晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

五観の偈

2010-01-23 19:31:39 | Weblog
 五観の偈(げ)
                  
 禅宗の修行僧が食事の際に心の中に想念する反省と感謝の意を含む偈(げ)文。半兵衛麩に同封されたパンフレットに書かれており、いい言葉と感じたのでここに掲載する。

【○偈文と●その意味】

○一には功の多少を計(はか)り、彼(か)の来処(らいしょ)を量(はか)る。

●私たちがいただく食事は、いかに多くの人の手数と労力が費やされているか、その苦労を思い、天地自然の恩恵を忘れてはならない。

○二には己が徳行(とくぎょう)の全欠を忖(はか)って供(く)に応(おう)ず。

●自分の人格を完成せんが為、また自分の業務を完全に勤める為に食事をするのである。自分を省みて欠点はないか反省して頂戴する。

○三には心を防ぎ、過(とが)貪等(とんとう)を離るるを宗(しゅう)とす。

●貪(むさぼ)りの心、瞋(いか)り心、因果の道理のわからぬ愚痴の心で食事をしてはならない。

○四には正に良薬を事とすることは形枯(ぎょうこ)を療(りょう)ぜんが為なり。

●日々食事を摂るのは飢えや渇きをいやし肉体の枯死を免れる良薬と思い、平和な心持ちで食事をする。

○五には成道(じょうどう)の為の故に今此(いまこ)の食(じき)を受く。

●私たちが食事をいただくのは、人間として大道を成就せんがためである。人生の真の意義を見失って、一生をムダにすごさないよう成道の為に食事をする。


 「腹減った」「なんか食いたい」「うまい」「いただきます」・・私が日常的に食事の時に発している言葉。この位しか言葉を発していない。改めて一食のありがたみを感じることもない。

 人間は高度の精神性を持った生き物とされているが、私の言葉の何処にその精神性が見えるか。空腹を満たそうとする動物そのものである。

 五観の偈(げ)を覚える必要はないと思うが、そこに書かれている意味も感じながら食事をすることを心がけたい。それで精神性が高まるとは思えないが、随分長く生きてきたのでおそらくすでに6万回位(365日×3回×55年)も食事をしているが、あと何回食事ができるかわからないが、一食一食を大事にしたいものだ。

 
コメント
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