晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

『ホワイトハウスから徒歩5分』 その1

2007-07-24 20:52:43 | Weblog
 『ホワイトハウスから徒歩5分』(金平茂紀著 リトルモア 2007年刊)

 著者の金平氏は、1953年、旭川市生まれ。現在は、TBS報道局長、この本は、2002年4月から2005年5月までのワシントン支局長時代の公開日記をまとまたものです。その前は、1994年から2002年まで、「筑紫哲也NEWS23」のデスクで、その間の日記をまとめたのに『二十三時的』があります。

 北海道が生んだ現在全国区の人物に、(財)日本総研会長の寺島実郎氏がいますが、金平氏は、そのキャリア、人脈、教養の広さ・・おそらく今後北海道の将来にとって欠かせない人物として登場してくる可能性を持った方です。



 本を読んでいると、時々気になるフレーズに当たります。

 「今の時代は、日誌を記さなければ自分の位置が確認できないという一種のオブセッション=強迫観念に陥っているケースさえ散見できる。ネット上に蔓延する膨大な数の公開日記。夥しい数の人々が日記・日誌をつけて、それを他人に読んでもらいたいと思いながら公開している。僕は、自分の場合も含めて、このような状況は、社会のありようということでいえば、成員を「認知」するシステムが壊れ始めていることの裏返しの現象だと思っている。「認知」を求める根源的な欲求のようなものがそこにあるのではないか。」(引用)



 こどもの夢に、大きくなったら歌手になりたい、サッカー選手になりたい、有名になりたい、少し大人になると、自分をわかって欲しい、自分を表現したいなどの欲求がある。

 技術が発達して、誰でも簡単にブログ日記などを公開できるようになった。



 あの子は、誰々さん所の息子だ、あの家は、ああだ、こうだ。田舎では、構成員の皆がお互いを知り尽くしている。

 それが、嫌で故郷を捨てる。大都会は自由の塊に感じた。しかし、自分はいつまでもその他の人間、誰も理解してくれない。組織の一部。自分がいなくても会社は回る。

 仲間内で、不特定多数に対して匿名で、自分の内面のほんの一部を、自分にとって都合のいい面だけ公開する。



 金平氏の指摘を、私なりに解釈すれば、こういうことなのだろう。そこに、社会の病理を発見できるということが鋭いと思う理由です。

 日記は、2002年、米軍のイラク侵攻から始まります。(続く予定)

 



 
コメント (2)
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