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石と石の同文字の因縁 三の二

石と石の同文字の因縁 三の二
石巻・吉野永人

「おそらく今日も勝つと思うけれど、四股名が良くないので、それが心配だね」
「どう良くないの?」
「27画のケガをする、ケガの多い四股名なんですよ。伊勢ケ浜部屋の力士には○○富士が多い。伊勢ケ浜親方が元横綱の旭富士だったところから弟子に「なんとか富士」というのが多いのですよ。伊勢ケ浜部屋の所属ではない力士で富士が付いているのは“北勝富士”くらいかと思う、これは八角部屋の力士です。伊勢ケ浜親方の頭には四股名の吉凶などの知識は毛頭ないと思うし、あれば尊富士という危ない四股名は付けないはずで、親方自身、多少の怪我は稽古で治す、と言うほど、稽古第一主義の親方ですからね。厳しいけいこで知られています」

 翌日、14日目、岡の尊富士は橋の朝乃山と対戦、初の黒星を喫した。13連勝で逞(たくま)しさみなぎる勝ちを続けて来た尊富士は、土俵を割り黒星を付けられた。初黒星は仕方ないとしても、右足首を傷め、かなりの重症を負った。
 前日にカットハウス・アベで店主夫妻と話した尊富士へのケガの心配はたった1日で的中の有り様で、翌日の優勝をかけた一番は、土俵にも上がれないのではと、だれもが心配した。

が、尊富士は「これで相撲人生が終わってもいい」という強い覚悟で土俵に上がり、初優勝をつかんだ。新入幕力士の優勝は110年ぶりの快挙であり、尊富士は、故郷の五所川原市で凱旋パレードを挙行してもらい、いわゆる「故郷に錦を飾った」のである。

 ところが、怪我は相当重く、翌5月場所は全休し、番付も十両に下がった。復帰を期待された現在の名古屋場所も全休見込みで、9月場所は幕下への陥落も見込まれる状況にある。

 一方、2024年7月17日、現名古屋場所4日目、
今度は橋の朝乃山広暉になんとも大きな試練が襲ってきた。
続く

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石と石の同文字の因縁・三の一

石と石の同文字の因縁・三の一
石巻・吉野永人
石岡弥輝也さんは青森県五所川原市出身の25歳。
石橋広暉 さんは 富山県 富山市出身の30歳。
二人は日本相撲協会の力士である。

石岡さんは
伊勢ケ浜部屋に所属し通称の四股名は尊富士で番付名は尊富士弥輝也(たけるふじ・みきや)である。

石橋さんは
高砂部屋に所属する。通称の四股名を朝乃山とし、
番付名は朝乃山広暉(あさのやま・ひろき)である。
(余談だが、小生の19歳の孫に大暉(ひろき)と名付けている)

さて、この二人には大いなる因縁を感じている。
ご存じのように尊富士はあっという間に今年3月場所で初入幕し初日から連勝街道を驀進した。だが彼には尊富士(27画⇒批難遭難運)があり、番付名の尊富士弥輝也(弥は彌で17画⇒総画62大凶)下記の理由で運気は良くない。

●62大凶⇒ 内外不和にして信用乏しく、志望達し難し。漸(ぜん)を追いて衰退の境に入り、不時の災難に襲われ、一家傾き、一身弱り、年月とともに惨風、悲雨加わる象あり。

*昨日朝乃山広暉で解説したように二人に共通する運気は27画の怪我災難の中絶半途中折れの要素である。

 本年3月場所13日目、相変わらず尊富士は白星12個の全勝中であった。10時ごろ行きつけの理容店へ行った。店主夫妻は言う、
「とんでもない力士が出てきましたね。何と読むのかわからない富士の付く相撲取りで・・・」
「ああ、尊富士ですか。あれはヤマトタケルの尊の文字で尊富士(たけるふじ)と読むんですよ」
目下12連勝中で、もし優勝すれば110年ぶりの新入幕初優勝の快挙になると騒がれているのにまだ四股名の読み方が一般に知れ渡っていない。
これは力士にとっては不利なことである。 続く



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朝乃山広暉 今度の怪我は・・・


朝乃山の今度の怪我は・・・

 朝乃山の昨日名古屋場所4日目の怪我はかなりひどいようだ。4月の巡業で右ひざを傷め、5月場所全休の後を受けて、挽回にいそしむ彼は初日から3連勝と好調だっただけに本当に残念なことである。

