草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

沖縄を護るため特攻で散った者たちの志を無にはできない!

2013年05月12日 | 政局

 漠然とした不安であり、確信をもっているわけではないが、尖閣諸島をめぐって、やはり中共が攻めてくるのではないか。そして、それを実現するためには、北朝鮮も韓国も、コマとして使ってくるのではないか。沖縄独立を手助けする、と中共が口にするにいたっては、外交関係を断絶してもおかしくない暴挙である。にもかかわらず、日本国民はどうして怒らないのだろう。どうして立ち上がらないのだろう、行動する保守を白眼視し、何もしないでいて、本当に大丈夫なのだろうか。安倍政権はこれからが正念場である。憲法9条を改正する前に、侵略者が攻撃してくれば、おびただしい犠牲が出るはずだ。平和を愛する日本のサヨクは、得意の戦争反対の意思表示をして、中共大使館を取り囲むべきではないか。逆に沖縄の米軍基地に嫌がらせをしているのは、常軌を逸している。沖縄が中共のものになれば、言論は弾圧され、大陸からは大挙して漢民族が押しかけてくるに違いない。そして、名実ともに中共の領土となるのである。日本人が今声を大にして叫ぶべきは「沖縄を護り抜くぞ」でなければならない。それも全国の津々浦々にその声を響かせるのだ。時間はあまりない。政治が生ぬるいのであれば、国民が立ち上がるしかない。大東亜戦争の沖縄戦では、陸海軍合わせて1827機の特攻機が出撃し、3067人が沖縄を護るために散華した。その志をどうして無にできよう。

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親米保守のふりをして真正保守を狙い撃ちするサヨク!

2013年05月12日 | 祖国日本を救う運動

 ネットの世界でサヨクがサヨクであることを隠して、親米保守のような顔をして、真正保守を狙い撃ちしている。「反米保守はネトウヨだ」と連呼することで、勢いを盛り返したいのだろう。その背後には中共や韓国の影もちらついてならない。サヨクの言い分はハッキリしている。民主主義国家と戦った軍国主義日本の末裔たちを、心から信用できるのか、と告げ口をしたいのである。しかし、アメリカにもまともな人間はいる。大東亜戦争を決断したのは、日本にとっては、清水の舞台から飛び降りるのと同じであった。誰一人日本人は戦争をしたくはなかった。兵士200万人、民間人100万人が犠牲になったのである。真珠湾攻撃にしても、アメリカが事前に知っていたことは、様々な資料で裏付けられている。ロバート・B・スティネットは『真珠湾の真実・ルーズベルト欺瞞の日々』のなかで、明確に言い切っている。「1941年12月7日(真珠湾攻撃)の出来事を、アメリカが事前に知っていたか否かについては、議論が絶えない。戦争を匂わす日本の外交文書が傍受解読されていたことは、われわれはずっと以前から承知している。しかし、私が発見したことは、われわれはそれ以上に多くのことを承知していたということである。我々は戦争挑発手段を実施したばかりでなく、日本海軍の電報をも傍受解読していたのだ」。日本人はルーズベルトの罠にはまったのだ。サヨクが親米の振りをするのは、過去を消し去りたいという点では、利害が一致しているからなのである。

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国家は友・敵を区別し戦争を遂行する能力と意志だ!

2013年05月12日 | 思想家

 相手が公然とこちらを敵視して、攻撃を仕掛けてきているのに、反撃しないままでいいのだろうか。危機的状況であるのを理解できないからこそ、そんな悠長なことを言ってられるのだろう。カール・シュミットの『政治的なものの概念』(田中浩・原田武雄訳)の指摘を待つまでもなく、政治的対立とは、人間を友と敵に分けることである。とくに国家は政治的な概念を前提としており、そのことを無視しては存立も危ぶまれるのである。中共、韓国、北朝鮮が我が国に行っていることは、その政治の適用にほかならない。それに対して、国家として身構えなければ、日本人は亡国の民と化すだろう。「友・敵という政治的結束の究極的な可能性から、人間生活は、すぐれて政治的な緊張を獲得する」からである。とくに、暴力の海を乗りきらなくてはならない国家は、「主体的に友・敵を区別し、必要とあれば戦争を遂行する、という能力ないし意志をもつまでにいたらないのであれば、その場合は政治的単位は崩壊している」ことになり、国民の生命や財産も風前の灯と化すのである。日本が戦後失ってしまったのは、まさしく「政治的単位」としての国家なのである。それを見透かしているからこそ、北朝鮮は見せしめに、日本にミサイルを撃ち込もうとしているのではないか。人類愛だとかを持ち出す空虚な議論は、政治が消滅した後の世界でのことであり、差し迫った危機に対処するための、有効な処方箋とはなり得ないのである。

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