草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

中共による侵略の危機を安倍首相は国民に訴えるべきだ!

2014年12月31日 | 政局

かろうじて今年も自民党の政権であったが、安倍内閣が合格点かといえば抵抗がある。しかし、それに取って代わる政党がないのも、これまた事実である。日本をめぐる状況が大きく変わってきているのに、手の打ちようがないのが今の政治だ。今回の総選挙では次世代の党に期待が集まったが、それも一部にとどまった。経済政策や国の根本をめぐる公約でちぐはぐさが目立ったからだ。極め付けは首相公選制であった。これは一君万民の日本の国柄とは異なる。また、新自由主義的な政策も散見された。準備が整わないなかでの船出であったため、それを考慮して応援した人たちもいたが、勢力を大幅に減らし、わずか二議席にとどまった。自民党は大勝したとは言っても、公明党の応援を得てのものであり、真の意味での憲法改正は遠のいたのではないだろうか。さらに、安全保障をめぐる政策では、国民の間にはまだまだお花畑が幅を利かせている。マスコミは連日のように安倍内閣攻撃の道具として、集団的自衛権の行使容認を取り上げており、戦争へ向かっているとの印象操作をしている。安倍首相も中共による侵略の危機を、声高には訴えていない。相手を刺激したくないのか、それともアメリカの意向が働いているのかは分からないが、もっとストレートに国民に語りかけるべきだ。来年は今年以上に波乱に満ちた年になるはずだ。いかなる事態になっても、動揺することなく果敢に乗り切っていかなくてはならない。そこで求められるのは、安倍首相の決断力なのである。

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シーレインの防衛に日米は共同してあたるべきだ!

2014年12月30日 | 安全保障

国家が国民の安全を確保するために、他国との同盟関係を結ぶことは、国連憲章においても認められている。集団的自衛権の行使容認に踏み切ることは、日本を侵略しようとする国に対して、抑止力を働かせることになる。とくに、日米関係が不安定ななかにあっては、絆を強化することは、日本にとっても得策なのである。しかも、その適用範囲にシーレインを加えることは、日本のエネルギー政策上も欠かせない。日本国民の一部に、アメリカの戦争に巻き込まれる、との危惧がある。その可能性を否定するわけではないないが、それを言うのならば、自衛隊を国軍に昇格させ、名誉ある地位を与えることが先だろう。現状のまま甘んじろと片方で制約を課しながら、もう一方では集団的自衛権の行使容認に反対する。これでは日本の安全など護れるはずがない。今後のアメリカとの関係は、日本が応分の負担をしながら、国益の観点から意見を表明するようでなくてはならない。属国化するのではなく、アメリカがやることについて、時には苦言呈することも必要なのである。これからそうなるためにも、日本がアメリカにおんぶに抱っこでは駄目なのである。来年こそが本当の意味での主権回復への第一歩としなくてはならない。安全保障に関しての安倍首相の決断は評価されるべきであり、それすらも実現できないのでは、日本は座して死を待つことになるだろう。

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安倍首相は国民を裏切るなかれ 5首

2014年12月29日 | 短歌

安倍さんへ期待あるうち大胆に景気回復チャンス逃すな

特アへの弱腰は駄目国民に決意を示せ侵略の危機

アメリカを頼みにするは過去なれば主権なくして日本なし

むざむざと自衛隊をば見殺しにすることなかれ国の護りを

国として身構えずしてこの先は成り立ちゆかぬ試練の時代ぞ

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日本国民が待望しているのは自主防衛と主権の回復だ!

2014年12月28日 | 政局

年末に来年の予測をするのはためらいがあるが、あえて言っておかなくてはならない。いかに安倍首相が尻込みしようとも、日本国民は自主独立の道を選択すると。もはやその流れは変えようがないのである。日本の領土と国民主権を守るべき自衛隊が、アメリカの関与なしには、本格的な反撃が難しい。それでは中共の侵略には対抗ができない。日本が経済的に今後も繁栄をしていくためには、国益の点でアメリカと衝突する。グローバリズムは名ばかりで、アメリカの一方的な要求であり、これ以上屈すれば、日本は衰退するしかない。さらに、デフレに逆戻りするかのような緊縮財政をすれば、一体誰が得をするのだろう。消費増税で景気が失速しているわけだから、まずは補正で一桁違う財政出動をすべきではないか。それができなければアベノミクスは失敗する。安倍首相の対応のいかんにかかわらず、日本の進むべき道は決まっている。安倍首相を支えてきた、保守の名もなき人々が起爆剤になるのである。当面は「安倍首相しかいない」と言われる。現実の政治はその通りだ。しかし、日本国民は現状に満足しているわけではない。だからといって、特定アジアを利する勢力に日本を渡すことは断じてできない。安倍自民党を強引に変えさせるために、あらゆる手段が講じられるべきだろう。それを後押しするのが保守の名もなき人々なのである。 

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代用宗教でしかない共産主義の政党は過去の亡霊だ!

