真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「痴漢バス2 三十路の火照り」(2002/製作:多呂プロ/提供:オーピー映画/監督:荒木太郎/脚本:内藤忠司/撮影:前井一作・横田彰司/編集:金子尚樹⦅フィルムクラフト⦆/制作:小林徹哉/助監督:下垣外純・井上久美子・斉藤ます美/スチール:縄文人/音楽:YAMA/パンフレット:堀内満里子/録音:シネキャビン/現像:東映化学/協力:佐藤選人/出演:佐々木麻由子・佐倉萌⦅二役⦆・鈴木ぬりえ・縄文人・山咲小春・螢雪次朗/エキストラ:西川方啓・内藤忠司・ヒロ・大町孝三・森山茂雄・染屋冬香とその仲間たち・松岡誠・瀬戸嶋勝)。出演者中佐倉萌の二役特記と、エキストラのうち内藤忠司から瀬戸嶋勝までは本篇クレジットのみ。エキストラの正確な位置は、縄文人と山咲小春の間に入る。そして影も形も出て来ない太田始が、何故かポスターに載せられてゐるありがちなフリーダム。
 女の喘ぐ口元、音声による睦言の代りに、原文は珍かなで“こゝが感じるのを君に教へたのは誰かな?”、“アア・・・・さあ、誰だつたかしらアア・・・・”。露悪的に下品な筆致の手書スーパーで画面を汚す、全く以て余計な意匠の極みでしかない、木に竹も接ぎ損なふクソ以下の無声映画演出で開巻即、逆の意味で見事に映画を詰んでみせる。それはそれ、これはこれの精神で断ずるが矢張り荒木太郎は、底抜けの粗忽者にさうゐない。勿体ぶつて小出しする関係性を、最初に整理しておくに如くはない気も否み難いのはさて措き。互ひに結婚を一度失敗した者同士、各々の仕事優先、束縛し合はない付き合ひを旨とする、家具デザイナーの由紀みどり(佐々木)と弁護士・佐藤繁(螢)の逢瀬。事後、仕事を方便にみどりをバス停で降ろした佐藤は、何故か「肉体の門」に出て来るパン女みたいなカッ飛んだ造形の、天野早紀子(佐倉萌の一役目)を拾ふ。交差点に存する、結構あり得ないロケーションの停留所からみどりが乗車したバスに、助手席が早紀子に代つた佐藤の車を揶揄つて来たばかりの、拓人(山咲)も乗り込みみどりに痴漢する。ところで拓人とあるやうに、今回山咲小春(ex.山崎瞳)は男装の類でなく純然たる男子設定。女を責めこそすれ、自らの擬装を解除して乳尻を拝ませはしない。暫し観た覚えがないのは単に忘れてゐるだけかも知れないが、女優部に男を演じさせる派手な力技がかつては松岡邦彦2009年第二作「男で愛して 女でも愛して -盗まれた情火-」(脚本:今西守=黒川幸則/主演:MIZUKI)や、下元哲名義での最終作「養老ホームの生態 肉欲ヘルパー」(2008/脚本:関根和美/主演:Asami=亜紗美)。片山圭太最終作「私が愛した下唇」(2000/脚本:関根和美/主演:里見瑤子)等々、探せばちらほら見当たる。と、いふか。一本思ひだした、荒木太郎の現状最終作「日本夜伽話 パコつてめでたし」(2017/主演:麻里梨夏)にて、端役ながら淡島小鞠(a.k.a.三上紗恵子)が荒木太郎を配下に従へ、Ave Maria少年総統に扮してゐた。
 配役残り、エキストラは潤沢な痴漢バスの乗客要員。何時ものマイクロバスでなく、車体に小田急とか書いてある本格的な車輛も用立てる、妙に気合の入つたプロダクションが何気に謎、何処からそんな金が出て来たのか。縄文人は、みどりが図面を引いたインテリアの、製作を担当する家具職人・小山内多呂。小山内の作業場とみどりの自宅は、a.k.a.比賀健二の縄文人が本当に自力でオッ建てた、道志村のpejiteで撮影される。のは兎も角、多呂が行く末に気を揉む、高校を中退した倅が拓人であつたりするのが、まゝある劇中世間の器用な狭さ。一言で結論を先走ると、要は藪の蛇を突いてばかりの一作にあつて、佐倉萌の二役目は職場に於けるセクハラ被害を―人権派を自認する―佐藤に相談してみたところ、モラハラ紛ひの半ば叱責を喰らふ依頼人。視点が正面に回り込む際には、距離と照明とで上手いこと誤魔化して、ゐるけれど。当該件が物語の本筋に1mmたりとて掠るでなく、何でまた何がしたくて、デュアルロールをわざわざ仕出かしたのかは知らん。拓人に心―と体―を移したみどりから電話で別れを告げられ、愕然とする佐藤に背後から歩み寄り声をかける荒木太郎は、佐藤が訴訟の応援に入る法学部の同級生。見るから走らなさうなジオメトリのビーチクルーザーが調度された、拓人がみどりに羞恥プレイを仕掛けるレストランのテラス席。離れたテーブルから二人を訝しむ男女のうち、男の方は佐藤選人。大胆にもエピローグまで三番手を温存する、鈴木ぬりえはみどりに捨てられた拓人が、バス痴漢に及ぶ女子高生、エモいオッパイ。
