草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

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謝罪した森喜朗会長に辞任を迫る行き過ぎたポリコレを憂う!

2021年02月05日 | 社会風刺

東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長の発言をめぐって、辞任しろと野党やマスコミが騒いでいる。本人が謝罪して、国際オリンピック委員会も問題視しないことを表明しているのに、なぜそこまでする必要があるのか。日本もポリコレがまかり通る世の中になってしまったようだ▼森会長は3日の日本オリンピック委員会の臨時評議会で「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」と発言したことが、女性差別だと批判されたわけだが、本人も口が滑ったことを認めているわけだから、大会も目前に迫っており、ここで辞めれば混乱するのは目に見えている▼花田清輝が『復興期の精神』において、面白いことを書いていたのを思い出した。花田は「女の論理」について論じていたからである。女は男とは違って理屈ではなく、レトリックで語るというのだ。女性を馬鹿にしているわけでない。イエスがアガペーの愛を示すことが出来たのは、通り一遍の論理ではなく、どんな人にも寄り添うことができる言葉をもっていたからで、それもまたレトリックであるというのだ▼多様性を重んじるのであれば、単純に物事を判断して、言葉狩りをするのは行き過ぎである。かつての左派のオピニオンリーダーであった花田の書いたものを、私たちはもう一度読み直すべきではないだろうか。

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安倍首相よりも朝日関係者とお友達だった黒川東京高検検事長!

2020年05月21日 | 社会風刺

「事実は小説より奇なり」といわれる。黒川東京高検検事長が朝日新聞と産経新聞の記者とかけマージャンをしていた。週刊文春のスクープに多くの国民がビックリしたのではないだろうか。法を順守しなければならない検察の幹部であるにもかかわらず、実際にそんなことをしていたとすれば、現在の立場も失うことになるだろう▼安倍首相というよりも、マスコミとお友達だったのである。朝日新聞の場合には元記者だったそうだが、幹部社員であるとも漏れ聞こえてきている。あれほど黒川叩きをやっていた一方では、ちゃっかり深い仲であったのだ。司法の独立という観点からは、国家権力の介入ばかりでなく、もう一つの権力であるマスコミとの癒着も大問題である。検察がこうなのだから、他の官庁も推して知るべきである▼今のマスコミの劣化も目に余る。地上波のテレビ局では、フェイク報道が堂々とまかり通っている。テレビ朝日やフジテレビでは、過去の映像を引っ張り出して、自粛が緩んだかのような印象操作をしている。ただただ不安を煽りたいだけなのである▼くだらないマスコミとずぶずぶの関係を暴露された検察は、取り返しのつかない失態をやらかしたのである。黒川東京高検検事長は検察の権威を失墜させたのであり、まさしく万死に値する不祥事なのである。

https://www.youtube.com/watch?v=lgVci5Hvy-4

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㉛笠井尚氏の会津の本を読む 北篤の『会津異端の系譜』

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入試は共通テストなど参考にせず大学が独自に行うべきだ!

2019年11月02日 | 社会風刺

大学が試験で入学者を決めるのは、定員に限りがあるからだ。本来であれば、面接に力を入れて、どの位の学力があるのか試せばいいのである。それができないから筆記試験を行うのである▼各大学のランク付けをするにあたって、一定の目安となったのが共通一次試験であった。昭和54年から11年間続き、平成2年から始まったのが大学入試センター試験である。共通一次試験では試験科目は国語、数学、理科、社会、英語の5教科で、当初は理科と社会は選択制の2科目であったが、後半は理科と社会は1科目となった▼大学入試センター試験では5科目が定着するとともに、学習指導要領にそった基礎的な学力を問うこととなり、記述式がなくなり、マークシートに記入する方式が採用されるようになった。来年から導入が予定されている大学入学共通テストでは、数学や国語に記述式が復活し、英語の出題では長文読解とリスニングが重視される。そこで民間の資格試験を活用する方針でいたのが、ここきて萩生田文科相の「身の丈」発言があって、当面は見送られることになったのだ▼かつて小室直樹は「共通一次が生む出すアノミー」というのを問題視した。それによって子供たちに連帯感が失われ、学力の高い低いは関係なく、不安感が高まっている社会現象を指摘したのである。家庭内暴力の原因もそこにあると分析した。それぞれの大学が独自に選抜方法を決めるべきなのである。なぜ逆な方向に文科省は持って行きたいのだろう。

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国民の怒りの爆発に怯える大村と津田とマスコミを嗤う!

