草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

日本国民が「天皇陛下万歳」を三唱するのを誰が批判できよう!

2013年05月02日 | 祖国日本を救う運動

 国技館で昭和天皇が相撲をご観戦され、立ち上がってお帰りになられるときに、誰彼となく「天皇陛下万歳!」の声が上がったものである。それは強制されたものではなく、日本人としての素朴な感情の発露であった。それと同じように、先月28日の「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」で、「天皇陛下万歳!」を参列者が三唱したのは、自然な現象であり、それを問題視するのが間違っている。天皇陛下は、政治権力者としてではなく、過去から現在まで、日本文化の連続性を保持し、日本人が結束するための究極的な拠り所であった。それが未来に伝えるべき日本の国柄なのである。中共や韓国が批判しようとも、それに屈するわけにはいかない。「よろこびもかなしみも民と共にして年はすぎゆきいまはななそじ」は、70歳におなりになられた昭和天皇がおつくりになられた歌である。今上陛下におかれても、同じ思いをお持ちになっていられる。そして、よく引用されるのが、山上憶良が千二百数十年前に遣唐大使に送った「好去好来」の長歌の冒頭である。「神代より 言ひ伝(つ)て来(く)らく、そらみつ やまとの国は、皇神(すめかみ)の いつくしき国 言霊(ことだま) 幸はふ国と、語り継(つ)ぎ 言ひつがひけり。今の世の 人もことごと、目の前に 見たり知りたり」。平成の世の私たちも、天皇陛下をお慕いする気持ちは変わらないのであり、それが日本人を日本人たらしめているのである。

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憲法改正の主たる目的は立憲君主制の明確化だ!

2013年05月02日 | 思想家

 ようやく日本でも憲法改正の動きが出てきた。ここで忘れてはならないのは、現憲法に関して、共和制へ向かうプロセスとしての解釈があることだ。それを裏付けているのは、前文における「主権は国民に属する」や第一条の「日本国民の総意に基ずく」なのである。江藤淳は「VOICE」平成3年10月号に掲載された、大原康男との対談のなかで、その記述を利用して一部のマスコミが皇室解体を目論んでいる、と危惧の念を表明していた。国の根幹にかかわるのは、立憲君主制であり続けるか、それとも共和制に向かうのかの議論である。江藤は現憲法においても、第二条において「皇位は、世襲のものであって」と規定していることで、「立憲君主制を確定している条項と読まざるを得ない」と述べている。しかし、少しでも瑕疵があるのであれば、そこから付け込まれるのであり、自主憲法制定においては、その点をはっきりすべきだろう。現憲法が占領軍によってつくられようとしていたとき、高木八尺(やさか)が外務省に提出した「天皇制に就いて」との覚書を、江藤は高く評価する。「日本は『家族主義、温情主義の』の国家である。だから主権を『君』が独占する、『民』が奪還するというような二元論は成立しがたい。『民』は輔翼し奉り、『君』はその上にあってこれを知らしめ給うものである」。この機微に江藤はこだわったのである。単なる情勢論ではなく、それをより明確にすることが、何よりも優先されるべきだろう。

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