草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

保守の原点は慎みと礼節ではないだろうか

2024年04月18日 | 祖国日本を救う運動
 大衆が足場を見失ってしまうのが現代社会の特徴である。常識が通用しなくなってしまっているのだ。だからこそ、荒唐無稽なプロパガンダを信仰し、常軌を逸してしまうのである。それは常識を重んじる保守の立場とはまったく無縁な代物であり、私たちは断じてそれに与してはならないのである。
 日本保守党に好意的な人間ですら、衆議院東京15区補選の立候補者によるネット討論での、飯山あかり氏のあのふてくされた態度には不快感を覚えたのではないか。それでもなお日本保守党支持者は飯山氏を弁護するのだろうか。
 国柄を重んじるのであれば、慎みがなければならない。そもそも保守は劇場とサーカスのポピュリズムとは対極に位置する。その場しのぎの嘘を吐くのも最悪である。そうした点では、日本保守党はまだまだである。政策にしても、特定左翼と同じことを口にしている。保守を名乗るのであれば、保守らしい言動に徹すべきなのである。
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米国や中国の圧力で『大東亜戦争』も『中共』も使用禁止に

2024年04月10日 | 祖国日本を救う運動
 一応は我が国の目的は「大東亜の解放」であったし、戦場は中国大陸などにも及んだから、それで「大東亜戦争」と呼ばれたのであり、それを「太平洋戦争」と言うようになったのは、米国のせいである。言葉を奪われたことで、私たちは自分たちの歴史観も失ってしまったのだ。
江藤淳は「『大東亜戦争』が『太平洋戦争』と言い換えられて、そこにこめられた夥しいいエネルギーが空無化されたとき、『ふるさと』も『日本』も、あの徒労感の霧をへだててしか認識できぬものになった」(『自由と禁忌』)と書いた。
 江藤はあの戦争をまるごと肯定しているわけではない。自らの言葉を喪失したことで、過去をなかったものにし、現在が宙ぶらりんなものになることが許せなかったのだ。我が会津は、戊辰戦争で敗れたとはいえ、薩長を「官軍」とは認めなかった。あくまでも「西軍」という呼び方をした。言葉へのこだわりがあったからだ。
 アメリカに媚びた日本は、中国にも媚びたのである。日中国交回復以前は、日本人の多くは「中共」という言い方をした、新左翼の吉本隆明すらもそれを使っていたのだ。しかし、今はどうだろうか。マスコミは全て「中国」で統一されてしまったのではないか。
 不甲斐ない日本人が危機に対処できるわけがない。言葉を大事にしない国民が国の文化を語る資格はない。そうした悲惨な現状を直視することから、私たちは出発し、日本を取り戻さなくてはならないのである。
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保守同士が罵倒し合っているときではない

2024年03月31日 | 祖国日本を救う運動
 だから言ったではないか。清和研は岸田首相と親中派にしてやられると。安倍さんの言うことにも耳を貸さず、突っ走った結果がこのざまである。
 最大派閥だから岸田首相から優遇されると思ったのが勘違いのはじまりだ。旧統一協会をめぐって槍玉に挙がり、今度は「裏カネ」問題で、塩谷立、下村博文・両元文部科学相、西村康稔・前経済産業相、世耕弘成・前参院幹事長の4人は「離党勧告」という厳しい処分になりそうだ。
 自分が所属する岸田派も無傷ではないのに、岸田首相は何もなかったかのように処理しようとしている。清和研が狙い撃ちされただけなのである。
 そうでなくても、自民党の支持基盤はガタガタである。日本保守党や参政党が登場して一部食い込んでいるほか、国民民主党や維新の会を支持する人たちも増えている。
 世界は日本が対中政策で身構えるのではと思っていた。安全保障や経済の面でも、中国の脅威が日々高まってきているからだ。エアマニュエル・トッドが日本の核武装に理解を示しているのは、そうした背景があるからだろう。
 しかし、今の日本は保守ですら一本化していない。こんな体たらくでは、戦わずして敗れるだろう。何としてでも一致点を見出し、できることから手を付けるべきだろう。保守同士が罵倒し合っているときではないのである。
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ネット上の全体主義運動を警戒しなくてはならない

