閑猫堂

hima-neko-dou ときどきのお知らせと猫の話など

フィリア美術館

2013-07-14 23:02:50 | サンゴロウ&テール

 

<鈴木まもる 絵本原画展>

フィリア美術館
2013年7月13日(土)~9月23日(月)

小淵沢(山梨県)のこぢんまりした個人美術館にて、
絵本原画など約50点を展示中。
サンゴロウの絵も4枚出ています。

画家は会場に常駐しておりませんが、期間が長いので、
お近くにおいでの際にはぜひ足をのばしてみてください。

アクセス、開館時間など、詳しいことは→こちら

展示室にはパイプオルガンがあり、
ときどき演奏会もひらかれるとか。

 

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面倒

2013-07-14 17:07:21 | 日々


「面倒くさい」という言葉は、「忙しい」と共に、
めったなことでは使わない・・ように心がけている。
ほんとはここにも書きたくないくらい。

言葉を使わないからといって、そういう状態にならないというわけではなく、
おっくうだとか、手が回らないとか、ちょっとアレだとか・・
いっしょうけんめい言い換えているだけですが。

「お母さん、ちょっとこれやっといて!」
「えー、なんで? 自分でやりなさいよ」
「だってめんどくさいんだもん」

子ども、特に男の子は、よくこういう言い方をすると思う。

「自分がめんどくさいことを、人にさせるのは、間違ってる」
とわたしは言った。
2度ほど同じことを言ったら、頼み方を変えてきた。

「お母さんのほうがじょうずだから!」
「お母さんのほうが早いでしょ?」

言葉は、気持ちですね。
日ごろ便利に使い慣れている言葉を、言い換えようとすると、
ちょっと考えなければならない。
考えると、人は無意識のうちに、少しでも「よく」言おうとするのだ。
脳が猛スピードで適切な言葉を探す。
その1秒か2秒のついでに、自分の気持ちの再確認ができる。
相手へのちょっとした配慮を思いつく余裕もできる。

家庭内で、禁止ワードをひとつふたつ作っておくのも
悪くないのではないかしら。

「忙しい」と「面倒くさい」を禁句にしたのは、
中学のときの国語の先生の影響だ。
ストイックなまでに教えることに打ち込んで、一生独身を通された。
毎時間、クラスごとに違う教材のプリントを、コピー機のない時代に、
10枚も20枚も手書きの謄写版で用意されている先生だった。
「少しでも寝る時間があれば、忙しいとはいえません」
そう言われてしまったら、めったに使えないですよ、この言葉。

学校というのはフシギなもので、授業で習ったことのほとんどは
記憶から抜け落ちてしまい、それ以外の、余談や雑談のたぐい、
あるいは先生の人柄や信条みたいなものをよく覚えていたりする。

もうひとつ、これは高校の、家庭科の先生に教わったこと。
「男の人が見ている前で髪をとかすものではありません」
「お手洗いで大声でおしゃべりをするものではありません」

教科書にはもちろんそんなことは書いてない。
生徒たちのお行儀が目に余って苦言を呈されたのだと思う。
母親よりちょっと年上くらいの、理系学者タイプの先生で、
厳格で口うるさいのでみんなに敬遠されていた。
わたしにしても、好きだとか尊敬するとかいう気持ちは皆無だったけれど、
気がついてみれば、その2点、なぜか今でも覚えているではありませんか。

いまや髪をとかすどころではなく、先日などは電車の中で、
可愛らしい女の子が、座ると同時にバッグからノート大の鏡を取り出し、
いかにも慣れた手つきでさまざまな道具をとっかえひっかえ、
モデルさんのように変身する一部始終を目撃してしまった。
揺れる電車で、よく「ふくわらい」にならないものだと、感心しつつ、
彼女からみれば、わたしがあの頃の先生くらいになるわけだなあと・・
時代の流れをしみじみ感じましたです。

同じく高校の、古文の先生。
「生徒の頭がザルだ」と職員室で嘆いたところ、
隣の席の先輩の先生が慰めておっしゃったそうな。
「ザルならいいよ。網の目に少しは水滴が残るじゃないか」

