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『戦争という仕事』

2007-02-15 21:22:49 | Weblog
 『戦争という仕事』(内山 節著 信濃毎日新聞社 2006年刊)

 10章ある構成のうち、第1章しか読んでいないのに、著者が「仕事」という行為に対して突きつけてくる問いは、刺激的かつ根底的である。

 例えば、「自分の仕事が社会にどんな有用性やマイナスを与えるのかを問うことなく、つまりそのことに対する判断を棚上げして命令に従うのが仕事だと納得することのなかに、仕事の頽廃は存在してはいないだろうか。」

 「企業は正しい活動をしているという「虚構」、役所や組織は正しい活動をしているという「虚構」、この「虚構」があってこそ、私たちはその命令の下で働くことに誇りを感じることができる。」などの記述である。



 内山氏の講演を一度だけ実際に聞いたことがある。確か、地方分権の話で、この国では、合併などの議論が盛んであるが、フランスには数百人の人口規模の自治体があり、立派に自治が成立しているというような内容であった。



 氏は、哲学者であり、思索したことを、文章とすることを生業としている。それに対して、私たちは、会社の中では、自分の論理だけではなく、組織の論理に従って「仕事」をしていかなければならない位置にいる。

 氏の指摘は正鵠を得ている。しかし、それだけでは生きていけない。氏の論理に100%沿うことは、私たちが現在携わっている「仕事」からその意味や意欲を奪いかねない。

 本質的には、私たちは、「労働者」であり、「労働力」を売ることでしか生計を立てていけない。現在の社会体制の下では、私たちの労働に私たちは主体性を持っていない。

 この点について氏がどう考えているかは、もう少し読み進めていかなければわからない。




 
コメント (2)
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