2024年03月19日 | 祖国日本を救う運動
 左右の全体主義運動が日本を席巻しつつあるのではないか。今こそ保守派は警戒を怠ってはならない。それを考えるにあたって、私たちはハンナ・アレントの『全体主義の起源』で述べた言葉を参考にすべきだろう。
「全体主義運動は、一貫性の虚偽の世界をつくり出す。その虚偽に世界は現実の世界そのものよりも人間的心情の要求に適っている。そのなかで根無し草の大衆は、全くの想像力を助けにしてくつろいだように感じ、現実の生活と現実の経験が人間と人間の期待に加える決して終わることのない衝撃から免れることができた」(マーガレット・カノヴァン著『ハンナ・アレントの政治』寺島俊穂訳)
 端的に言うならば、どこの組織や団体にも属せず、厳しい現実に向き合わなければならない者たちは、全体主義運動の煽ありに熱狂しやすいというのである。根無し草で拠り所を失って救いを求める者たちにとっては、一貫したイデオロギーに思え、そこで自分というものを立て直すことができるからだ。
 しかし、そうした心情が変わらず続くためには。全体主義運動は、日々刺激的な言説を振り撒かなくてはならない。その頂点を極めたのがナチスであり、スターリンであった。とくにナチスの場合は、下から盛り上がった結果であり、スターリンは自らの権力維持に利用したのである。
 全体主義運動であるかどうかを見分けるポイントは、指導部の不正や問題点の指摘が、下部の人間に許されるかどうかである。批判する者が現れると、彼らは寄ってたかって集中砲火を浴びせるからである。
 対処療法として私たちは、カノヴァンがアレントから抽出した思想を再確認すべきではないだろうか。あくまでも他者を重んじる冷静な判断が求められるのである。
「まず第一に、すべての人間は二重の存在規定をもっている。各人は特殊な一個人であり、決してほかの人の複製ではなく、つねに新しいことを考えたり、行ったりすることができる。それと同時に人間という種の一員であり、同じ世界に投げ入れられ、同じ運命に直面し、ほかの人びととものを創り出したりすることができる。また、人間という種の一員であるから、ほかの人びとと意思疎通し、これまで多くの世代が蓄積した人間の経験の宝庫を共に活用することができる」(『同』)
 アレントの核心部分を見事に言い当てている。ネット上での過激な言論の応酬は常軌を逸している。アレントのように、自らの中の他者性に目覚め、対話と討論ができる環境を整えるべきであり、排除や無視は避けなければならないのである。
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葦津珍彦に学ぶ日本保守主義の原点

2024年03月18日 | 祖国日本を救う運動
 日本保守主義の原点は「日本土民」たるところにある。葦津珍彦のその定義は正鵠を得ている。外国を礼賛したインテリではなく、日本の絶対的多数を占める大衆は、日本特有の気風、感情、思想を信仰を持ち続けており、能弁ではなく、華々しい理論の展開はできない。しかし、柳田国男がいう「目に一丁字ない」者たちであっても、祖国の行方を憂いているのである。
 そうした者たちこそが、声なき声であり、サイレント・マジョリティなのである。大東亜戦争に敗れた我が国に乗り込んできた米国などの連合国は、一方的に自分たちの「民主主義」を押し付けて、日本人が愛着を持っていた思想も断罪され、一時は靖国神社も更地にされようとした。
 文明人を自称する欧米人からすれば、日本人についてもまた、全てに劣った土人として蔑んだ。そして、愚かにもそれに迎合する日本人が現れ、反日であることが尊ばれる風潮が蔓延し、未だにそこから脱却できないでいる。
「日本土民」が最後まで抵抗したのは「天皇制」解体の目論みであった。それに同調する日本人は、共産党などわずかながらいたが、それを阻止したのは「日本土民」の無言の圧力であった。
 日本国憲法「第一条 天皇は、日本国の象徴であり、日本国民の統合の象徴であって、この地位は日本国民の総意に基く」と書かれているのは、国民主権によってその都度信任を受けなければならないというのではない。
 葦津は「『総意に基く』との語は、事実を解釈し説明した語であって、新たに選出した意味ではない」(「土民のことば」)と明確に述べている。
「神話時代と呼ばれる遠い古代から、日本には天皇が君臨された。実証史学の立場からは、それがいつ始まったか分からないほど古いことだ。その血統は天照大神に発し天皇はその直系であると信ぜられてきた。この信仰によりて、天皇は日本民族に対する無限の信頼感をもって君臨され、国民は忠誠の念をもって天皇を仰ぎ、君と民との関係は深い『信頼と忠誠』の縁をもって結ばれて来た。皇統とは皇祖天照大神の直系であるとの信仰をもって、終始して来た血統である、と」
 その考え方に立脚するのが日本の保守主義なのである。マイホーム主義のような微温的なものではなく、いざとなったならば、身を捨てる「大君の辺にこそ死なめかえり見はせじ」の精神とも結びつくのである。そのことを理解しなければ、保守主義を名乗る資格などないということを、私たち日本人は心に刻んでおくべきなのである。
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皇室の権威がなくなれば国は乱れる