教わった古文のナントカ活用やらは忘れたけれど、
こういうたぐいの話は一度聞いただけで忘れない。
このような「水滴」が、じつはいちばん貴重なのではないか。
水滴をできるだけたくさんあつめておいて、
他の人に渡してあげる必要があるのではないか、と、このごろ思うのです。


さてさて、話があっちこっちしておりますが、
要するに何が言いたかったかというとですね。
せっかくの猛暑、有り余る太陽熱を利用しない手はないと、
ベランダで梅を干しにかかりましたが、途中で気が変わり、
1日でやめて、赤梅酢に漬けたまま冷蔵庫に入れることにしました。

漬ける量が少ないので、だいたい1年以内に食べきってしまうし
(昨年漬けたのを今年食べるというサイクル)
お弁当に持っていくわけでもないので、わざわざ干す必要ないかなと。
今年は梅干ならぬ梅漬けでいきます。

面倒くさいのではないのよ。
気が変わっただけ。

 

ところで、
このあいだ「タジタジって、何語?」と書きましたら
時鳥さんが調べてくださったので、ここに書き写しておきます。

「タヂログ」と同じ、れっきとした日本語で、語源は
・立ち動く(大言海)
・タヂロという擬態語(岩波古語辞典)
・タチシリソク(名言通、和訓栞)
・タチノク(言元梯)
などの説があるそうです。
 『日本語源大辞典』小学館 2005年 

ふむふむ、なるほど。
「たぢろぐ」が一歩下がるなら、「たぢたぢ」は二歩三歩下がる。
タガログ語でもタジク語でもなかったですね(笑)

それにしても、と、本日のタイトルをあらためて眺め・・
「めんどう」って、すごいなあ、「面が倒れる」と書くのか。
思い浮かぶのは、「千と千尋」に出てくるカオナシに似たものが
うつぶせにバッタリ倒れている図。
暑くて一歩も動きたくなぁ~い。

(上の画像は、朝7時、暑くなるちょっと前の空)

 

本日の「いいね!」

教科書&テスト ラクガキ傑作集

おお、どこの国でもやってますねえ。
(個人的に「ネアンデルタリカ」が楽しい)

 

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夏場所

2013-07-13 13:02:36 | 日々

・・といっても大相撲ではなく。

夏季限定の、猫の居場所。
たとえば、すもも嬢さんは・・

今年も、玄関が網戸になると同時に、ここです。
ほとんど一日中いて、ときどき網戸の下をもぐって出入りし
(ほんとはやめて欲しい、網がびよびよになっちゃう・・)
外の階段でごろごろしていることも。
誰か来ても意外と動じることなく寝ていたりしますので、
郵便屋さんや宅配便の人に、
「こんつわぁ・・・・うおっ?!」と驚かれています。

 

真鈴ちゃんは・・

こんなところにいたり。
川にそって空気の流れがあるのをよくご存じ。
つまり天然水冷式エアコンというわけね。

茶々さんはどこかな。

整理箪笥の上の、本箱の上です。
(あんよ長~い)
天井に近いと気温が高いと思うんですが、
この本箱は合板じゃない一枚板で出来ているため、
ひんやりして気持ちいいらしく。
さすが違いのわかる姫!

 

 

真夏は気温が高く、水分はすみやかに蒸発してしまう。
しかも雨が降らない。
となると、良い水玉はあんまり期待できない季節。
撮りおきを、ちびちび楽しむことにいたしましょう。

 

 

 

本日のにゃんこ。

たて18センチ、厚さ9ミリの板の招き猫さん。
背中に140円の切手を貼って、
北海道は弁慶岬からはるばるやって来ました。

 

本日の「いいね!」

Everyday life in bygone days in Tokyo, 1966 (動画)

ほんとにこんなだったかなあ、47年前の東京って。

上の動画で、主婦が豆腐屋さんで「やっこに切ってください」と
言ってるシーンがあります。
そうそう、「やっこ」とか「さいのめ」とか、買うとき切ってもらっていた。
(自転車で売りに来て、鍋を持って買いにいったりもしていた!)
だけど、豆腐みたいに柔らかくて簡単に切れるものを、
どうして家で切らなかったんでしょうね?

