越から会津盆地に入る際
多くの人たちは立ち止まり
磐梯山を仰いだはずだ
川が集まるから会津という
そんな言われ方がするほど
会津盆地を縫うように流れる
阿賀川などの大小の河川
青々とした流れの大河
今も変わらずにあるのだ
道路が整備されてしまい
忘れらようとしている光景
それが僕の前にあるのだ
夕暮れときのかすかな光に照らされた会津みしらず柿。喜多方市の見頃橋から山都に抜ける山道で撮影した。真っ青な空とのコントラストから、柿の葉が闇に没するかのように暗く、淋しそうに見えた。会津みしらず柿は、会津出身者にとっては、忘れることができない故郷の味である。親や兄弟から送られてくるのを、遠くはなれた地で、楽しみにしている人たちも多い。昭和32年に発売された「柿の木坂の家」という歌謡曲があるが、「春には柿の花が咲き 秋には柿の実が熟れる」(石本美由起作詞)という歌詞を聞くと、懐かしさがこみあげてくるのは、会津みしらず柿の甘い味が口いっぱいに広がってくるからだろう。しかし、例年とは違って、今年はガラリと様相が変わってしまった。福島第一原発の事故によって、放射性物質による汚染の問題があるからだ。心なしか柿の実も申し訳なさそうである。
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表磐梯のゴールドラインの展望台から望む紅葉。今日のお昼に撮影した。色とりどりに鮮やかさを競っているが、落葉樹ばかりでなく、草や低木の葉も色づき、草紅葉も全山をおおっている。イチョウは黄葉、カエデやウルシは赤葉、ブナやケヤキが褐葉となるが、気温や紫外線が織りなす芸術品であり、会津という独特な風土が育んだ美の極致なのである。間もなく会津は白一色となり、静寂に包まれたモノトーンの季節を迎える。それを前にして、幾重にも織りなされる感動のパノラマ。白虎隊が壮烈な死を遂げたのも、滅びを潔しとする紅葉が目に焼きついていたからだろう。
草紅葉(もみじ)少年の死に寄り添いし
←磐梯山の紅葉が美しいと思われる方はクイックを
喜多方市山都町沼ノ平地区にある鏡桜である。オオヤマザクラで、別名エゾヤマザクラともいわれる。樹齢は約100年とか。今日のお昼過ぎに愛用のデジカメで撮影した。時おり霧雨が降るあいにくの天気であったが、ほぼ満開。まるで仕掛け花火のように、どこまでも雄大であった。それでも、絶頂期はつかぬまの出来事。沼の岸辺には小さな波紋が広がり、散り急いだ桜の花が水面に色を落としていた。ソメイヨシノと比べると、ややピンクがかった色であるが、華やかさというよりも、どことなくゆかしさがあった。その途中、急勾配の坂を車で上っていると、眼下に虹がかかっていたので、一瞬見とれてしまい、その後に運命的な出会いをしたので、シャッターを押す手が震えてしまった。山峡の地にひっそりと咲く桜は、風雪に耐えてきた会津人の生きざまと似ており、共感を覚えてしまう。今日からゴールデン連中が始まったが、花の命はそれほど長くないだろうから、ぜひ今が満開の鏡桜を堪能してもらいたい。
磐越西線山都駅近くの一ノ戸川鉄橋を疾走するディーゼル。デジカメで今日の午後3時過ぎに撮影した。あいにく雪雲がたれこめ、飯豊連峰を拝むことはできなかった。夕暮れ時を思わせるなかを、小さな丸い光があっという間に目の前を通り過ぎた。一ノ戸川鉄橋は明治43年に完成したもので、全長445メートル、高さ17メートルということもあって、当時は東洋一であったという。観光シーズンともなれば、SLを撮影しようと、たくさんのカメラマンでごったがえす。1組3人ほどがいただけで、どよめきもわかなかったが、雪に負けない力強さを感じた。雪国会津のありふれた風景だとしても、ついつい見入ってしまって、シャッターチャンスをのがしてしまった。SLであれば、カメラマンを喜ばせるために、わざわざ汽笛を鳴らすが、そのサービスがなかったことも、かえって空々しくなくてよかった。
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昭和13年に喜多方駅と熱塩駅間が開業し、県境を越え北に向かって線路がどこまでも続くはずであった。昭和59年に日中線が廃止されたことで、その夢はかなえられなかった。線路も枕木ごと撤去され、わずかに名残をとどめてくれているのが、熱塩駅をそのまま保存した日中線記念館だ。尖がり帽子のような建物で、すぐに山霧に視界がさえぎられることから、どことなく北欧風の感じがするというので、観光スポットの一つとなっている。宮脇俊三の『時刻表2万キロ』でも紹介された。曇天の下、人気のない駅舎の前でぽつねんとしてひとりたたずんでいると、改札口付近だけが眼にまぶしく、まるで向こう側に別世界が広がっているようだった。
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「エンヤー会津磐梯山は宝の山よ」で知られる会津東山温泉の盆踊りも、先月の18日で終わってしまったが、湯川にかかる櫓の提灯が暑さを吹き飛ばしてくれた。朝香ホテルから撮影したので、身を乗り出して見ていた、観光客の浴衣まで写ってしまった。太鼓の音と歌い手の声、そこにまた川音が重なり合って、夏の風物詩となっているのである。40人近くいる芸妓衆も、浴衣で参加し、観光客と一緒になって踊りの輪に加わっている。以前は押すな押すなの人だかりであったが、現在はかつてのような熱気は見られない。闇のなかに浮かび上がる提灯だけが、今も往時を偲ばせる。
かにかくに東山にて踊りたる盆踊り歌君の後れ毛
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