2024年03月15日 | 祖国日本を救う運動
 秋篠宮皇嗣妃殿下が旧会津藩士の子孫であられることから、私は皇室についての論評を一切控えてきましたが、今後もするつもりはありません。
 幕末で逆賊の汚名を着せられながらも、未だに会津人には尊皇の思いが息づいており、歴史書においても、官軍という名称は使わず、東軍、西軍という呼び方をします。
 戦後の日本においては、小泉信三らによって開かれた皇室が良しとされましたが、それは日本の国柄に反するものです。西行が伊勢神宮をお参りしたときの歌に「何事のおわしますかは知らねども、かたじけなさに涙こぼるる」というのがありますが、その精神こそが尊重されるべきなのです。
 また、葦津珍彦が「国家は、国民の自由なる論争を必要とするとともに、断固たる統一を必要とすることがある。この断固たる統一を必要とする時に、日本国は天皇の精神的権威なくしては統一を保てない。それは日本の歴史をかんがみて明らかである」(「国体問答」より)と書いています。
 天皇陛下がおられるからこそ、最終的に日本国はまとまるのであり、深刻な争いが起きないのです。その権威を貶めることは、日本を解体させることであり、断じて認めることはできません。だからこそ、皇室の方々を、私たちと同列視することは間違っており、個人的な感情で意見をするということもおこがましいことなのです。
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時代を切り拓くのは無知で情熱的な人間たちだ

2024年02月29日 | 祖国日本を救う運動
 報われない人々が世の中を変えていく。それが今まさに起きているのではないだろうか。現状に不満足であればあるほど、新たな冒険に挑戦をすることを己に課すからである。そこでの勝算などどうでもいいので、闇雲に突っ走ることになる。
 エリック・ホッファーは『情熱的な精神状態』(永井陽之助訳)で「ドラステックな変革にゆだねられる人びとは、不適応者の集まりなのである。そして、不適応者は、情熱的な雰囲気のなかでのみ呼吸しうる」と書いている。
 最近の日本の混乱した状況は、時代の変革期特有の現象であり、日本保守党や参政党は爆発的なエネルギーが貯め込んでいるが、それが政治にどう影響を与えるかは、まったく予測が付かない。
 日本保守党に関しては、5万とか6万とか言われる人たちが、SNSでのちょっとした呼びかけだけで、党費を払ってまで党員となったのは衝撃的である。あまりにも短絡的な議論で賛同しかねる面もあるが、それなりの数の日本国民が精神的に高揚した状態になっているのは確かである。その力を侮るべきではないだろう。
 社会に適応しないことや、無知であることをマイナスに考えるのは間違っている。先を見通せるエリートが、未来をつくるのではなく、無知で恐れを知らない者たちが、未知の領域を切り拓き、それを最終的に安定させるのは、また別なテクノクラートなのである。
 政治のプロやエリートの講釈が通用しない時代を、いよいよ迎えつつあるのではないか。日本保守党などのいい加減さを批判することは簡単だが、今後日本が普通の国家になっていくには、名も無き恐れを知らない者たちが先鞭をつけるのではないか。日本保守党が今後どうなるかを、半分期待をこめて見守りたいと思っている。
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今政治に求められるのは危機にどう立ち向かうかだ

