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山下進著「アルツハイマー征服」遺伝子工学編1

2023-09-11 12:50:35 | 趣味・読書
アルツハイマー征服 (角川文庫)下山 進 (著)

この本の増補部分については、レカネマブはなぜ成功したか 2023-09-01で紹介しました。
また、初版部分の内容について、(1)エーザイのアリセプトの開発物語、(2)世界のアルツハイマー病研究の進捗とその成果としてのレカネマブの開発成功まで、の2つに分け、前回記事山下進著「アルツハイマー征服」アリセプト編 2023-09-04では(1)エーザイのアリセプトの開発物語、を紹介しました。
今回は、(2)世界のアルツハイマー病研究の進捗とその成果としてのレカネマブの開発成功まで、について、2回に分けて、内容を紹介しようと思います。

以下、その1回目です。

《遺伝子工学の発展とアルツハイマー病》
1960年代に電子顕微鏡が使えるようになって、アルツハイマー病の研究が進むようになりました。

アルツハイマー病の草創期を切り開いたのは、ハーバード大学のデニス・セルコーと東京大学の井原康夫でした。1981年、井原はハーバード大学に留学し、デニス・セルコーと出会いました。井原はそこで、研究テーマとして「神経原線維変化(PHP)の分離」を選びました。「神経原線維変化(PHP)」は、アルツハイマー病の患者の神経細胞内にできる「ひとだまのような塊」につけられた名前です。
井原は日本に戻りました。ボストンに残ったセルコーは、PHPから、神経細胞外にできる老人斑という「シミ」に研究対象を移しました。PHPはアルツハイマー病以外でも見られますが、この「シミ」はアルツハイマー病だけにしか見られません。
セルコーはこのしみを精製する方法を開発し、この方法を用いて、オーストラリアの研究者がこの物質がアミロイドβプロテインというタンパク質であることを1985年に突き止めました。

遺伝子工学の到来により、アルツハイマー病の研究は80年代後半から加速度的に進みました。
アルツハイマー病の中には、明らかに一族で遺伝しているタイプのものがありました。そうした家系の血液から、どこに突然変異が起こっているかを突き止めるのです。
家族性アルツハイマー病は、遺伝子の一箇所の突然変異が原因となります。この突然変異を持っている親の子供は、50%の確率でこの突然変異を有する遺伝子を受け継ぎます。この病気は優性遺伝なので、遺伝子を受け継いだこどもは、100%の確率で若年性アルツハイマー病を発症します。
1990年代、家族性アルツハイマー病について、原因となる遺伝子の突然変異の発見に注力されました。この家系に特有の遺伝子の突然変異を見つけるのです。
アルツハイマー病に関する「アミロイド仮説」は、「アミロイドがアルツハイマー病の原因である」という仮説です。一方で、アルツハイマー病の患者でアミロイドが増えているのは結果に過ぎない。別の真の原因がある、との仮説もあります。家族性アルツハイマー病の家系で共通する突然変異が見つかり、それがアミロイドの産出増大に影響を与えているのであれば、「アミロイド仮説」の有力な状況証拠となります。

英国のジョン・ハーディーの研究室は、1991年、突然変異を見つけました(APP)。ただし、多くある家系のうちの一つにのみ当てはまりました。
カナダ・トロント大学のピーター・ヒスロップが突然変異の場所を見つけました。それは、日本の青森の家系でも見つかりました。このアルツハイマー病遺伝子はプレセニン1と名付けられました。この論文発表の1週間後、別のプレセニン2も見つかりました。

《トランスジェニック・マウス》
次は「トランスジェニック・マウス」への期待です。突然変異を持つ遺伝子をマウスの受精卵に注入することで、そうした病気の症状を呈する「トランスジェニック・マウス」が作られれば、そのマウスで薬の効用、副作用を確認できます。