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「心ふるわすもの」

2013-07-12 16:51:23 | お知らせ(いろいろ)

 

アコーディオン奏者、藤野由佳さんの2ndソロアルバムです。

8曲収録されているうちの1曲目「夏色の風」は、
わたしの本「風町通信」の中の一篇「風電話」のイメージで
つくられた曲。
いい風の通る夏の窓辺で、ちょっとお昼寝したら、
気持ちがいいだろうなあ・・という感じの、
ゆるやかな3拍子が素敵。
そして2・3曲目は、安房直子さんの短編「春の窓」から。
どちらも朗読とのコラボレーション公演で発表されたものだそうです。
ぜひ聴いてみてくださいませ。

アコーディオンという楽器、小学校でさわった経験から、
大きくて重たくて思うようにならないもの、という印象がずっとありました。
のちに、あるきっかけから認識をあらため、ドルフィンシリーズでは
アコーディオン弾きさんを登場させたこともあります。

藤野さんの演奏を聴くと、こんなにも多彩な音が出る楽器だったのかと
あらためて驚きます。
風をとりこみ、呼吸する楽器。
冬は暖かく、夏は涼しい、井戸水のようなその音。

お求めは、藤野由佳さんのオフィシャルサイト「Strawberry Blossoms」から。
(リンク貼りませんので、検索でおねがいします)

 

 中からこぼれたのは、鮮やかな緑に光る風、1ダース。
 今年初めての、夏色の風。
 (「風電話」より)

風町通信
 
偕成社 1990年(新装版)

 

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梅雨あけた

2013-07-09 23:12:30 | 日々


そしていきなり猛暑がやってきた。
よろこんで梅を干したいが、その愉しみはもうちょっと先に。
外を見るたび、強すぎるコントラストにたじたじとなる。
(タジタジって・・何語? 日本語?)
頭痛がしたら危険信号。
とりあえず、塩飴、買っとこ。

 

あじさいの花がみるみる焼け焦げるように枯れていく中、
涼しい顔で咲き始めたムラサキシキブの花。

 

 

本日のレンジャー訓練はウリハムシ君でした。

 

 

ま、とりあえず水玉でも眺めて、

 

ひと息いれましょう。

 

隣町の道路沿いの田んぼの中にイタリアンレストランがある。
先日、通りかかったら、店の前に「富士山型ピザ」の看板が出ていた。
この店の位置からは残念ながら富士山はまったく見えないが、
世界遺産お祝いムードはここにも漂っているらしい。
さて、富士山型とはどんなピザだろうかと、閑猫は考える。

円形のピザの中央が円錐状に盛り上がり、
優美なコニーデ式活火山を形成している。
真ん中には噴火口。
14インチでジオラマ風にすれば、かなりの迫力。
でもそれをピザ窯の中で制作するとなると、中央は相当な厚みになり、
ピザの概念とはかけ離れたものになりそうな予感がする。
やっぱり、平らなピザに、トッピングをどうにかして・・かな。
山頂は雪ありだろうか、雪なしだろうか。
富士山型ピザの謎。
食べた方は教えてください。

(ふと・・丸いピザを扇形に切って出す、という考えが浮かんだ。
中心角を135度くらいにして、横から見た富士山てことにすれば。
うーん、だけど、それは、ないでしょうね。
お好み焼きならありかもしれないけど、ピザはない。
いや、べつに根拠はありませんが・・笑)

 

本日の「いいね!」


ピタゴラわんちゃんズ (動画)

ぜひ次は猫バージョンを・・って、無理よね(笑)

 

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茄子など

2013-07-06 17:45:31 | 日々


今年の夏野菜はとても元気が良い。
刈った草を山積みしておいたら、いつのまにかすっかり土になっていた。
植え付けの前に、それを畑一面に厚く入れたせいか、
キュウリもナスもピーマンも、葉の緑が濃く、勢いよく茂っている。

ゴーヤもあっというまにネットの頂上までのぼり、そこからさらに
どんどんつるをのばして畑の囲いにとりついていく。
どこまで行くつもりなのか。
ゴーヤが「味方」でよかったとつくづく思う。
こういう植物は絶対に敵に回したくないもの。
でも、ちらほら見える花はまだ雄花ばかりで、実を結ばない。
雌花が咲きだすのは本格的に暑くなってからだろう。

