晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

『アルベルト・ジャコメッティの椅子』

2010-01-10 14:59:48 | Weblog
 新年に入って1週目が本当に慌ただしく過ぎた。昨日土曜日の夜、会社の若い2組みの社員の結婚祝いの宴で遅くまでワイワイ。

 おめでたいことなのだが、少し前なら時間が惜しくて早々に切り上げて帰ってきたものだが、最近は遅くまで付き合ってしまう。

 僕は少し変わったのさ♪



 『アルベルト・ジャコメッティの椅子』(山口泉著 芸術新聞社 2009年刊)

 それほど小説は読まないのであるが、正月休みに読書。作者の山口泉氏は、1955年生まれで私(1954年)とほぼ同世代。氏の著作は、ソ連型の社会主義が崩壊した後の社会状況を中世と比喩した『「新しい中世」がやってきた!』(1994年刊)以来である。

 本書の舞台は、1980年代初頭、芸大生の主人公は、バブルに浮かれる周りの友人達と距離を取りながら、自らは世界を覆す物語を創造したいという夢想を持つ。そして、その孤独を支えるのが、当時軍事独裁政権下で命を落とした韓国の政治犯たちの手記(雑誌「世界」の掲載から引用。)であり、自室に飾ったジャコメッティの「椅子」のデッサン画であった。

 この物語は、おそらくは作者の山口氏自身の半自伝的な小説なのであろう。私自身の’70年代から’80年代にかけての時代認識も共通のものがあり、グイグイと読ませる作者の筆力で一気に読めた秀作である。

 さて、何年か前の私であれば、この物語に対して「共感」を基礎とした感想を持ったであろう。バラエティばかりのテレビを批判し、パチンコばかりしている人がいれば心の中では無教養と軽蔑し、第3世界を思えば、連帯を求めて孤立を辞さずというようなフレーズを無条件で受け入れる、人は所詮一人なのであり孤独なものなのだといった具合に。

 しかし、近年私は少し変わったと思う。この小説には、私が常々批判している、自分ひとりが絶対正しいとする独善性、この国の左翼の病理と同様のものを感じた。世界を覆す物語を考えているのは自分だけだという驕り、付き合う仲間達と自分の間に設ける優越感、連帯しているつもりの韓国との間に具体的な結びつきも無いのに。

 自分自身の立ち位置の変化を改めて認識させてくれる小説であった。



コメント
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