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心の除染という虚構 24

心の除染という虚構

24

 ひかりは両親に訴えた「窓とか換気扇に目張をしなくちゃいけないし、ご飯はラップをかけて有って冷蔵庫に入っているのしか食べちゃダメで、エアコンを止めないと、外の空気が入ってくる」

  渉はひかりを叱責した。それは興奮状態の娘を落ち着かせるためでもあった。

「今、原発で避難している人もいるんだぞ。必死で作業している人もいるんだぞ。そういう人のことを考えろ。俺らのことよりも」

後に渉は思った。

「結局、ひかりの言うことが正しかった」

奈津はひかりの言葉に従い、窓を目張し、極力開けないようにした。以降3年間、水田家では窓を開けることなく過ごすことになる。

 3月16日、この日福島県は予定通り、県立高校の合格発表を行うという。ひかりはすでに2月、1期試験で県立高校の合格が決まっていた。進学校で偏差値も高く、ひかりの憧れの高校だった。ひかりと奈津には、発表を見に行くことへの躊躇があった。爆発した以上、外に出るべきではないと。

 実際、前日の15日、すでに福島市では、原発爆発後、最大の空間線量を記録していた。

その要因は、3月15日の夕方、福島第一原発周辺から東南東、及び南東の風が吹いたことで、この日、北西方向に高濃度汚染地帯が作られたのだ。最も顕著なのが飯館村で18時20分には

44・70マイクロシーベルト/時を記録。

この時、飯館村に隣接する霊山町小国にも放射性物質が降り注いだ。

飯館村を通過した放射性物質が次に向かったのが、福島市だった。

19時30分に福島市は24・0マイクロシーベルトという最大値を記録する。

しかもこの日、中通では雨が降っていた。山深い小国では、それが雪になった。その雨によって放射性物質が降下、中通り一帯に放射性物質が沈着する、という不幸が起きた。

 繰り返すが、県立高校の合格発表はこの翌日のことだ。中学校を卒業したばかりの生徒たちが幾人も、屋外の掲示板で、自分の合否を確認するために県内各地を歩き回った。

 放射性物質を警戒するアナウンスは何もなされず、無防備なままで。ひかりはすでに合格が決まっていたこともあり、無理して外に出ることもないだろうというのが、本人と奈津との一致した考えだった。

「だから高校に電話したんです。阿武隈急行は止まっているし、ガソリンもないから、発表を見に行けないと。『では来られるときでいい』と高校では言われたのに、それが中学には伝わっていなかった。中学から早く入学の手続きに行ってくれ、と電話があった」

努力してようやく合格した。希望の高校だった。こんなことで合格が流れたのでは元も子もない。

2人は手続きに出かけることに決めた。

18日渉に夏の実家がある福島市内まで送ってもらい、福島交通飯坂線で最寄駅まで行くことにした。 続く

 

 

 

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