日々の感じた事をつづる
永人のひとごころ
こころの除染という虚構 46
こころの除染という虚構
46
4・届かぬ思い
椎名敦子の自宅前に、取材の順番待ちがほどなくできた。マイクを向けられた小国小の母親たちが皆、取材者にこう話すからだ。
『椎名さんならいつも自宅に在る事務所にいるから、椎名さんならしゃべるよ』敦子は自分の意思などお構いなしにあれよあれよと取材攻勢の渦に巻き込まれていく。
「テレビや新聞の取材の列が家の前に出来て、ほんとに馬鹿正直に全部受けて居たし、いっペんにいろんなテレビ局が入ってきて、私なにもわかんないから。話して下さいと言われたら話していた。取材を受けるマニュアルも知らないし、断っていいというのも知らなかったし、もう、若いお母さんイコール椎名さん、ということになってしまって・・・」
自分で写っているテレビを一度だけ見た。
「病気だなって思った。『鬱になっていたでしょう』と、周りからも言われたし。せ
あのころ私、感極まると泣いてしまう。そんなシーンばかりを流されて。今日は話だけ、撮らない、って言っていたのに。すっぴんの化粧もしていないやつ。ひどい」記者からの話で勧奨地点の情報が、切れ切れに入ってくる。とはいえ、当事者でありながら、知らされる内容は、余りにもお粗末だ。
小国全体が避難になるのではなく、避難になる人と、そうでない人とそうでない人に分けられるらしい。
避難になると、赤十字の避難6点セットと住む場所を与えられるらしい・・・・、結局、伊達市から小国の住民全体に対して、きちんとした内容の説明が行われないまま、事態だけが進んでいく。
敦子たち小国小学校のPTAは、「とにかくお母さんたちの声をまとめて、市に訴えよう」と動き出した。そして6月17日のPTAの役員会で次のことを決めた。
『保護者の意見をまとめないといけないから、保護者会を20日の月曜日に開こう。その結果を持って市長への要望書を作成して、市長に直接訴える』
6月19日、この日は日曜。椎名夫妻は子どもと愛犬を連れ、宮城県に保養に出かけていた。週末は出来る限り、汚染のない場所で子供たちを犬と一緒に、思いっきり遊ばせようと、一家そろって車で出かけるのがいつの間にか家族の習慣になっていた。
帰り道、敦子の携帯に役員の母親から連絡が入る。相当焦っている様子だった。
「私を取材しているNHKの記者が言うの。明日にも決まるらしいって。だから、すぐに集会を開かないとダメだから。あっちゃん、すぐに帰って来て」
『だって、予定は決めてるよ。明日の夜、保護者会をやるって、会場は週末には取れないから月曜にやるって決めたじゃん」
『駄目だよそんなの。明日にでも決まるかも知れないんだよ。だから、今日やんないと。場所は私が取るから、とにかく早く帰って来て』小国へと急ぐ帰り道、また電話が入った。 続く
こころの除染という虚構 45
こころの除染という虚構
45
『当該地点に居住していても仕事や用事などで家を離れる時間がある通常の生活形態であれば、年間20ミリシーベルトを超える懸念は少ない』
故に『計画的避難地域とは異なり安全性の観点から、政府として区域全体に対して一律に避難を指示したり、産業活動に規制を掛けたりする状況ではない』と判断するものの、ただし一方で『年間20ミリシーベルトを超える可能性も否定はできない』
その様な『地点』を特定避難勧奨地点とすることで、
『近辺の住民の方々に対する注意喚起や情報の提供、避難の支援や促進を行う』、新たな制度だという。この新たな避難制度の対象となったのは、南相馬市原町区大原、伊達市霊山町石田、伊達市霊山町上小国・(下小国を含む)の3地点。
それにしてもわかりにくい。「地点」と「近辺の住民」とはイコールではないのか、その関係はどうなるのか。「地点」にならなくても、地点の近辺の住民であれば、注意喚起や情報の提供、避難の支援を受けられるのか?
