真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「性交エロ天使 たつぷりご奉仕」(2010/製作:Blue Forest Film/提供:オーピー映画/監督:竹洞哲也/脚本:小松公典・山口大輔/撮影監督:創優和/編集:有馬潜/助監督:山口大輔/監督助手:櫻井信太郎/撮影助手:丸山秀人・高橋舞/音楽:與語一平/協力:Sunset Village・加藤映像工房/エンディング曲『僕らは未来を歩いてゐる』作詞:小松☆大輔・作曲:與語一平・歌:藤崎クロエとB.F.F.合唱団/出演:藤崎クロエ・かすみ果穂・若林美保・津田篤・吉岡睦雄・サーモン鮭山・岡田智宏・倖田李梨)。
 竹洞哲也の故郷青森ででもロケを張つたのか、豪雪の中、「トキコ、頼んだよ」と津田篤が藤崎クロエを静かに送り出す。「ピョン☆」と一声藤崎クロエの姿が消滅するや、カット変つて現代、何処ぞの雪町。町のマドンナの虎田ジュリーならぬ樹里(かすみ)が、兎年のマスコット・ガールを目指してゐるとやらでピョンピョン撥ねて矢張り深い雪の中を進んで来る。正直な話、樹里のキャラクター造形は可愛らしいといふよりは病的に不安定で、半分頭の弱い女にしか見えない。一方、沢田TOKIOもとい登喜男(津田)が、ガキ大将からそのまま長じた親分格で米屋の大山麗人(サーモン)、町長の息子で参謀格の時野杉男(吉岡)、町一番の秀才らしいが微妙にトランスジェンダーな海側郁夫(岡田)らから苛められてゐる。三人は三十にして無職の登喜男を馬鹿にするが、要は四人全員、やつてゐることが子供と変りないことは疑ひない。技名がよく聞き取れない投げ技で登喜男を葬り去り、返す刀で杉男と郁夫も蹴散らし、乾いた唇はワインで濡らすのかどうかは兎も角麗人はその場に現れた樹里の後をついて行く。改めて後述するが、サーモン鮭山の戯画的で痛快な暴れぷりは最高だ。未亡人、設定には父親役を端折るといふ実質的なメリット以外に本筋に関る欠片の意味もないが、演者の年齢を隠す為か美容パック好きでもある母親・聖子(倖田)に手当てされた登喜男が、取り出せばズボンの腰口から優にはみ出すほど甚大に余つたドリルの皮をベローンと引張り黄昏てゐると、あらうことか、余るどころか長大に拡がる皮の中から、トキコ(藤崎)が飛び出して来る。当然目を白黒させる登喜男に対し、トキコは更なる驚愕の事実を告げる。何とトキコは登喜男の子孫(開巻に登場する津田篤の二役)に遣はされたロボットで、麗人の双子の妹・麗子(勿論サーモン鮭山の二役)と結婚し悲惨な人生を送る登喜男の運命を変へ樹里と結ばせる為に、未来からやつて来たといふのだ。嘘か誠かロボットだといふことで、「ビームとか出せる?」、「出せない」、「ミサイルは?」、「無理」、「変形出来る?」、「出来ない」が、合体ならば出来ると軽快な遣り取りを経て、トキコは登喜男と「釣りバカ日誌」風に合体。事後、トキコは観音様から、メガネ型のガジェットを吐き出す。重ねて驚くことにトキコには、精子レベルで取り込んだ相手の願望を、叶へる道具を作り出す能力があつた。半信半疑ながらとりあへずメガネをかけ換へてみたところ、衣服の下が透けて見え登喜男は驚喜する。喜び勇んで外に飛び出した登喜男の前に、最終的にオチは麗人が現れたことはいふまでもあるまい。
 ここまで来ていはずもがなをいふやうだが、トキコがドラゑもん。樹里が一応しずかちやん。登喜男がダメ人間のアイコン・のび太で、麗人と杉男がジャイアンとスネ夫に、郁夫が剛田軍門に下つた出来杉ポジション。などといふ、大胆不敵にもピンク映画版『ドラゑもん』である。国民的マンガをピンク映画に拝借するとは、竹洞組は兎も角オーピーはよくぞこの企画を通したものだと感心しかけたが、何も徒に畏れ入ることはない。結論からいふと、正攻法のデビュー二作は遠いラックに過ぎなかつたのか、以降は、殊に近年は自分達のカラーに固執し概ね小ふざけ悪ふざけに終始して来た竹洞哲也が忘れた頃に叩き出した、必殺のマスターピースである。何はともあれ、女優はさて措き俳優部のヴィジュアル的な再現度が地味に高い。中でも、体躯を活かした豪快なアクションも映える壮絶唱法まで含めたサーモン鮭山のジャイアンは、女装も手慣れたものでジャイ子込み込みで完璧。もしも仮に万が一、本家がトチ狂つて実写映画化に乗り出した暁には、サーモン鮭山には今作をソフト化したものを手に是非とも本気で狙ひに行つて頂きたい。鉄板のジャイアンぶりで麗人が巧みに間を繋ぎつつ、家庭教師を強ひられた郁夫―この人の名前の由来が見えない―は登喜男の頭の悪さが伝染し、発狂して退場。杉男は杉男で、義母・順子(若林)と駆け落ちするといふ、飛び道具的な展開も随時盛り込みながら、そこかしこでトキコが何気に悲壮なフラグを積み重ねる。樹里を巡り麗人だけでなく登喜男も無理矢理出場する羽目になる、町内相撲大会といふ娯楽映画的にうつてつけのイベントも軸に、何時しかSF風味のお色気コメディは、本質的に忠実過ぎるまでの『さやうならドラゑもん』へと華麗に移行する。悪くいへば臆面もないコピーともいへ、それなればこそ振り抜かれるエモーションは絶大。この際オリジナリティなんぞ、犬にでも喰はせてしまへ。最後の対決時に、何故か性交も伴なはずにトキコが繰り出した、仔細は不明の都合三番目の秘密メガネを登喜男が装着したただならぬ気配に、振り返つたサーモン鮭山が見せるこれまで観たこともない神妙な表情には、刹那に映画の神が微笑みかけたかのやうなマジックを感じた。締めの濡れ場から連動する、トキコと登喜男の悲しくも猛烈に美しい別れに際しては、カメラがジワーッと寄る手法は全く平凡なものであるにも関らず、もうどうしやうもなく心を撃たれる。結局一人残された登喜男が、決然と未来を歩き始めるラスト・シーン。登喜男が見付けた、十全な伏線も踏まへたトキコ忘れ形見の鈴の、実はハート・マークであつた鈴穴が大写しになるショットこそが実に竹洞哲也的な結実で、なほかつここに、涙の堰は終に決壊する。大人の娯楽にしては全般的に少々チャチいが、徹頭徹尾ダメダメであつた主人公が、出会ひそして別れの末に、雄々しく自分の力で歩き出すまでを描いた、磐石の正統派正方向の娯楽映画。面白可笑しくやがて全力で感動させる、完成された一作である。


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