スロースターターのオクラはまだ20センチほどだけれど、
これももうじきにょきにょき伸びて背丈を越すジャングルになっていく。

 

 

 

「あらー、このナス、白いわよ」
「色、塗り忘れたんじゃない?」
「デザイナーさんの指定ミスなんじゃない?」

今年も出ました、バリ猫シスターズ(笑)
いやいや、それは、お隣から苗をいただいた白茄子です。
間違いでも未熟でもなく、もともと真っ白い品種なの。
だけど、煮ると真っ白じゃなくなっちゃうんだな・・
どうやって食べましょうか。

 

行く先を探す力。強くてしなやかな曲線。

 

ところで、先日お引越しをしたカメキチですが、
相変わらずもぐって暮らしております。
どうやら、クサガメというのは、本来そういう生き物だったらしく。
基本、泥の中。
基本、寝ている。(らしい)
たまに目を開けたときに、食べられるものが近くにあれば、
首をのばしてぱっくり食いつく。
それだけ。
超省エネ待ち伏せ型・・というより、ほとんど「三年寝太郎」タイプ。

生き物を飼えば「観察」ができると思うのは大きな間違いで、
プラスティックケースの中で見られるのは「形態」だけ。
18年も飼っていたのに、カメの「生態」は何も知らなかったのです。

しかし、水替えが楽になったかわり、餌やりが大変になりました。
前は、おなかすいたかどうか、ちょっと見ればわかったのですが、
今は、それができない。
なにしろ、どこにいるのかさえわからない。
「おーい、カメキチくーん」と呼びかけながら、
いそうな場所に餌を少しだけ落として、様子をうかがっていると、
しばらーくしてから、いきなり「がばり」と顔が出る。
(たいてい、予想とちょっと違うとこから出る)
いったん出てくれば、そのあと続けて餌をあげられるのだけれど、
待てどくらせど出てこないときもあり。

さらに、ことをややこしくするのが、

この子です。

もうじき12歳になる茶々姫は、かしこい。
人の行動と食べ物の関連については、超能力的な勘を持っている。
「カメキチ邸を訪問するヒトは必ず手土産を持っていく」
という法則に、わずか3日で気づいてしまいました。
朝なんか、もう先回りして池で待ってます。
カメフード以外にキャットフードや煮干しもあるのをちゃあんと知っており、
カメキチにやろうとすると、自分にもくれくれと大騒ぎ。
あげく、ツメ出してひったくろうとしたり、膝によじのぼってきたり。
おうちで食べてるのとだいたい同じものなんだけど、
お外で、いっこずつ手からもらって食べると、格別に美味しいんだよね。
カメに餌をあげに行くと腕がひっかき傷だらけになって帰ってくるのは、
つまりそういうわけです。

 

本日のにゃんこ。

みかこさんのおみやげ。
マシュマロとチョコのふわふわにゃんこの手!
わー美味しそう・・だけど、食べる段になったら悩みそうよ、ね(笑)

 

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貝ボタン

2013-07-04 15:32:59 | 日々


夏用のコットンのカーディガンを持っている。
薄い柔らかい生地で、着心地はとても良いけれど、
ついているボタンがカジュアルすぎるのがどうも気になる。
付け替えようと思いついて、ボタンの箱を出してきた。

わたしの母もボタンの箱を持っていた。
着られなくなった衣類を処分するとき、
まだ使えるボタンは必ずはずしてとっておく。
小箱の中にはいろんなボタンがざくざく入っていた。
白いの。半透明の。色のついたの。金属のも少し。
ひらたいのや、ころんと丸いの。穴は2つ、または4つ。
ときどき、雨の日などに、その箱を貸してもらって、
たくさんのボタンを色別に分けたり、大きさ順に並べたりして遊んだ。

このごろは頭からかぶって着る衣服が多くなったけれど、
以前は子供服でもボタンやスナップがたくさんついていた。
首の後ろでボタンどめになったセーターなどもあり、
脱ぎ着にはいつも手こずった。
ボタンはとれやすく、すぐどこかへころがっていってしまう。
なくすたびに、ボタンの箱の中から似たのを探してつけてもらう。
拾ったら大事に箱にしまっておく。
そうやって出たり入ったりを繰り返しながら、
ボタンの箱はいつもボタンでいっぱいだった。
それをいつも見ていた。

