。そんな国と付き合っていくのは、ごめんこうむりたい。それが多くの日本人ではないだろうか。よく言われるように、愛国心とかナショナリズムが暴発すれば、迷惑するのは確かである。サミェル・ジョンソンの「愛国心とは、悪党の最後の隠れ場所」という言葉はよく持ち出される。しかし、今の日本に限ってみれば、それはあてはまらない。一つは近隣諸国のバッシングへの身構えであり、もう一つは自己決定権の回復への動きであるからだ。韓国や中共などへの反発は、相手が酷すぎるからであり、こちらから仕掛けたわけではない。自己決定権の回復とは、戦後体制を否定する意識の高まりである。韓国や中共が日本をバッシングできるのも、日本を悪者にする東京裁判史観のせいなのである。それを克服せずしては、根本的な解決にはならない。日米安保条約にしても、日本防衛が主眼ではあっても、もう一方では軍事的占領の継続という意味合いもある。国際社会がまともであれば、国家の役割も小さくなるだろが、現実はそれとはほど遠いのである。身構えるナショナリズムや自己決定権を回復するナショナリズムは健全である。それすらも否定することは、国家の存立を危うくすることなのである。

 

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ネットの力でマスコミの安倍バッシングを粉砕しよう!

2014年10月29日 | ネットの世界

政治とカネを批判するなとは言わないが、そればかりやっている国会は愚かにもほどがある。しかも、民主党が政権にあった時代には、ほとんど取り上げなかったのに、第二次安倍政権になった途端に、マスコミは連日そればかりである。消費税をどうするか、日本の安全保障を始めとする政策はどうするか。まったく議論する気はないらしい。特定アジアの影響下にあるマスコミは、安倍政権のあら探しに必死なのである。自民党が下野した前の選挙のときと、それはまったく同じ手口である。しかし、もう一つ盛り上らないのは、ネットがそれに背を向けているからだ。団扇の騒ぎにしても、ネットの方が公平であった。野党の国会議員が使用していたのを指摘し、かえって揶揄した。一方的なことを報道したマスコミとは天と地の開きがある。二度と過ちを日本国民は繰り返すわけがない。もちろん、保守の側も足並みが乱れがないわけではない。評論家気取りで、自分の商売に結びつけようとするのは、すぐに化けの皮が剥がれる。名誉や地位ではなくて、志のあるなしが問われているのだ。日本の政治を後戻りさせないためにも、保守のネットは結束すべきである。声なき声が日本を動かすためにも。マスコミは気づくはずだ。いくら嫌がらせをしても、国民は付いてこないことを。すでに状況は変わっているのだ。ネットが特定アジアのマスコミから安倍首相を守り抜くのである。

 

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エボラ出血熱のパンデミックの危機を前に!

2014年10月28日 | 医学

今回はエボラ出血熱の患者は日本では出なかったが、今後はどうなるか予測が付かない。ここまでくればいつパンデミックになっても不思議ではなく、人類は重大な危機に直面しているのだ。皮肉なことには、いくら致死率が高いとしても、そこで生き残る人たちもいる。そうした人たちは免疫を与えられ、恐れを知らない身体になるのである。人類がこの世に誕生してから今日まで、病原菌やウイルスとの戦いであった。それを死滅させたとしても、新たな変異が起こる可能性があり、結局は感染して免疫を手にした者が生き残り、人類が続いてきたのではなかろうか。我が国は水際で撃退するのに、最善を尽くすべきだろう。しかし、突破されることだって想定しなくてはならない。中世と呼ばれた時代にあっては、ペストが蔓延し、身近に死の影があった。それでも何もないかのように人々は暮らしていた。ハルマゲドンや最後の審判とかいう言葉は好まないが、未来に対しての漠然とした不安が、パンデミックとして立ち現れると、ある種のあきらめを持ってしまう。政治も経済も混沌としているなかで、破局もまたありだからだろう。未来がバラ色であるかのように思い描いた進歩史観の何と危ういことか。傲慢な人類は身のほどを知るべきなのだろう。それを今後も反省しなければ、待っているのは人類の滅亡なのだから。

 

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日本の国益を優先させ米国の決定に影響を与える政治を!

