日々の感じた事をつづる
永人のひとごころ
こころの除染という虚構179
こころの除染という虚構
179
「除染はスピードが大事なんです。だから、我が市では高いところから区分けをして迅速にやってきたわけです」
議会答弁のようになりつつあるが、その流れに乗った。交付金のことはいくら聞いても同じだと思えたから。
「はい、ABCエリアですね。いまCエリアで面的除染を望む声がありますよね」
「それは私も知っていますが、やるのが大変というより、仮置き場なんです。Cエリアのように広い地域だと難しい。
Aはせまいエリアなので行政区ごとにつくることができたが、Cは違う。問題は仮置き場だ」
仮置き場がCエリアを除染しない最大の障害なのだと言いたいのだろうか。
市議の高橋一由に話を聞いたとき、仮置き場問題がネックだという指摘があった。
高橋は昔から除染担当の職員、半澤隆宏をよく知っているとしたうえでこう話した。
「Aエリアの仮置き場説明会で半澤は、相当たたかれたんだよ。吊るし上げにもあった。だから彼としてはもうめんどくさくなったの。
Bエリアだって『やっちゃくね(やりたくない)』って言ってたから、Bエリアは俺が仮置き場を探してやったんだよ」
いつまでこの質問が続くのか、市長いからちょっと困った表情が読みとれる。
嫌なら質問を打ち切って、踵(きびす)を返せばいいだけなのに。こちらも何を聞いても暖簾に腕押し感が募る。幾ら言葉を重ねても同じような気がしてくる。
「だけど市内の7割を占めるエリアを除染しないというのは問題なのではないですか?」
「伊達市の除染のやり方は、正しいですよ。7割近い市域を面的にしないことも、除染はスピードなのですから。側溝もやっと始まって、今やってますよ。もっと早くすべきだったが、仮置き場ができずに難航した」
「除染はスピードというのは半澤さんからも聞いています」
半澤という名を聞いた市長の顔がパーっと明るくなる。どこかほっとしたような・・
「なんだ、半澤君に会っているのか。じゃあ大丈夫だ。彼から聞くといいよ。なんでもよくわかっている」
その時号砲が鳴った。
「スタートだ。行かないと」
号砲というきっかけを得て、市長はくるりと背中を向けて、あっという間に走り去って行った。 続く
こころの除染という虚構178
こころの除染という虚構
178
13・「放射線防護」のための除染
2016年10月23日、午前8時。気持ちよく晴れ渡った秋空の下、梁川総合支所前の広場にはカラフルなテントが張られ、スポーツウエア姿の人たちであふれていた。
これから「三浦弥平杯ロードレース」が行われようとしていた。開会式に仁志田市長が出席することが市のサイトにアップされていたため、ここで直接、取材をしようと試みた。
伊達市の広報を通して市長へのインタビューを申し込んだのだが、多忙を理由に断られたからだった。
仁志田市長は思ったより小柄で、写真で見た通りの濃い眉だった。
開会式終了後、名刺を渡して自己紹介をした。
「梁川出身のライターです。ノンフィクションを書いてます」
「梁川? おおそうかね」
意外とばかりにちょっと嬉しそうな表情。
「広報を通して取材を取材を申し込んだのですが。お忙しくて時間が取れないという事で、今日、ここに来ました」
「そうかね? そんなことがあったのか」
取材拒否はどうやら市長の意思ではなさそうだった。そもそも取材を申し込んでいること自体知らないようだ。
「いま原発事故のことで伊達市を取材しています」
朝陽が輝く澄み切った青空のもと、スポーツの祭典という和やかな雰囲気の中に、ぽっと投げ出された「原発」という言葉。唐突だったせいか、市長の反応は鈍い。
「お忙しいと思いますので単刀直入にに伺います。除染の交付金のことです。市長がウイーンで講演をされた平成26年2月CエリアとBエリアの除染交付金が合わせて86億円も減額されていますが、それはどうしてなのですか?」
市長はぽかんとしている。質問の意味、意図するところがわからないらしい。
「それは何ですか?減額って聞いてないな」
