草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

独裁の国にペコペコマスコミは 7句

2015年05月31日 | 川柳

攻めてくる国があるのに目そむけ

安倍さんをけなすだけで対案なし

独裁の国(中共)にペコペコマスコミは

血を流す覚悟がなくて人頼み

団塊のドグマが消えずば国滅ぶ

ウイグルやチベットを見ず能天気

殴られて頬出す勇気ないくせに

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柳田民俗学の保守主義とは民衆レベルでの物語の復権だ!

2015年05月31日 | 思想家

柳田國男を理解する上には橋川文三、鶴見俊輔、花田清輝らの文章が手がかりを与えてくれるが、最近では宇野邦一の『反歴史論』が大いに参考になった。柳田の民俗学の特徴を「王者の伝記や戦記からなる強い歴史に対して、彼は、出来事には乏しく、無名なものが綿々と織りつづける弱い歴史に注目するのだ(たとえば彼は『明治大正史 世相篇』を、一つも固有名詞をあげることなく書こうとした)。英雄や戦争や占領や略奪をめぐる男性の歴史ではなく、むしろ平和の中でのさまざまな生活の知恵について、衣服や農耕や祭りや葬式について、とりわけ女性がしめる領域についての歴史を書こうとする」。さらに、柳田の特異な文体についても触れている。「無数の資料と口碑の間をさまよいながら、決して構造主義のような図式によって民俗を分析するのではなく、膨大な文献と口承の記憶を勘で結びつつ、因果の糸を描きだしていく。それがほとんど職人芸のような柳田独自の物語の技術(文体)でしるされて」。宇野がすごいのは「物語を収集しつつ、もう一度語りなおす反復そのものによって実践されなければならなかった」に点にも目を向けたことである。柳田民俗学を解読することを通して、日本人の物語の本質が見えてくるからである。、私たちの保守主義は民衆レベルでの日本人の物語の復権であり、そのエッセンスは柳田民俗学なのである。その中心のテーマは日本人の土俗的な信仰心であり、魂の行方であることはいうまでもないが。

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安倍首相を貶すのは国家として身構えるのに反対する勢力だ!

2015年05月30日 | 政局

安倍首相のストレスも大変だと思う。野次を飛ばしたといえば、朝日新聞などが大きく取り上げるし、国家の一大事のような騒ぎである。そして、どこかの国が喜びそうなネガティブキャンペーンが行われている。まともに政治を論じない人たちの間でも、気軽にいえるような雰囲気になってきた。それでも安倍内閣の支持率が高いのは、経済で点数を稼いでいるからであり、その前の民主党の政権があまりにも悪かったためだ。学歴を罵倒するばかりか、病気の名までまで挙げてこきおろすわけだから、レベルが低すぎる。一国の総理大臣には人権も認めなれないのだろうか。日本が国家として身構えるのに反発する国にとっては、安倍首相は目の敵である。ぼろくそにけなされるのは、それに呼応する勢力が日本にも存在するからだ。安保の関連法案にしても、そもそも自衛隊を憲法違反だと考え、日本のこれまでの歩みを批判するわけだから、一致点が見出せるわけがない。日本がアメリカとの同盟関係を強化したことで、中共は韓国とは違った態度をとるようになった。あまりにも中共の軍事的な挑発が目に余るので、アメリカも苛立ちを強めている。東アジアの状況が切迫しているにもかかわらず、それを不問にして、神学論争にあけくれる野党政治家は、日本人の平和と安全はどうでもいいのである。安倍首相は日本が危機だというので、勇気を持って決断した。今の安倍首相バッシングはこれに反発する勢力の嫌がらせでしかないのである。

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維新の党と民主党の野合を橋下大阪市長は認めるのか!

2015年05月29日 | 政局

橋下徹大阪市長は維新の党を離れ、新党を結成すべきだろう。大阪都構想に賛同したのは、大阪維新の会以外では自民党支持者であったことを、橋下大阪市長は肝に銘じるべきだろう。維新の党の代表に就任した松野頼久は、こともあろうに労働組合を母体にした民主党と組もうとしている。江田憲司もそれにう同調しようとしている。民主党を出てきた連中は、橋下大阪市長を利用しただけなのである。自民党支持者が安倍首相と手を組んで、日本を守ってもらいたい。その一心でこれまでの行きがかりを捨てて、賛成票を投じたのである。民主党がそうであったように、維新の党も選挙互助団体でしかない。主義主張などどうでもいいのである。小沢一郎と松野が会談するのは、国会議員であるためには、何でもありだからだろう。しかし、無節操極まるのが松野や江田である。国会での論戦では、安倍政権への批判を強めることで、民主党に擦り寄るのに必死である。松野は元々が民主党に所属していたわけだから、後ろめたさは一切ないのである。日本は国家として身構えなくてはならない。安全保障の重要な政策について、民主党は自民党と歩み寄ろうとしないばかりか、共産党や社民党と同じような主張をしている。保守を名乗っている者たちまで含まれている点では、かえって昔の社会党よりも手が悪い。安倍首相の自民党と大阪維新の会が提携すれば、局面は大きく変わる。そこに次世代の党も加わわればいい。保守の大同団結こそが日本を救うのだから。

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安保関連法案の成立のために保守派ネットは結束を!

