開国だとか規制緩和だとか口走って、世の中全体を引っ張ろうとするのは、いつも軽薄なインテリである。柳田国男は「日本には、まるいことばを使う人と、四角い言葉を話す人と、二種類の人種がいる。ほんとうに日本をしろうとするならば、まるいことばをしゃべる人とつきあわなけれだめだ」と語った。鶴見和子も『われらのうちなる原始人』のなかで、そのことを取り上げていた。丸い言葉とは「かな文字」であり、四角い言葉とは「漢字」である。それは同時に、土民大衆と知識人の違いである。坊さんや神官を除けば、読み書きできるインテリがいなかった村では、土民大衆が村を動かした。それでも何ら問題は生じなかったのである。そこに柳田は目を向けたのだった。鶴見はインテリでない者たちを「われらのうちなる原始人」と位置づけるが、柳田はそこまでもったいぶらなかった。ありのままの事実を論じただけであった。それが現代人にまで受け継がれていることを、知って欲しかったのだろう。「私が嘘をつくと私の祖先が傍らに来てきてみているわけです」と柳田に言われれば、それを信じるか、信じないかの、二つに一つなのである。死んだ者たちとの交流を実感していたからこそ、土民大衆はインテリ以上の判断ができたのである。しかし、現状はどうだろう。漢字ばかりか横文字の氾濫が目にあまる。インテリが幅を効かせているから、右往左往してしまい、日本が危ういのである。
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