goo

相撲界のこと③

相撲界のこと③

4歳の息子を亡くし酒に荒れた日々

 若き日にオオカミ(11画・大吉数)とのあだ名がついたが、一説に力道山(21画大吉名)の脛に噛みついた際の様子がオオカミそっくりだったからだと評されている。

 角界には『動物のあだ名がつくと出世する』という言い伝えがあるがそのことを証明するかの様に若ノ花オオカミは出世していった。

後に千代の富士(24画・大吉名)ウルフ(6画・大吉数)のあだ名で横綱に出世した。

**

 若ノ花について、夫人とのなれ初めは、若ノ花の一目惚れであった。

よく遊びに行っていた夫妻の姪が、ある時期から夫妻と同居し始めたので、一層その家に足しげく通うようになった。

 だが相手の両親は、若ノ花を将来性のない札付きであるかのように断じ、娘を若ノ花から引き離す為に親元に呼び戻してしまった。

若乃花はそれを知るやすぐさま相手の故郷である茨城行きの列車に乗るため着流しに下駄ばきのまゝ、駅まで駆け付けたが、すでに終電の列車は出発してしまった。

 そこで若ノ花は貨物列車に、相手の故郷の最寄駅でスピードを緩めるように頼んで便乗し、目的の駅を徐行して通過する貨物列車から駅のホームに飛び降り、その足で相手の実家まで乗り込んだ。

そうした努力と勢いに相手の親も折れて、二人の結婚は決まったという。

***

花田香代

 10595

天格・花田  15

人格・田香  14大凶

地格・香代  14大凶

外格・花代  15大吉 

総格・花田香代29吉から凶へ

14画 ●破兆あり。家族縁薄く親を失い子をも亡くす。あるいは兄弟姉妹に離るるなど孤独・不如意・煩悶・危難・遭難の意あり。浮沈極まりなし、その浮沈に憂えて終始する。しきりに心を労し、労して功無し。物事不足がちにして辛酸多し。

 ****

 1956年(昭和31年)9月場所に優勝と横綱昇進をかけていたが、これほどまでにして一緒になった大関・若ノ花(22画・大凶名)花田香代の間にできた4歳になる男の子・

花田勝雄(外格22画・基礎運7-4の大凶名)ちゃんが場所前に部屋に遊びに来てちゃんこ鍋をひっくりかえし、それをかぶって全身火傷を負い、死亡してしまった。

ショックに打ちひしがれた若ノ花は稽古もできず、優勝はおろか、もう横綱昇進を狙うどころではなくなった。

若ノ花は酒に逃げ、浴びるほど飲酒を続ける毎日。

泣いてばかりで魂が抜けたようになり、このまま若ノ花という力士は駄目になるんじゃないか、と周囲も妻香代も本気で心配していた。

この時、「若ノ花の画数が良くないので気分一新を図る意味でも四股名を若乃花に代えたらどうか」とある姓名を鑑定する専門家の意見を取り入れ、

「ノ」の字を「乃」に代えて、1957年(昭和32年)9月場所から大関・若乃花(23画・大吉名)の新しい四股名を使うことになった。 続く

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

相撲界のこと②

相撲界のこと②

力士・若ノ花の誕生

 花田勝治は青森県弘前市青女子(おうなご)のリンゴ農家に10人兄弟の長男として生まれた(すぐ上に姉が1人いた)。

勝治は、船荷役で足腰を鍛えられたせいか、素人相撲も非常に強かったそうで、そうした中、大相撲地方巡業のおり、勝治は飛び入りで相撲を取り、二人の力士に勝ったという。

 それが大ノ海(後の師匠・花籠)の目に留まり、働き手を失いたくない父親の反対を押し切って上京し、二所ノ関部屋に大ノ海の内弟子として入門した。条件は『3年で関取になれなかったら親もとへ帰す』ことだった。

若ノ花・・22画大凶。志が中途で挫折する

11110

渋滞の運で、困難・病弱・危難・逆境に陥る運気。

(クサ冠は艸で6画です。若は11・花は10画となります)

