<497> 押熊八幡神社の卦亭
しんしんと 冷ゆる真冬の 神坐へ
厳しい冷え込みの見られた十一日、奈良市押熊町の押熊八幡神社で、卦亭(けいちん)と呼ばれる正月恒例の行事があり、見学に出かけた。卦亭は山城、大和、紀伊の一帯で見られる結鎮、結縁、華鎮などと同じ意味を持つ農事に関わる招福祈願の民俗的な行事として知られ、弓矢の登場を見るのが特徴としてある。
押熊八幡神社の卦亭は前座と後座に分かれ、まず、神前での神事があった後、前座の「おんだ式」と呼ばれる御田植祭が行なわれ、続いて後座の「弓矢式」が行なわれる。「おんだ式」は苗代づくりから籾播きまですべてを宮座八人衆の古老の一人が、鍬や鋤などの小道具を用い、拝殿の間に敷いた菰を苗代に見立てて、昔の農作業を彷彿させるような言葉を使いながら所作を披露するもの。周囲からは掛け合いの言葉が発せられ、式はユーモラスに進められた。
最後は「播こよ 播こよ 福の種播こよ」と籾を播き、これに周囲が唱和して、水の取り入れ口に当たる菰の脇に新米と豊穣を願う新藁に松葉と樒(しきみ)の葉を結んだ「なえかずら」と呼ばれる藁を挿し立てて終了した。「なえかずら」はこれに福の神が宿って秋には稲穂がたわわに稔るというシチュエーションで、その願いが込められていると見て取れる。
後座の「弓矢式」は境内の庭で行なわれ、苗代に見立てた菰と参会者に配られる「なえかずら」百本の束に挟んだ「鬼」と墨書された円形の紙の的を十メートルほど離れたところから二人(本来は三人)のとうやが三本の矢のうち、二本ずつを射た。一本は鬼の的を狙い、一本は遠くに飛ばし、三本目は射ることなく、とうやが持ち帰って神棚に供えるという。
鬼の的を射ることは悪霊払いであり、遠方へ飛ばすことは、修験道の護摩法要のときに見られる破魔矢に似るところがあり、招福の意味があるという。矢は鬼の的に当たらなかったが、的を越えて遠くへ飛んだ矢もあり、今年の「弓矢式」はまずまずということで、「なえかずら」と御供餅が参会者に配られた。
押熊町付近は、農家を中心に昔は百十数戸の集落であったと言われるが、奈良、大阪のベッドタウンとして開発され、今では十倍以上の戸数に及ぶ住宅地となり、農業を主にする家は数えるほどになったと言われる。寒さの厳しい中で行なわれる卦亭を見ていると、昨今の合理主義的な世の中において、だんだん孤立して行く古来より行なわれて来た昔の集落が中心のこの宮座の土俗的行事が、何か貴重な精神性を持ってあるように思われて来ることではあった。
写真は上段左からお祓いを受けた「なえかずら」の束。鋤を使っての所作。牛は登場せず、イメージされて耕した。畦を直す所作。右端は「なえかずら」を立てての豊作祈願。下段は左から「なえかずら」の束と菰に挟んで置かれた鬼の的。鬼の的を射るとうやの男性。配られた御供餅などをもらって帰る参会者。
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