実際運用された実態は『地点』の住民と『地点でない住民』とはいくら近辺であっても。明確な線引きがなされ、地点でなければ注意喚起や情報提供も蚊帳の外。避難の支援も促進も全く受けられないという、地域共同体の暮らしをメチャクチャにするものだった。
何より「地点」かそうでないかの指定の根拠が曖昧だった。「放射線量」で決まるにも関わらず、そのモニタリングは住民からの信頼を得る方法で行われたとは言い難い。
ではどんな状況ならば『地点』として特定されるのか。官房長官=国の説明はこうだ。
「雨どいの下や側溝など住居のごく一部の箇所の線量が高いからといって指定するのではなく、除染や近づかないなどの対応では対処が容易ではない年間20ミリシーベルトを超える地点を住居単位で特定する」
では玄関と庭先が3マイクロシーベルト毎時、以下の数値だった高橋家の場合はどうか。それ以外のほとんどの敷地が3~4シーベルトの線量を有するにもかかわらず、たった2か所の測定だけで『対処が容易』と判断されるということか。
家の裏では8~9マイクロシーベルトの線量があちこちにあるにもかかわらず。
繰り返すが、「地点」かそうでないかを決定する測定が敷地内のたった2か所なのだ。
その法的根拠も、計画的避難区域が、原子力災害対策特別措置法であるのに対し、「一律に避難を求める程の危険性はなく」、注意喚起としての支援表明であるので、法律に基づく避難等の指示ではないというのが政府の位置づけだ。何ともすっきりとしない曖昧さを残す。
すなわち、避難してもしなくても良くて、その土地で農業や酪農をしても一向に構わず、ただし、「地点」に指定されれば、計画的避難区域と同等のものが補償されるという。
この避難の枠組みでとりわけ強調されたのが、
「妊婦や子どもがいる家庭の避難」だ。
妊婦は明確だが、子どもとは何歳までを指すのか。
しかし国の関与は、「自治体と相談していく」にとどまる。実際、同じ制度の適用を受けたにもかかわらず、伊達市と南相馬市は全く、異なる基準のもと、「地点」設定を進めていくことになる。
伊達市は子どもを『小学生以下』としたが、
南相馬市は『18歳以下』とした。
この事により、伊達市では、中高生は避難というセーフティネットから振り落とされ、ことごとく高線量地帯に取り残されることとなった。続く
こころの除染という虚構 44
こころの除染という虚構
44
翌6月11、12日に電気事業連合会が各戸を訪問。地点設定のためのモニタリングが行われた。測定箇所は玄関先と庭先の2地点を、50センチメートルと1メートルの高さで合計5回測定するというものだ。
原子力災害現地対策本部(放射線班)と福島県災害対策本部(原子力班)が6月10日付で作成した『環境放射線モニタリング詳細調査(伊達市)実施要項』には、こんな記載がある。
『地点を選ぶ際は、くぼみ、建物の近く、樹木の下や近く、建造物の雨だれの跡・側溝・水たまり、石塀近くの地点での測定は、なるべく避ける』
避難かそうでないか、住民の運命を左右する根拠となる測定が、「なるべく低い地点を選んで測っている」と住民に言われても仕方のないマニュアルで行われていた。
しかも実施主体は電事連(電気事業連合会)
「そもそも電事連が測定では、泥棒が警察官をやるようなものだ」という声が起きたのも、自然な住民感情だった。
早瀬家の測定値は、庭先50センチで3・4マイクロシーベルト/時。
椎名家では3マイクロシーベルト/時を超える地点は計測されなかった。
小国の中でも比較的低いということは通学路を測定した時から、うっすらと敦子にはわかっていた。
問題は、上小国に在る高橋家だ。この中島行政区に在る寺、『小国禅寺』はとりわけ線量が高い場所だと、市で認識しているほどだ。しかし、高橋家の測定では庭先50センチで2・8マイクロシーベルト/時。
佐枝子は言う「子どもが通るところは毎日水を流してきれいにしてだの。それが仇になったんだよね。下が石だから、低くなるの。ちょっと離れれば4とかになる。そこらへん一帯。そこは何ぼ言っても測ってもらわんにがった(もらえなかった)」
翌年の11月、除染の為に高橋家の敷地内の放射線量の測定が行われた際、雨どいの下、地表1センチで102マイクロシーベルト/時。50センチで7・8マイクロシーベルトという、信じられない数字が記録されている。
長男が使っていた離れの子ども部屋の雨どいの下が地表1センチで39マイクロシーベルト、50センチで4・6マイクロシーベルト、1メートルで2・2マイクロシーベルト。毎日子どもが通る場所が、事故から1年8か月たってもこれほどの高線量を呈していた。
6月16日、官房長官が記者会見を行い、国は『特定避難勧奨地点』という新しい非難制度を発表した。
『特定』の『避難』を『勧奨』する『地点』
何というネーミングなのだろう。
「特定の避難」?避難については「勧奨」に留め、そしてその対象となる「地点」とは?
