真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「マゾヒスト」(昭和60/製作:ビッグバン/提供:にっかつ/監督:菅野隆/脚本:磯村一路/プロデューサー:伊藤秀裕・高橋省一/企画:半沢浩・植木実/撮影:鈴木耕一/照明:遠藤光弘/録音:谷村彰治/編集:菊池純一/音楽:坂田白鬼/助監督:金沢克次/色彩計測:鈴木悟/製作担当:鈴木真己/VE:赤坂昇/記録:坂本希代子/スチール:浅石靖/出演:小川美那子・杉下なおみ・野上祐二・江崎和代《友情出演》・中沢京子・瀬川れい子・中田文・久木念・有働智章)。出演者中、江崎和代のカメオ特記は本篇クレジットのみ。同じく中沢京子が、ポスターには金沢京子。あと、各種資料には音楽が坂口博樹とあるのは、要は坂田白鬼が、坂口博樹の変名といふことなのか?
 ベッドに裸で横たはる小川美那子と、手前で体育座りの野上祐二。「君と最初に会つた時のこと」、「俺はよく覚えてゐない」。いきなり火を噴く、覚えてねえのかよ!といふ実も蓋もなさ。「その頃の俺にとつては、全てがどうでもいゝことだつた」、やぶれかぶれぶりが清々しい、野上祐二のモノローグ起動。「かうなつたのも」と続けた言葉を、愛染恭子や神代弓子らと同様、看板級の扱ひに終ぞ報ひ得ず、結果的に大してプログレスしなかつた覚束ない口跡で「少しは先生の所為です」と小川美那子が引き継いだ上で、暗転白抜きのタイトル・イン。ジョニ赤に発色するレタリングが、Tシャツが欲しくなるほど激越にカッコいゝ。寧ろ、その瞬間がこの映画のピークであつたのかも、そこ!?
 一応程度の総合病院に新しく赴任した看護婦の河村ミサ(小川)を、杉下なおみパイセンが案内する。なおみ(絶対仮名)がミサを紹介しようとした内科医の山口(野上)は、それが半ば常態化してゐるらしく、休息室で酒に浸り寝てゐた。山口は大学病院のエリートであつたものの、患者を死なせた偉いさんの医療ミスを被る形で要は都落ち。燻るのも通り越し自暴自棄気味の山口と、なおみは廃屋同然の旧病棟にて本格的な浣腸も繰り出す逢瀬を重ねる仲にあつた。
 旧病棟浣腸戦と並行して、多分寮の自室に昔の男からの電話を被弾したミサは、特に当てもなく外出。配役残り、当時がex.ELLE NADJAとなるのか否か微妙な中田文は、ミサに万引きの疑ひをかけるALVVAYSのkey.似のコンビニ店員。久木念が、馬面の訴へにホイッホイ乗る店長。「調べさせて貰ふよ」とか下半身にまで手を捻じ込むぞんざいな身体検査の末に、店長は―服の―「上からぢや判んねえや」。パン一のほぼ全裸にミサを脱がせる出し抜けな超展開にも度肝を抜かれ、るのはまだ早いんだな、これが。結局ミサが何も盗つてゐないとなると、中田文が脊髄で折り返して号泣する、プリミティブといふか何といふか、兎も角凄まじいシークエンスには何だこれと引つ繰り返つた。その他主たる役所(やくどころ)としては、舌圧子で口内をガチャガチャ掻き回す乱暴な診察を経て、少し喉が痛いだけなのに上半身裸にさせられる患者が、脱いでゐる分、上位に来る筈といふビリング推定なら中沢京子。但し何れにせよ、女の名前がひとつ余る。割とでなく脆弱な―俳優部の―面子の中、格の違ひを地味に見せつける今風にいふと菅野隆映画のミューズ・江崎和代が、ミサが指輪を盗んだと騒ぎを起こすマダームな入院患者。新しい勤務先までミサを追つて来る、元不倫相手のヨシザワ先生は有働智章。
 菅野隆映画祭、最終章。金子修介のnoteによると、前作の「セクシー・ドール 阿部定3世」(昭和58/脚本:佐伯俊道/主演:三東ルシア/未配信)が自ら認める失敗作で暫し干されたのちの、最終第五作は見るも無残なロマンX。数年後に、亡くなられたらしい。“見るも無残”といふのは今作個別の話ではとりあへずなく、今後場数を踏み重ねて行くうちにまた何か見つかる、のかも知れないけれど、佐藤寿保昭和61年第四作「制服処女 ザ・ゑじき」(脚本・事実上の主演:渡剛敏)や広木隆一(a.k.a.廣木隆一)昭和63年第一作「菊池エリ 巨乳責め」(脚本:石川欣/主演:菊池エリ)の如く、ビデオ撮影といふ条件をメタ的に取り込む戦法でも採らない限り、この壮絶な画質では誰が何を如何に撮つたところで、基本見るも無残な代物にしかならないやうに思へなくもない。
 元々持つてゐた被虐嗜好を物騒に拗らせた女が、折角再起しかけた男の人生を恐らく破滅させる。無体な物語は指輪騒動とアドレナリン爺さんの件―山口はよく見破つたな―を通して羞恥バックヤードを力技で回収、よくいへばミサの外堀を入念に埋める流れに論理性を酌むのが関の山。山口から攻撃的なプラシーボを打たれた、ミサの瞳に様々な光景が映る画の、即ち安いビデオ合成のデストラクティブな酷さには一昨日なベクトルで眩暈がさせられ、山口がミサの手首に、度重なるリストカットの痕跡を認める。画期的に新しかつたにさうゐない折角のシークエンスにも、当然情け容赦ない腐れ画質が無差別に水を差す。菅野隆らしさは旧病棟の凝つた―といふほどでもない―ロケーションに認めるのが精一杯の南風かなあ、といふ程度で、兎にも角にも、劣勢を強ひられた裸映画がアダルトビデオに抗戦を試みるに際し、選りに選つてな最悪手に菅野隆もむざむざ盛大な爆死を遂げた、矢張り見るも無残な一作。「ただ忘れてゐた女が」、「今度は忘れられない女になつた」。折角綺麗にキマッた野上祐二のモノローグを、地獄の氷が溶けたとて心許ない口跡で小川美那子が「少しは先生の所為ですよ」。アバンで犯したミスを律儀に蒸し返す、間の抜けたラストなんてもう完璧、逆の意味で。これでも2010年の―35mmフィルム―プリント廃棄前最後の上映時には、世間の片隅でシネフィルが色めきたつてゐた事実に対して、この期には生温かさを覚える気にもなれない。所詮はキネコの一言で事済む虚無的な、咲きすらしなかつた不具の、もとい不遇の徒花である。

 ミサと山口が入つた連れ込みの窓から引いて、パンしかけてまた何処に何某かあるのか全く判らない、多分ランダムな一点に軽く寄る漫然とした街景ロングに“終”。柳田友貴ばりの常人には理解不能な謎カメラワークが爆裂する、正体不明のオーラス。一箇所横長の長方形にボカシがかけられてゐるのは、全体そこに映つてゐた何が禁忌に触れたのか。


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