真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「痴漢電車 車内口撃」(1989/製作:メディア・トップ/配給:新東宝映画/監督:深町章/脚本:夏季忍/企画:伊能竜/撮影:稲吉雅志/照明:白石宏明/編集:酒井正次/助監督:カサイ雅裕/監督助手:瀬々敬久/撮影助手:中松敏裕/照明助手:福井道夫/録音:銀座サウンド/現像:東映化学/出演:川奈忍・石原ゆか・南野千夏・橋本杏子・池島ゆたか・久須美欽一・芳田正浩・山本竜二)。脚本の夏季忍と企画の伊能竜は、それぞれ久須美欽一と向井寛の変名。
 タイトル開巻、満員電車の車内実景にクレジット起動。新東宝ビデオでクレジットが普通に流れてゐると胸を撫で下ろす、そんなゴミの如き屈折した安堵なんて要らない。クソみたいなウェリントンの、吉田正夫(芳田)が大欠伸。芳田正浩は二宮和也に見える時もあれば、加藤芳郎にも似てゐる。吉田に対面で密着した小夜子(川奈)が、身を預けてグラインドし始める。「女の痴漢・・・・痴女だ!」と判り易く火の点いた吉田は迎撃に転ずるものの、あへなく陥落。降車後“おスペ代”と称して吉田から一万円を徴収した小夜子の名刺には、痴漢総合代理株式会社営業部とあつた。「世の中には色んな仕事があるんですねえ」と吉田が素直に感嘆する、飛躍の大きな設定を豪快に一撃で纏めてみせるダイナミズム溢れる流れで、吉田は小夜子から三万円で人妻とのプレイを紹介して貰ふ流れに。尤もそんな吉田が自宅の津田スタでは、夫婦生活の不甲斐なさを理由に、妻の随子(南野)から尻に敷かれるどころか下僕以下に虐げられてゐた。
 尺も大体綺麗に三等分した、三篇のオムニバス?仕立ての一作。配役残り山本竜二は、橋本杏子に電車痴漢を仕掛けて、手錠をかけられる男。山竜を自宅に連行したハシキョンは、ボストンバッグ一杯の淫具で責める。鞭で出鱈目に乱打され、山竜があげる悲鳴が殆ど怪鳥音。久須美欽一は、浣腸は打つのではなく自らに打たせたハシキョンが、助けを呼ぶと押し入れから飛び出して来る、インポの治つた亭主。何故かこの頃の久須りんは、今より髪が薄い。不思議だなあ、何でだらう、不思議だなあ。閑、話、休、題石原ゆかは、高速道路の計画ルート内にある池島ゆたかの土地を、妹の小夜子と狙ふ毒婦・イズミ。病に伏せる―にしてはガンッガン元気な―池爺を肉弾往診する際には、イズミが普通に看護婦の白衣を着てゐるにも関らず、あくまで“主治医”と称される。池爺が所有する畑の権利書は、何時の間にか息子であるヘースケ(山本)の名義に移つてゐた。
 ex.DMMピンク映画chの中にある、五十音順でエクセス・大蔵・新東宝、シリーズとしてタグがついてゐる三社の痴漢電車を虱潰しに見て行くかとしたころ、最早新東宝しか残り弾がなかつた。そんなこんなで盛大な深町章祭になりさうな予感の、1989年最終第七作。
 電話越しの声すら聞かせない色男一枚噛ませて、小夜子が吉田に宛がつた人妻といふのが、あらうことにといふか何てこともないといふべきか、兎も角随子。ありがちなオチはさて措き、問題なのが小夜子が提供したコンセプトが、自宅の寝室で眠る人妻に、劇中昼間なんだけど事実上の夜這ひを仕掛けるといふもの。それ、吉田は思ひきり帰宅してんぢやねえかとかいふ空前絶後のツッコミ処は、ある意味見事に等閑視してのける。破天荒にもほどがある作劇が、驚く勿れ呆れ果てる勿れ、まだまだ全然序の口に過ぎなかつたんだな、これが。ハシキョン篇は、そこだけ切り取れば十全に成立してゐる。男性機能を回復した久須りんは、山竜を押し退けハシキョンと―正常位で―夫婦生活をオッ始める。あぶれた山竜に連ケツを掘られ、オカマに変貌か本来の姿を取り戻した久須りんの発案で、三人での新生活がスタートする運びに。左右に山竜と久須りんを据ゑハシキョンを扇の要に、三人でキメッキメの記念写真を撮る中盤ラストは、スリーショット自体の豊潤な威力もあり綺麗に形を成す。更なる大問題が、結局痴漢総合代理も小夜子も掠りもしないハシキョン篇に於ける山竜と、池爺パートのヘースケとが同じ人間なのか、もしくは豪快か底の抜けた二役であるのかに関して、一ッ欠片の説明も為されなければ、三篇を統合しようとする試みも1mmたりとて行はれない点。小夜子も小夜子、川奈忍が小夜子なる名前の女を演じてゐるといふだけで、東京でヘースケが小夜子に電車痴漢する一幕こそあれ、痴漢総合代理はちの字も出て来ない。よしんば序盤の小夜子と終盤の小夜子が同一人物であつたとて、ドリーミンなセールスレディから、姉妹で将と馬を挟撃せんとする他愛ない小悪党に堕してしまつてゐる。悪びれもせず結末にまで筆を滑らせると、計画ルートが変更され父子の土地が単なる田舎の畑に戻つた結果、脊髄で折り返して手の平を返した姉妹は去る。なほも納まりのつかなくなつた親爺に迫られた、山竜の絶叫エンド。改めて整理すると、わざわざ金を払つて自宅に昼這ひし、個人を特定し得ない不作為のパラレルな登場人物がしかも二人。そして山竜の持ちキャラに胡坐をかき、投げ放した締め。無論、締まつてなどゐない。滅多にお目にかゝれないレベルの、粗雑極まりない映画を見たといふのが、それ以外に溜息も屁も出ない直截な概評である。


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