2019年10月09日 | 社会風刺

あいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」を再開したことで、国民の怒りの矛先は大村秀章愛知県知事と津田大介に向けられている。マスコミが加勢してくれるからと、二人は国民を甘く見ていたのだろうが、そうは問屋がおろさないのである▼マスコミは表現の自由の問題に矮小化しようとしているが、それがかえって最悪の事態を引き起こおこしかねないのである。事実をきちんと伝えずに、一方的な報道を続ければ、危機感を募らせて、実力行動に訴える人も出てくるだろう。マスコミが両方の意見を伝えないことで、かえってそうしたムードが醸成される危険性が高まっている▼昭和天皇の写真を焼き、靴で踏み潰すというのは、明らかに常軌を逸している。だからこそ、それが国民に知れ渡れば、とんでもないことになるのを、マスコミは恐れているのである。マスコミが伝えなくても、ネットがその事実を拡散し、国民の怒りは爆発寸前のマグマである。さらに、原発事故を喜ぶような展示物があるとの指摘もあり、二人は日を追うごとに孤立し、追い詰められている▼大村と津田は被害者面をしていれば、英雄になられると思っていたに違いない。しかし、ネットの反応をみても、二人に味方する国民はほんのわずかである。聖書にも書かれているように「蒔いた種は自ら刈り取る」しかないのである。

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あいちトリエンナーレへの補助金不交付は当然の決定だ!

2019年09月26日 | 社会風刺

「あいちトリエンナーレへの補助不交付」を文化庁が決めたことに対して、BUzzFeeDに「検閲と言われても仕方がない」という千葉雄登の記事がアップされた。昭和天皇を貶めるようなことをしたわけだから、金を出す方が間違っている。「象徴天皇」の憲法第一条を遵守することは、それこそ日本国民の義務であり、それに則って文化庁が決定することは、何ら問題がない▼あたかもその記事では「批判殺到」と書いているが、どこの誰が怒っているのか、ぜひ教えて欲しい。当事者である津田大介や、ネット保守の集中砲火を浴びている町山智浩あたりではないか。三浦瑠璃は津田と交友があるからか、「官僚的に理屈はあるのだろうけれど」と留保しながら「今年度の分について不交付の決定はかわいそうだと思う」と同情しているが、彼らが多数派であるわけはない▼あまりにも一方的な書き方である。国家権力に歯向かうのであれば、その程度の覚悟があってしかるべきだ。もし仮に交付するような事態になれば、ネットは大炎上し、国民の圧倒的多数から文化庁が批判されることになるだろう。国の助けを得ず、やりたいことをやればいいのである。税金を使うから駄目なのである。反体制を口にしながら、実際は行政にたかるという根性が尋常ではない。最低のルールも守れないような者たちに、大切な税金を使うべきではないのである。

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N国党の台頭は「言葉をあやつる」上級国民への反乱だ!

2019年08月17日 | 社会風刺

立花孝志のN国党が国民から一定の支持を得ているのはなぜだろう。あらゆる権威が音をたてて崩れているからではないだろうか。それはまさしく上級国民に対する下級国民の反乱なのである。イデオロギーでまとまっているというよりは、現状を打破したいという怒りがまずあるのだ。山本太郎のれいわ新選組よりも、はるかにラディカルな集団なのである▼知的労働者は支配する側であり、肉体労働者は支配される側であることを問題視したのは、シモーヌ・ヴェイユであった。「事物をあやつる人びとより言葉をあやつる人びとが優位を占めるという状況は、人間の歴史のあらゆる段階にみいだされる。付言すべきは、総体として、祭司または知識人といった言葉の組合せや組立にたずさわる人間が、つねに支配者の側、つまり生産者に対する搾取者の側に立ってきたことである」(『ヴェイユの言葉』冨原眞弓編訳)▼それを意識しているかどうかは別にして、N国党の支持者がNHKに敵愾心を抱くのは、「言葉をあやつる人びと」であり、特権的な地位を甘受しているからではないだろうか。そして、NHKは上から目線で民主主義の意義なるものを説くのである。高給をもらって、庶民とはかけ離れた暮らしをしているくせに、あたかも一庶民であるかのように振る舞うのである。N国党がどこまでの政党になるかは見当がつかないが、下級国民の心をつかみつつあることだけは確かだ。

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エリートに気を遣うマスコミの交通事故報道を嗤う!

2019年04月21日 | 社会風刺

下々の者はちょっとした犯罪でも、すぐに顔写真が掲載され、社会的に葬られる。しかし、エリートは別なようだ。今回の池袋で発生した、暴走運転による死亡事故も、その典型である。肩書が旧通産省の御役人で、元工業技術院長、元久保田の副社長ということもあって、新聞記事などの扱いはかなり違っていた▼あの朝日新聞ですら、本名は出したものの、飯塚幸三さんと「さん」付けであった。いくら87歳の高齢であろうとも、この事故では31歳の母親と3歳の子供が亡くなっているのである。それなのに、どうしてそんな書き方をするのだろう。エリートだから、キャリア官僚から天下りができたのだろう。そして、庶民には考えられない金を手にしたはずだ。その上に手厚く保護されるというのは納得できない。人の命が奪われたのである。即刻逮捕されるのが普通だが、高齢で怪我をしているということよりも、過去の経歴が物を言っているのではないだろうか▼今の世の中はエリートが支配する社会ではあるが、彼らが幸福かどうかは疑問である。名も無き庶民を主人公にした山本周五郎は「貧しい人たち、貧しい生活の中には、ゆたかな人間性があり、はかることができない未来がある」(「季節のない街 舞台再訪—私の小説から」)と書いていた。足が地に着いた暮らしをしているのは、私たち庶民の方なのである。今の日本の政治が問題なのは、そこに目を向けないからなのである。

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英語よりも日本語を読めない日本人を減らすのが先だ!

