夏用のコットンのカーディガンを持っている。
薄い柔らかい生地で、着心地はとても良いけれど、
ついているボタンがカジュアルすぎるのがどうも気になる。
付け替えようと思いついて、ボタンの箱を出してきた。
わたしの母もボタンの箱を持っていた。
着られなくなった衣類を処分するとき、
まだ使えるボタンは必ずはずしてとっておく。
小箱の中にはいろんなボタンがざくざく入っていた。
白いの。半透明の。色のついたの。金属のも少し。
ひらたいのや、ころんと丸いの。穴は2つ、または4つ。
ときどき、雨の日などに、その箱を貸してもらって、
たくさんのボタンを色別に分けたり、大きさ順に並べたりして遊んだ。
このごろは頭からかぶって着る衣服が多くなったけれど、
以前は子供服でもボタンやスナップがたくさんついていた。
首の後ろでボタンどめになったセーターなどもあり、
脱ぎ着にはいつも手こずった。
ボタンはとれやすく、すぐどこかへころがっていってしまう。
なくすたびに、ボタンの箱の中から似たのを探してつけてもらう。
拾ったら大事に箱にしまっておく。
そうやって出たり入ったりを繰り返しながら、
ボタンの箱はいつもボタンでいっぱいだった。
それをいつも見ていた。
自分のお針箱を持ったのは10歳くらいのときで、
ボタンを集めるようになったのはいつからだろう。
お裁縫をすることは減ったのに、ボタンは増える一方。
もういくつあるかわからない。
てのひらですくっても底がすぐは見えないくらいだ。
古いものは、少なくとも30年以上は箱の中にいるはず。
でも、そのボタンが作られたのは、もっとずっと前かもしれない。
ほとんどのボタンはプラスティックだけれど、
古い貝ボタンが少しだけ混じっている。
ちょっと見ただけでは区別がつかない。
裏返すと、不規則な貝殻の色や模様があるのでそれとわかる。
表面もプラスティックのように均一でない。
角度によって色が違って見える。
つるつるの中に、さらさらした海の感触がかすかにある。
同じサイズのプラスティックボタンとくらべると、
わずかに薄く、わずかに重い。
1個が1グラムもないボタンの、キッチンスケールでは量れないくらいの
重さの差が、指で触るとなんとなくわかる、ということに驚く。
机に置いたときの、かちりという音も、微妙に違う。
そして温度が違う。
貝ボタンのほうが、ひんやりしている。
それも触るとわかる。
人の指先って、なんて敏感なんだろう。
箱の中をかきわけて小さなボタンを探すとき、
たぶん普段は使わない神経を使っていると思う。
砂浜で貝殻を拾うのによく似ている。
そうか、ボタンって、貝だ。
忘れていた感覚がよみがえる。
貝は貴重な食糧だったし、きれいな貝は装飾品に、
そして他のものと交換できる通貨にもなった。
だから、たくさんあると、うれしい。
とても満ち足りた気持ちになれる。
いつまでも触っていたくなる。
そういえば、あのボタン、どうしたかな。
わたしが一番好きだった黄色のボタン。
特別な宝物のように思っていたボタン。
赤ちゃんのお菓子の黄味ボーロのように丸くころんとして、
もっと小さい、ほんとうに小さい可愛らしいボタンだった。
元は何についていたのか・・もう思い出せないけれど、
何かとても幸せな思い出につながっていたような気がする。
たくさんのボタンの中で、そのボタンはたった1つしかなく、
何かに使われることもなく、いつもあそこにあった。
母のボタンの箱の中に。
きっと今でもあると思う。
カーディガンについていたボタンをはずし、
黒蝶貝とおぼしき光沢のきれいなボタンを6個つけた。
ああ、いいですね。
カーディガン本体よりボタンのほうが高価かもしれない。
本日のにゃんこ。
前にもうしろにもボタンついてないよ。
本日の「いいね!」
雲のつかまえ方
フランスのアーティストLaurent Milletの作品。
こういう罠を仕掛けておくと閑猫もすぐ捕まります。
雨がやんだら、やってみましょう。