朝乃山広暉 (広は廣で15画)
12231513
天格・朝乃山   17
人格・山広    18
地格・広暉    28大凶

外格・朝乃暉   27大凶
総格・朝乃山広暉 45
結論として災難・厄難が付き物の運気であるということだ。27及び28ともに怪我・災難・遭難の多発運である。当然交通事故などにも遭遇しやすい運気である。

27大凶の運気
 自我心強く、批難運と称し誹謗攻撃を受け失敗する者多し。中絶半途、中折れのかたちあり。中年ごろまでは、智謀と奮闘と努力とによりて名利ともに得ることあれど、内外不和を醸して発達なりがたく、裏面の陰口、批難を免れず、他運との関係により、刑罰、遭難、変死、孤独に陥ることあり。

28大凶の運気
 遭難運と称し、一種の豪傑的状態を有し、波乱変動多く、批難誹謗を免れず、時に厄難に遭遇し、傷害を蒙るか、あるいは夫妻互いに配偶者と生死別し、中には幼にして親に別れ、長じて子を失うことあり。
禍乱多く、平和の望みなく、不和、争論、逆難、刑罰の災い相次いで来たり、終生辛労多き険悪運にして、殊(こと)に女性は孤寡(こか)に陥る者多し。

ちなみに本名 石橋広暉も遭難・災難多発の凶名である。
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佐野海舟選手を逮捕

佐野海舟選手を逮捕

 警視庁はサッカー日本代表の佐藤海舟(23)を不同意性交容疑で7月14日に逮捕したことがわかった。
7月14日、東京文京区湯島のホテルで30代女性に、佐藤の知人男性2人と3人で性的暴行を加えた疑いが持たれている。
佐野容疑者は男2人を交え、直前にこの女性と食事をしていたということで、女性は直後に110番通報をしていた。

警視庁は知人の男2人も逮捕していて、詳しい経緯を調べている。

佐野は7月鹿島アントラーズからドイツ一部リーグのマインツに移籍することが発表されている。

佐野海舟(サンズイは水で4画)
711116
天格 佐野 18
人格 野海 22大凶
地格 海舟 17
外格 佐舟 16
総格佐野海舟35

●成功運 天8―人2大凶
運命抑圧を受け、不伸・不満の結果、脳を冒(おか)され健康を害す。

●基礎運 人2―地7大凶
常に迫害を受け、目下の脅威に逢う思いあり。呼吸器、特に肺、自律神経、を冒す。

●三才の配置
天8―人2―地7⇒大凶
第2型・絶対的短命運
発狂、神経衰弱、肺病、脳病など、長患、難治の病症を生じ、短命に陥る。
脳神経を冒す運気で、今回の犯罪は、本人にどれだけの罪の意識があるのかわからないが、神経が普通じゃないだけに始末に負えない。

 このまま、ドイツへの移籍が決まるとも思えないが、なんとももったいない人生をたどりそうで、この佐野海舟名は、実に大凶名と言わざるを得ない。
プロのサッカー選手である前に社会人としての常識に欠けるようでは先行きの人生は明るくない。
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どうしてなのか?

はじめにお詫び申し上げます。

7月1日。大谷翔平語録のあとがきを投稿して以来、2週間、パソコンの調子をおかしくして投稿不能に陥りました。本日やっと修理が完了し、投稿再開に漕ぎ着けました。ご心配をおかけしまたことをお詫び申し上げます。今後ともご支援ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。


どうしてなのか?

 昨年の仙台市議会議員選挙で初当選した立憲民主党の大沼悦子議員(50歳)が本年2月に市内の大型商業施設で盗みを働いたとして警察の取り調べを受けている件で、昨日2024年7月8日、代理人が市議会議長に辞職願を提出し、受理されたというニュースが報道された。

家内は言う「女性は生理などがあり、感情が複雑になって、そういう事件を起こすケースもだいぶあると言われていますね」
「それはないとは言えないが、やはり基本は、その人の性格を含めた人間性なのではないかと思うよ。一つ聞くけど、あなたも女性で、何度も生理を体験してきたと思うけれど、その時期になると店で何か取ろうと思ったことはあるの?」
「それはないですよ」
「だからさ、性格と人間性が一番そういうことを起こす原因になっているんじゃないかいう事なんだ。
当然ながら『運気』が絡んでくるがね」
「やっぱりそういう事なんですか?」
「そうさ・・・根本はそこなんだよ」

大沼悦子議員の運気。
大沼悦子(サンズイは水で4画、忄は心で4画)
天格  大沼 12
人格  沼悦 20大凶
地格  悦子 14大凶
外格  大子  6大吉
総格 大沼悦子26大吉から主運と前運の影響で凶に変化することあり。