「Cエリアは64億で交付金が決定されていたのですが、それを8億でいいと変更申請が伊達市から県になされています」
「なんのことかな?わからないな。いや適正にやっているはずですよ。計画を変えることはできないですから。それをするにはきちんと申請しないと」
「その変更の申請が市長がウイーンに行っている間になされています」
「いや、そんなはずはないと思いますよ。交付金の細かい流れはいちいち私は介入しませんから」減額申請については市長は何も知らないのではないか。質問の意図するところがわかれば、警戒するだろうし、何か策を弄するのではないか。そのようなものが一切、表情から読みとれない。だけど何だろう、この手応えのなさは。
目の前の市長は質問の意味するところをわかりかねているようだった。
除染について聞かれていると分かったのか市長は続ける。 続く
こころの除染という虚構177
こころの除染という虚構
177
梁川町に住む河野直子の家は、世帯主である弟の強い意向で2次モニタリングを辞退した。
すなわち、伊達市が言う『同意書提出世帯』に当たる。直子が言う。
「私は、除染はやってもらった方がいいよって言ったんだけど、周りに放射性物質があると思うと嫌だね。いい気はしない。今はあきらめ、しょうがないって思う。伊達市はどうせやってくんに(くれない)と思うしね」
直子は毎日、80半ばの母親と同じやり取りを続けている。母は畑で自分の作った野菜を食べろと食事のたびに言う。
「なんで食べねんだ」
「セシウムが入っているかもしんにから、私は食べねよ」
「伊達市は大丈夫だと言ってっぺした(言ってるでしょう)。もう誰も気にしてねえぞ」
「私は気にしてっから食べません」
直子は苦笑する。
「このやり取り、母親が死ぬまで続くと思うよ、年取ってんからわがんねの。毎日毎回、同じことやってんだよ」
仙台に住む長男に子どもが生まれたが、孫は実家に連れてこないようにと息子には言ってある。
「とても、ここでは孫は遊ばせられない。おっかない。こういうストレスは、余計なものだと思うよ。もし除染してくれたら。どんなに気が晴れるか。除染してくれたら伊達市に間違いなく感謝する。隣の国見も桑折もちゃんとやってもらってんのに、なんでだべない(なぜなんだろう)」
事故後も私は直子と会っていた。小国の高橋佐枝子の家にも車で連れて行ってくれたし、温泉で一泊したこともある。だけど私はわかっているようで、あたかも寄り添っているようで、直子の日々の思いなど何もわかっていなかった。
福島原発事故後、除染されていない土地で暮らすという事が、どういう影を心に落としているのかを。
「いやなもんだよ。ああ周りにもあるんだ、あそこにも、ここにもって。あるんだ、というのがものすごいストレス。前はなかったのが今はあるんだから。それが一生ついて回るんだよ。つらいよ。思いつめっと鬱になっかも」
子どものころから、いつも冷静で落ち着いていて、客観的に物事を見る直子。頼りがいがあるその気丈な目に、涙が宿るのを見たのは初めてのことだった。続く
こころの除染という虚構176
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こころの除染という虚構
176
川崎真理の取材で、「除染太助」という存在を初めて知った。「除染太助」とは、除染した草や土を入れる簡易保管庫だという。
今、真理の手元には、伊達市の除染推進センターから支給された軍手の束に土嚢袋、ビニール袋などがある。
「市は大丈夫だというけど、私はそうは思わない。
だけど、うちは3マイクロないから結局はやってもらえない。自分でやれって言われてもこれだけの広さは無理だから。でも、しょうがないから子どもが通るところだけはやって、除染太助には入れておいたけど太助も回収されちゃった。
除染 太助は自分の家の仮置き場のようなもの。家から一番離れたところに置いておいたけど。
土嚢袋や軍手を広げて見せてくれた真理が、ため息を漏らす。しかし、真理はきっぱりと言った。
「これで自分で除染しろって、ふざけてないですか?私たち、何をしたっていうんですか?
