日本人は排他的な国民ではない。しかし、あまりにも反日的なことをしてくる特定アジア人に対しては、怒りの声を上げざるを得ないのである。そうでなければ、日本は国家として、ズタズタに解体されてしまうからだ。山田風太郎の『戦中派焼け跡日記昭和21年』に収録された4月21日の日記では、敗戦時の日本人の打ちひしがれた姿が描写されている。「蕭殺(しょうさつ)たる焼野原の路傍の石塊に腰打ちかけて日本人がうなだれている。時々揚げて周囲をみやる瞳は悲しみに曇る。遠い蒼空に翻える星条旗を仰いでその瞳の底に秘密の光が発する。その前を戦勝者達が通る。『四等国民め!』と一等国民の支那人が唾を吐く。『吾々は勝利者だ』と朝鮮人が頭をあげて通る。『虚脱状態に陥っている』とアメリカ人が評して過ぎる。悉く見当違いだ。日本人は虚脱から醒めている。日本人は考えているのだ。日本人は深い深い沈思黙想に耽っているのだ。しかし、その瞳には彼等の姿が映る。それは視神経を通って大脳の一隅のようにフイルムのごとく積み重ねられてゆく」。そうしたどん底から日本人は立ち上がったのである。現在もまた、特定アジア人の横暴が目に余る。外国人であるにもかかわらず、我が物顔に振る舞っている。数多くの特権も手にしている。両親や祖父母が懸命に立ち向かったように、我々は自分たちの力で、日本を特定アジア人から守らなければならないのである。
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