**

 若ノ花の四股名は大ノ海の若いころに使用した四股名を譲ってもらったもの。このため、後年「若ノ花・若乃花は一体何人いるのか」という問題が取りざたされた。

勿論花田勝治の若ノ花を初代とする数え方が一般的だが、彼自身は『師匠の大ノ海が初代で自分は二代目だ』と数えていたようなので余計にこんがらかってしまったのだろう。

花田勝治は入門直後に開かれた双葉山の引退相撲を三階から見ていたが、世紀の大横綱が意外に小さく見えて、

『小さな体の自分も努力すれば何とかなるのでは』と大いに奮起したという。

 ***

 入門後に彼を最もシゴイたのは後にプロレス入りした力道山(21画大吉名)で、成績不振に陥った場所後に景気づけに兄弟子の琴ケ濱とそばを食べに行こうとしたところを力道山に見つかり、夜逃げと勘違いされて目を付けられたからだという。

 あるとき、余りの猛稽古に若ノ花は土俵に這ったまま立てなくなったが、それでも容赦がなく、このままでは、殺されてしまうと思い、力道山の脛(すね)に死にもの狂いで噛みつき、まわし姿のまま部屋から脱走して近くの隅田川に飛び込んだという逸話がある。

 後にプロレスラーとなった力道山がトレードマークとした黒タイツはこの時の傷を隠すためだったと言われている。

本人は力道山からの援助と教えは身に染みたと述懐している。 続く

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

相撲界のこと①

相撲界のこと①

 このたび、入門以来12年目の栃ノ心が初優勝を遂げた。

ジョージア(前のグルジア)出身者で初の快挙だった。親方の春日野(元関脇・栃乃和歌)が日本の心を持ってほしいと願って付けた名だという。

しかしなぜ自分の『栃乃和歌』からの二文字を取って『栃乃心』としなかったのだろう。栃乃心は大吉名である。

 **

 18歳の時、日大相撲部で練習。そのまま春日野部屋への入門を決めたのだそうだ。

栃ノ心・・・14画大凶 浮き沈みをくりか

 914

えし不安定で悩み多く、辛酸を極め、危難・遭難・煩悶(はんもん)の連続となる』

 ***

 角界入りを猛烈に反対した両親。「何度やめようと思ったかわかりません」と本人が言うように幕内から右ひざの大怪我で4場所連続休場。幕下55枚の下位まで番付を落とし、右の肘までも手術してそこから奇跡の這い上がりを見せた。

 幕下まで落ちた時、ジョージアでワイン工場を経営している父は、「いつでも帰ってきていいよ」と言ってくれたそうだが、日本へ旅立つとき母が空港で泣いていた姿を思い浮かべて、“このまま帰るわけにはいかない”と歯を食いしばって発奮したのだそうだ。

 もしも四股名が『栃乃心』という15画の大吉名であったならおそらくあの大怪我もなかっただろうし、もっと早く優勝を経験していたかも知れない。

 これから先、何度も優勝して欲しいと思うのだが、『栃乃心』ならいざ知らず、今後『栃ノ心』のまま、優勝を繰り返すことは難しいだろうと思う。

春日野親方には『栃ノ心』から『栃乃心』への撰名(せんめい=呼び方を変えず文字だけ代えて運気を強くする方法)を真剣に考えてほしいのだが・・・ 続く

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

有難い大人の休日倶楽部④

有り難い大人の休日倶楽部

白石蔵王駅助役の姪

 わすれ物を受け取り、再び新横浜駅へ行くとすでに高島屋は開店していた。先刻お世話になって人にお茶請けを送ろうと思っていた人に送る手続きをしてようやく上り東京行きのこだまに乗り込んだ。

 東京駅にて乗り換えする際、東北新幹線の運航時刻表を見ると、最も早いのが11時発仙台行きの列車「やまびこ135号」。これには福島まで山形新幹線の新庄行き「つばさ」が連結される。1~9号車までがやまびこ、10号車から16号車までがつばさである。

 次が11時20分発はやぶさ青森行き。郡山で抜かれるが、まあたまにはのんびり行こうと思い、やまびこ135号に乗った。

 途中で車掌さんが来たので指定席の切符を買った(最初から料金に含まれている)。70歳過ぎの男女の方々がリュックを背負い山登りの格好をして20人ぐらい上野から乗ったのだが、この人たちはどこに行くのだろうと関心を持って見ていた。途中の停車駅のアナウンスが有り、上野、大宮、宇都宮、郡山、福島、白石蔵王、終点仙台の順だった。

