大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写俳 写歌~ 小筥集

2012年05月29日 | 万葉の花

<270> 万葉の花 (6) つつじ (乍自、管仕、茵、管士、管自、都追滋)=ツツジ (躑躅)

       つつじ咲く この切り通し 越え行けば

        水伝ふ礒の浦回(うらみ)の岩つつじもく咲く道をまた見なむかも              巻 二 (185)     草壁皇子の舎人

      風速(かぜはや)の美保の浦回の白つつじ見れどもさぶし亡き人思へば              巻 三 (434)   河 邊 宮 人  

        (長歌・前略)  歳月日にか つつじ花 にほへる君が  (後略)              巻 三 (443)     大 伴 三 中

    (長歌・前略)  龍田道の 丘辺の路に 丹つつじの にほはむときの  (後略)     巻 六 (971)   高橋蟲麻呂

 我が国に自生する樹木の中で、ツツジは美しい花を咲かせる筆頭格と言ってよい。ここで言うツツジとは、ツツジ科ツツジ属に当たるもので、世界には北半球の温帯を中心に約八百五十種あって、その中の五十二種ほどが我が国に自生分布すると言われる。この美しい花のゆえに『万葉集』に登場するツツジもみな花が対象に詠まれている。なお、ツツジ属の中でシャクナゲ亜属のシャクナゲの仲間は一般にツツジとは言わない。

 大和はこのツツジの宝庫と言え、ツツジ属のツツジと呼ばれるものはツツジ亜属のヤマツツジ、モチツツジ、サツキ、ウンゼンツツジ、シロバナウンゼンツツジ、コメツツジ。ミツバツツジ亜属のミツバツツジ、コバノミツバツツジ、トサノミツバツツジ、アワノミツバツツジ、オンツツジ、シロヤシオ。レンゲツツジ亜属のレンゲツツジ、アケボノツツジ。トキワバイカツツジ亜属のバイカツツジ。ヒカゲツツジ亜属のヒカゲツツジ等が自生している。

 ツツジ科で言えば、これらにツツジ属シャクナゲ亜属のツクシシャクナゲやホンシャクナゲのほか、ホツツジ属、ヨウラクツツジ属、ネジキ属、アセビ属、イワナンテン属、ドウダンツツジ属、スノキ属、イワナシ属などが含まれ、高山植物中ではツガザクラ属などが見られ、大和におけるツツジ科の仲間は自生景観において実に豊富な質量である。こうした中に園芸種も加わり、現在のツツジの状況は見ることが出来、実に多彩を誇っている。

 ところで、『万葉集』には長短歌九首にツツジが詠まれている。で、以上の点を踏まえてこの九首に登場するツツジを検証してみたいと思う。前述したように、みな花を詠んでおり、九首を見るに、「白つつじ」が三首、「つつじ花」が三首、「岩つつじ」が二首、「丹つつじ」が一首登場し、ここでは冒頭にその花の特徴に合わせて一首ずつあげたが、これらのツツジが今のいかなるツツジに当たるかということで検証すると、次のように言える。

 「白つつじ」は鷺坂山(現城陽市)と美保の浦(和歌山県日高郡美浜町付近の海岸)とオミナエシの咲く佐紀野(現奈良市佐紀町付近)ということで、生えている場所が特定されているのがわかる。これらを総合的に考えてみると、万葉当時の白つつじの分布状況が想像出来る。次に「つつじ花」であるが、これは「にほへる」を導き出す言葉として用いられているもので、場所などには関係なく、どのツツジでもよい用いられ方で、総称として捉えてよいと思える。

 また、「岩つつじ」の二首は、一首が草壁皇子の死を悼んで詠んだ歌で、「礒の浦回の」というのは、このツツジが宮廷の庭園の池の回りの岩場に生えるツツジを指すものと言える。今一首は「山越えて 遠津の浜」と詠まれていることから、こちらは大和ではないほかの地のツツジを詠んでいることがわかる。一首に登場する「丹つつじ」は「龍田道の 丘辺の路に」とあるから現在の龍田大社(生駒郡三郷町)付近にあって彩っていたことが察せられる。

 思うに、万葉当時には、野生のものが移植されたとは考えられるが、園芸品種の開発はまだなかったから、これらのツツジは前述した大和に自生分布するどの花かを対象に詠まれたとみるのが妥当である。で、まず、「白つつじ」であるが、上述した大和のツツジの中に「白つつじ」と見えるものはシロヤシオ、コメツツジ、シロバナウンゼンツツジ、バイカツツジで、シロヤシオとコメツツジはともに標高の高い深山山岳にしか見られず、バイカツツジも南部に限定されるので、歌の中の「白つつじ」には該当しないと言える。

 シロバナウンゼンツツジは現在奈良県の北西部のごく限られた場所でしか見られない分布の北限に当たる絶滅寸前種であるが、万葉当時にはもっと広い範囲に見られたことが想像出来る。こう見ると「白つつじ」はシロバナウンゼンツツジの可能性が高くなる。「岩つつじ」については両歌とも水辺に近い印象があるので、サツキではないかと思われる。草壁皇子が亡くなったのは四月十三日(旧暦)というから五月ごろから咲き始めるのでこの名があるサツキの花期に合致する。主が亡くなったので、もうこの岩つつじを見ることが出来なくなると舎人は嘆いているのである。つまり、このツツジでは歌を詠んだ日月と水辺の岩場という時と所が考察のキーワードになる。

 では、「丹つつじ」についてはどのツツジが考えられるだろうか、「丹」は赤系統の色を表わす語であるから、平野部から丘陵地、または低山帯ではヤマツツジ、モチツツジ、コバノミツバツツジ、レンゲツツジなどが考えられる。レンゲツツジは若草山(三四二メートル)に多いし、モチツツジやヤマツツジも近辺の山裾などで見られるから大いに考えられる。だが、歌には「桜花」とあって、ヤマザクラと同時期に咲くツツジが考えられるので、この「丹つつじ」は花期がヤマザクラと少しずれるヤマツツジ、モチツツジ、レンゲツツジではなく、花期の早いコバノミツバツツジと考えるのが妥当と思える。また、後に続く「にほへる」にぴったりなのもコバノミツバツツジである。

 『万葉集』発祥の地、大和から『万葉集』に登場するツツジを考察すれば以上のごとくになる。シロバナウンゼンツツジについては、最近やっとお目にかかることが出来た。それほど現在では少なく乏しい花になっているが、大和の地においてシロバナウンゼンツツジはもっと多く生え、当時はよく見られていたのではないかと想像される。 写真は左からヤマツツジ(金剛山)、レンゲツツジ(若草山)、モチツツジ(大和高原・月ヶ瀬)、コバノミツバツツジ(大和高原・小倉)、サツキ(天川村・川迫川)、シロバナウンゼンツツジ(生駒市北西部)。

                     


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