かってに放射能をばらまかれて、めちゃめちゃにされて、お掃除道具は貸しますから、自分で掃除してくださいって。同じ空間線量なのにBだったら業者にやってもらえて、Cは自分でやれって。私は太助を借りてきて、子どものために少しはやったけど、これっておかしくないですか?」
それは水田渉も奈津も、そして早坂道子も和彦も変わらぬ同じ思いだ。おそらく彼らは半澤が言う107世帯に入っている。少数派で切り捨てられる人々に。
なぜ、たまたま伊達市のCエリアに住んでいるだけで放射性物質がそこにあるのに、行政から何もされず、『心の除染』のみを強制されなければならないのか。
しかしそんな住民の思いを半澤はあくまで
『後付け』だと言う。
「伊達市から2年も遅れて隣の国見町も福島市も全面除染を始めた。こっちは終わろうとしているのに。だから、『隣がやっているのにアッチだって同じように線量が低いのに何でこっちがやらないんだ』となってしまった。
つまり後付けなんです。当時そんなこと思っている人いなかったのに。こっちから言わせれば『これからやる国見の方がおかしいんだ』放射線防護の観点から言ったら、2年間何もしないでこれからやる方が。
だからCエリアもやれというのは人のふんどしで相撲を取ってるんです」 続く
こころの除染という虚構175
こころの除染という虚構
175
田中俊一から多田順一郎へ、「放射線安全フォーラム」というICRPが提唱する放射線防護の考えを支持する「専門家」の指導の下、伊達市ではすべての根拠は放射線防護に行きつく。
ではICRPが提唱する「放射線防護」とはどのようなものなのか。
「フクロウの会」の青木一政はこのように解説する。
「ICRPは原発が本格的に世界中で建設される時期に、被ばくに対して、それまでの原則である『可能な最低レベルまで低く』を修正してきました。今は1973年に出された、『経済的、社会的な要因を考慮に入れながら、合理的に達成できる限り低く』という言い方になっています」
なぜ、放射線から人を守る放射線防護に『経済や社会』的要因が考慮されないといけないのだろう。
青木はICRPの考えを噛み砕いて説明してくれた。
「これ以上お金をかけても、それに見合う健康リスクが低減されないならば、それ以上はお金をかけない」
今度はお金だ。これが放射線防護の考えなのか。
青木はさらに言う。
「がんやその他の病気が出ても、ある程度の人数以下ならば、それは原発による電力というメリットがあるので我慢してもらいましょう・・・という考え方です」
だから多田は「納税者の皆様に申し訳ない」と言うのか。さらに青木は言う。
合理的という言葉には注意が必要です。ICRPの評価は科学的、医学的評価ではない。経済的、社会的評価なのです。
2016年2月の伊達市取材において、Cエリアを除染しないことへの疑問に対し、放射能対策課の斎藤課長はCエリアの住民に対して行った『同意書』の集計結果を示した。世帯数1万5125世帯のうち、同意書提出世帯は1万2791、同意書提出世帯とは「作業を申し込む、または辞退する旨の同意書が提出された世帯」とある。
斎藤は言う。「『私の家はやらなくていいですよ』という世帯と、「あれば、そこだけとってください」という世帯に対して、「俺は全部除染じゃないとだめだ」と言っているのは3000を切っている。この差ですよ。」
半澤隆宏はさらに付け加えた。
「Cエリアで面的除染を要望する人、それはゼロではないですよ。90%以上がそうではないですが、希望する人は多くないですよ。面的にやってほしい人に対応するわけにはいかない、お金がかかるんで。同じ税金を投入するんであれば、線量の低いところではなく、もっと効果的に使った方がいいのでは?はっきりそう思いますよ」
これが同年5月30日の取材では、さらにこうなった、半澤は言う。「Cエリアでも面的除染をしてほしいという人はごく一部なんですよ。調査票で3000いくつかの世帯が望んでいましたが、全戸訪問してちゃんと説明したら3300世帯は納得していただいたんですよ。
だから最後まで面的除染だと言い張って残っているのは、100世帯ぐらいなんです。正確には107戸ですが」107という少数だから切り捨てていいという発想。