2015年05月28日 | 安全保障

あまりにも日本のマスコミの報道がいい加減なので、ネットを通じて私たちはそれを批判しなくてはならない。昨日から衆議院で始まった平和安全法制特別委員会では、現状の日本の安全保障がどうなっているかよりも、自衛隊の活動拡大の賛否ばかりが話題になっている。本末転倒なのである。原因があって対応策が講じられるのであり、それに触れなければ、単なる法律論に終始するだけである。腑に落ちないのは、自衛隊を悪しざまに罵ってきた人たちが、自衛隊の命の重さを取り上げていることだ。命が大事であることは言を俟たない。しかし、武装した外国の軍隊が攻撃をしかけてくれば、身を挺して国民を防衛するのが自衛隊だ。それを覚悟して任務に就いているのである。さらに、もう一つ気になるのは「アメリカの戦争に巻き込まれる」が法案反対の理由になっていることだ。日本の国をアメリカ軍に護ってもらうだけで、同盟国としての役割を果たさなければ、いつかはそっぽを向かれてしまう。安倍首相が答弁しているように、それ以外の地域として想定されているのは、平時におけるホルムズ海峡での機雷の除去などで、あくまでも限定的である。日本国憲法の縛りのなかで、精一杯のことをやろうとしているのだ。多くのマスコミの論調が真実を伝えないだけに、国民の理解がいたっていないのは残念でならない。安倍政権は国民を言葉で説得しなくてはならない。日本が危機に直面していることを、国民に向かってストレートに語るべきだろう。ネットでの私たちの戦いも手を抜くことはできないが。

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国防を強固にするには英霊への国家的敬意が不可欠だ!

2015年05月27日 | 自衛隊

自衛隊が軍隊である限り、そこに危険は付き物である。そのことから国は目をそむけるべきではないだろう。中共は冷戦時代に逆戻りするかのように、アメリカや日本を仮想敵国にしている。国内では独裁体制を強め、海外的には侵略の野望を隠さない。もはや共産主義の理想とは縁もゆかりもない国家である。本格的な武力衝突は勃発しないとしても、挑発的な軍事行動で、自衛隊や海上保安庁の職員に、犠牲者が出ることが予想される。そこで問題にされるべきは、英霊をどう遇するかである。靖国神社が大きな意味があるのは、日本人の宗教観に根差しているからである。加地伸行は「靖国参拝何がいけないのか」のなかで、日本人の信仰心のなかには、東北アジア共通の招魂慰霊があることに触れている。霊には精神の魂と肉体を主宰する魄(はく)とがある。お盆などは魄の「仏壇での呼び降ろし」であり、墓参における「呼びあげ」なのである。その一方で魂の慰霊を行うのが国家ではなくてはならない。加地が書いているように「国家の意志の下に戦死した英霊に対する国家的敬意」が示されなくてはならない。それが靖国神社であり、毎年8月15日に行われる全国戦没者追悼式なのである。国のために命を捨てる者たちを、国家が慰霊しなくては、自衛隊員も死んでも死にきれないのである。その法的な整備も早急に進めるべきだろう。国の護りを固めるにも、避けては通れない大問題なのである。武器を整備することも大事ではあるが、それ以上に日本人の宗教観を無視することはできないからだ。

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戦後70年の首相談話に注文を付ける浅田次郎のお花畑!

2015年05月26日 | 安全保障

安倍首相の戦後70年談話について、浅田次郎あたりが「侵略」の文言を入れるように注文を付けている。それで全てが解決すると思っているあたりが、流行作家の限界である。何を寝言を言っているのだろう。なぜにアメリカが今も広島や長崎の原爆投下を謝罪しないのか。考えたことがない時点で、想像力の欠如である。これまでも日本は先の戦争がアジアの国々に迷惑をかけたと明言している。正当化したことは一度もなかった。にもかかわらず、中共や韓国、北朝鮮はパワーゲームの道具として、日本を「侵略者」とレッテル貼りをし、国際社会から締め出そうとしたきた。何度謝罪してもそれは変わらなかった。日本をすぐに槍玉に挙げる中共自身が1979年に中越戦争を引き起こした。中共はその戦争を「侵略」と認めただろうか。あの時は社会主義の二つの国が戦ったというので、日本のサヨクのなかに動揺が走り、それをきっかけに転向した者もいた。戦争は資本主義国家間でしか起こり得ないとのお花畑が、見事に裏切られたからである。その後も中共は軍備を増強し、日本はその脅威にさらされている。最近では米中戦争までまことしやかに語られるようになった。日本が「侵略」という言葉を用いれば、中共はそれを理由に沖縄などで軍事的な挑発をしかねない。謝ればいいのではない。日本が今後国家として生き残っていく上で、何が大切かだ。子どもの喧嘩ではないのだから、謝ってすむ問題ではないのである。