2019年02月17日 | 社会風刺

だから言ったではないか。英語などよりも、母国語である日本語をマスターすることの方が先だと。OECDの調査によると、日本人の3分の1が日本語を読めないのだという。書く以前に読めない人がそれだけいるのだ▼週刊文春の2月14日号に、橘玲が「言ってはいけない!『日本人の3分の1は日本語が読めない』」という題で書いている。それでも他の先進国よりはましなのである。簡単な文章を読解できない日本人がそれだけいるにもかかわらず、英語ではあるまい。英語の能力にしても、最終的には日本語のレベル次第なのである▼グローバリズムの名のもとに英語に力を入れるよりは、まずは「読み書きそろばん」を重視すべきではないだろうか。日本語もろくに使えないで、英語など到底無理ではないだろうか。片言が話せればいいというのであれば、会話教室にでも通えばいいのである。65歳以下の労働人口のうちの3分の1がパソコンを使えないという深刻な事実も明らかになっている▼テレビしか見ない人たちは一定数いる。ワイドショーの取り上げ方で、右にでも左にでも揺れ動くのだから、迷惑この上ない。そうであっても、民主主義においては、誰の一票も一票である。人工知能の発達で、自動翻訳がどんどん進むのは確実だ。まずは日本語の習得が先であり、パソコンも自由に使えるようにすべきなのである。

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ようやく日本のエリートもまともに!

2017年04月23日 | 社会風刺

東大の新入生にどこの政党を支持するか聞いたところ、3割が自民党だったという。他の政党は一桁にもならない。例年同様の結果だそうだか、インテリが 保守化しているのは確かである。真面目に勉強すれば、民進党や共産党というのは、ほんの一握りなのである▼団塊の世代では、世の中に出ても使い物にならないのが、学者やジヤーナリストなったのである。とくに憲法学者は最悪である。現実を直視できないのだから、てんで話にならない、かつて丸山真男をはじめとする進歩的文化人と呼ばれた者たちは、東大を鼻にかけて、私大出を馬鹿にしていた▼頭がよいからリベラルになるというのは、単なる決め付けでしかない。丸山らは、世界の国々は戦争を欲していない、悪いことをするのは日本だと、自虐史観を流布させた。それを真に受けた教師は立場がなくなつている。事実でもって反証されているのに、それを認めようとしないのは信仰である。今は少なくなったが、以前はそれが多数派であった。戦後70年間以上が経過して、ようやく日本のエリートもまともになったのである。頭でっかちの観念論では通用しないのだから。


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「人ひと盛り」であるのに耐えられなかったのが清原の悲劇だ!

2016年02月03日 | 社会風刺

若くしてスターになったがために、かえって人生を誤ることがある。世の中そううまくはいかないのである。西武や巨人で活躍し子どもたちの憧れのまとであった清原和博容疑者が昨日、覚せい剤取締法違反の疑いで逮捕された。野球選手から芸能界に移り、テレビ出演も増えてきていたという。まだ48歳である。これからというときに捕まったのである▼豪放磊落な性格だと思っていたらば、実際は気が小さくて薬に頼るしかなかったのである。世間から脚光を浴びていた絶頂期が忘れられなかったのだろう。普通の人に戻ることができなかったのだろう。これからマスコミは寄ってたかってさらし者にするに違いない。落ちた偶像は叩きがいがあるからだ▼野球をやることしか能がなかった人間に、それ以外のことを求めるのが無理なのである。パトカーに乗せられて連行される清原容疑者は、世間に恥ずかしいことをしたと思っているようで、顔を上げることはなくうなだれていた。有名人はマスコミがつくりあげた虚像でしかない。すぐに飽きられて過去の人となっていく。使い捨てにされるのである▼山本夏彦の「命ながければ恥多し」というエッセイがある。「人の才能というものは一つしかない、行きづまっても他に転じることはできない。花いっとき人ひと盛りである」と書いていた。まさしく清原容疑者にあてはまるのではないだろうか。「人ひと盛りである」わけだから、野球をやめたらじっと耐えて生きるしかなかったのである。清原容疑者の逮捕は、過去の栄光を忘れられなかったがゆえの悲劇なのである。

  

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