住民に最も近い場所にいる自治体が、少数だからと住民を切り捨ていいのだろうか・・・続く
こころの除染という虚構174
こころの除染という虚構
174
多田はこの日、名刺交換をした私の担当編集者にこのようなメールを送っている。
「昨日は。汚染が伊達市の中で最も軽微なCエリアの住民のうち、除染という『行政サービス』を受けられないことに不満をお持ちの方々(全市では百数十人)がなかなか賑やかで、事情をご存じない方は、いささか驚かれただろうと思います。
自分たちの思い込みの世界に引きこもってしまった人たちは、信念に合わない話には耳を貸さず、客観的な情報を前にすると思考を停止させてしまいますので、到底リスク『コミュニケーション』など成り立ちません。かつてのオウム真理教の信者や今日のISに身を投じる若者たちの様なものかも知れません」
これほどまでに市民をヒステリックに敵対視する人物が伊達市の放射能アドバイザーとなったこともまた、市民にとっては不幸なことだった。
2014年は伊達市議会もCエリア除染をめぐって、市当局への厳しい批判を繰り返した。これは、市議会9月定例会でのやり取りだ。
丹治千代子・・・1月の市長選の時に、後援会報にCエリアも除染して復興を加速すると書いてありました。市長は公約通り、Cエリアも除染すべきと思いますが、お考えをお伺いいたします。
市長仁志田昇司・・・安心を得るためにどうしたらいいのかという事、それがフォローアップ除染という事であります。基本的にCエリアはホットスポット除染をしているわけであってこれも除染なのです。Cエリアのフォローアップ除染を実施しますというのが公約です。
12月の定例会ではこのような応酬があった。
中村正明…どうして伊達市は周りの自治体と同じくできないのか、そのできない理由をお聞かせいただきたいと思います。
市民生活部理事・半澤隆宏・・・むしろ逆に周りの市町村がなぜ伊達市のようにできないのかという事なのだと思うのです。つまり早めにやることが大切だという事で、放射線防護というのは健康影響被害を低減するためにやるものですから、いつかはやってもらうという事業ではないわけです。ですからほかの市町村ももう少し早く取り組んでいれば、被ばくを防げたのではないかなと思ってございます。
尚も激しく食い下がる中村議員に今度は市長が答弁に立つ。
市長・仁志田昇司・・・理由もなく、放射能の防護の科学的根拠もなく、ただやれというのはどうゆう根拠によるものですか?私は全く理解できないです。不安に思っている人がいることは承知しているからフォローアップ除染をしていますけれども。
放射能防護的には必要がない。大丈夫ですとそれは断言してもいいですし・・・放射能の専門家の意見を聞いてやっているわけであって。
何を聞いても「放射線防護」。今に至るまで、Cエリア除染に関しては、この論争の繰り返しだ。続く
こころの除染という虚構173
こころの除染という虚構
173
12・Cエリアに住むという事
「市長選後公約違反ではないかとCエリア全面除染を望む声が急激に高まった。Cエリア除染を期待し「市長がやってくれるなら」と投票した住民も少なからずいたからだ。そんな声に対する、仁志田市長の返答に揺るぎはない。「だて復興・再生ニュース」(平成26年6月26日号)の市長メッセージでこう訴える。
「・・・除染は生活圏中心で身近であったためか、本来は被ばく対策のため空間線量を下げる手段であったものが、いつの間にか目的化し、線量に関係なく『除染をしてもらってないので安心できない』という声になってしまった面があります。
今必要なのは人びとの心にそうした信頼を取り戻す
『心の除染』というべきものなのではないでしょうか」
またもや心の除染だ。そして除染は手段であって目的ではない。此れも今哉伊達市の常套句だ。
伊達市のアドバイザーである多田順一郎の考えも全く同じだ。
「・・・国や県が除染の具体的な戦略を示さず、除染のための費用だけが流されてきた結果、人々の受ける放射線の量を低減させる『手段』である除染がいつの間にか『目的』化してしまい、測定された個人線量が1年間に1ミリシーベルトを下回っているにもかかわらず、『市内全域を公平に除染する』というequityとequalityをはき違えた議論が市長選の争点になる事態まで起きてしまった」(「エネルギーレビュー」2015年4月号)