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中共の侵略に手を貸すだけのマスコミのデマゴーグを嗤う!

2015年05月25日 | 安全保障

マスコミの多くが安倍首相をこきおろしている。ネットがなければ国民の多くが安倍政権の安全保障や外交政策に反対しただろう。60年安保騒動の再現もあり得ただろう。しかし、そうしたデマゴーグに踊らされるほど、今の国民は愚かではない。思い起こしてみればいい。「若者を戦場に送るな」「日本軍国主義の復活」とかの言葉は、耳にタコができるほどに私たちは絶えず聞かされてきた。今度は自衛隊の活動がどこまで拡大するかどうかだそうだ。冷戦体制が崩壊するまでは、日本はアメリカの核抑止力と制海制空権の庇護のもとに甘んじてきた。平和がタダで手に入るかのような錯覚があった。とくにアメリカの核の傘は圧倒的であった。今や事態は急変している。アメリカは東アジアから手を引きつつあり、中共の軍事的脅威に直面している。日本がアメリカとの同盟関係を強化するのは当然だ。それをしなければ、日本も韓国と同じように中共の属国と化すだろう。何度もお花畑は現実によって否定されてきた。戦後間もなく全面講和にこだわった平和問題談話会は、小泉信三がソ連の脅威を説いたのに対して、全体主義国家ソ連の崩壊も予想できず、都留重人らが「ソ連恐怖症」と一蹴したのである。陸海空の自衛隊が発足したのが昭和29年であった。それから日米安保と自衛隊が日本の安全を維持してきた。中共の軍隊はアメリカ軍にすら挑発を行っている。第二の平和問題懇話会の過ちを繰り返すマスコミは、中共の侵略に手を貸すだけの言説に、本当に責任を持てるのだろうか。とんでもないお花畑である。

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お花畑の平和論 10句

2015年05月24日 | 安全保障

軍艦で攻めてくるのにウソホント

ビビってるマスコミなぜに中共を

反米で国を滅ぼす愚か者

辺野古をば移設と言わぬ嫌がらせ

憲法がこれ幸いと外敵は

自らを護れぬ国に明日なし

自衛隊なければ日本は属国に

戦争を仕掛けてくる国目の前に

人よしもここまでされれば気付きたり

ネットにてようやく知った真実を

 

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会津の薬師三尊像含む飛鳥から貞観までの仏像を世界遺産に!

2015年05月24日 | 歴史

飛鳥時代から平安初期の貞観時代にかけての日本の仏像彫刻を、ユネスコの世界遺産に登録することはできないだろうか。すでに仏教関係では「古都京都の文化財」「古都奈良の文化財」「法隆寺地域の仏教建造物」「平泉ー仏国土(浄土)を表す建築庭園及び考古学的遺跡群」などがあるが、あまりにも漠然としている。形を通して日本の心を伝えているのが仏像であり、もっとスポットがあてられるべきだろう。久野昭の『日本の彫刻』によれば、飛鳥時代は法隆寺の百済観音のように、正面のみ見るようになっていたり、古式の微笑みに特徴があった。帰化人の手になる物が多かった。白鳳時代は童子形の仏像彫刻であり、大陸の影響を脱して、日本の独自の歩みを開始する。代表作は薬師寺の薬師三尊像である。天平時代は奈良を中心にして空前の仏教文化が栄え、興福寺の阿修羅立像のように芸術性が高い傑作が生まれた。貞観時代にはみちのく会津の勝常寺に薬師三尊像(国宝)が建立された。都仏師の作といわれるが、どっしりとした感じや、あえてケヤキ系のハルニレを使っているのは、仏像がより日本の風土に土着化したことを示している。奈良や京都ばかりではなく、会津を含めての世界遺産への登録となれば、原発事故に疲弊している福島県の復興にも結び付くはずである。日本にあるかけがえのない仏像群のうちでも、飛鳥時代から貞観時代までは別格である。御仏を形で表現しようとした日本の仏像こそが、世界に誇る日本の文化でもあるわけだから。

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