真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「巨乳DOLL わいせつ飼育」(2006/製作:旦々舎/提供:オーピー映画/監督:浜野佐知/脚本:山邦紀/撮影・照明:小山田勝治/撮影助手:大江泰介/照明助手:金沢勇大/助監督:加藤義一・横江宏樹/音楽:中空龍/出演:綾乃梓・なかみつせいじ・吉岡睦雄・平川直大・椿まや)。
 倫理に反した研究の果てに学会を追放された、異端のロボット工学者・菊田恭二(なかみつ)。菊田は某国軍隊の資金援助を受け、菊田ロボテクノ研究室にて“人間の女の快楽を全てインプットしたセックス・ドール”の一号機・イヴ(綾乃)を完成させる。イヴの開発に必要なデータは、孤児であつたものを養女にした、ミロ(椿)の調教によつて得たものだつた。早速菊田は、代理人の石堂五郎(吉岡)を介して、イヴを戦場の兵士の慰安婦として出荷する手筈を整へる。一方ミロは、総合商社の海外駐在員用のセックス・メイドとして派遣されることになる。菊田はそのことに因つて得た資金で、セックス・ドールの量産化を目論んでゐた。石堂はイヴと、商社の担当者・市川俊介(平川)はミロと、それぞれ機能チェックと面接とを兼ねて寝る。ミロがセックス・アンドロイドではなく実の人間であることに衝撃を受けた市川は、人身売買にも似た契約に疑問を感じ、ミロと共に逃げることを決意する。
 主演女優二人の演技そのままに、何処かしらたどたどしい映画を救つたのは、池島ゆたかの「昭和エロ浪漫 生娘の恥ぢらひ」(2006)でも目を引いた、平川直大が有する真つ直ぐなエモーション。忽ちミロに恋に落ちた市川は、二人手と手を取り姿を消す。たとへ愚直でありながらも、平川直大には映画を手中に収める決定力がある。個人的にはそのまま、平川直大が「卒業」のダスティン・ホフマンばりのエモーションをモノにする物語を期待したものではあつたのだが、よくよく考へてみれば、山邦紀であつたならば判らないが、これは浜野佐知の映画である。男が主導権を握つて、そのまま物語が展開して行く訳がない。プログラム修正の要が発生し、石堂へのイヴの納品は遅れることになる。代りにミロを繋ぎとする為に、軍隊は姿を消した二人を追ふ。石堂に恫喝された市川は、呆気なくミロを捨て逃げる。結局イヴとミロは、二人だけで菊田の呪縛を逃れ、何処行く当ても無いままに、自由と希望だけを手に冬の街へと消えて行く。美しく雪舞ふ新宿、まるで祝福でもされたかのやうに恵まれたロケーションが、映画を愛ほし気に締め括る。
 と、このまま首を縦に振つて筆を擱きたいところではあつたが、残念ながらさうは行かない。今作の最大の敗因は、エキセントリックの何たるかを完全に履き違へた憤懣やるかたない大馬鹿者・吉岡睦雄。演技未然のカラ騒ぎで、完全に映画を壊してしまつてゐる。何故おとなしく、柳東史ではいけないのか。あるいは山本清彦といふ名前に現実性が欠けるならば、甲斐太郎でも栗原良でも、依然ピンク現役である筈だ。浜野佐知にしても山邦紀にしても、その映画の肝となるのは強固な作家性、の陰にしばしば隠れがちな冷静な論理性こそではなからうか。それは詰まるところは、商業作家としては至極当たり前に要請されるべき属性に過ぎなくもあるのだが。ともあれ。オーソドックスも満足にこなせないやうなチンピラ役者は、旦々舎の作品にあつてはその完成を阻害するだけに過ぎまい。純然たる一素人につき、かういふ配役が一体どのやうな力学の下に決定されるものであるのかに関しては全く与り知らないが、結果としては、あくまで無様なミスキャストである。断固として再考を促したい。

 それはそれとして。市川と切り離され研究室に連れ戻されたミロに対し、イヴもミロも自分の芸術作品だ、とその人格を否定する菊田が言ひ放つた名台詞、「お前は私が育て、イヴは私が造つた!」。書いた山邦紀も偉ければ、見事に決めてみせたなかみつせいじは矢張り流石の千両役者である。
 ミロが五年前の菊田との出会ひを回想するシーンにて、ガード下でミロを陵辱する男達が二名登場する。多分加藤義一と横江宏樹か。


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