 いつもは「はやぶさ」だけを利用するので白石蔵王には停まらない。上りは東京~大宮~仙台である。それが今回は偶然白石蔵王に停車する『やまびこ号』というのも何かの因縁なのだろうと思った。白石蔵王には弟の娘(姪)が助役として勤務していると聞いていたからだ。

 結婚して頭領寡婦運に成り心配していたところ、子供2人をもうけたものの、やはり、運気通り離婚してしまった。今JR東北の管理者として頑張っている。

 白石蔵王駅に着いたら、おそらく姪はホーム上に列車誘導の旗を持って立っているだろう。逢えたら声をかけて励ましてあげたい、と思っていた。

 列車は白石蔵王に到着した。例の年配者がぞろぞろと降りたった。大寒波予想の中で、山登りは大丈夫なのかと少し心配になった。この分では前がつかえて降りられない。

 姪は赤い旗を持ち、車両の中間に立っていたが、すでに発車のベルが鳴っていて、降りることはできなかった。が、姪の元気そうな立ち姿を見て安心した。

 仙石東北ラインで、石巻に15時26分に着いた。途中そばを食べて帰宅したが外は霙(みぞれ)から雪に変わり、大寒波の予報は見事に当たり出した。

 どこへも寄らずに帰宅したのは大正解だったようである。それにしても大人の休日倶楽部はまことにありがたい設計であると感謝し、また利用したいものだと思った。 終わり。

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

有難い大人の休日倶楽部③

有り難い大人の休日倶楽部

大寒波予想

 9時30分、車でホテルへ送っていただき、皆さんからのお土産品を頂戴し、ホテルへ入った。

チエックインで翌朝の食事券と隣にある温泉の、23時まで有効だという1000円の入浴券を渡された。

『前金制ですので9000円頂きます』

『朝食は朝6時半からです』とてもきれいなホテルだった。部屋も快適でベッドはダブル。良心的な経営だと思った。部屋は5階にあった。非常口を確かめ、土産品の整理などして

部屋の風呂へ入り、11時30分に就寝した。

**

5時半ごろ目が覚めた。石巻では家内が起きているはずだ。ベッドに入ったまま携帯で家内に電話した。

『おはよう、今日天気が良ければ横浜と川崎、東京の3か所へ連絡して行きたいのだが、どうも大寒波襲来とこれからの天候が怪しく感じられて仕方がなかった。

 本来の予定分は昨日で順調に終わったことだし、できれば早めに帰宅しようと思う。切符は23日まで有効だが、そんなことも言って居られないだろう。大寒波が来たら混乱する筈だ・・・』

「それじゃ気を付けて」 携帯電話をベッドの上の棚に置いた。その後あと30分ぐらい寝ようと思った。しかし目を覚ましたら7時半だった。急いで身支度し、食事の場所へ行った。

和と洋のバイキングだった。ゆっくりと洋で食事をとり、その間に泊り客の出入りを見ていたが、かなりの利用客があったようで、次から次へと朝食を摂(と)りに来ていた。

***

さて帰り支度だ。

洗面具よし、土産品よし、書類よし、マフラーよし、手袋よし、オーバーよし、これで忘れ物はなし。9時にチエックアウトし、新横浜駅へ向かった。暮れにチューリップを送って頂いた人に高島屋からお茶受けを送ろうと思っていたが、10時にならないと開店しない様だ。あと50分も待つわけにいかないので、すぐホームへ行き、東京行きのこだま号に乗った。

 家内に報告しようと『携帯電話』を上着・オーバー・ズボンのポケットから出そうとしたが、無い。どうやらホテルの部屋に忘れてきたようだ。しまった・・・

品川駅で降り、隣のホームから博多行きの新幹線に乗り、新横浜に戻った。清算の窓口から外へ出た。ホテルへ行き、フロントで『忘れ物をした』と言った。鍵を渡され、部屋に行ってみると、携帯電話はベッドの上のタナにちゃんと乗っていた。続く

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

大人の日曜倶楽部②

大人の休日倶楽部②

JR東北

 *

 向かいに座った2歳ぐらいの男児が足を伸ばしたままバタバタさせると時々私のコートを蹴り、膝をも蹴るような形になった。母親は見かねて子供の靴を脱がそうと右の靴へ両手を掛けた。すると途端に「イヤだ!!」と声を上げて拒否した。

