大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2018年11月15日 | 写詩・写歌・写俳

<2508> 余聞、余話 「大和の紅葉前線に思う」

       急ぐべくあるものなかれ下り来る冬をともなふ紅葉前線

 十月の中ごろ標高一五〇〇メートル以上の大峰山脈や台高山脈の高所に点った大和地方の紅葉は、約一か月を経ていよいよ麓の山里に下り、里のそこここを錦に染めている。春の桜前線にあやかる秋の紅葉前線。その前線は北に始まり南に向かい、高い山岳から低い低地に至る。その前線はほどなく奈良盆地の平野部に及び、紅葉の本番である。暖冬傾向が著しい今年は全国的に紅葉や降雪の遅れが言われているが、今朝は冷え込み、紅葉はいよいよの感である。

 この間の日曜日、この紅葉前線の進み具合が一目に出来る自然林が豊富な大台ヶ原ドライブウエイに出かけてみた。麓に当たる上北山村や川上村の低山一帯に前線はあるようで、紅葉の真っ盛りの山に日が当たると鮮やかな錦の彩が模様になって映え、美しく見えた。前線のしんがりはどの辺りかと、国道169号から大台ヶ原ドライブウエイに入り、車を走らせた。

 しばらく走って短い隧道を抜け、眺望が開ける南東側に出て道なりに進むと休憩所がある。その休憩所より少し上がった辺りが前線のしんがりのようで、最後の紅葉が点在して見えた。そこから山頂方面に目をやると、上方の山はすっかり葉を落とし冬の装いを整えた自然林の落葉高木群が望まれ、山肌が明るく透けて見えた。林下にはまだ散って間のない落ち葉が敷き詰められ、温かさがあった。

                          

 この自然林の秋から冬への移り変わりは、四季の国日本の風景の一端であるが、その特徴に寄与しているのがそこに生えている草木であるのに気づく。その草木の中で殊に印象的なのは温帯を代表する落葉高木群で、その存在が顕著な自然林がその高低差において見られ、紅葉前線の位置のよくわかるのが大台ヶ原ドライブウエイなのである。

 もちろん、この草木の姿の移り変わりが顕著に感じられるのは秋の紅葉だけではなく、春の新緑、夏の万緑、冬の裸木と、それぞれにそのときを彩る。その植物相の四季における趣は私たちの感性に及び、古来より育み来たった日本人の精神性の基になっていると言って差し支えなかろう。

 日本は地球上の位置的関係によって自然災害の多い国で、その災害に泣かされることもしばしばであるが、草木一つを見ても、新緑然り、紅葉然りで、四季の変化に富むありがたい自然を有する国として私たちの豊かさの基になり、恵みになっている。この日本における自然環境のよさは、草木一つない砂漠や暑さの極まる熱帯や極寒の極北を思い巡らせてみればわかる。

 紅葉の美しい秋の自然林の風景は、それに止まらず、裸木の冬を迎え、その冬を凌いで、また、芽吹く息吹の春へと展開し、旺盛に繁る夏へ続く。こうした四季の巡りのありがたさが昔から私たち日本人の心の中にはあり、そこに感性を育んで来た。そして、こうした心持ちは以心伝心し、古来より今に至るのだと思う。 写真は紅葉前線しんがりの落葉樹林(左)とわずかに残るカエデの紅葉(右)。ともに大台ヶ原ドライブウエイで。 


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2018年11月10日 | 植物

<2503> 大和の花 (653) アキノノゲシ (秋野罌粟)                                キク科 アキノノゲシ属

           

 日当たりのよい道端や草地などに生える1、2年草で、茎は直立してよく分枝し、高さは60センチから2メートルほどになる。葉は互生し、茎の下部につく葉は長さが10センチから30センチの長楕円状披針形で、羽状に深く裂ける。茎の上部につく葉は小さく、全縁。茎や葉を切ると白い乳液が出るので、チチグサ(乳草)の別名でも知られる。

