日々の感じた事をつづる
永人のひとごころ
ゆうこぐの ゆじおのこごろ ごがいされ 三島最後の手紙
ゆうこぐの
ゆじおのこごろ
ごがいされ
ミシマ最後の手紙
中村 翠
徳岡さんはあの日、バルコニーの上と下、5メートルを隔てて、叫び続けるミシマを見ていた。三島の演説は『叫んではいたが、絶叫ではなかった。声に朗々たる張りがあった』という。徳岡さんは独特のバランス感覚を持った人だから、ミシマにも『あなたは危険なほど右傾化しつつある』と直言したこともあったという。
徳岡さんはミシマに共感するところもあったが、譲れないところもあり、率直に反論することも多かった(だからこそ三島は徳岡さんを信頼したのだろう)。
徳岡さんはバルコニー演説のシーンをこう書いている。「後世の英雄になる三島由紀夫――。いや、彼を英雄にしてはならない、という否定のベクトルが、私の心の中で強く働いた。二・二六事件の首謀者たちを英雄視した当時のジャーナリズム。
日本を陰惨な体験の中に追い込んだ共同正犯としての我々新聞人。俺は三島を英雄視せんぞ、自分自身を怒鳴りつけながら、私の目はバルコニーの上の三島に釘付けになっていた。
徳岡さんはその後(平成8年)
『五衰の人―三島由紀夫私記』(文書学芸ライブラリー)という本で、三島由紀夫という怪人物の肖像をきめ細かに描き出した。ミシマ・ファンにとっては必読の書でしょう。
私は三島由紀夫の作品の中では、『偉大な姉妹』とか『百萬円煎餅』とか『不道徳教育講座』等の軽妙な作品が好きで、豊饒の海シリーズは最初の『春の雪』を読んだだけでギブアップしてしまった。
けれど徳岡さんの『五衰の人』は主に豊饒の海シリーズを海外取材・執筆中のころのミシマとの親交が画かれているので、「そうか、やっぱりシリーズ全部読まなくちゃいけないのか」と思わされた。
古い新聞の束の中には「生きていたハラキリ」と題して、海外のジャーナリズムが『あまりに神がかり』とか『日本人の不可解さ再認識』などと書いてある中で、日本文学研究家のドナルド・キーン氏が当時三島の割腹自殺に関してはそんなに驚いていないのが異色だった。
「彼の小説『憂国』を読めば、そこに表れた心情が理解できるし割腹自殺は彼の国を思う気持ちの象徴としてあり得ることだった」
「彼の自殺のやり方から軍国主義を引き出すのは全くの誤解であり、常識ある人ならそうは受け取らないと思う」とコメントしている。
さすが!
(終り)
憂国の
由紀夫のこころ
誤解され
みすまさん なんでどうすて? わがんねえ!
みすまさん
なんでどうすて?
わがんねぇ! 永人(ながと)
『狂気の暴走に非ず』
中村 翠(みどり)
私は三島由紀夫のそれほど熱心な読者ではなかったけれど、好んで何冊かは読んでいた。市ヶ谷のあの事件に至る前、私の大学時代は三島由紀夫という人は才気あふれるトリックスターのように感じられていたのだった。
ボデイビルでの肉体改造、ヌード写真、映画出演、東大全共闘との討論集会・・・・などスキャンダラスなことも含めて、多面的な動きを見せて世の中をかく乱し続けているトリックスター。
本人が洒落だの冗談だのと言うのではなく、いつも大真面目な感じでやっているのが、トリックスターとしてなんだか上等のように思えた。
私は『盾の会』もそんなトリックスター的行為の一つにしか思っていなかったのだ。不覚にも。
事件の翌日。新聞各紙を買い込んだ。私にとっては歴史的事件と思ったからだ。三島関係の記事が出ている紙面だけ切り取って大きな茶封筒に入れた。
その茶封筒を開封して、記事に目を通したのは今回で、多分2~3回でしかないと思う。
読むのが辛(つら)すぎて、開封すると妖気のようなものが立ちのぼってくるようで、怖くて開けられなかった。
さすがに45年たった今は、それほどためらうことなく開封できた。
ある新聞の社説に『全く狂気の沙汰というほかはない。それにしてもショッキングな後味の悪い事件である』『三島事件は許すべからざる暴力行為であり、犯罪行為である。あくまで一人の特異の人間の“凶気の暴走”である』うんぬんと書かれていた。
私はムッとなった。ずいぶんフラットな常識論じゃあないか。これこそがミシマがもっとも嫌ったものだろう。「ショッキングな後味の悪さ」という、それこそがミシマが体を張って表現したかったものだったろうに。『狂気の暴走』という言葉も粗雑すぎる。
ミシマは冷静に周到に行動したと思う。
最も読みごたえがあったのは、やっぱり毎日新聞の徳岡孝夫記者の長文のコラムだった。
徳岡さんはミシマよりも5歳年下で人柄も思想もミシマとは全く違うのだがミシマに信頼され、ミシマにとっては遺書のような最後の手紙を託された人である。 続く
みしまさん
なんでどうして
わからない!
