真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「桃色学園 教へて」(昭和63/製作:飯泉プロダクション/配給:新東宝映画/監督:北沢幸雄/脚本:田辺満/撮影:斎藤幸一/照明:佐藤才輔/編集:金子編集室/音楽:エデイ・みしば/助監督:荒木太郎/演出助手:田島政明・棚木和人/美術:平湯あつし/現像:東映化学/録音:銀座サウンド/効果:東京スクリーンサービス/出演:小川真実・伊藤舞《新人》・風見麗花・寺西徹・三木薬丸・菊地慎一・杜次郎)。
 東映化学(現:東映ラボ・テック)の屋上を逃げる何処そこ高校美術教師のみゆき(小川)が、生徒の鈴木ダイキ(三木)・中山(菊地)・斎藤(寺西)に追ひ詰められる。ほかの二人はブレザーなのに、斎藤だけが何故か詰襟。それは、兎も角。みゆきが三人に犯されさうになるのは、運転者不明の、機材車感丸出しなライトバン車中に於ける華麗な夢オチ。しつかりしなくちや、これでもアタシ理想に燃える教師なんです、と軽くウノローグ―宇能鴻一郎調モノローグを略した造語―ぽくみゆきが奮起すると、適当な劇伴が起動してビデオ題「桃色学園」でのタイトル・イン。クレジットは、スケッチブックにクレヨン描き。個々の情報の脇に別の何某かの端々を映り込みさせ続けつつ、遂に一枚画の全体像は見せなかつた。
 みゆきと三馬鹿に、矢張り生徒で鈴木と付き合ふ美香(伊藤)。一行が到着したのは、みゆきの恩師で昔は実作者として画壇の大家であつた、国立美大教授・中河雄山(杜次郎)の海辺の別荘?ちなみに国立は、“こくりつ”ではなく“くにたち”、音大ならあるんだけど。ところでこの杜次郎が那波隆史とたんぽぽおさむ足して二で割つたやうな生か胡散臭さが絶妙な面相で、さりげなく琴線に触れる。美大志望の四人がみゆきのコネで中河の私的なテストを受け、見事御眼鏡に適つた一名を、教授風を吹かせ国立美大に推薦する。だなどと、アシッドな話になつてゐた、アシッドの意味よう知らんけど。中河が四人に二日の期限で、登場時から連れて来る風見麗花を裸婦モデルにしての木炭デッサンを課す一方、みゆきには画家復帰を望むとやらでモデルを乞ふはおろか、果てには生徒の進学をもちらつかせ愛人になるやう迫る。風見麗花といふ一見見慣れない字面が、何のことはないa.k.a.風見怜香、あるいはa.k.a.風見玲香、伶香名義もあるらしい。
 風見麗花が高校生の前で無造作に爆乳をポローンと放り出すシークエンスの清々しい破壊力で、概ね勝敗を決した北沢幸雄昭和63年第六作。鈴木敬晴(ex.鈴木ハル)の「悶絶!快感ONANIE」(1991/主演:南野千夏/画家役:下元史朗)の如く、雄山先生が滔々と振り回すろくでもない観念論に、一同が翻弄される木端微塵を予想したのは、純然たる勝手な早とちり。風見麗花の本濡れ場を介錯する一幕が設けられないのが寧ろ、意外か画竜点睛を欠いてさへ映る、中河は単なる好色な俗物。ある意味、この師にしてこの弟子あり。みゆきもみゆきで、童貞ゆゑ風見麗花の観音様を描く以前に見られない、斎藤に御開帳するのを皮切りに、教育的指導と称して男子生徒との淫行三冠―実は、劇中描写の限りでは斎藤は童貞のまゝ―を達成する、結構どころでなくコッテコテな裸映画。尤もコッテコテな裸映画を、中河の無様な姿に、四人が自ら情実試験を放棄。丘の上皆でスケッチに興じる青春映画か国営放送の道徳ドラマみたいなラストは、北沢幸雄の甘酸つぱい真骨頂。風に煽られたみゆきの画用紙が草の上に落ちると、クレヨンでENDとか描いてあるラスト・ショットの煌かんばかりのダサさこそが、繰り返すがこの人の肝なのではなからうかと、常々当サイトは目するところである。

 今作が伊藤舞のデビュー作といふのはjmdbの記載にも合致し、何処かで別名を用ゐるなり頭数要員で紛れ込んでたりとかしない限り、恐らく実際さうなのではなからうかと思はれる。ここであくまでメイビーなのが、量産型娯楽映画の底の抜けた奥深さ。現にある漏れも加味すると大体三十本前後と、伊藤舞は決していふほど多くはない戦歴の中でも、西川卓からサトウトシキまでカバーする守備範囲の広さ、もしくはフットワークの軽さを誇り、なほかつ今上御大謎のエクセス作や、酒井正次最初で最後の監督作に飛び込んで来る、シレッとしながらもな引きの強さを唸らせる。
 最後にもう一点外堀、jmdbによれば、今作の封切りは十二月の三十日。となると、幻の昭和64年正月映画を任されてゐた格好。


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