 花期は8月から11月ごろで、上部の枝々に直径2センチ前後の頭花を円錐状につけ、順次開花する。頭花は舌状花ばかりで、普通淡黄色で、白色や淡紫色の花も希に見られる。タンポポと同じく昼間開いて夜には閉じる習性がある。痩果の実は長さ5ミリほどで、嘴がある。春に花をつけるノゲシ(野罌粟)に似るが、秋咲きでこの名がある。

 東南アジア原産で、日本、朝鮮半島、中国、台湾などに分布し、日本には稲作とともに渡来した有史前帰化植物とする説もある。 写真はアキノノゲシ(右端は白いタイプの花・いずれも斑鳩の里)。   のどかさや柿食ふてゐる子規がゐる

<2504> 大和の花 (654) ヤマニガナ (山苦菜)                                       キク科 アキノノゲシ属

                                  

 明るい山地の林縁や草地に生える2年草で、茎は直立し、高さは60センチから150センチほど。葉は長さが5センチから10数センチの卵状楕円形で、下部の葉ほど大きく、下部の葉では羽状に深裂する。葉の裏面は白毛により淡緑色で、翼のある柄によって互生する。

 花期は8月から9月ごろで、枝先に円錐花序を出し、直径1センチほどの黄色の頭花をまばらにつけ、上向きに開く。頭花は10個前後の舌状花が集まり、花の先は5浅裂する。実は痩果で、白い冠毛は長さが6ミリから8ミリ。北海道、本州、四国、九州に分布し、国外では朝鮮半島、中国、ロシア、ベトナムに見られるという。 写真はヤマニガナ(葛城山)。     真実は顳顬の内天高し

 <2505>大和の花 (655) ムラサキニガナ (紫苦菜)                                     キク科 アキノノゲシ属

               

 山地の林下や林縁に生える多年草で、中空の茎が直立し、高さ50センチから150センチほどになる。葉は上部で小さく、披針形で、下部では大きく、羽状に裂け、裂片の先は尖る。裏面は白緑色で、柄を有し、互生する。

 花期は6月から8月ごろで、花茎の円錐花序に多数の頭花がまばらにつき、下向きに咲く。頭花は全体に紫色で、直径1センチほど。総苞は長さが1.2センチ前後で、内片は線形、外片は短い。花柄には腺毛が見られる。痩果の実は偏平な紡錘形で、白い冠毛を有する。

  本州、四国、九州に分布し、中国、台湾、ベトナムに見られるという。大和(奈良県)では各地に散見される。花が紫色なので判別は容易である。 写真はムラサキニガナ(いずれも矢田丘陵)。  赤とんぼ汝赤きは何ゆゑか

<2506> 大和の花 (656) ノゲシ (野罌粟)                                           キク科 ノゲシ属

                                                                 

 草地や道端や田んぼの畦などに生える2年草で、中空の茎を有し、高さが50センチから1メートルほどになる。葉は上下で大きさが異なり、羽状に裂けて、不規則な鋸歯が見られ、基部は茎を抱く。茎も葉も全体的に軟らかく、刺を有するが、刺も硬くない。全体に紛白色を帯び、切ると白い乳液が出て、ケシ科のケシ(罌粟・芥子)に似るのでこの名がある。ハルノノゲシ(春野罌粟)、ケシアザミ(罌粟薊)の別名も見える。

 花期は4月から7月ごろで、個体や生える場所によっては厳寒期にも花を見かけることがある。茎頂に集まりつく黄色の頭花は直径2センチほどの舌状花の集まりで、数えたことはないが、1個の頭花に80以上の舌状花がつくという。花柄は長さ1センチ超。この花柄と総苞には腺毛があり、触ると粘る。実は痩果で、白い冠毛がある。

