晴走雨読

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拉致異論

2007-03-16 21:13:37 | Weblog
 先日の6カ国協議以降、この国の外交は孤立感を深めている。各国が協調して対北朝鮮政策を実行しようとしている時に、「拉致」問題が棘としてのど元に刺さっているようだ。



 和田春樹氏は、「拉致問題ー解決への道」(別冊sekai764号)で、興味深いが、この国の世論の大勢とは異なる見解を示している。

 2002年9月17日、小泉首相は、金正日の拉致と工作船派遣に対する謝罪を受け入れて、平壌宣言に署名して帰国した。当初は、この結果を被害者の家族も受け入れる方向に向かい、世論も小泉訪朝を支持、評価した。



 しかし、9月19日救う会全国協議会の緊急声明で、救う会の幹部が、事態を逆転させる論理を編み出した。

 「北朝鮮の情報には根拠がない。日本政府も事実かどうか確認していない。従って生存している可能性がある。日本政府が家族に死亡を伝えたことにより、現在も生きている被害者が殺されてしまう危険が高まっている。」との支離滅裂な論理で。



 さらに、2004年12月、横田めぐみさんの遺骨の鑑定の結果を細田官房長官が発表した際、新たな政府見解が付け加わった。

 「真相究明、生存者の帰国要求、対応が無ければ厳しい措置をとる。」とした上に、「生存している行方不明者、安否不明者については、生存しているという前提で帰国を要求する」と付け加えた。ここから、「全ての被害者は生きている」という現在の論理が始まった。



 この国の外交は、交渉を断絶して、体制転換(北朝鮮の崩壊)を通じての問題の解決という路線を進んでいる。



 さて、家族を奪われた者の悲しみ、怒りは想像もできないほどつらいものであろう。安易な同情のレベルを超えていると思う。

 そのことを、前提としながらも、家族会の主張、行動は、被害者としての範疇を超えていると感じる。極めて政治的である。否、政治的に利用されている。利用されている点からは、彼らは2重の被害者であると思う。

 今後の東アジアでのこの国の位置を考えると、もう少し冷静な対応が必要と思うが、加熱した世論は、拉致問題への異論をタブー化している。



 「アジアの片隅で、このままずっと生きてゆくのかと思うのだが・・♪」




 

 

 
コメント (20)
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