●成功運・天2―人10⇒ 大凶
家庭運なきなど禍(わざわ)いを免れざる運気で一生苦心困難す。
●基礎運・人10―地4⇒大凶
急禍来たり、急変大災襲う。心臓を冒すなど最も危険運なり。
●主運(人格)沼悦・20画⇒大凶
物の割れんとするかたち。
短命、非業の誘導ある大凶悪の運命にして一生の平安を得る能(あた)はず、あるいは幾多の災難来たり、或いは凶禍しきりに襲いて厄難、遭難、不如意、逆境に陥り、一歩を進むるときは病弱、短命、非業、破滅の凶兆を示し、中には廃疾、或いは一家を支配する能力無き者あり。幼時、親に別れれて困難に陥るか、男女ともに配偶者を失い、もしくは子の不幸を悲しむなど、百事成就せず、進退谷(きわ)まりて終生を完うする能はざる運命にして、これを主運に有するとき、惨憺殊(こと)に甚(はなは)だし。

●前運・悦子14画大凶⇒破兆あり。家族縁薄く、親を失い子を亡くす。あるいは兄弟姉妹に離るるなど、孤独、不如意、煩悶(はんもん)、危難、遭難の意あり。浮沈極まりなし。その浮沈を憂えて終始す。しきりに心を労す、労して功無し。もの事不足がちにて辛酸(しんさん)多く、他運格の配合により、天寿を傷(そこな)う者あり。

 折角市民の信任を受け、市議会議員に当選しながら、まったく普通では考えられない結果をもたらす。
これが運気というものの怖さである。
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大谷翔平語録85 あとがき

大谷翔平語録
85
あとがき

 大谷翔平を追い続け、筆者の人生観は変わった。
2018年からメジャーリーグの取材を始めてから6年。あっという間だった。個人的な話で恐縮だが、この仕事を始める前はカリフォルニア州サンディエゴの大学院でスポーツビジネスを学んでいた。

正社員として働いていた日刊スポーツ新聞社を退職し、30歳を機にキャリアチェンジを目指して渡米。大学院修了後に再び同社と契約した。

スポーツビジネス界に進出するつもりが出戻りとなった。
正直、米国でこれほど長く記者として取材を続けることに成るとは思っていなかった、ビジネスの修士号を得たにもかかわらず、日本時代と変わらない出戻り状態に恥ずかしさを感じたことすらある。

だが今は違うと胸を張って言える。ここまで続けられたことは誇りだ。大谷の二刀流は
筆者の心を大きく動かした。

2023年3月21日、WBCの決勝戦で大谷とマイク・トラウトの夢の対決が実現した。漫画のような最高の結末で日本が世界一になった。球場の記者席から見たこの光景はこれからも忘れることはないし、あの瞬間に渡米してよかったと心の底から思えた。

エンゼルス歴代の監督や選手たちは大谷を見られることは特権だと表現する。確かにその通りだ。投打のパフオーマンスはもちろん、囲み取材での言葉も年々貴重になっている。だからこそその機会を得られることにまず感謝したい。

今後、彼はどうなっていくのか。二刀流をどこまで続け、どんなドラマが待っているのか――。予想なんてできない。むしろ、それが面白い。
記者たるもの、隔たりがあってはいけないし、公正な視点が常に必要だが、屈しないこの男の行く末を見続けたいと思う。

最後に、本書を執筆するにあたり、多大なご協力をいただいた宝島社の宮川亨さん、取材機会をいただいている日刊スポーツNEWS社、エンゼルス関係者の皆様、ともに仕事をしてきた番記者の方々、そいて家族のサポートに心から感謝したい。

2023年9月10日              
                      齋藤庸裕
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大谷翔平語録84(最終回)「二刀流だからと自分を特別視しない」

大谷翔平語録
84回(最終回)

二刀流だからと自分を特別視しない

 2021年から二刀流でシーズン162試合を完走してきたとはいえ、自分の身体との戦いは毎年のことだった。投打でほぼフル出場を続けるのは当然、他選手以上に負担があった。

 だが、大谷は自分を特別視することなどない。二刀流だからという言い訳をするつもりなど毛頭ない。
2022年のシーズン中、疲労を指摘されたときの言葉がそれを物語っている。
1年間、出ていればやっぱり、疲労というのは溜まると思いますし、それはもうみんな野手もきつい体で出ていると思うので。自分だけではないですけれど、あと少し頑張りたい