 ノゲシは全世界に見られ、日本でも全土に分布するが、日本のものは古くに中国を経て渡来した有史前帰化植物と考えられている。今は雑草であるが、昔は若葉や茎を食用にした。苦味があるが、これを除いて食べるという。 写真はノゲシ(斑鳩町)。

  赤とんぼ赤きは恋の終始にや

 

<2507> 大和の花 (657) オニノゲシ (鬼野罌粟)                                       キク科 ノゲシ属

                  

 ヨーロッパ原産の2年草で、明治時代に東京で見つかり、各地に広まったと言われる。今では在来のノゲシを凌ぐ勢いで、日当たりのよい道端や荒地などで繁茂し、普通に見られる。茎は中空で、多数の稜があり、高さは50センチから1メートルほどになる。葉は長さが15センチから20センチほどで、基部が丸く張り出し茎を抱く。縁には先が硬い刺になった鋸歯があり、触れると痛い。

 花期は4月から10月ごろで、寒い時期にも花が見られることがある。これはセイヨウタンポポに似る。頭花は分枝した枝先につき、ノゲシに似て、黄色の舌状花の集まりで、直径2センチほどになり、次々に開く。鋭い刺を有し、ノゲシよりも全体に荒々しく見えるのでオニ(鬼)の名が冠せられた。ノゲシとの判別は刺によって出来る。 写真はオニノゲシ。

   紅葉狩りまだ見ぬもみぢに会ひたくて

 

 


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2018年11月09日 | 写詩・写歌・写俳

<2502> 余聞、余話 「スミレの帰り花?」

         野の径に出逢ひしすみれの帰り花何を示唆して咲くかは知らず

 立冬が過ぎ、暦の上では冬であるが、暖かな日が続き、冬の気配がない。これは暖冬傾向を物語る現象と見てよかろう。この間は青虫の発生に慌てた。このブログでお話した通りであるが、あの青虫も今夏の猛暑以来続いている異常な気温状況によるところかも知れない。紅葉も降雪も全国的に遅れているという報が届いたりする度に地球温暖化のことが改めて思われたりする。

 昨日は晴天に誘われて歩いた広陵町の野の道で、春が花期のスミレの花を見かけた。所謂、季節を違えた帰り花で、狂い花ともいう。そんなに珍しいものでもないが、最近の異常な自然環境の変化と重ね合わせて考えるに、地球温暖化のことが脳裡に蘇るといった次第である。

            

  スミレの花は田んぼの土手に四、五株が固まって見られた。花はみな春の花と異なり、青みの強いものばかりで、葉も大きく、長い三角状で、春の花の時期に見かける葉と全く違うのでスミレとも思えないところがあった。で、最初はノジスミレと思ったが、葉柄に翼があり、成長を遂げたスミレの夏葉と見た。

  また、帰り花には側弁の内側の基部に白毛が見え、無毛のノジスミレとは異なるのでスミレと同定した。一方、花の後ろに突き出ている距が短く薄い色だったので、この点はスミレらしくないが、スミレには変異が多いので、スミレの色の薄いタイプと見た。最近は何でも園芸品があるので、園芸品の逸出とも考えられなくはない。

  どちらにしても、出会ったスミレの花は季節を違えて咲く帰り花に違いなく、その花が田んぼの土手に少なからず見られるということ。これはやはり自然環境の変化に影響された所以と見みなせる。その影響を思うに、やはり地球温暖化が意識される。

  そして、猛暑、巨大台風、豪雪等々、日本列島を襲う半端でない自然の猛威が最近目立つこと。このことと、その地球温暖化との関係性の意識においてスミレの帰り花も見られること。即ち、こういう関係性の意味からすると、スミレの帰り花は単なる情景のみならず、それを越えたものに映って見える。 写真はスミレの帰り花(いずれも広陵町)。

 


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2018年11月05日 | 植物

<2498> 大和の花 (649) スイラン (水蘭)                                                     キク科 スイラン属

               