国の説明は何ともまどろっこしい。
前提として強調されるのは、汚染は『面的』でない=『限定的』であるということだ。 続く
こころの除染という虚構 43
心の除染という虚構
43
説明会はすでに、その役割を終えたのも同然だった。これで住民は市の考えを受け入れ、市は住民の同意を得たことになった。元霊山町議であり、伊達市になってからも市議を務め、地元住民からの信頼が厚い、大波栄之助(当時78歳)はこの流れに非常に驚いた。
思わず、大波は声を上げた。「なんですか?両区民会長、あんたら二人だけで決めたように聞こえっぺ。ふざけんな!」
大波は後にこう振り返る。
「おらびっくらこいた。両区民会長、大賛成と言うから。“シャンシャン”になりそうで。集まっているのは年寄りばっかりだから」議事録には、大波の発言が記録されている。
Q(上小国・大波栄之助さん)市の意向として、自主避難をさせたいと言っているように聞こえるが、この説明会だけで、住民の理解を得たと、市長は判断するのか?
A(市長)この会だけで結論を出すと言った訳ではない。今日、説明会ですから、市の考え方と皆さんの考え方を伺って行って、最終的に市としても決定したい。
Q(上小国・大波栄之助さん)今日の参加者を見ると、小さい子供や小中学生を持つ父兄がいないように見えます。子どもを持つ父兄が一番心配している。こうゆうことを決める場合は、若い方々の意向に十分配慮してやって頂けないと困る。
是非アンケートなどの地区の全員の意見を掌握した上で、自主避難等をやって頂きたい。
A(市長)アンケートで皆さんの意向を伺う。多数決で決めるのもやぶさかでない。
この会合には早瀬道子の夫、和彦も実は出席していた。山下行政区の班長だった彼は唯一、就学前の子を持つ親の参加者となった。
会合から帰った和彦はこう言った。
『アンケートを取ると市長は言ったからな。アンケートで、子どもを持つ親の気持ちもちゃんと聞くと』
高橋佐枝子の夫、徹郎もこの会に潜り込んでいた。
「市長も来ていて『子どもさんがいる世帯は優先して指定しますから』って言うんで『おらい(私の家)は指定される』って、ほっとして帰ってきた。下は中学生だけれど、あの時は小学生だったんだから。アンケートもやるって言うし」
しかし、このアンケートはついに一切行われることはなかった。続く
こころの除染という虚構 42
こころの除染という虚構
42
6月10日、午後7時30分、小国ふれあいセンターに於いて、
『東京電力福島第一原発事故に関する伊達市による説明会』が開催された。
住民側出席者は上小国、下小国行政区長、班長。上小国、下小国区民会長・副会長。
市執行部の出席者は仁志田市長、鴫原貞男副市長、佐藤孝之市民生活部長、佐藤芳明産業部長、
進行は、菅野正俊霊山総合支所長。
市民生活部長の概況説明の後、市長は対応方針をこう説明した。
国から霊山町が3か所、年間積算線量推定値が20ミリシーベルトを超える地域だと、指摘された。先に石田宝司沢が20シーベルトを超えると発表されたが、計画的避難地域にはしないと国から言われたので、市独自で計画的避難区域に準じた扱いにして行こうと考えた。
石田宝司沢での経験が、伊達市の『原型』となっていた。市長は全員が村を離れることになった飯舘村を引き合いに出し、「ここでの生活を望む人。ここでの生活しか生計を営めない人も多数いる」とした上で、市の『方針』を明示した。