 サブスクの中に未消化の荒木太郎旧作を残してゐた、虱潰しも遂に完了する荒木太郎2002年第一作。実は荒木太郎の梯子を手酷く外して以降も、大蔵は旧作の新規配信を行つてをり、先に軽く触れた「日本夜伽話」に至つては、「ハレ君」事件から実に三年後の2021年に配信されてゐる。目下、未配信の旧作が指折り数へて計八本。せめてもの罪滅ぼしに、随時投入して呉れて別に罰はあたらないんだぜ、つか滅ぼせてねえ。
 結果的に引退なんてしなかつた、佐々木麻由子の引退作といふ側面に関しては、この期に採り上げる要も特に陽極酸化処理、もといあるまい。大人の男との、双方向に便利な間柄に草臥れかけた大人の女が、偶さか邂逅した魔少年との色恋に溺れる。所謂よくある話を、無駄にトッ散らかしてのけるのが荒木太郎。既にあれこれ論(あげつら)つておいた、ツッコミ処で全てだなどと早とちりする勿れ。闇雲なテンションで見開いた大きな瞳でみどりを見詰め続ける、拓人は魔性を頓珍漢に強調か誇張したのが諸刃の剣、限りなくたゞの壊れものと紙一重。聾唖をも思はせる反面、女の扱ひには異常に長け、徒走で路線バスに追ひ着く、大概な剛脚も誇る。みどりと、後を尾けて行く拓人が画面奥に通り過ぎた歩道から、カメラが街路樹を跨ぐと遠目にバスがやつて来る。気の利いた映画的な構図にも一見映りかけつつ、もう少しぎこちなくなく視点を動かせないのか。といふか無理か横着して手持ちで撮るからだ、大人しくフィックスにすればいゝのに。みどりが気づくと、男がペジテの庭に入つて来てゐた。のを拓人の一発目はまだしも、佐藤で二番茶を煎じてのけるのも如何なものか。重要度の高いみどりの台詞を、旧い功夫映画ばりに三度反復する三連撃と双璧を成す手数の欠如以前に、女の一人暮らしであるにも関らず、由紀家の防犯意識に不安さへ覚えかねない。佐藤がみどりに愛を叫ぶ、締めの濡れ場に雪崩れ込む大事な導入に及んで、腐れ字幕こそ持ち出さないものの、螢雪次朗の発声を切除。観客ないし視聴者のリップリーディングに頼らせる、最終的な疑問手で完全にチェックメイト。技法の革新でも起こり得ない限り、肝心要のシークエンスで読唇カットを繰り出すのは、悦に入つた横好きか悪癖にすぎぬ気がする。といふのは何も当サイトの低リテラシーを棚に上げてゐる訳では必ずしもなく、そもそも未だ、人類全体ですら高い精度の読話には到達してゐない。作る側は、自分等で書くなり口にしてゐるゆゑ内容を読み取るのでなく、端から所与といふだけである。
 「ホントに信じてるのかなあ」、「信じてなんかゐないはよ」の切れ味鋭くキマる繋ぎと、出し抜けとはいへ、一方的に年齢差の限界に到達したみどりが、畳みかけた激情を拓人に叩きつける件。佐々木麻由子らしい案外ソリッドな突進力が活きる、見せ場も一つ二つ煌めくにせよ。詰まるところ親爺が危惧した通り、要は成熟した女の色香に迷つた未成年の小僧が、ヒャッハーに片足突つ込んだ暴力的な破滅を迎へる割と実も蓋もない物語。あと、今更辿り着く話でもないが螢雪次朗は大して、絡みが上手くはない印象も受けた。そこはピンク映画の引退作である以上、ピンク女優の花道を本気で飾るつもりならば、地味でなく重要な点かと立ち止まらなくもない。

 冒頭の手書スーパーを改めて難ずると、佐藤に対し逆襲に転じたみどりが、“あなたもこゝを誰かに引つ掛かれては歓んでゐた・・・・・”といふのは、そこは“掛く”より“掻く”ではないかなあ。eが脱けてゐるやうにしか思へない、本篇ラストを飾り損ねる“good by again”―八島順一の“I'ts so Friday”か―といひ、如何せんこの御仁はそんなところから逐一不自由。勢ひに任せ我が田に水を引くと、ものの弾みか何かの間違ひで荒木調だの下手に称揚され、他愛ない我流に固執したあまり、荒木太郎は却つて自由を失つてしまつたのではなからうか。


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