大学では、アルツハイマー病の基礎研究はできても治療薬の開発はできません。ハーバード大学のデニス・セルコーは、実業家からの提案を受け、アルツハイマー病の治療薬の開発を目指す会社(アセナ・ニューロサイエンス)を立ち上げました。ここで、ラリー・フリッツ、デール・シェンク、ドラ・ゲームスを引き入れました。

1994年頃、イグザンプラーという医療系ベンチャーが倒産し、開発したマウスがある、という話がアセナに入ってきました。ゲームスは、イグザンプラーが送ってきたデータパッケージの中に興味あるマウスのデータをみつけました。ジョン・ハーディーが見つけた突然変異の人の遺伝子を注入したマウスで、詳細検証してみると、老人斑が見つかりました。
アセナは、イグザンプラー社自体を買うという賭にでました。処分されかかっていたマウスを救い出し、個体数が増やされていきます。
カルフォルニア大学のエレイザ・マスリアに共焦点レーザー顕微鏡を使わせてもらい、トランスジェニック・マウスの脳にはっきりと老人斑がみてとれました。この結果は、1995年2月に論文発表されました。

《ワクチン療法》
アセナのリードサイエンティストであるデール・シェンクは、「アルツハイマー病患者に、アミロイドβを筋肉注射すれば、抗体をつくりだすことによって脳内のアミロイドβを分解・消失させる」という「ワクチン療法」を思いつきました。
「脳には血液脳関門(BBB)があるので、体内にアミロイドβを注射しても脳には到達しない」との常識がありましたが、シェンクは「科学に『絶対』はない」と考えていました。
1996年、まだ数に限りがあるトランスジェニック・マウスを使い、アミロイドβを注射し、1年後にマウスの脳を解剖して見るという実験を開始しました。
1年後、観察すると、老人斑はありませんでした。注射しなかったマウスの脳にははっきりと老人斑が見られます。
さらにシェンクは、生後11ヶ月の、すでに老人斑が生じているはずのマウスにアミロイドβを注射してみました。脳内では、ミクログリアという免疫細胞が老人斑にとりつき、これを除去している様が見て取れました。
論文発表を受け、多くの大学で、ワクチン接種したマウスの知能を評価する試験が行われました。ワクチン接種したマウスは知能の低下が抑えられる、との結果が見いだされました。

ワクチン療法とは、病原体を弱毒化したものを人間の体内に入れ、抗原抗体反応によって抗体をつくり、その抗体が病原体をブロックするという仕組みです。ここで免疫反応を喚起するため「アジュバンド」と呼ばれる物質がつけられます。アセナにはワクチンの専門家はいませんでした。アセナのリサ・マッコンローグは、親友のラエ・リン・バークに連絡しました。ラエ・リンはアジュパンドの専門家でした。ラエ・リンの参加でプロジェクトは一気に進み、ワクチンAN1792が誕生しました。

フェーズ1は通過し、2001年10月に始まったフェーズ2に参加した患者は375人。
副作用が出ました。治験を行っているいくつかの病院で、患者が急性髄膜脳炎を発症しました。当時、アセナはアイルランドのエラン社に買収されていました。そのエラン社は治験の中止を決定します。
ワクチンを投与した30人の患者の追跡調査の結果、30人のうち20人が抗体を生じていたが、抗体を生じなかった10人の中に、急性髄膜脳炎を発症した患者がいました。急性髄膜脳炎は抗体が原因ではなく、免疫の暴走が原因であるとの仮説の証左となります。また、抗体を生じなかった10人は認知機能の下降が続いていたのに対し、抗体を生じた20人は認知機能の衰えがほとんどありませんでした。

《抗体薬・ハピネツマブ》
ワクチンが副作用を起こすのであれば、抗体そのものを投与すればいい。シェンクらは、トランスジェニック・マウスを使って抗体も作り出していました。この抗体のうちの一つをヒト化した抗体薬がバピネツマブと名付けられました。

以下、2回目に続く。
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