自分のお針箱を持ったのは10歳くらいのときで、
ボタンを集めるようになったのはいつからだろう。
お裁縫をすることは減ったのに、ボタンは増える一方。
もういくつあるかわからない。
てのひらですくっても底がすぐは見えないくらいだ。
古いものは、少なくとも30年以上は箱の中にいるはず。
でも、そのボタンが作られたのは、もっとずっと前かもしれない。

ほとんどのボタンはプラスティックだけれど、
古い貝ボタンが少しだけ混じっている。
ちょっと見ただけでは区別がつかない。
裏返すと、不規則な貝殻の色や模様があるのでそれとわかる。
表面もプラスティックのように均一でない。
角度によって色が違って見える。
つるつるの中に、さらさらした海の感触がかすかにある。
同じサイズのプラスティックボタンとくらべると、
わずかに薄く、わずかに重い。

1個が1グラムもないボタンの、キッチンスケールでは量れないくらいの
重さの差が、指で触るとなんとなくわかる、ということに驚く。
机に置いたときの、かちりという音も、微妙に違う。
そして温度が違う。
貝ボタンのほうが、ひんやりしている。
それも触るとわかる。
人の指先って、なんて敏感なんだろう。

箱の中をかきわけて小さなボタンを探すとき、
たぶん普段は使わない神経を使っていると思う。
砂浜で貝殻を拾うのによく似ている。
そうか、ボタンって、貝だ。
忘れていた感覚がよみがえる。
貝は貴重な食糧だったし、きれいな貝は装飾品に、
そして他のものと交換できる通貨にもなった。
だから、たくさんあると、うれしい。
とても満ち足りた気持ちになれる。
いつまでも触っていたくなる。

そういえば、あのボタン、どうしたかな。
わたしが一番好きだった黄色のボタン。
特別な宝物のように思っていたボタン。
赤ちゃんのお菓子の黄味ボーロのように丸くころんとして、
もっと小さい、ほんとうに小さい可愛らしいボタンだった。
元は何についていたのか・・もう思い出せないけれど、
何かとても幸せな思い出につながっていたような気がする。
たくさんのボタンの中で、そのボタンはたった1つしかなく、
何かに使われることもなく、いつもあそこにあった。
母のボタンの箱の中に。
きっと今でもあると思う。

カーディガンについていたボタンをはずし、
黒蝶貝とおぼしき光沢のきれいなボタンを6個つけた。
ああ、いいですね。
カーディガン本体よりボタンのほうが高価かもしれない。

 

本日のにゃんこ。

前にもうしろにもボタンついてないよ。

 

 

本日の「いいね!」

雲のつかまえ方

フランスのアーティストLaurent Milletの作品。
こういう罠を仕掛けておくと閑猫もすぐ捕まります。
雨がやんだら、やってみましょう。

 

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「ピン・ポン・バス」について

2013-07-03 17:25:48 | Q&A

ご質問です。

>「ピン・ポン・バス」を図書館で借りてきて、
>子どもがとても気に入ったため、このほど購入しました。
>ところが、図書館の本で読んでいた文章が、
>買った本では抜けているのに気づき、びっくりしました。
>繰り返し読んで、子どももほとんど暗記していたのに・・
>どうして削除されてしまったのでしょうか。

これは閑猫堂に直接いただいたご質問ではないのですが、
出版社にときどき寄せられる「よくあるご質問」のひとつですので、
一度ここで作者からお答えしておこうかと思います。

絵本「ピン・ポン・バス」1996年初版の16ページの文章は
次のようになっています。

 はんたいいきの バスと すれちがいます。
 こっちの うんてんしゅさんと
 あっちの うんてんしゅさんが、
 しろい てぶくろを はめたてを
 ちょっとあげて あいさつ。


白い手袋をはめた手をあげるところが、かっこいいなぁと・・
子ども心にときめいた経験のある方は少なくないでしょう。
じつはわたしもそうでしたので、バスの絵本をつくるにあたって、
この場面は最初からぜひとも入れたかったのでした。

ところが、この絵本が出てから7年後の2003年に、
東京バス協会というところから、
「すれ違い時に手をあげる挨拶を禁止する」
という通達が出されたことをニュースで知りました。

