草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

習近平のライバルであった李克強急死の波紋

2023年10月29日 | 中国
 去る27日に急死した、李克強前首相の安徽省合肥市の旧居前には、彼の死を悼む1万人以上が集まったといわれる。主席の習近平とはライバルであっただけに、その死についても様々な憶測が飛び交っている。
 中国の歴史はまた繰り返すのだろうか。文化大革命が燃え上がったのは1966年からであり、終結したのは77年であった。
 急進的な人民公社運動が挫折し、合理主義的な劉少奇派に権力が移ったことに反発した毛沢東は、国防相の林彪の支持を得て「造反有理」のスローガンを掲げ、紅衛兵の反乱を煽ったのだ。
 しかし、混乱を収拾するために、最終的には実権を現実主義者の周恩来が握ったことで、毛沢東は名目だけの指導者となったが、軍事独裁政権を目指した林彪を排除することでは、毛沢東と周恩来は手を握った。
 周恩来の後を継いだ鄧小平が経済を優先させたことで、中国は資本主義への道を歩むと思われたが、政治的な自由を求める動きまで容認したのではなかった。1989年4月15日に胡耀邦元総書記の死をきっかけにして、自由化を求める学生の運動が燃え上がり、天安門広場で10万人が気勢を上げたのに対して、鄧小平は人民解放軍の戦車で鎮圧したのである。
 習近平は毛沢東と同じく、経済政策の失敗で権力の座を追われることを恐れて、反対派を抹殺しようとしているのではないか。そう勘繰られても仕方がない。
 マルクスは『ルイ・ポナパルトのブリュメール18日』(植村邦彦訳)の冒頭であの有名な「ヘーゲルはどこかで、すべての偉大な世界史的事実と世界史的人物は二度現れる、と述べている。彼はこう付け加えるのを忘れた。一度は偉大な悲劇として、もう一度はみじめな笑劇として」という文章を書いている。ナポレオンの甥というだけで大統領になったルイ・ポナパルトの凡庸さを皮肉ったのだが、習近平もまた同じで、毛沢東の真似ができるわけはないのである。
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