草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

交戦権を否定したままの米軍との連携強化は大問題だ

2024年05月07日 | 安全保障
 日本国民の命を守るために、国家が個別か集団かを問わず、自衛権を行使するのは当たり前のことである。国連憲章においてもそれは容認されている。だからこそ、現行憲法を改正するにあたっては、9条第二項の「国の交戦権は、これを認めない」という文面を削除しなければならないのである。
 しかし、公明党に配慮した自民党案では、そうなっていない。自衛隊を書き込むことで済ませようとしている。それでも一歩前進であることは認めざるを得ないが、岸田首相は、なぜ今の時期に憲法が問題になっているかを、国民に率直に訴えるべきではないだろうか。
 憲法9条の「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する 」という精神は、そのまま残しておいても全く問題がない。
 そのと同じ文面は国連憲章第四項においも「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合に目的と両立しない他の如何なる方法によるものも慎まなければならない」と書いてあるからだ。
 しかし、我が国に「交戦権」がないということは、他国に頼るということにほかならない。カール・シュミットが言うように、そんな国は消滅するしかないのである。
 先月の日米首脳共同声明において、岸田首相はとんでもないことをした。「自衛隊と在日米軍の連携強化に向け指揮・統制枠組みの見直しで一致」したからである。日本はどのようにして武力行使に関与するのだろうか。結局は、台湾有事に際して米軍の指揮下に入り、その意のままに動かされるということではないか。
 それより前に岸田首相は、米国との核の共有の議論をして、日本本土が戦争にならないようにするために、核による拡大抑止を強化すべきではなかったか。「核兵器のない世界」などの寝ぼけた文面を盛り込むのは最悪である。国際社会は未だに暴力の海であり、そこで生き残っていくためには、国家として身構えるしかないのである。

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