たとえ一瞬でも前方から目をそらし、ハンドルから片手を離すのは、
乗客の生命をあずかるプロとしてよろしくないのではないか・・
仲間同士の挨拶や情報交換よりも安全運転を優先すべき・・
というのが禁止の理由だったようです。

わたしでも(運転下手なわたしでも!)すれ違いのときに対向車に
待ってもらったり譲ってもらったりすると、挨拶します。
離れているし窓ごしなので、声は聞こえませんし、
手をあげたほうが相手に伝わりやすいと思います。
挨拶でなくたって、エアコンつける、オーディオつける、窓開けるなどなど、
車に乗っている人は、誰でも普通にしますよね?
ましてプロの運転手さんなら、それくらいで運転に支障はないはず。

・・と、思っても、ダメと決まった以上は、しかたありません。
だけど、絵本はもう出てしまっているし。
禁止されてることを絵本でしているというのは、やっぱりまずいし。
大変悩みましたが、編集者さんとも相談した結果、
文章を変更することになりました。

 はんたいいきの バスと すれちがいます。 
 こっちの うんてんしゅさんと 
 あっちの うんてんしゅさんが
 ちょっと あいさつ。

「手をあげて」という部分を抜かしました。
(うーん、やっぱり、ちょっと寂しいけどな・・)
絵は変えていないので、白手袋の手をあげたポーズのままです。
だけど「手をあげる・・とは言ってませんので」という・・
まあなんというか、ちょっと苦しい言い逃れですけども、
「最小限度の変更」で、こういうことになりました。

本の最後のページ(奥付)を見ていただくと、
「〇〇年〇月初版〇刷」という記載がありますが、
「2003年の9刷」までが変更前、それ以降が変更後のものです。

(2012年に印刷データのデジタル化にともない、
「改訂版1刷」という表記になりました。ちょっとややこしいですが、
これは絵や文章を変更したという意味の「改訂」ではありません)

古い本が今でも図書館にあるため、新しく購入された方が
「あら?」と思い、もう覚えちゃってたお子さんが「どうして?」と
不審がり、「印刷ミスでは」というお問合せもたまにあるようで、
大変申し訳なく思っています。

今では「手をあげて挨拶」は見られなくなった・・かというと、
そういうわけでもないらしく、地域によって、バス会社によって、
路線によって、したり、しなかったり、いろいろのようなので、
興味のある方は自由研究のテーマに、いかがでしょうか?

「ピン・ポン・バス」はおかげさまでロングセラーになっています。
ちょっとした違いにすぐ気づくほど「読みこんで」くださっているのが、
作り手としては、何よりもありがたく嬉しいことに思えます。

 

ピン・ポン・バス
文・竹下文子
絵・鈴木まもる
偕成社 1996年

 

ついでに。
「ぼくのしょうぼうしゃ」1993年初版の9ページの乗用車は、
助手席でお母さんが子どもを膝に抱っこしています。
これは当時の「うちの車」そのまんま、だったのですが、
その後、シートベルトやチャイルドシートが義務化されましたので、
現在流通しているものは絵を修正してあるはずです。
お持ちの方は確認してみてくださいね。

 

ぼくの しょうぼうしゃ
文・竹下文子
絵・鈴木 まもる

偕成社 1993年

 

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亀の引越し

2013-07-01 21:29:50 | 日々


カメキチ君は、推定18歳(?)のクサガメです。
子どもが小さかったとき、どうしても欲しいというので、
近所のスーパーで買ってきました。
(昔から「ゼニガメ」の名で売られているのがこれです。
最近多い「ミドリガメ」はアメリカ産アカミミガメの幼体です)

最初は2匹いたのですが、あっというまに1匹逃げられまして、
その後ずーっと水槽で独り暮らし。
カメキチが大きくなるにつれ、その水槽のサイズも大きくなっていき、
水槽では間に合わなくなり、衣装ケースにお引越し。
それもすでに窮屈なのですが、これ以上いれものを大きくすると大変。
夏場は餌をよく食べて活発に動きまわるため、毎日1度、
ときには2度以上の水替えが必要になります。
何リットルも入っちゃうと持ち上げられないの。
カメのおかげでぎっくり・・は勘弁してほしい。

