弁理士の日々

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深堀道義「中国の対日政戦略」(3)

2009-02-15 17:02:41 | 歴史・社会
深堀道義著「中国の対日政戦略―日清戦争から現代にいたる中国側の戦略思想」について、主に支那事変勃発当時に焦点を当ててで紹介してきました。ここでは同じ本の中から、著者である深堀氏の意見をいくつか収録します。

《日本の反省》
「明治初期はまだまだ中国人は尊敬される立場にあったのであるから、転換期は日清戦争であった。日清戦争後は日本から清国へ渡る一般の日本人はまだ少なかったが、清国から日本への留学生は次第に増加し、日露戦争のあとは日本に学ぼうという気運もあって、多い時には八千人もの青年が日本に来ていたのである。」
ところが中国からの留学生が、日本で日本人から馬鹿にされる事態となります。留学生たちは、自尊心を深く傷つけられ、抗日論者になって日本を離れます。
「留学生というのは、将来その国を担う優秀な青年たちである。その彼らに反日、抗日の心を抱かせたことになり、そこには『日清戦争の仇は討たねばならぬ』の信条がより強く生まれてきたと考えるべきであろう。」

「もう一つ日本人の態度が、良くない影響を及ぼしたのは、中国へ渡った日本人たちによるものであった。満州へまず多くの日本人が渡り、満州以外でも租界のある所や、租界がなくても合弁企業があるような都市へは多数の日本人が住むようになり、毎日中国人と接触していた。
立派な人格をもつ日本人も居たけれども、大部分は日本内地で食いつぶしたり、大陸で一旗揚げようとしたような人が多く、無教養な人も少なくなかった。
これらの人々は『大陸浪人』とか『支那浪人』と称されていた。中国語の中にも本来の意味を持つ『浪人』という言葉があるが、現在中国において浪人といえば、この時代の日本人で中国に渡ってきた無職者をさし、中国人を虫けらのように扱う悪人の代名詞になっている。
浪人たちの中には中国人を軽蔑し、大声でどなりつけて、威張りくさっているような者もあり、彼らは日常中国人と接しているので、中国人に与えた影響は非常に大きかったのである。」

《中国・中国人》
「わめいたらわめき返す」
「(中国人は)当事者間で問題を解決するよりも、大衆討議にかけ、いかに巧みに話をして自分に有利な状況を作り出そうかとするのである。往々にして大声でわめき立てる方が得をする場合さえある。
ワシントン体制下の中国が、日中間の問題を二国間で解決しようとせずに、常に九ヶ国条約調印国の問題として取り上げようとしたのは、このような中国人の習慣による所が多い。わめきたてられたら、わめき返さなければならない。そして絶対に謝らない。黙っていたらそれは負けを意味するし、謝るのは無条件降伏である。」
「中国から何か言われた場合には、必ず反論しなければいけない。反論もせずに弁明と謝罪と、そして大臣の更迭ですませるのは、中国に侮られるだけなのである。
勿論、単なる強がりで反論してはならない。理路整然として反論する。このような場合には中国からかえって尊敬してみられることさえあると思う。
筆者が本書を著した目的の一つは、中国方面より歴史認識を云々された場合に、反論し得る資料を提供しておきたいと思ったからである。」

以上、著者の深堀氏が実際に中国・中国人とつき合ってきた経験をも踏まえ、今後日本がどのように中国と対していったらいいのか、という点で示唆を得ることができます。

このように、深堀氏はご自身の経験及び最近公開になった中国の文書を元に、さまざまな知見を整理されています。
一方、日本軍が中国で実際に行った残虐な行為については、あまり深く検証されていないようです。先の戦争を全体としてどのようにとらえるかという観点では、この本の記述のみでは不十分であるように思われます。
コメント
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