2014年10月27日 | 国際問題

米国と日本はどう付き合うべきなのだろうか。保守のなかにも、米国に懐疑的な人たちが増えている。本当の保守とは、マルクス主義とアメリカニズムを一挙に打倒しなくてならない。しかし、それはあくまでも思想的なレベルのことであって、国家同士の関係では、日米同盟に亀裂を生じさせてはマイナスだ。両国の利害が衝突するのならば、日本は明確に国益を主張すればいい。極端にぶれて反米になることは、中共や韓国、北朝鮮を利するだけだ。日本の防衛については、ほぼ自衛隊が肩代わりをするようになった。在日米軍の比重は相対的に低下している。それでも、当面は米軍にいてもらわなくてはならない。悪い言葉でいうのならば、人質として楯になってもらうのだ。尖閣諸島に中共が武力侵攻を仕掛けてこないのは、沖縄に米軍が駐留しているからだ。よくよく考えれば、米国は国家というよりも、それ自体が世界なのであり、多民族の集まりなのである。そこでの影響力の拡大に日本も、全力を傾注すべきだ。いわゆる「慰安婦」の問題で、日本が特定アジアからバッシングを受けたのは、それがなおざりにされてきたからだ。これまでとは違って、もはやアメリカ追従であってはならないが、同盟国として遇することも忘れてはならない。危ない綱渡りではあって、それしか日本が生き抜く道はないのである。

 

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与野党相乗りの福島知事選挙に県民は失望!

2014年10月26日 | 選挙

一応は福島県知事選挙の投票はしてきたが、書く人がなくて困っている県民が多いのではないだろうか。それは政治の責任ではないだろうか。福島第一原発事故が発生したのは、菅政権のときであった。スピィデーを揉み消し、すぐに避難させなかった責任は、今も問われないままである。自民党が政権を奪還してからも、その真相は解明されていない。それを追及しないかわりに、今後の安倍政権の事故対応に民主党は反対しない。そうした暗黙の了解ができているのだろう。原発をどうするか以前に、まずは国の責任が問われるべきだし、それが不問付されているのが大問題なのである。しかも、その時点で県政の中心にあった者が、またのこのこ出てくるというのは、反感があって当然である。福島県民は棄民にされてしまった感がある。自民、民主、社民が各党相乗りでスクラムを組んでいる。そんな馬鹿げた知事選挙になったのだ。これでは福島県民の声が届くわけもない。自民党は独自候補を擁立し、佐藤雄平知事の対応のまずさを攻撃し、それの亜流とは対決すべきであった。国政で野党だった自民党の意気込みは、一体どこにいったのだろう。今回の知事選挙が盛り上らないのは、福島県民が政治に失望しているからにほかならない。

 

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行動する保守は政界の一角を占めるべきだ!

2014年10月25日 | 祖国日本を救う運動

あえて批判を恐れずに言えば、在特会の桜井誠会長の方が、橋下徹大阪市長よりも役者が一枚も二枚も上である。それだけに、もう捨て身の行動をするのではなく、政治参加の道を選択して欲しい。これまで恐くて口を開けなかったのが、日本における韓国朝鮮人の特権の問題であった。歴代の自民党政権が韓国などへの援助を利権化してきた。また、日本のサヨクが特定アジアの国に頭が上がらなかった、この二つのせいで、日本はとんでもない譲歩を韓国朝鮮にしてきた。在日についてもそれは同じであった。それを問題視したのは、勇気ある行動であった。とくに在日は暴力団やパチンコ利権とも結び付いていた。しかし、もはや当初の目標は達成されたのだから、桜井会長は行動する保守の旗を掲げつつも、多くの国民を自分たち陣営に引き入れるために、やり方を変えたらどうだろう。「ヘイト」でないことを、身をもって示したらどうだろう。トリッキーな役割もいいだろうが、桜井会長の話術は、吉本の芸人など及びも付かない。ネットでのファンがいるのは、弁舌が人をひき付けるからだ。あの浜田幸一よりも洗練されている。保守派野党として頑張ればいいのである。在特会の人たちの捨て身の行動はインパクトがあるとしても、そればかりでは息切れする。もう次のステージを考えるべきなのである。無理なことではないと思うのだが。

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アベノミクスを成功させるために消費増税の断念を!