伊達市としては、国から計画的避難区域の指定の打診があっても断り、皆さんのいろんな事情をお聞きしながら、市としてできる限りのことをして行きたい。
みなさんの中には国の指定を求めるお考えも在るかもしれませんけれども、市としましては、国と同じようにやって行く考えでありますので、上小国地区に対しては、石田坂ノ上地区と同じく、自主避難の支援(市営住宅への入居、日赤からの家電6点セットなど)をして行くつもりである。
説明会を行い、住民の意見を聞いて対応を考えるという段取りではなく、すでに出ている市の結論を当該住民の代表に向けて明らかにした会だった。
市長の説明を受けて意見交換が始まる。住民のトップバッターとなったのは、上小国区民会長の菅野康男だ。
Q(上小国菅野康男さん)(中略)やはり、自主的避難というか、石田地区のような形でやって貰えば、我々としても安心できる。学校については、校庭の表土を剥いだが、学校の周辺を除染しないと心配である。
A(市長)やはり、全員が強制的避難をしなくてはというのは、いろんな事情を抱えているわけで、ほんとうに困る。それぞれの事情に応じて、計画的避難地域と同じ様な対応をしていきたい。その意味では御賛同いただいてありがたい。
最初からまるで「シャンシャン」、お手盛り会の様相を呈する流れだった。
市長は質問に応える形で、「除染」についてとくとく続ける。
結果としては、伊達市内全部を除染していくことが必要である。放射能レベルを下げなくては、避難している人達も戻って来れない。
セシウムの半減期、放射能が半分になるのは、30年。ほぼゼロになるのは、300年後。伊達市としてはしかるべき専門の先生の助言を受けながら、除染に取り組むことを目指している。
専門の先生とは、現在の原子力規制委員会委員長の田中俊一で、この時点ですでに伊達市中枢部に入り込んでいた。
除染についての詳細は後に譲るが、市長の除染についての鼻息が相当に荒いことが、避難を巡る説明会でもあっても窺(うかが)える。続く
こころの除染という虚構 41
心の除染という虚構
41
椎名敦子が「地域でなく個別の避難らしい」と知ったのは、NHKの記者の取材を受けた時だ。敦子は頭を振る。そうではない、当初から求めているのは子供全員の避難だ。
「私たちはとにかく、小国小学校を学校丸ごと疎開させてほしかったんです。全校児童57人の小さな小学校。子供を全員助けてほしい。避難させてほしい」
母親たちが声を挙げて行く中、地域で軋轢も生まれてきた。母親たちの多くは『嫁』という立場だ。
義父母から『嫁のくせに騒ぐな』とくぎを刺されるばかりか、地元のJA(農業協同組合)からも陰に陽に圧力がかかる。
『騒ぐとそれだけ風評被害が増える』
こんな時だ。初めての住民説明会が開かれたのは。
6月10日、市長自ら出向き、住民に何が起きているのかを説明するという。
場所は上小国にある「小国ふれあいセンター」。しかしこの説明会に敦子たち小国小PTAの参加が許されることはなかった。
参加者を上小国と下小国の区民会長と副会長、行政区長と班長などに限定した、クローズの会として設定されたのだ。行政区長は地域の代表者、班長も主に年配者が担うのが恒例だ。
高齢者だけの集まりで、子育て世代は一切参加が認められないものとなった。
敦子は何とかこの会への参加を熱望した。子を持つ母の声を市長に届けたい。
国にも聞いてもらいたい。制度が決まってしまう前に何としても!
