三島由紀夫は在日朝鮮人問題についても、『文化防衛論』において論じていた。「戦後の日本にとっては、真の異民族問題はありえず、在日朝鮮人問題は、国際問題であリフュジーの問題であっても、日本国民内部の問題ではありえない。これを内部の問題であるかの如く扱う一部の扱いには、明らかに政治的意図があって、先進工業国における革命主体としての異民族の利用価値を認めたものに他ならない」。共産主義者が革命を起こすにあたって、別働隊として利用される可能性に触れていたのだ。しかし、その一方で三島は、今の時代を予言していた。それが1968年に起きた金嬉老事件へのコメントである。殺人犯であった在日二世の金が自分を正当化するために、在日朝鮮・韓国人への差別を取り上げ、それをマスコミが大々的に報道したのだった。金は韓国の英雄にまで祭り上げられたのである。日本人を加害者に仕立て上げることで、謝罪や賠償を求める。それが当然視する風潮が生まれたのだ。そのときに人質になった日本人を、平和的にしか日本国家は救出できなかった。武力を行使する手段を持ち合わせないために、その暴力に対抗するすべがなかったのである。韓国が世界中を味方に付けて、日本を孤立させようとしている「慰安婦問題」も、韓国人の女性を「性奴隷」にしたかのようは言い方がまかり通っている。このまま日本が国家として反撃しなければ、日本人は立つ瀬がなくなる。その意味では「革命主体の異民族」以上に、在日朝鮮人問題は日本にとって深刻なのである。
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