 母親は直ぐに手をひっこめ、何もする様子がない。「オジサンの服を汚すから靴を脱ぎなさい」とも言わない。ただ無言で座っている。10歳ぐらいの子が座席を立って、手すりのあるところへ行った。私の向かいにいた2歳の子も立って後を追うように兄の方へ行った。

 母親も間もなく子供たちの方へ行った。パタ・パタ・パタ今度は2歳の子が走って来たかと思うと私の靴を踏みながら私の向かいの座席にまた座った。足をバタバタし始めた。やがて母親が戻ってきて再び私の隣に座った。それを2回続けて繰り返したので

『ちょっとうるさすぎますね』と小声で母親に言った。

「すみません」と言って別の席に移って行った。

そこでの様子を窺っていたら、ちょうど私のところにいた状況と同じようなことを繰り返していた。

多動性の発達障害というのを聞いたことがあるが、この兄弟もなんとなくそれのような気がした。母親は2人の子を抱えて大変だなぁと気の毒な思いがしてきた。

11時5分仙台駅に着いた。その母子とは結局仙台まで一緒だったことになる。

 **

 11時30分仙台発はやぶさ14号に乗り13時4分東京駅に着いた。そこからJR東海の東海道新幹線に乗り、品川へ停車した後、新横浜へ。

新横浜で横浜線へ乗り換え、3つ目の中山駅で降りた。14時だった。訪問先のOさんの家に電話。予定の15時より早かったが、南口に車で迎えに来て下さるという。

Oさんご夫妻が迎えに来て、都筑区森の台のOさん宅へ行き、

いろいろ話し合った。16時ごろ大学生のお嬢さんが帰ってきて話をさせていただいた。

結論は、すでに撰名しているご両親同様、このお嬢さんも今回、撰名することになった。

  18時、都筑区川和町の次の訪問先(Hさん宅)の方が車で迎えに来て下さった。18時半H様宅に着いた。Hさん宅に7名が集まり、夕食会を開いていただき、食事しながら懇親し、いろいろの相談事を受け、各々回答申し上げた。

21時、Hさん宅をお暇し、新横浜駅前のホテルへまたまた車で送って頂いた。続く

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

有難い大人の休日倶楽部

有難い大人の休日倶楽部

JR東北

 1月15日・石巻駅に切符を買いに行った。来たる1月20日から3日間の日程で横浜・東京方面に行く予定だった。8名ほどの撰名予定者に会うためである。

大人の休日倶楽部の期間限定の切符を奨められた。15000円で4日間乗り放題なのだという。しかも特急料金や座席指定券の代金も込みだというからありがたい。石巻から新横浜経由横浜線の中山駅までの往復切符を手配した。

ただし東京以南の横浜は、JR東海の領域なので、東京から新横浜の特急券と座席指定券は別途にもとめて欲しいということだった。

 ところで石巻駅には二年前まで姪が勤務していた。

対応してくれた男性の話では、駅長や助役は管理者なので、列車に出発進行の業務命令を旗を使って合図するそうで、姪は新幹線・白石蔵王駅の助役をしていると聞いていたのでその話をしたところ、姪のことをよく知っていた。

会津若松出身だという男性駅員は石巻からの出発時間などを書いたメモを渡してくれ、「どうぞ、お気をつけてよい旅を」ととても感じの良い駅員さんだった。

**

 最初の訪問先横浜市都筑区のOさんに、

1月20日宿泊のホテルの予約をお願いした。

「新横浜の駅近くならどこでも良いから」と。

Oさんから『任せてください』と返事があった。

  久し振り)(2年ぶり)の汽車の旅、ふだんは車で用を足す生活なので、改めて汽車の旅というのは、思った以上に緊張するものだ。

 服装の面では特に訪問先は初対面の方たちが多いので、シャツは?ネクタイは?上着は?靴下は?オーバーは?手袋は?・・・とずいぶん気を使うものである。

 1月20日、9時58分石巻発仙石東北ライン仙台行き快速の電車に乗った。順調なら11時5分に終点仙台駅に着く。2人ずつ対面式の4人掛けシートの進行方向へ向かって窓側へ座った。

