弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

ブリティッシュコロンビア大学と新渡戸庭園

2015-09-27 09:43:42 | 趣味・読書
ブリティッシュコロンビア大学(UBC)

カナダ・バンクーバーの西の端は岬のようになっていて、その岬の先端部分のほとんどが、ブリティッシュコロンビア大学の広大な敷地です。以下、UBCと呼びます。
バンクーバー滞在の2日目、UBCを訊ねました。ブロードウェイでバスに乗り、終点がUBCです。
バスは延々と進み、UBCの構内に入ってからも、終点まではまだまだ走ります。広い敷地です。
終点で降りてキャンパス内に入ると、すごい人の波です。ちょうど授業の変わり目だったのでしょうか。周囲は新しそうなビル群であり、「古い学びの園」といった雰囲気は皆無です。取りあえず、新渡戸記念庭園を目指します。

途中、やっと大学らしい落ち着いた建物が見えてきたので、取りあえず写真に撮りました(下の写真)。
 


新渡戸記念庭園
バス終点から歩いて15分くらいでしょうか。UBCの一角に新渡戸記念庭園があります。ガイドブックには以下のように紹介されています。
『1933年にバンフで行われた国際会議の帰途にビクトリアで客死した新渡戸稲造博士(1862~1933年)をしのんで造られた庭園。池を中心に桜や菖蒲、紅葉など四季を彩る木々が植えられている。本格的な茶室を備える。北米有数の純日本庭園だ。』
  
土塀(左上写真)の先に入口の門があります(右上写真)。中に入ると、広くてすばらしい日本庭園です。

  
新渡戸博士の胸像(左上写真)と、国際的外交官としてのご自身の目標「太平洋の架け橋となる」を記した石碑があります。

 
 

  
茶室(左上写真)と、園内から見た土塀(右上写真)です。

 

 

園内でもらったちらしの裏面(下写真)に全体図が描かれています。
 

このような本格的な日本庭園は、どのようにしてできあがったのでしょうか。
説明文には以下のように書かれています。
『新渡戸記念庭園は1960年に新渡戸稲造博士を記念して開園されました。・・・
新渡戸庭園を真に日本的なものとするために日本の著名な造園家である千葉大学教授・森歓之助氏が日本政府の推薦によって招へいされました。・・・森教授は庭園を設計したばかりでなく造園の実際を監督するため当地に滞在し庭石の置き場所や立木ならびにかん木の植え込みに至るまで自ら指揮されました。・・・
1992年にこの新渡戸庭園の修復工事が行われたのですが、・・・日本の庭園設計家・枡野俊明氏がこの修復工事の設計と監督をされ、造園家の佐野晋一氏と京都の経験豊かな庭師数名が協力しました。茶室は裏千家十五代鵬雲斎家元が修復されたのですが、京都から茶室の専門家を多数派遣されここに本格的な美しい茶室が完成しました。』

1960年といったら、新渡戸博士が亡くなってから、太平洋戦争をはさんで30年以上の年月が経過しています。どんな経緯で計画が立てられ、そして資金が集まったのでしょうか。その謎は解けていません。
そして1992年の修復工事についても、やはりどのような人たちがお金を出し合ったのか、興味は尽きません。

いずれにしろこうして、バンクーバーの人たちが日本文化を大切にしてくれていることはありがたいことです。

ブリティッシュコロンビア大学というと、今回の旅行直前、偶然ですがテレビで日本人少年の入学のニュースを見ました。14歳の日本人少年が、飛び級でUBCに入学したというのです。ネットでは例えば以下のような記事が流れています。

14歳で名門大学に入学! 天才少年のつくられ方
『「神様からギフトされた才能を持つ者は、その力を社会に貢献しなければならない」。そんな趣旨を持つ、カナダのギフティッド制度。日本人の男の子、大川翔君はその制度で学んだ。大川家の子育てって、どんなだったのだろう。』
『大川 翔
1999年生まれ。5歳で両親の仕事の関係でカナダへ。9歳でカナダ政府にギフティッド認定される。12歳で中学を飛び級して高校に入学。14歳で高校卒業。カナダの名門大学5校に奨学金付きで合格。2014年9月、ブリティッシュ・コロンビア大学サイエンス学部入学。』

日本でニュースを見たとき、大川君は才能を持っているからこそ飛び級ができましたが、普通の子どもが経験する少年時代を経験できないわけで、それはそれで十字架を背負った人生になるだろう、との感想を持ちました。
上の記事にあるカナダの「ギフティッド制度」、まさに神様の十字架を背負わせるような制度なのですね。
コメント
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