多田は今、除染に多大な期待を抱かせたことを専門家として反省する。2016年1月31日に福島県文化センターで行われた、各市町村の放射能アドバイザー意見交換会で壇上に立った多田は
『全国の納税者に申し訳ない』と「反省」を口にした。
自身が理事を務めるNPO法人放射線安全フォ―ラムが同年2月20日に開催したシンポジウムでも
、多田はこのような文章を発表している。
「・・・伊達市以外では、汚染のレベルとは無関係で、画一的な除染が実施されるようになりました。戦略なき除染は、市民の安心を求める声が上がるたびに、どんどん範囲を拡大させ、線量低減に寄与しない除染を止めきれなかったのは、現地でお手伝いをしてきたアドバイザーとして、除染事業を支えて下さる全国の納税者と電気料金負担者に申し訳なく思って居ります」
先の放射能アドバイザー意見交換会では傍聴に詰めかけた伊達市民から次々と抗議の声が上がった、
「多田さん、今すぐ、伊達市のアドバイザーをやめてください!!」
続く
こころの除染という虚構172
こころの除染という虚構
172
夫の亨は多い時で月2、最低でも月1のペースで大府の家族のもとへ車を走らす。
「慣れたので、7時間ぐらいで行けちゃうんです。金曜の午後に出て9時か10時に向こうへついて、お風呂に入って晩酌、翌日は遊んで、土曜の午後に向こうを出る。これが普通になりました。娘は前はすごく喜んでくれたのに、今は『ああパパ来たの』って。全力で迎えてくれるのは犬だけです」
確かに最近は、子どもたちの部活が忙しく、土曜日は夫婦だけで出かけるほうが多い。亨は言う。「こっちだと『夕ご飯、何にする?』なんて言われても何でもよかったのですが、向こうでは『じゃあ俺も』一緒に買い物に行くか』ってなる。最初はそういうのが新鮮でした。今は普通になったかな」自主避難という形なので、支援は家賃と高速道路料金ダケ。決まったルートをたどるという条件付きで高速が無料になる。生命線でもある家賃支援は2017年3月で打ち切りになる可能性が高い。
そうであっても二人の考えは変わらない。敦子は言う「子どもたちが自立して、どこかで生きていけるようになれば、私は小国に帰れるんです。私は帰らないといけないけれど、子どもと一緒に帰るというのは考えていない」亨も同じ考えだ。
「家賃支援はあった方がいいに決まっている。けれど家賃が打ち切られても、子どもが独り立ちするまではこの生活をすると夫婦で決めている。『お金があるから避難できたんでしょ』と言われることもあるけれど、そんな薄っぺらい考えで決断したのではない。うちは放射線を受け入れるという生活に、折り合いをつけることができなかった。他の家はできたかもしれないけど、うちはできなかった。それだけです」エフェイスタイムで毎日話し、時に亨は晩酌に敦子を付き合わせる。敦子はアイロンをかけながら、フェイスタイム越しに夫の亨の相手をする。
時に同じテレビを見て、同じところで笑っていることに気づく、まるでとなりにいるよう、だから家族のコミュニケ―ションに障害はない。
亨は言う「子どもたちに助けられましたね。向こうの生活にうまく馴染めず、子どもがつまずいたら、また生活を見直すことになったろうし、子どもが俺たちの気持ちを理解してくれたと思う。
当初なかなか避難を納得しなかった莉央に敦子はこう話した。
「もしかしたら莉央に健康な赤ちゃんが生まれないかもしれないよ。それはわからないよ。でもそういう可能性があるから、そうならないように避難を決めたんだよ」莉央は黙ったままだった。
しょうがない、と思ったと敦子は理解した。敦子は、亨が長時間運転でわざわざ会いに来てくれることにいつも感謝している。
「大変な思いをしてやってきてくれるんだから、来た時ぐらい優しくしてあげよう、喧嘩もしなくなったし、いいこといっぱい、子どもも安心している『どうせパパまた来るでしょ』って」
避難してよかったと心から思う。自分が危惧したことは、すべて現実になったから、新年度から小国小は屋外活動やプールを再開し、『普通』に戻そうとする動きが強まった。なし崩し的に子供が育つ環境において、事故がなかったもののようにされてきている。
