大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2018年11月29日 | 写詩・写歌・写俳

<2522> 余聞、余話 「大和の地に思う」 

       雲間より射し来る日差し 天地の間 大和は神話の神々の国

 奈良盆地の大和平野の一角に住まいしていると、年に何回か写真のような風景を目にする。気象による天変の現象にほかならず、遠い昔から見られて来た風景であろうと、そのように思えるが、盆地を取り囲む青垣の山並みを望む位置的関係にもより、その風景は何か厳かなものが感じられ、『古事記』の神話の世界が想像されたりする。

 盆地の東に連なる青垣の山々の麓にはそこここに神社の神域が見られ、南から言えば大神神社、桧原神社、石上神宮、春日大社などの名高い古社があり、『古事記』の神話に通じるところがある。そして、これらの神社は背後の山や土地、即ち、その地の自然をもって御神体とし祀っている特徴がうかがえる。例えば、大神神社や桧原神社で言えば、三輪山があり、石上神宮で言えば、布留山があり、春日大社で言えば、御蓋山があるといった具合で、『万葉集』の古歌などにも、そこに位置する神体山の威光を恃みにし、愛着をもって詠んだものが見られたりする。

          

 反対側の西の青垣には金剛、葛城の山並みがあり、岩橋、二上の山に続き、北には信貴山から生駒山に稜線が伸びている。これらの山はそれぞれに由来のある山であるが、東の山並みからは朝日が昇り、西の山並みには夕日が沈む。その間に住居のある奈良盆地の大和平野の広がりがある。この地形的特徴をもって大和の地はあり、ここに国の発祥を見た。国をまとめるために奔走し命を落とした倭建命はこの大和国中の地を理想郷とし、その死に際し、望郷の思いを込めて「まほろば」という言葉をもって歌に詠んだ。

     大和は 国のまほろば

     畳なづく 青垣

     山籠れる 大和し美し

 これがその名高い歌で、『古事記』の景行天皇の条に見えるが、こういう大和の地形的な特徴は自然によってあるもので、その自然はその骨格において昔も今も変わりなく、何ものにも代えがたい尊厳の対象としてあることが、東の青垣の山並みに見えるそれぞれの神域、神社の神体山を望む度に思われることではある。

 その神体山の連なる稜線上の厚い雲間から射し来る朝の日差しが、なお、その自然の深さを思わせ、神との一体感をもって見る目に宿って来る雰囲気がある。この雰囲気はずっと昔からこの大和国中の「まほろば」の地にあり、その風景はこの地に住まいする者たちにずっとあって、今に引き継がれて来ていることが思われたりする。

 これは日本の神の初源の地の風景であり、自然に発している宇宙的思考に私たちを導く風景の感がある。言わば、「まほろば」の地、大和に住まいする者たちは神の座を仰ぎ見ながら日常坐臥にある。そして、その時々に写真のような風景が見られる。なお、この風景を深読みして考えると、この青垣の山々とともにあり、祀られている神々がそれぞれに自立して存在しているという日本の特徴的な多神教の精神風土ということなどにも思いがいったりする。 写真は雲間から射す朝の日差し(天理、桜井市方面を望む)。