地元の霊山支所に訴えたところ、保原町にある本庁でないとわからないという。
そこで敦子は友人と一緒に本庁に電話をして正式に、住民説明会への出席の許可を求めた。しかし、市から帰ってきたのは無機質な答えだ。
「今回は区長と班長だけの集まりなので、お母さん方の参加は無理です。不満を聞く場は後日、開くようにしますから」
しかしそのような場はついに持たれることはなかったと言っていい。唯一、クローズではなく
『下小国・上小国の皆様へ』という、全住民へ開かれた会を持たれたのは、6月28日、モニタリングもとっくに終わり2日後には避難対象となる
『地点』が発表されるという、すべてが決まった後だった。 続く
こころの除染という虚構・40
心の除染という虚構
40
「『特定避難勧奨地点』に係る協議経過』」
平成23年6月9日木15時30分(伊達市)
6/12開催予定の霊山地域説明会打ち合せに於いて、原子力災害現地対策本部、原子力被災者生活支援チーム佐藤室長より新たな避難勧奨制度『選択的避難』を検討していることを伝えられた。
市の方針としてはこれまでの法的強制力を持つ
『計画的避難区域』の指定は望まず、住民自らが避難するかしないかの選択が可能な、緩やかな制度設計をお願いした。
また、これまでの国の公表データについては、市の測定と若干の相違が見られるため、11日、12日、13日の詳細モニタリング調査の結果を受けて、慎重に判断頂くよう伝えた。
『年間20ミリシーベルト超線量地点への対応について(案)』
平成23年6月10日
原子力被災者生活支援チーム
(中略)
5、これまでの関係者の反応
(1)現地対策本部 田嶋本部長
・地域を限定的に決めることは重要。
・住民の判断に任せ、自主的に避難させる名称は反対。国の関与を示すべき。
・風評被害などを恐れて地域の設定をしないのではなく、客観的データに基づいて、指定するしかない。
(2)福島県 森合局長(避難担当)
・限定的な地点の問題である事から、一律の避難ではなく避難の勧奨といった意味合いを明確にしてほしい。
・出来るだけ確実に補償を受けるためにも地域を設定することは理解。
・一戸ずつ指定するより、地域で設定する方が混乱は少ない。
・乳幼児や妊婦は出来るだけ避難した方が良いという理解。
・来週月曜13日に県議会の災害対策特別委員会が予定されているので、発表時期については配慮して欲しい。
(3)南相馬市 桜井市長。
・一律の避難など大げさな対応ではなく、該当する区域を個別に訪問して説明する対応とすべき。
・一方で、国として、地域の特定をしてほしい。
・高齢者などは避難しなくても良いようにしてほしい。
(4)伊達市 仁志田市長他
・計画的避難区域のような国による一方的な強制力がない本地域の設定については受け入れ可能。
・ただし地域の設定に当たっては、詳細なモニタリング結果を踏まえて、慎重に対応して欲しいので、地域の設定の考え方を先に公表して頂き、エリアの設定については、モニタリングを詳細に行った上で時間をかけて行って欲しい。
・年間積算予測が20ミリシ-ベルトを少しでも下回ると対象外、とすると、隣同士で争いになるので注意が必要。
・汚染を減らす取り組みは、国も積極的な対応を期待する。
・避難希望が多い場合には小学校のグランドに仮設住宅を建てることも考えないといけない。
**
小国地区の母親たちに激震が走る。
こんなに線量が高いところに、子供を置いていていいの?