避難した年の年末、小国に戻る途中、福島のパーキングエリアでコーヒーを飲もうと自販機を探した。見つけた自販機には、『がんばっぺ、福島』の文字が大きく張り付いていた。それを見た時の衝撃を敦子は今も忘れない。
「ああ、あたし、自販機にまで励まされるって思いました。頑張れないと思って出て行ったあたしに、自販機まで『がんばっぺ』と言ってくる。
なんか、ああ~って涙が出てきた。頑張らない人はここ」にはいちゃいけないんだって」 続く
無観客春場所3つの予感的中
無観客春場所3つの予感的中
本ブログ、2020年3月10日投稿の
『明の朝乃山と暗の徳勝龍』
について、
*
①関脇 朝乃山(17画大吉名)には大関昇進への期待が持てること
②先場所幕尻から初優勝した前頭2枚目 徳勝龍は(43画大凶名=負け越しで)どのくらい番付を下げるか
③しこ名の悪い大関 貴景勝(36画大凶名)には今場所以降も大関以上のものは期待できないこと、を予感し、3月10日に投稿した。
**
15日目、関脇朝乃山は大関貴景勝と対戦、これを堂々と撃破した。まことに天晴れである。
明・朝乃山・吉名・11勝4敗 大関昇格確定であろう。
暗・徳勝龍・凶名・ 4勝11敗番付の下げ確定。
● 貴景勝・凶名・ 7勝8敗 大関カド番。
かくして3予感は的中した。
***
なお、優勝は吉名の白鵬と鶴竜がともに12勝2敗で7年ぶり(白鵬と日馬富士以来)横綱同士の相星千秋楽決戦を白鵬が制し、44回目の優勝を遂げた。
2020年3月22日18時40分・記
こころの除染という虚構171
こころの除染という虚構
171
庭は土を天地替えした。表面の土は高かったけど、ひっくり返せばぐんと低くなった。屋根は瓦のような吸着しやすいものではなく、トタンにして、隣のマンションとの境の植え込みが1マイクロ近くあったから、その前に倉庫を建てて子供が行かないように遮蔽した。ここで暮らす以上守れることはできるだけやろうと」なぜ、汚染された土地に住み続けるのかという批判も当巻きに聞こえる。道子は言う。
「『この家、あなたに上げるから住んで頂戴、仕事もあるよ』と言うのなら、避難できると思う。母子だけで避難というのも、選択肢にはなかった。だって親子の時間は戻ってこない。家族バラバラになるぐらいだったら、どんな苦労どんな努力もするって決めた。だから腱鞘炎になるぐらい毎日拭き掃除をやっています。ひじが筋肉痛で上に上がらないぐらい、だからこの家、掃除機のごみパックの検査をしても、セシウムがものすごく少ないんです」
新築の家で、早瀬家が新しいスタートさせたのは、2014年5月龍哉は5年生、玲奈は2年生、そしてこの春、一番下の駿が梁川小学校に入学した。
2015年夏、愛知県大府市に椎名敦子を訪ねた。小柄で折れそうな程、華奢な体なのに、顔が以前よりふっくらしている気がした。
「こっち来て私太ったんですよ」にこって笑うおちゃめな表情は、初めて目にする穏やかなものだった。
「こっちへ来てゆるみっぱなし。気を張っていなくていいし、毎日、のほほんとしています。すごくよかったのは、家族の絆が深まったこと。離れているからこそ優しくなれる。私には感謝の気持ちしかない。お母さんが家のことをやってくれるから、ここにいられるし。離れて悲しいんだけれど、やっぱり家族であり続けるためにお互いが努力を惜しまない。毎日フェィスタイムで話しているし、子どもたちには、「パパとママ、ラブラブだよ」って言ってるんです」
中学入学と同時に愛知での生活を始めた長男の一希
は野球部に入り、友達もでき、新生活を謳歌するようになったが、小学4年生の長女。・莉央は「私は小国にしか友達はいない」と頑なに友人をつくろうとはしなかった。
「娘は大変だったけれど、夏に保養キャンプで小国の友達にこっちで、会って吹っ切れたのか、そこから少し、生活に前向きになった」
一希は高校でバトミントン、莉央は中学でバレーボールと2人とも部活で頑張り、のびのびと学校生活を楽しんでいる。 続く
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