2014年12月28日 | 政局

日本でまた共産党が息を吹き返した。連日のようにマスコミが安倍首相を悪者扱いにすれば、受け皿になるのは共産党しかない。しかし、ある種の宗教でしかない共産主義を今でも奉じている政党に投票したりするのは、情報弱者であるからだろう。1989年の東欧から始まり、1991年のロシアのクーデターを粉砕した人々は、勝田吉太郎が「悪魔に憑依された社会思想」と呼んだ共産主義の呪縛から解放されたのだった。保守主義や自由主義であれば、あくまでも政治は世俗のことに限定される。心の問題には立ち入らないのである。これに対して共産主義は異質である。全てを自分たちの思いのままにしようとする。勝田が『思想の旅路』で述べているように、「換言するならば、“神なき世界”ないし“価値の空位時代”に住まうわれわれの心の空白、空虚を満たし、なんのために?という問いに対する答えの欠落を埋めようとするもの、それこそがトータルなイデオロギーと呼んでよいであろう。“神なき世界”における“代用宗教”の役割を果たすのは、そういう性格のイデオロギーでなければならない」からだ。過去の亡霊を復活させ、日本を混乱させることが本当によいことなのだろうか。「代用宗教」に振り回される者たちは禍しかもたらさないのである。平和を口にすれば、攻めてこないと勝手に思い込むことが、かえって危機を増大させるのである。事実を冷静に直視すべきであって、「代用宗教」でしかない共産主義の出番などないのだ。過去の亡霊を支持する人の気持ちが理解できない。

 

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悪あがきで中核派の山本太郎と組む小沢一郎を嗤う!

2014年12月27日 | 政局

いい加減にもほどがあるのが小沢一郎だ。かつては自民党の幹事長をやっていたのに、今度は山本太郎と一緒になって新しい会派をつくった。「生活の党と山本太郎となかまたち」である。これにはあいた口がふさがらない。山本は中核派の支援で国会議員になったのである。つまりはテロリスト集団の一員である。中核派と手をくむような保守政治家は異常である。そんなことに無頓着なのが小沢なのである。「普通の国」でアメリカのお先棒を担いだと思ったらば、急に政治改革を旗頭にして、政界再編を目論んだり。やることなすこと支離滅裂であった。それでもマスコミは小沢を応援し、「時の人」と持ち上げたのである。しかし、ここまでくると単なる政治屋でしかなったことが明確になった。期待した方が間違いなのである。すでに過去の人でしかなく論じるにも値しないが、最後はテロリスト集団との野合とは恐れ入った。よくよく考えてみると日本をぶちこわしただけであった。そこに加勢した学者やマスコミ関係者は、一体どういう気持でいるのだろう。小沢に反対すれば「守旧派」と罵倒し、あたかも救世主のように持ち上げた責任を感じているのだろうか。田中派の金まみれの政治家の末路は、あなりにも道理に反している。生き残るための最後の選択が山本太郎であったからだ。政治家のくだらなさを多くの日本人は痛感したのではないだろうか。それでも日本が続いているのは、天皇陛下がおられるからである。万世一系の天皇陛下なくしては日本は存在しないのである。

 

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神話的祖型としての「神武創業」の反復だった明治維新!

2014年12月26日 | 思想家

日本が目指すべきは、戦後レジームからの脱却であるが、そこにとどまるべきではないだろう。明治維新が達成されたのは、「天皇親政」への熱き思いがあったからだ。久野昭が『歴史哲学序説』で「明治維新は、神武という神話的祖型への反復であった」との見方をしている。いうまでもなく、明治以前の天皇は精神的な権威でしかなく、実際に政治を行ったわけではない。しかし、日本が危機に直面するや、日本人は「天皇親政」に活路を見出したのである。慶応3年12月9日の「王制復古の大号令」でも、「諸事神武創業之始ニ原(もとづ)キ」という言葉がある。日本人にとって立ちかえるべき世界があるかどうかは、それこそがもっとも根源的な問いかけである。戦後のアメリカによる「民主化」によって、神話教育が行われなくなった。事実かどうかよりも、そこに民族の魂が脈打っているのは確かである。それを否定されたことで戦後の日本の混乱が引き起こされたのである。「神話的祖型」とは何であるか。エリアーデは『永遠回帰の神話』において「神話の周期的な朗唱は世俗的存在によって築かれた障壁を突破する。神話は、たえず、偉大な時を再現し、そうすることによって、聴衆を超人間的、超歴史的な面に引きあげる。聴衆が世俗的な個人的な存在のレヴェルでは接近できない実在性に近づくことができるのは、とりわけ、このような神話のはたらきのおかげなのである」と書いている。日本のルネッサンスとは、日本の神話を復活させることでもあり、たかだか戦後70年のことではないのである。

 

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橋下徹なき維新の党はガラクタだ!