 湿地や水辺に生える多年草で、高さが50センチから1メートルほどになり、分枝する。地下に白い匐枝を伸ばして増え、群生することが多い。葉は根生し、長さが15センチから50センチの線状披針形で、先端が鋭く尖り、裏面は紛白色を帯びる。この細長い葉がラン科のシュンラン(春蘭)に似て、湿地に生えることからこの名がついたと言われる。

 花期は9月から11月ごろで、茎頂に直径3センチから3.5センチの黄色い頭花をつける。頭花は舌状花ばかりが集合したもので、花弁の先は5浅裂し、総苞外片は披針形で、鋭く尖り、春期に花をつけるニガナ属のオオジシバリに似る。

  本州の中部地方以西、四国、九州に分布する日本の固有種で、大和(奈良県)では、曽爾高原のお亀池の湿地がよく知られるが、山足の田んぼの溝などでも見かける。

 写真はスイラン(曽爾高原のお亀池)。 この身にはこの身の世界生きてゐるゆゑにありける思ひの世界

 

<2499> 大和の花 (650) アキノキリンソウ (秋麒麟草)                    キク科 アキノキリンソウ属

                                    

 日当たりのよい山野の草地や岩場に生える多年草で、高さは30センチから80センチほどになる。葉は根生葉と茎葉からなり、根生葉は花どきには普通枯れる。茎葉は長さが7センチから9センチの卵形乃至は卵状楕円形で、縁に鋸歯、先は鋭く尖り、基部は細くなって柄の翼に続く。

 花期は8月から11月ごろで、枝先に総状花序を出し、黄色の頭花を多数つける。頭花は直径1.3センチほどで、両性の筒状花が中心部分に、雌性の舌状花が周りにつき、両方とも結実する。総苞は狭い鐘形で、総苞片はほぼ4列に並び、外片は短い。冠毛は長さが4ミリ弱。実は痩果。

 アキノキリンソウ(秋麒麟草)の名はこの黄色の花がベンケイソウ科のキリンソウに似るからと言われるが、キリンソウは黄輪草の意で、花のつき方が異なる。アワダチソウ(泡立草)の別名でも呼ばれるが、これは花の集まりを泡立ちにたとえたものという。

 北海道、本州、四国、九州に分布し、朝鮮半島にも見られるという。大和(奈良県)では平地でも、紀伊山地の高所部までも見かける。中国ではアキノキリンソウの高山型ミヤマアキノキリンソウを一枝黄花(いっしこうか)と称し、頭痛や解毒などの生薬として用いている。日本ではアキノキリンソウが一般的で、健胃、利尿等の薬草として知られる。 写真はアキノキリンソウ(大台ヶ原山ほか)。 宇陀の秋雨に降られて深みゆく

<2500> 大和の花 (651) セイタカアワダチソウ (背高泡立草)         キク科 アキノキリンソウ属

                 

 北アメリカ原産の多年草で、観賞用に栽培されていたものが野生化し、繁殖力があるため戦後急速に広まった外来の帰化植物である。アキノキリンソウの仲間で、セイタカアキノキリンソウ(背高秋麒麟草)の別名もある。また、炭鉱の閉山やベトナム戦争の時代に増えたことから閉山草とかベトナム草の異名でも知られる。

 日当たりのよい川岸や荒地、田畑の放棄地などに生え出し、地下茎を伸ばして増え、一帯を占拠する勢いがあるため、厄介な存在になって久しい。花茎は直立し、人の背丈より高く、大きいもので2.5メートルほどになる。葉は長さが6センチから13センチほどの披針形で、先が尖る。茎も葉も短毛が生え、触れるとざらつく。

 花期は10月から11月ごろで、普通直立する茎の先に長さが10センチから50センチの円錐花序を出し、直径が6ミリ前後の黄色の頭花を上側に片寄って多数密につけ、よく目につく。頭花は中心に両性の筒状花、周りに雌性の細い舌状花をつける。