振り返れば2022年にも痙攣、いわゆる体がつる症状があった。
8月3日、右前腕がつる症状が出た。休養の必要性を指摘されると、淡々と切り返した。

出られる試合は出たいなと思っていますし、休める余裕もないですから

大谷自身が口にしていたように、体の状態に合わせた二刀流の調整は、もう大谷にしかわからない。
疲労はもちろん、やればやるほど溜まっていくと思うんですけど、その中でオフの日もそうだし、DHで出るにしても、なんというんですかね、練習量だったり、そこまでの過程で調整できるところがあると思うのでそういう微調整でやっていきたい

 周りと比較することもできない。自分を信じて試合に出られるのか出られないのか判断するしかない。それはチームも理解している。だから監督やGMも大谷の言葉を信じるしかない。

二刀流として2年連続、シーズンを完走した2022年10月5日、ほっとしたような表情で言った。
安定して毎試合投げられたのが良かったと思います。それが一番。健康な状態で毎試合、疲れるのは別としてマウンドに上がることができたのは一番だと思うのでそれをまた継続してもっともっと成長できれば、もっともっといい選手に成れる

二刀流で継続して、安定して出続けること――。
これが大谷のブレない目標だ。気力で乗り切ってきたが、右肘は悲鳴をあげた。
原因は当然どこかにあるのだが、誰かを責めるべきではないと思う。
防げたのかもしれないが起こってしまったことはもう何を言っても変えられない。

一世紀ぶりの二刀流のパフオーマンスを見られることに感謝し、今後も応援する――。

 大谷に恩返しするならこの気持ちをずっと持ち続けること。そう信じて、見守りたい。                 終り                           
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大谷翔平語録83 十・終わりなき旅

大谷翔平語録
83
十・終わりなき旅
全員が全員、毎回100%の状態で登板しているわけではない

 2023年8月23日、大谷は右肘を再び故障した。二刀流で鉄人のように試合出場をつづけてきたが、右腕が悲鳴をあげた。野球ファンはもちろん、球界やメディアも落胆した。投打で輝きを放ち、見る者に幸せを運び社会を明るく照らしていただけにショックも大きかった。
大谷の体は大谷が一番よくわかっている。故障者が続出して苦しいチーム状況の中、限界まで戦っていた。故障前のコメントをたどると、やはり疲労が体を侵食していたことがわる。

6月下旬から右手中指に異変

 8月9日のジャイアンツ戦、2年連続2桁勝利となる10勝目を挙げたが、6回を投げ切るのが精いっぱいだった。

疲労は皆ピークぐらいじゃないかなと思うので連戦の最後ということもあるしまた明日休みを挟んで体がどんな感じなのかを確認しながら、もちろん休みが必要なら休むということも仕事として大事かなと思います

 試合にできる限り出場することで、その経験を次につなげる――。ファンやメディアから疲労を心配され、休養をすべきという声があった中で出場を続けて来たが、ついに「休むことも仕事」と口にした。それだけ体が疲弊していた。

8月3日のマリナーズ戦では右手中指の痙攣もあり、4回で降板していた。

一番は疲労じゃないかと思いますね。それは単純に連戦ということもあるし移動が含まれるということもあるけれど、できるだけの体調管理はしているので、その中で出られるという判断だったので、結果としてこういう形になって申し訳ない

 気力を振り絞り限界まで突き進んだ。故障者が続出し、ポストシーズン進出が厳しい状況で負けられない試合が続いていたチーム状況も。頭にあったのかも知れない。

  一方で夏場に差し掛かり、すべての登板が万全の状態ではなかった。
しかし、投げられるとの判断で出場を続けていた。
勿論相談して決めることではありますけど、みんな一杯一杯の状態でプレーしているし、休むような試合と言ったらなんですけど、そういう試合はもうないと思うのでできるなら1試合1試合全部出たい

プレーに影響はないという判断で出たので、もちろん迷惑がかかるような状況だったら出ないし、出た方がチームが勝つ確率が高いんじゃないかなという判断です

右手の中指には6月下旬ごろから異変が出始めていた。
7月4日の対パドレス戦も割れた爪が完全に治りきらないうちに登板、6回途中で5失点で4敗目を喫している。

勿論100ではないですけど、全員が全員毎回100%の状態で登板しているわけではないし、ある程度のスケジュールを守りながら、その中でピッチングしないといけないのでその中で抑えたかったなと思います

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大谷翔平語録82対話を重視する監督

大谷翔平語録
82
対話を重視する監督

 約1か月後の2022年8月、栗山監督はエンゼルスタジアムを訪れた。試合を観戦し、二刀流でプレーを続ける大谷の状態を確認した。そしてシーズン終了後の10月5日、大谷の気持ちに変わりはなかった。
日本代表のメンバー入りなら光栄なことなので、一番は体調面も含めて、自分が万全の状態で出られるのかどうなのかということが先ず一番かと思うので、ちょっと一回ゆっくりして、体をリセットしてそこからかと思います