2024年02月27日 | 祖国日本を救う運動
 政治をクリーンにしますという言葉ほど、大衆受けするプロパガンダはない。しかし、それはあくまでも理想であり、政治はそんな簡単なものではない。清廉潔白な政治家が立派な業績を残したかというと、その逆ではないだろうか。
 現在の日本は安全保障も経済も岐路の立たされている。平時と違ったリーダーシップが求められる。きれいごとでは対処できなくなっているのだ。もっとも深刻な問題は、このまま核無き日本でよいかどうかである。
 ウクライナは核を放棄したからロシアが攻め込んだし、台湾は核を持っていないことで、中国の脅威にさらされている。それが現実なのである。崇高な理想を語ることは自由である。しかし、目の前に迫った危機に対して、政治は何ができるかなのである。
 自民党保守派のパーティ券の不記載問題は、もっと厳しく罰せられてよいだろうが、それと同時に、我が国への中国の浸透工作や、核でもって脅かしてくるような全体主義国家と、どのようにして立ち向かうかは、今の段階で、政治家は自らの言葉で語るべきだろう。
 本来であれば、こうした状況下では、保守が結束して高市早苗さんを応援すると思っていたらば、予想に反して四分五裂の状態である。こんなことでは国家として日本は維持できない。政治ごっこは即刻止めて、お国のために、心ある日本人は結束すべきなのである。
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靖国神社を参拝する政治家こそが真の保守だ!

2024年02月17日 | 祖国日本を救う運動
 ファッション保守か、本物の保守かを見分けるのは簡単だ。靖国神社に参拝しているかどうかである。日本人は死者との交流を大事にしてきた。だからこそ、死後の魂が集まる場所として、靖国神社を大事に考え、敗戦後であっても、日本国民の多くは国家による護持に賛同したのだった。
 国体を守るとか、美しい日本とかいうのならば、日本人の死生観に立脚すべきだろう。靖国神社に行けば、肉親に会えると信じた人たちの心に寄り添わないで、保守を語るのはやめるべきだろう。
 ファッションになるほどに、保守的な考え方が流行するようになったのは、それ自体が喜ばしいことではあるが、そこには魂を入れなくてはならないのである。
 高市早苗さんが立派なのは、女性初の総理総裁になっても、靖国神社への参拝を明言しているからである。死者が遠くに去ってしまったのではなく、絶えず私たちを見守っているのである。
 日本は未曽有の危機の只中にある。しかし、今の政治家を見渡してみて、靖国神社におわす死者の眼差しを意識して政治を行えるのは高市さんしかいないのである。一度の靖国神社で手を合わせたことがない者たちを、信じろという方が無理なのである。
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令和6年の2月26日を前にして

2024年02月09日 | 祖国日本を救う運動
大東亜戦争によって
300万同胞の命が
あの戦争を阻止すべく
最後まで抵抗した者たちに
若き青年将校の純粋右翼が
首都中枢を震撼させた
2・26事件が成就せば
米国との戦争は阻止された
財閥は解体され農地改革も
日本の民主化も進んだ
その夢は春の雪のように
あまりにもはかなかった
統制派と革新右翼が結託し
純粋右翼を一掃してしまった
彼らが権力を握ったために
支那大陸の泥沼に足をとられ
我が国は南方に活路を求めて
国を誤らせてしまったのだ
亜細亜は本来一つであった
大東亜共栄圏を裏切ったのは
傲慢な彼らの振る舞いだった
戦後をリードしたのも
統制派や革新右翼と同じく
解体されなかった官僚組織だ
米国のポチと化した者たちだ
日本が生まれ変らなければ
米国の手先となって亡びるか
中国の属国になるかだ
日本が強い国家になることで
肇国の精神に立ち返ることが
今の日本に求められている
大義なき国家というものに
未来などあるわけがないからだ
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