真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「夏の愛人 おいしい男の作り方」(2011/制作:ネクストワン/提供:Xces Film/監督・脚本:工藤雅典/企画:亀井戸粋人/プロデューサー:秋山兼定/撮影:井上明夫/照明:小川満/助監督:高田宝重/監督助手:楊友明/撮影助手:河戸浩一郎/照明助手:八木徹/編集:渋谷陽一/スチール:伊藤太/ポスター撮影:MAYA/音楽:たつのすけ/録音:シネキャビン/現像:東映ラボ・テック/出演:星野あかり・那波隆史・酒井あずさ・美咲レイラ・深澤和明・平川直大)。
 不用意に暗い照明―その悪弊は、以降に於いても散見される―の下での、「城南出版」事務員の若林夏子(星野)と、編集者の大場洋介(深澤和明/ex.暴威)の社内情事。夏子は日曜日の遊覧船観光に大場を誘ふが、家庭サービスを理由に断られる。一時の勢ひを完全に失した作家・津田健一(那波)が自ら持ち込んだ新作原稿を、若い頃の志村けんのやうな髪型の阿部邦彦(平川)がチェックする場に、先輩の大場も現れる。時間差で夏子が「どうぞ」と、お茶を出したところでタイトル・イン。
 タイトル挿んでの転調に、着物の赤も鮮やかに飛び込んで来る美咲レイラが、津田が一人で暮らす一軒家を訪ねる。一戦交へた事後、三浦紗季(美咲)は夫の欧州支社からの帰国に伴なひ、十年来ともなる肉体込み込みの援助関係の終了を、正しく寝耳に水とばかりに津田に告げる。「につぽん淫欲伝 姫狩り」(2002/新東宝/監督・脚本:藤原健一)以来、凡そ十年ぶりに銀幕電撃復帰(復帰作は今作の二ヶ月先に封切られた、渡邊元嗣の『母娘《秘》痴情 快感メロメロ』、もう少し未見)を果たした美咲レイラに、事前には正直なところ、残酷な時の神に嘲笑はれる一抹の不安も覚えたものである。ところが、表情には幾分油の乗り過ぎた険しさも窺はせるものの、元プレイメイト・ジャパンの肩書は全く伊達でない、超絶肢体は感動的に衰へず。美神復活に、愚息と諸手で計三本の万歳三唱だ、俺は速やかにデスればいゝのにな。それは兎も角、画中の口の動きと全く合はせる気のない、自由気儘なアフレコはもう少しどうにかならないものか。話を戻すと、大絶賛三番手濡れ場要員を津田の命綱を断つ形で、序盤に消化すると同時に本筋の外堀を埋めさせる工夫は、さりげないが実に秀逸。
 続けて画面に花を咲かせる酒井あずさは、夏子の叔母・土屋美津江。自身が経営するマンションに住まはせた姪つ子を、温かく見守る。これだけ製作本数が絶望的に激減してゐる中では当然ともいへ、魑魅魍魎のレベルに達した主演女優を、芸達者の二番手以降が必死にカバーするもしばしば一蓮托生の大爆死を遂げる。かつて幾度と繰り返されたエクセスの惨劇も、今となつては過去の残酷物語。尤も、それもこの期に及んでは懐かしささへ覚えかねないセンチメンタリズムに関しては、埒の明かぬ懐古趣味と難じられるであらうか。
 阿部は評価する反面、大場は無体な一存で津田が持ち込んだ新作を没にする。大場に命ぜられ津田宅に原稿を返しに向かつた夏子は、その場の勢ひで居酒屋に飲みに行く流れに。大場との不倫の煮詰まりもあつてか、夏子は立場も弁へず大荒れする大泥酔。仕方なく送り届けた大場と夏子は、後述する悪しき段取りに加速された勢ひにも任せ、忽ち体を重ねる。翌日、早速辞表を提出し大場との交際も解消した夏子が、矢継ぎ早に津田との仲を深める一方で、津田の小説家としての資質を諦めきれない阿部は、単独で津田に接触。編集と作家二人三脚での、復帰作の執筆を目指す。
 明けて正月に松岡邦彦が再び登板するとはいへ、2011年はゴールデン・ウィークの「罰当たり親子 義父も娘も下品で結構。」(監督:松岡邦彦/脚本:今西守/主演:舞野まや)と、僅か二本の公開に止まつたか止まらざるを得なかつた、工藤雅典にメガホンを委ねたエクセスの盆映画。因みに今回は、昨今の闇雲エクストリーム路線を一時的に脱却し、一人の人死にも出なければ、殴打はあれ一滴の血も流れない。主演は、「THEレイパー 暴行の餌食」(2007/監督・共同脚本:国沢☆実)・「お掃除女子 至れり、尽くせり」(2010/監督・脚本:工藤雅典)二作に劣るとも勝らない、何れも主演の第三作にして投げ放し式の頓珍漢エマニエルこと、「淑女の裏顔 暴かれた恥唇」(2011/監督・出演:荒木太郎/脚本:西村晋也)も一応記憶に新しい、頑なに作品に恵まれない悲運のヒロイン・星野あかり。星野エフェクトを考慮に入れれば壊れてゐないだけマシといへるのかも知れないが、工藤雅典がデビュー当時、エクセス次代のエースと目された―そもそも、その頃のエクセスのエースといふのは一体誰なんだ?といふのも、分かれる以前に成立するのか否かから怪しい議論ではあるのだが―のも今や昔か、端的な印象としてはどうにもかうにも覚束ない一作ではある。夏子の恋模様と、津田の再起。最低限話の軸はひとまづ十全に誂へられる一方で、展開の悉くが概ね平板で頼りない。夏子が大場とは乗ること叶はなかつた遊覧船に、俄に筆の乗つた津田にもすつぽかされる一幕は、ヒロインの待ち惚けといふ恋愛映画鉄板のシークエンスにも関らず、理解に苦しむほど力ない。大場を腰の入らないパンチで殴り倒した津田が駆けつけると、当人は深呼吸するだけのつもりであつた夏子が、如何にも危なつかしくビル屋上の縁(へり)に立つてゐたりするショットは、最早笑かせたいのかとしか思へない間抜けさである。兎にも角にも致命的も通り越し壊滅的なのが、3.11後の状況を、男女がイイ雰囲気になつたところで都合よく停電する。即ち、濡れ場の出汁に使ふロマンティックな呼び水程度にしか捉へてゐない、白痴的な認識は些かどころでは到底済まない大問題。斯様な惰弱さでは撃つなどおろか、時代と寝るのすら叶ふまい。塞がらなくなるまで開けさせた、観客の顎を外すつもりか。もしも仮に万が一、とかく皆で同じ方向を向きたがる、世間に対してもう少し肩の力を抜けよと促す間接的なメッセージであるのだとしても、実際の出来栄えからは、どうしやうもない自堕落さばかりが映る。わざわざ工藤雅典を連れて来ておいてこの体たらくであるならば、新田栄の温泉映画や尼僧映画では何故いかん。甚だしいお門違ひは承知の上で、さういふ思ひも強い。


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