 セイタカアワダチソウはほかの植物の成長を抑えるような物質を出し、自分の勢力の拡大を図る特性があり、嫌われているが、ほかに花が少ない晩秋、初冬のころ膨大な量の花を見せるので、ミツバチの蜜源として養蜂業者には有用視されている。大和(奈良県)では一時減少していたが、最近、また増え出している感がある。 写真は群生するセイタカアワダチソウと花序のアップ(宇陀市郊外)。 立冬や新元号は決まりしや

<2501> 大和の花 (652) オオアワダチソウ (大泡立草)              キク科 アキノキリンソウ属

                

 セイタカアワダチソウと同じく北アメリカ原産の多年草で、明治時代に観賞用として渡来し、野生化して各地に広まっている。所謂、帰化植物で、セイタカアワダチソウほどの大群落は見ないが、ときに群生するのを見かける。葉は披針形で、これもセイタカアワダチソウに似るが、茎や葉に毛がないので有毛のセイタカアワダチソウとの区別点になる。

 花期は7月から9月ごろで、セイタカアワダチソウよりも早く、夏の花と言ってもよい。直立する茎頂に花序を出し、黄色い小さな頭花を多数つける。頭花は筒状花と舌状花からなり、セイタカアワダチソウの花よりやや大きく、この名がある。舌状花も幅がやや広い。

  大和(奈良県)ではセイタカアワダチソウほど見かけないが、以外にも紀伊山地の山深い天川村で群生するのを見かけた。 写真は花を咲かせるオオアワダチソウ。 宿命の裸木(はだかぎ)にして日の慈愛

 


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2018年11月04日 | 写詩・写歌・写俳

<2497> 余聞、余話 「フリージャーナリスト安田純平氏に対する自己責任論について」

      誰もみな当事者にしてある身なり人生即ち生きてある身は

 内戦のシリアで取材中、武装勢力に拘束され、この度、三年四か月ぶりに解放されて帰国したフリージャーナリストの安田純平氏(44)に対し、自己責任論がネットを介して高まりを見せていることについて、ここで少しく私見を述べてみたいと思う。

 思うに、子供はいざ知らず、私たちは人生において誰もが大なり小なりの自己責任において生を展開している。これが生きる姿勢の基本にある。殊に安田氏のように、自分の意志と判断により、率先して危険な紛争地域に赴く場合は、自分でリスクを負わなければならないし、そこには当然自己責任がともなう。これは安田氏自身も重々承知で、記者会見でも質問に答えて自己責任を認めている。

 危険な現場に肉薄しようとすればするほど肉薄するものの真実、あるいは本質に触れることが出来る。その触れ得た真実や本質を伝えるというのが使命としての仕事であるジャーナリストには如何にリスクがあり、自己責任が求められようともそこに執着し、肉薄して行く。そこでリスクや自己責任を思い、仕事に対して躊躇するような人間性の持主だったらフリージャーナリストなどという仕事にはつかず、ほかの職業を選ぶ。こういう人間性の持主に対し、殊更のように自己責任論を振りかざして批難するというのは何なのだろうと思えて来る。

                               

  しかしながら、自己責任とは別に安田氏には問われるところがある。それは自分の身が拘束されるという事件に巻き込まれたことによって自らが信念として掲げているジャーナリストの本分が果たせず、三年余の間、自分自身がその内戦国の様相の中の当事者になってしまったことである。事件の当事者になれば、ジャーナリストが持ち合わせていなくてはならない冷徹なまでの客観的な姿勢が失われ、使命としての仕事に支障を来たしてしまうからである。

  拘束されることによって安田氏はその立場に置かれた。ということは、安田氏には自己責任が問われるよりも、事件の当事者になってしまったこと自体の方が問題として問われなければならないということになったと言える。だが、自己責任という情緒的批難の的になってしまい、ジャーナリストの本分という点がぼやかされ、曖昧さの靄がかけられてしまったようで、何かすっきりしない感を受ける。