それから約1か月後、大谷jは自身のインスタグラムでWBC出場を栗山監督に伝えたことを明かした。先行して12人のメンバーを発表した年明けの記者会見にもサプライズで登場。初出場への意気込みを語り、同監督への変わらぬ信頼を口にした。

本当に一人一人の選手と対話する監督だと思うので、一緒にプレーしたことがない選手でも数日でお互いを知ることができるんじゃないかと思います。
そういう雰囲気を持っている監督だと思うので集まる選手は何の不安もなくプレーできると思います

大谷自身も対話を重ねて、日本のプロ野球で二刀流の基礎を固めた。
高校を卒業してメジャーリーグ挑戦を一度は表明しながら、日本ハムでのプレーを決断している。シーズンMVPを獲得した2021年11月、日本記者クラブでの会見で同年限りで日本ハムの監督を退任した恩師について問われると、こう答えた。
本当に栗山さんには感謝しかないですし、あの時色々話して日本ハムに入っていなかったら、こういう形でここにはいないと思うので、寂しい思いはありますけど、長年、頑張ってこられた方なので、今後どうするのかはわからないですけど、少しゆっくり、リラックスした時間を過ごしてほしいなと思いますね。その分僕が頑張っていけたらいいなと思っています

侍ジャパンの監督を退任した恩師に対する気持ちは今もきっと変わらないだろう。
感謝を胸に、大谷はさらなる高みを目指す。
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大谷翔平語録 81 九・WBCと栗山監督

大谷翔平語録81
九・WBCと栗山監督

信頼してもらって全部預けてもらったのは感謝しています

 大谷は日本ハム時代に栗山英樹監督のもとで二刀流の礎を築いた。
そして2023年3月のWBCでは再びともに戦い、二刀流で頂点に立った。ともに日本一も世界一も経験。二人の信頼関係は、やはり特別だった。WBC優勝後の会見で、大谷は恩氏師に感謝の気持ちを伝えた。
準備の仕方も含めて信頼してもらっているのも嬉しかったですし、そこに集中できて、そういう風に信頼、してもらって、全部預けてもらったのは凄く感謝しています

日本一にも2016年になりましたけど、こういう形でまた一緒に野球をする、そうなると正直思っていなかったので、本当にいい経験をさせてもらいましたし、最終的に最高の形で終わることができて、素晴らしい大会、自分にとっても素晴らしい経験だった

理解と信頼

 日本でのWBC一次ラウンド、開幕投手を任され、二刀流で起用された、決勝戦ではDHを解除し、9回から守護神として登板する秘策で胴上げ投手にもなった。二刀流で始まり、二刀流で有終の美を飾った。
最高の形で終わることができたので全員が自分たちの仕事をして、粘り強く最後の最後まであきらめずに、監督を優勝させることができて良かった

 二人にとっては事前に思い描いた通りの展開だったのかもしれない、準々決勝のイタリア戦後、日本から米国へ移動。侍ジャパンはフロリダ州マイアミの地に飛んだ。準決勝メキシコ戦の前に行われた全体練習では、大谷と栗山監督が話し込む場面もあった。

 決勝での登板をも含め,世界一までの様々なシナリオを描いた。
そのための準備を重ね、頂点にたどり着いた、尤も、すべては大谷が心身ともに最高の状態でWBCを迎えられたことが大きかった。

 日本ハムから旅立ち、メジャーで5年。故障を繰り返しながらも、メジャーリーグのシーズン162試合を投打で完走できるフィジカルを作り上げた。
2月まではエンゼルスのキャンプに参加し、満を持して帰国。強化試合での出場を経て、開幕戦に向けて意気込みを語った。
お世話になった監督とこういう舞台で出来るっていう事は凄く特別なことだし勿論一緒に優勝できれば、これ以上ないかなと思います

メジャーに挑戦して以降、再び栗山監督とともに戦うことは想像していなかったという。
遡ると侍ジャパンの監督に栗山氏が就任し、WBCを来春に控えていた2022年7月,『共闘』が現実味を帯びてきた時期に大谷は心境を明かした。

自分を理解してくれる方なので、やりやすいと思うし、その人と一緒に頑張りたいなという気持ちに、もちろんなると思います。
5年間お世話になりましたし、それ以降はなかなか、年1回くらいしか、会う機会はないですけど、もし選んでいただけるのであれば、光栄なことであるし、一緒に頑張りたい
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