おもに世話をするのはわたしなので、あんまり興味ないとはいえ、
長く飼っていれば多少なりとも情が移ります。
寄ってきて手から餌を食べると、ちょっと可愛く思えます。
(一度、思いっきり指噛まれましたが・・クサガメにはワニのような歯はなく、
鳥のくちばしみたいになっていて、けっこう痛いのよ)
可愛くなると同時に、気になるようになる。
ゴハンあげて、水替えて、長生きしてるけど、それだけでいいのか。
こんな小さいプラスティックの箱の中だけで、幸せなんだろうか。
その横を通って好き勝手に出入りする猫とくらべて、
よけい気になるわけです。

というわけで、数年来の懸案であった「カメキチ君の飼育環境の改善」が、
このほどついに実現しました。
パピルス池をコンパネと金網でぐるっと囲み、広々として豪華な
プール付き大邸宅を作ってもらったのです。
(陸地付き、っていうのかな、カメの場合は)
ここなら水もある、陸もある、天然の日なたも日陰もある。
ときどき水を入れれば、あふれた分は流れ出すようになっているので、
水替えの必要もありません。
植物は勝手に生え、虫も勝手に来る。
まさに理想の豪邸。

引越し当日と翌日は、囲いにそってぐるぐる歩いたり、池を横断してみたり、
新居の住み心地を確かめているようでした。
首をうんと伸ばして、喉をくぴくぴさせて、音を聴いて、においをかいで・・
いやあ、気持ちよさそうじゃないか。
カメキチ君、こんなに表情豊かだったとは!
もっと早くこうしてあげればよかったね。

と、こちらも肩の荷が下りた感じで、うれしく思っていたのです。
が、その次の朝。
様子を見に行ったら、カメキチの姿がありません。
池の中にもいない。外にもいない。
囲いの高さはじゅうぶんあり、カメには上れないし、下をくぐった形跡もない。
でも、なんらかの方法で囲いの外に出たとしたら、これはもう、
どこだって行けちゃうわけで、見つけるのは不可能に近いです。
動いてたって草むらの中では見えないし、動かなければよけい見えないし。

えええ、どこ行っちゃったんだろう?

理想のおうちだと思ったのは、人間の一方的な思い込みで、
水槽育ちのカメキチには、ものすごく不安な場所だったのかも。
それに、野生のカメにくらべれば、はるかに警戒心が薄いから、
ぼんやりしていて、カラスに持って行かれたとか・・
アナグマにさらわれたとか・・じゃないよね・・?

朝から日暮れまで、どこを探してもみつからず、
半分あきらめかけて、その翌朝。

「いたよーっ!」
Mの声がしました。
なぁんと、カメキチ、ちゃんとおうちにいました。
池の底の泥の中に、すっぽり深くもぐって、頭も出さずにいたのです。
水槽のときは、水だけで、泥も砂利も入れてなかったので、
水につかっている姿と甲羅干しをする姿しか見たことがなく、
そこまでもぐっているとは想像もせず。
いやいや、よかった~。

どうやらカメキチ君、泥がたいそう気に入ったらしく、
その後も、ちょこっと上陸しては、またもぐり、もぐりっぱなしで、
天然どろんこライフを満喫している模様。
理想のおうちとは、広いとかキレイとかよりも、
「人に見られることのない、プライバシーの守られる空間」
だったのかもしれません。

それにしても、カメって、どれだけ息がつづくのか・・
いつまで待っていても上がってこないので、こちらが根負け。
うーん、たまには顔みせてくれないと、つまらないんだけど(笑)

 

さて、それでは、よーっこらせ、っと。

 

あれ? ちゃぽんて、いったよ?

 

どこ行っちゃったかな、カメキチ君は。

 

待ってても出てこない。

 

よーし、シッポに餌つけて釣ってやろ。
(おいおい・・)

 

ふっふっふっ。

 

釣れるもんなら釣ってみな。

(カメの甲羅の模様って、このような環境では
非常にすぐれたカモフラージュ効果があるのですね)

 

本日のにゃんこ。

友情出演の茶々姫さん。
ただいまシッポ乾かし中。

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