  安田氏は物見遊山で混乱する内紛国シリアに入ったわけではなく、ジャーナリストの本分(仕事)において入ったわけで、その本分が自らが拘束されることによって全う出来なくなったということである。このような仕儀に陥ってしまった安田氏にはその拘束されていた三年余の間のジャーナリストの立場は失われ、この間の事情については、自分自身をもって語る以外に、そのジャーナリストとしての使命を果たす方法を失ってしまったことになる。拘束されてしまったジャーナリストにはその自分を今一人のジャーナリストの自分が客観視して語るというほどの方法でしかその使命の仕事を果たすことは出来ない。つまり、この方法でしか当事者になってしまった安田氏にはジャーナリストの使命を展開する道はないと思える。

  この拘束事件を思い巡らせるに、当事者になってしまった安田氏にとってジャーナリストとして失ったものは実に大きい。だが、拘束されたという経験は内戦国シリアの一断面と見なせるから、失って得たものもまたあると言ってよいように思える。その経験を基に内戦国シリアの実情に迫ることは出来る。この経験に基づき生かす方法でしか、当事者になってしまったジャーナリストとしては仕事に忠実であることは出来ない。安田氏には、死に直面してあったその三年余に及ぶ経験を、保身を交えず語ること。これしかジャーナリストの本分においてなさねばならないことはない。

  生死の極に置かれた拘束の三年余の間、安田氏には肉体的打撃もさることながら、精神的打撃も相当なものだったろう。しかし、それに至った経緯も含め、拘束という理不尽を客観的冷徹なジャーナリストの力量の目によって捉えるべく努力する必要があると思える。つまり、当事者になったことによって、当事者の自分を対象にジャーナリストの本分を発揮してシリアの実情を伝えること。これ以外に、今回の取材においてなさなければならないことはないということ。安田氏にはこのことが大事だと言える。

  言わば、ジャーナリストの仕事は一見気楽なように見えて厳しい。それは自分以外の他者に関わり、他者の納得を得なくてはならない仕事だからである。納得されなければ批難に曝されるか無視されるかだからである。殊に自分一人の責任において事に向かわなければならないフリージャーナリストには厳しいものがある。思うに、その厳しさゆえに得る経験もあることは、今回の拘束事件がいみじくも語っている。

 安田氏には今回の拘束に巻き込まれた自らの経験を生かし伝えて行くほかない。例えば、大岡昇平の『野火』のイメージが私などには思い浮かぶ。『野火』は生きて帰還した精神を患った傷病兵に代わって著者が理不尽な戦争、荒廃する戦地の様相を語るという小説である。どちらにしても、安田氏にとって沈黙することはジャーナリストの使命を放棄することに繋がるからよくないと言えるだろう。

  なお、殊更のように言われる自己責任の非難は、日本社会の縮図の中で起きている感を受ける。これも以前から触れているようにネットの影響によるものであろうが、いじめの構図に似ている。否、いじめそのものと見ても差し支えない気がする。安田氏の救出に国が関わったようで、これに対する心情的批難はあるとしても、救出は当然と言ってよい。事情を問わず人命を救出することが基本にあるからである。この救出で言えば、国にはもっと大きな課題が残されている。北朝鮮に拉致されている人たちやその家族を思うとき、安田氏の開放を手放しで喜ぶことは出来ない。

  安田氏に対する自己責任論は国家的事情を汲む立場の人たちの意見に思えるが、そういう意見も日本の社会的土壌においては起きることになるのだろう。この安田氏に対する自己責任論は沖縄の辺野古の事情に極めてよく似ていると私などは感じるが、いかがだろうか。沖縄の辺野古は日本の辺境の地。安田氏が拘禁されたシリアは遠い遠い中東の国である。自己責任論を展開する御仁には知ったことではない地であり国であり、そこに暮らす人たちなのだろう。だから容赦なく強気に言えるのだと思える。 写真は安田氏の記者会見(テレビ映像による)。