不思議なことに誰も相席しようとしない。他は満席になり、立っている人もいるのに・・・

私の座ったシートは私以外3人分が空席の儘(まま)だった。陸前小野駅で母子3人連れが乗った。母親が35歳ぐらい、男児2人で上の子が9歳ぐらい、下の子が2歳ぐらいと見受けられた。

この3人は手すりにつかまりながら立っている。母親は私の居る座席を見てちょうど3人分の空席があるのにこちらへ来て座ろうとしない。

 次の野蒜駅の手前で母子3人が私の居る座席にようやく座った。私の向かいに下の子を座らせ、私の隣に母親、その対面に上の子が座ったという具合である。

 すると下の子は靴を履いたまま両足を私の方へ伸ばし、バタバタさせ始めた。いやな予感がした。 続く

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

麻生太郎が岸田と急接近

キングメーカーを狙う麻生太郎

岸田と急接近

日刊ゲンダイ1・19

 「麻生は裏切るつもりなのか」―安倍晋三の周辺が、麻生に対して疑心暗鬼を強めている。15日、ポスト安倍の最有力、岸田政調会長と二人きりで2時間都内の日本料理屋で会合を持ったからだ。会合は岸田の方から持ちかけている。9月の総裁選について話し合ったのは間違いない。麻生は『とにかく2位を目指せ』

『3月までは動くな』とアドバイスしたという。

「安倍さんの周辺が麻生―岸田の接近にピリピリするのは当然です。もし二人が組んだら、安倍さんは9月の総裁選に負ける可能性があるからです。第2派閥の麻生派(60人)と第4派閥の岸田派(44人)が共闘すると100人を超える。安倍さんの出身母体、細田派は最大派閥ですが96人です。元々麻生派と岸田派は宏池会だから手を組みやすい。

 旧宏池会がまとまれば、自民党内も安倍政権に飽きているだけに、勝ち馬に乗ろうとして、第3派閥の額賀派(54人)第4派閥の二階派(44人)も岸田文雄を担いでもおかしくありません」(自民党関係者)。実際のところ、麻生が安倍を裏切る可能性はあるのか。表向き二人は盟友だけに裏切ったら激震が走る。

 「麻生さんが狙っているのはキングメーカーです。もし岸田文雄を担いで総理に出来るなら、躊躇せずに安倍さんを裏切ると思う。このまま安倍さんを支持していても、それ以上の影響力は持てませんからね。何より大きいのは、犬猿の仲である菅 義偉官房長官への怒りです。

 菅長官が「ポスト安倍は河野太郎だ」とキングメーカー気取りなのが許せない。そもそも河野太郎は麻生派ですからね。『何を勝手に人の派閥へ手を突っ込んでんだよ』という気持ちでしょう。

 黙っていたら菅官房長官にキングメーカーの地位を奪われかねない。キングメーカーとして生き残るためにも、岸田文雄と手を組む可能性はゼロではないでしょう」

 わざわざ、岸田さんとサシで会ったことを世間に公開したことも、思惑を感じさせます」(政界関係者)

麻生が安倍を裏切ったら、総裁選は一気に面白くなってくる。

(永人所感)

それよりも早く、森友・加計問題で安倍晋三の逮捕が実現すれば、それこそが本当に面白いのだが・・・検察・司法の良心に訴えたい!!

籠池夫妻が獄死する前に安倍晋三夫妻が逮捕されることが望ましい。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

画数事象・早大教授が交通事故死

画数事象

早大の教授が事故死

 慶応の学生が慶応出身の父親を刺殺。父親の妻や弟(慶応高校生)に対する暴力も影響していたという。そうしてコロンビア・ライト(鳥屋二郎)という有名な漫才師の子と孫だったそうだ。

 慶応の次は早稲田。なんだか野球の試合の様であるが、1月22日午前零時20分ごろ東京三鷹市の中央高速道上り線(片側2車線)で杉並区に住まいの早稲田大学社会科学総合学術院教授・西原博史さん(59)が中央分離帯に衝突した。

 追い越し車線に事故車を置いたまま事故を警察に通報した人と一緒に分離帯に避難していた西原さんが、何のはずみなのか、走行車線上に出たという。

そこへ、高原充宏さん(50)の運転するトラックが近付き、西原さんははねられ、病院に運ばれたが全身打撲で死亡した。高原運転手は、「追い越し車線上に止まっていた車の方に気を取られた」と話しているという。