動揺がどんどん広がっていく。
しかし市からは、何一つきちんとした情報は伝わらない。 続く
こころの除染という虚構39
こころの除染という虚構
39
3・特定避難勧奨地点
伊達市長・仁志田昇司(にしだ・しょうじ)。
中肉中背、短くなでつけた黒髪。太い眉とぎょろりとした眼が押し出しの強い印象を発する。
昭和19年8月7日、伊達市保原町生まれ。昭和44年東京大学工学部精密機械科卒業後、
日本国有鉄道に入社。そのままJR東日本へ。
JR東日本仙台車両所長から同レンタリース株式会社取締役社長に就任。JR東日本本社での出世の王道から外れた子会社の社長時代に、保原町長出馬の声がかかり、平成13年に保原町長に当選・就任。
保原町長を2期務め、平成18年2月旧5町が合併してできた伊達市の市長に当選・就任。平成26年2月3期目の当選を果たし、現在に至っている。
6月9日、伊達市に国からの来客があった。原子力災害現地対策本部・原子力被災者生活支援チーム佐藤 暁室長が来庁し、直接、国が新たな避難制度である『選択的避難』を検討していることが伝えられた。
安全性の観点から、政府として一律に避難を指示するべき状況ではないために、「選択的避難地点」として特定するという。
当面、伊達市と南相馬市に該当地域があると判断された。
市の意向を打診された仁志田市長は、こう答えている。
『飯館村の様に計画的避難区域ではなく個別指定で行って頂きたい』
個別指定・・・実は伊達はすでに、市独自のモデルを持っていた。それが霊山町石田宝司沢地区の個別指定だ。石田地区に年間20ミリシーベルト超の場所があることを国から伝えられたのは、飯館村が全村避難で大騒ぎとなっていたころだった。
仁志田市長は、地域丸ごとを飯館村と同じような計画的避難地域にするのではなく、避難を希望する世帯のみを対象として、市営住宅を用意し、原発事故避難者と同じ扱いで個別に避難させた。
この実績の上に、今回は対象地域が広いものの。最初からこの個別方式で対応するつもりだったようだ。
一方当事者である小国住民に初めて、市による『住民説明会』が開かれたのはこの翌日6月10日のことだ。
市長はその前に、国に『個別指定でお願いしたい』と市の結論をすでに伝えている。住民の意向をまだ一度も聞いてさえいないのに。 続く
・
こころの除染という虚構38
心の除染という虚構
38
「意見を聞いてくれないだけではなく、頼んでもいないことをやる。除染は大事かもしれないけど、順番が違う。先ず子どもたちを避難させてから除染して、きれいにしてから子どもを戻してほしい。エアコンを設置した。除染したから文句を言わせないって、すごく卑怯なやり方だと思いました」
敦子の怒りは真っ当だ。これらの施策は
「子どもを守る」ためでなく、「子どもを伊達市から逃がさない」ためのものだ。
「逃がさない」どころか、伊達市は子どもも放射能と「闘わせる」戦闘員として位置付けた。
だれの為に?農業従事者のためだ。
6月16日発行「だて市政だより」14号の市長メッセージのタイトルは、
「学校給食用食材における地産地消について」という目を疑うものだった。
市長は放射能の影響による食材の『地産地消』の見直しについて、市民に語り掛ける。
『農業生産者は、放射能の風評被害により大きな痛手を負いつつあり、そうした中で、安全安心な農作物を栽培し提供しようと全力を傾けているところです。
そうした中で伊達市民が福島県の農業生産者の創る作物を信用できないとなれば、他県民が信用できるはずはないのではないでしょうか。風評被害に苦しむ生産者に対する思いも共有していかなければならないと思います。(中略)
子どもたちには、このような社会の仕組みや放射線についての正しい知識などの学習を行い、地元の食品で規制値に合格した新鮮な食材の提供について、更なる安全確保に努めながら進めてまいります』
この時期の食品の出荷制限基準は、
現在の5倍の500ベクレル/kgだ。
放射能が降り注いで3か月経ったか経たないかで、農家の為に子どもも放射能と闘えと言っている。
敦子は学校が始まってからずっと、給食と牛乳をやめ、できるだけ西日本の食材を使った弁当を作り続けて来た。
自宅でも地元の食材を使ったものは、祖父母世代だけが食べるようになっていた。夫の母に被曝の不安への理解があったことも大きかった。