2014年12月25日 | 政局

維新の党の役員の顔ぶれを見て、多くの国民はがっかりしたと思う。みんなの党にいた江田憲司が代表であり、民主党にいた松野頼久が幹事長である。当初の意気込みは消え失せて、庇をかして母屋を取られたのである。しかし、橋下徹大阪市長にとっては、これが幸いするかも知れない。もう少し事態を冷静に観察して。安倍首相との連携を強めて、保守派の二番手の地位を築くこともできるからだ。江田執行部は連合に擦り寄り、民主党と一つになろうとしている。それを勝手にやらせるというのは、違った立場になることであり、かえって好都合なのである。今の民主党では国民からの支持は得られない。そこで維新の党が加わるとしても、もともとは民主党にいた議員が主導権を握っているのである。国民が期待するわけがない。いよいよ安倍首相は憲法改正に向かって踏み出す決意を固めている。それは一つの政党では無理なのである。いくら自民党が強大であっても、骨の折れる仕事なのである。次世代の党に期待したが、準備不足もあって惨敗をしてしまった。そうなると新たな政治勢力なのである。西に橋下徹大阪市長がいれば、東には山田宏や中田宏といった保守のエース級の政治家がいる。それが結束して自民党と一緒に歴史的な事業を成し遂げなくてはならないのだ。橋下大阪市長を石原慎太郎は「将来の総理大臣」と持ち上げているが、それには保守政治家としてどこまで成長するかなのである。

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右であれ左であれ商売の言論人に惑わされるなかれ!

2014年12月23日 | 思想家

右であれ左であれ、ほとんどの言論人はいい加減である。それを肝に銘じて接するべきだろう。真理がどうであるかよりも、自らの虚栄心を満足させてくれるかどうかなのである。エリック・ホッファーは『大衆運動』(高根正昭訳)において「若いカール・マルクスが、称号と政府の重要な職を授与されていたら、おそらく彼はプロシアの世界にひき入れられていただろう」と書いている。さらに、右のエドモンド・バークをも俎上に乗せ「王侯貴族に後援されたバークのような人は、『豚のような民衆』について語り、貧乏人に『忍耐、労働、禁酒、節約そして宗教』を勧めた」と言い切った。ナチス・ドイツやボルシェヴィキ・ロシアにおいても、言論人の多くは口をつぐんだのである。言論人は額に汗をする労働にいそしんでいるわけではない。不安定な生活を強いられており、手を差しのべてくれる勢力があれば、ついついそこに加担することになるのだ。言論人によりかかるのは間違いなのである。大手のマスコミ関係者と話をしてビックリしたことがあった。民主党政権が誕生する直前であったが、政権交代の意義を説くとともに、「駄目だったら戻せばいいんですから」と他人事であった。自分たちは自由自在に世の中を操れると勘違いしているのだ。土民大衆である私たちは、言論人の主張を鵜呑みにするのではなく、疑ってかかる必要がある。とくに今の世にあっては言論活動は商売でしかなく、儲かるか儲からないかなのである。

 

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天皇を中心とする君主国体が日本の真の姿だ!

2014年12月23日 | 思想家

三島由紀夫ではないが、保守が最後の拠り所とするのは天皇である。それ以外はたいした問題ではない。国民とともにおられる天皇は、日本の建国以来、一貫してその中心にあられた。あくまでも公平無私な祭祀者であった。明治になって日本が危機に直面すると、大元帥となって帝国陸海軍を閲兵されたが、それは例外中の例外であった。しかし、それもまた国民の願いであったのであり、それに応えられただけなのである。個人の命は限られている。日本の文化的連続性と同一性を維持し、将来に向かって前進するには核となるべきものがなければならない。今日は天皇誕生日である。国民がこぞって御祝いをする日である。しかし、せいぜいニュースになるのは一般参賀である。敗戦によって大日本帝国憲法は改正され、「天皇主権」が「国民主権」になったといわれる。そのときを境にして日本人は、大切なものを失ってしまったのである。大石義雄が『増補法学概論』で「わが国が万世一系の天皇を統治権の総攬者とする君主国体であることはきわめて明らかである。ひとり憲法の成分形式のみならず、成文憲法を生きた憲法たらしめる社会意識そのものが鞏固にこれを裏付けていたのである。だから、わが国体は名実ともに万世一系の君主国体だったのである」と書いている。それを無理に変えようとしたことが混乱を招いたのである。社会意識を否定し、日本の国体に立脚しない憲法は無効であり、即刻改正されるべきだ。それを再認識するのが天皇誕生日なのである。

 

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