2014年10月24日 | 経済

消費税はできれば5%に戻すべきだ。最悪でも増税をすべきではない。日本の景気が回復していないのに、財政再建どころではないのである。安倍内閣を誕生させ保守は、消費増税に賛成したことはない。それはあくまでも財務省の口車に乗った民主党が敷いた路線であり、一貫して反対してきたのである。安倍首相は12月までに決断するというが、明日にでも方針を明確にした方がいい。一部の大企業を除けば、多くの日本人の給与は減額している。新自由主義者の言いなりになった結果、日本の雇用形態が変わり、不正規労働者の数が大幅に増えて、給与が低くおさえられるシステムになってしまった。ここで10%にすれば、デフレに逆戻りして、アベノミクスは中途で挫折するだろう。その影響は経済だけにとどまらない。政治的にも混乱を引き起こす。内閣支持率もあっという間にどん底になるはずだ。そうでなくても、マスコミは安倍憎しで一致している。安倍内閣がこれまで順調であったのは、アベノミクスへの期待があったからだ。国政の舵取りが難しいのは承知しているが、これからが正念場であり、判断を誤ってはならない。ここ何十年かの経済政策の失敗は、日本の国柄を否定する勢力が主導権を握ったためだ。それはまさしく、日本を貶めようとする反日サヨクと同類である。安倍首相は日本派と呼ばれる保守の声にこそ耳を傾けるべきなのである。

 

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国家の未来の捨て石になるのは拒絶された人々だ!

2014年10月23日 | 祖国日本を救う運動

時代の変革期には必ず大衆運動が高揚する。それを無視して行動する保守を語ることはできない。彼らを「差別主義者」と決め付けることは簡単だ。しかし、それで全て解決すると思ったらば、それは大きな間違いである。既得権益をほしいままにしている者たちは、口ではリベラルなことを言っても、実際は今の体制にぶら下がっているのである。不満や批判は単なるポーズでしかない。これに対して、行動する保守には報われない人たちの怒りがあり、そのエネルギーを侮ることはできない。エリック・ホッファーの『大衆運動』(高根正昭訳)によれば、そうした階層が新たな時代を拓くのである。「捨てられた人、拒絶された人は、国家の未来の土台となる場合が多い。建築者に取り除かれた石が、新しい世界の礎石になるのである。社会の屑も反抗者もいない国家は、きちんとし、上品で、平和で、心地よいかもしれないけれども、おそらくうちに将来の種をもっていないであろう。ヨーロッパの国々において望まれなかった人びとが、アメリカ大陸に新世界を築くため渡ったということは歴史の皮肉などではなかった。彼らだけがその事業をなしとげることができたのである」。右であれ、左であれ、それを無視しては世の中を変えることはでいないのである。逆差別を受けながらも、勇敢に突っ込む行動する保守は、時代の徒花ではなく、後世に名を留める可能性もあるのだ。

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傲慢な権力者に立ち向かうには暴言だってありだ!

2014年10月22日 | 祖国日本を救う運動

保守は一人一党であるわけだから、メダカのように群れる必要はない。そしてお利口さんにならなくてもいいのだ。権力者のような公の立場でもない。しかも、今回の場合は橋下徹大阪市長が最初からぶち壊そうとしていたのだ。それがわかった時点で、在特会の桜井誠会長の勝ちである。暴言や殴りかかろうとしたことを批判する意見があるが、見当違いも甚だしい。政治の延長が戦争であり、権力闘争には暴力が付き物である。マルクスは暴力革命を肯定していたし、レーニンはそれを前衛党に行わせた。日本の右翼だって実力行使を否定したことはない。そんなことを言えば、吉田松陰だって、テロを扇動したことになる。あの程度の言い合いはあたりまえだ。それよりも大事なことは、権力者に立ち向かった勇気である。相手は警察官に守られているのだ。そこに突っ込もうとしたのだから、見上げたものである。70年前後が青春時代であった我々は、そこまでの勇気はなかった。極左の暴力の前に言論を封殺された。香港の若者たちにしても、ある意味では捨て身の実力行使なのである。占拠することが、法律で容認されるわけはない。しかし、やらざるを得なかったのである。平和ボケした日本人には理解できないだろうが。

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