1つの食卓に並ぶのは二つの炊飯器で炊いたそれぞれのご飯に2種類の副菜。当時これは椎名家に限ったことではなく、伊達の多くの家で行っていたことだ。
四方八方不安だらけの日常に在って、敦子が不安を解消できる唯一の方法が、自分で食材を選んで、子どもに弁当を作る事だった。
それだけがもやもやとうっくつした閉塞感を解消してくれる、たった一つの手段。
勿論敦子は知っている。
友達と同じ給食を食べられない子どもが卑屈になってしまう気持ちを、そのことの異常さを。
これは長く続けるべきでない事も。
それでもたった一つの子どもを守るために
母としてできることだった。
「本来なら『地産地消』っていい言葉だったのに、もう、とても恐ろしい言葉になってしまった。農業が大事なのはわかるけど、私は健康が第一だと思う。健康な子供がいての、伊達市の未来だと思うから」
四面楚歌の中、敦子はずっと念じていた。私は母として子供に胸を張っていたい。それは夫の享も同じだった。
「お父さんとお母さんは、あなたたちを守るためにちゃんとやって来たよ」
子どもにそう言えるように、ただひたすらやれることをやっていく。
そんな敦子にこんなレッテルが張られ始める。
『気にしすぎる親、心配し過ぎの親』
続く
こころの除染という虚構37
心の除染という虚構
37
市長は「どこよりも先に小国小をきれいにしてやった」と言う。コンクリートも除染したし、いろいろやったのにって、それで何が不満なの?って、あたし、これ以上、文句言わせないよ、という雰囲気をすごく感じた」
本来なされるべきことは一刻も早く汚染のない場所に子供を移すことなのに。
除染が口封じの策とされることに耐えきれず、敦子は教育委員長に直接訴えた。
「私たちが求めているのは、校庭をきれいにすることではないんです。表土除去は大事かもしれないけれど、そんなことをしなければならない場所で子供たちが生活するのが嫌なんです。全校生徒57人の小さな学校です。小国小全員を、違う場所に移してほしい。集団疎開っていうのが昔はあったのですから」
敦子の切なる願いはまたも空中で瓦解する。
「伊達市の方針が不満なら、伊達市を諦めてほしい。市として子供を移動させることは考えていない」放射能のないところで子どもたちを生活させたいという、親としてだけでなく、人として当たり前の望みに対し、伊達市は聞く耳を持たないどころか、出て行けと言う。
なぜ当り前のことが通らないのか。動けば動くほど訳の分からないものにぶち当たる。敦子の願うのはただ一つ。
「マスクなんかしなくて良くて、ソフトボールをやめなくても良くて、砂遊びもできるような、そういう環境に、子どもを連れて行ってあげたい。それだけなんです」
長男の一希には夢中になっていたソフトボールを泣く泣くあきらめさせた。子供の望みを断つという、身を切るような辛さを市長にもわかって欲しかった。
子どもを守りたいという切なる思いはどこにも届かない。
「私怖かった。わからないものに包まれてすごく不安で、直ちに影響はないとしか言われない。じゃあ、普通に生活していて、何かあった時にだれか責任を取ってくれるの?私誰も取ってくれないって、わかったんです。そういうのが一番怖かった」
かけがえのない自分の子どもが、傷つけられることを想像しただけで、到底、尋常な精神で等いられない。「万が一子どもに何かあったら、あたしは大丈夫なのかって考えました。あたし、自分を物凄く責めると思う。平気でなんかいられない。あと後になって後悔したくない。
それだけなんです。そのために出来るだけのことをしたい。それしかできないから。
5月末、伊達市は次々に子どもへの対策を発表した。
26日発行、「だて市政だより」で市長が、『市内全小中学校、幼稚園、保育園の表土剥離、プールの清掃除染』を、30日には市長会見で『教育施設にエアコン設置、子どもの放射線対策、10億円を専決決済』と発表。
市長は紙面でこう訴える。
『放射能の健康被害のおそれと、 外で遊べないことによるストレスを心身の健康という観点から考えた時、私は後者の心配が大きいのではではないかと考えておりますので』
市長が「子どものため」と進めていく方策への敦子の違和感はますます大きくなる。 続く
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