 西原博史さんの父親は元早稲田大学12代目総長の刑法学者・西原春夫さん(89)。1998年4月から2005年4月まで国士舘大学理事長も務めた。憲法学者の息子博史さんに先立たれたことになるが、これを逆難(ぎゃくなん)という。

**

西原春夫 ()            西原博史 (息子)

61094                 610125

天格・西原  16            西原  16

人格・原春  19大凶         原博  22大凶

地格・春夫  13            博史  17

外格・西夫  10大凶         西史  11 

総格・西原春夫29           西原博史33

運の強さ10点                  30点

          22は志節破綻運

***

●10点で弱い、父親春夫さんの逆難を呼び込む運気が春夫さんよりは強い息子博史さんの30点の運気を阻害して、降って湧いたような息子の交通事故死を招いてしまった。全くお気の毒というよりほかはない。

 はねられた方の西原さん、はねた方の高原さん、偶然ではあろうが、いずれも『原』が姓の下の文字に在り、『原』の同文字のとりもつ縁を物語っている。

 交通事故死・西博史さんの父親・西春夫さんは『人生の大事なことほど偶然で決まる』という説を主張していたが、事故を起こした西博史(ひろし)さん、そこへ通りかかった高充宏(みつひろ)さん。全くの偶然で出遭った『原・原』と『ひろ・ひろ』の同文字、同音の御縁というべきであろう。

 確かに偶然がもたらした息子の逆難死だったのかと、そう思えなくもないのだが、私に言わせれば、父親の運気がもたらした息子の逆難死であり、これは画数が、こうなると定めた必然の結果であると言えるものであり、一家円満・息災無事を願うなら、姓名の画数は家族あげて良くなっていることが、何よりも肝要であると言うことができるわけである。終わり

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

画数事象・慶大生の殺人犯

画数事象

慶大生の殺人

 警視庁田園調布署は19日、東京都大田区南雪谷の慶大2年生・取屋智成(20)を殺人未遂容疑で現行犯逮捕した。

本人は『父を刺したのは間違いない』と容疑を認めているという。

調べによると18日夜、夜10時10分ごろ、酔って帰宅した父親が高校生の次男と父親が次男に貸した背広の管理を巡って口論となり、止めに入った智成容疑者が『止めないなら刺すぞ』と言いながら、刃渡り13センチのナイフで父親の不動産会社役員・多可三さん(58)の腹部を刺したという。

母親がキヅイテ119番し多可三さんを病院に運んだが19日午前6時過ぎ死亡したという。

鳥屋多可三               鳥屋智成

119653                11912 7

天格・鳥屋    20          鳥屋  20

人格・屋多    15大吉       屋智  21大吉

地格・多可三  14大凶       智成  19大凶

外格・鳥可三  19大凶       鳥成  18大吉

総格・鳥屋多可三34大凶      鳥屋智成39大吉

運の強さ 5点              運の強さ20点

**

●息子智成さんの性格は木性の1であり、父多可三さんの土性の5を倒す形で息子の人間性は父親に勝り、父親は息子に敗ける形を作っている。いわゆる親子の相性は凶で性格不一致を物語っている。

父親は刑罰殺傷にまかれる19画を有し、家族縁薄い14画で悩みを持ち、鳥屋家を破り自身の身を滅ぼす破家亡身最悪・万事行き詰まりの34画で絶命した。

 息子はただ一カ所に19画の苦労困難刑罰殺傷の運気を有し、他の運格は皆大吉ながら、それらを減殺し、殺人を犯してしまった。

 吉凶が存在しない天格たる姓の部分を除き、人格・地格・外格・総格のいずれかに2・4・9・10・12・14・19・20などの最悪凶数が有る場合はこれを改善する為に、改名・撰名をした方が良い、という典型的な例を我々に見せているわけだ。

 運気の悪さが際立つ鳥屋多可三さんは、今度の事件がなくても、何らかの形で身を滅ぼし、鳥屋家を破る行為、あるいは言動が過去にあったものと思われ、未来に於いてもその可能性が大であろうことは容易に想像できるのである。   合掌

◎お知らせ

20日から22日まで関東方面出張で投稿は休みます。

23日より再開させていただきます。皆様には

ご了承のほどよろしくお願い申し上げます。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