みんなたで! みすまゆじおが はらちった
みんなたで!
みすまゆじおが
はらちった
永人(ながと)
あれから45年
45歳で逝った三島由紀夫
中野 翠(みどり)
*
あの日のこと
1970年(昭和45年)11月25日今から45年も前のことだ。いわゆる三島事件――。
私は大学をもう卒業していて御茶ノ水の出版社に勤めていた。昼間だった。机上の電話が鳴った。大学時代からの友人T君からで、おっとりした彼には珍しく、慌てた声で、「三島由紀夫が市ヶ谷の陸上自衛隊駐屯地に『盾の会』を率いて乱入したみたいなんだ。
本気らしいんだ。I君(神楽坂の競馬新聞社でT君と共に働いていた学友)は今、市谷に様子を見に飛んでいった」という内容の電話だった。
私はエーッ!?と驚いた。エーッ、本気!?と。
時を置かずに社内がザワザワし始めた。隣の課にあるテレビの前に社員たちが群がってザワついているのだった。私はなぜかその騒ぎに加わるのが嫌で、頭の中真っ白のまま、ふわふわと屋上への階段を上っていた。屋上には誰もいなかった。
私は手すりに寄りかかり、市ヶ谷方面をジーッと見つめていた。なぜ、なぜ、なぜ・・・。私が考えていた三島由紀夫像というものがスルリと私の手のひらから抜け出して、巨大で不思議な気体のようになって空中に立ちのぼってゆくような感じだった。
その日の夜。新宿でT君と会った。その時にはもう、三島由紀夫と森田必勝(まさかつ)の割腹自殺について知っていた。お互いにどんなことを言ったのかは覚えていない。「これは三島のためには祝杯を挙げるべきことなんじゃないか」と言い合ったことだけ覚えている。
二人ともお酒はほとんど飲めないのに・・・ 続く
みんな起て!
三島由紀夫が
はら切った
最終回・立憲主義・民主主義を守ろう
学生と学者
大学院生千葉泰真
あんぽほう
そぐずてっかい
させっぺす
永人
*
同じ姿勢、同じ学問を拠りどころにしながらも距離が遠かった両者は、今、悪政を前に肩を並べ路上に立ちました。
僕たち学生はより良い学者に問いかけ、学生はその知性・学問の偉大さを説くでしょう。
人類が幾多の歴史を重ね、紡ぎ出した叡智、それこそが学問です。
この国の民主主義に対する重大な挑戦を決して許してはいけません。
僕たちは、言葉を剣にして、知識を盾にして、崇高な日本国憲法の理念をともに手を取り守り抜きましょう。
不勉強で不道徳、そして不誠実な政治にNOを叫びましょう。
僕たちは立憲主義を平和主義を、この国の戦後70年の歩みを諦めません。
僕たちはもう声を上げることを恐れません。
決して立ち止まりません。この国の民主主義は歩みを続けます。
僕は安倍政権の改憲と安全保障関係法の即時撤回を求めます。
ありがとうございました。(2015年10月25日)
終り
あんぽほう
そくじてっかい
させようよ
第五回・立ち上がった学生と学者
ちちかんが
がくしいうごぐ
みなもどだ
永人
第五回
立ち上がった学生と学者
大学院生・千葉泰真
*
デモクラシイの大義を得たこの運動はこの先も広がります。安倍総理大臣が後世に伝えられるときは
『集団的自衛権を行使できるようにした総理大臣』としてではなく
『悪政によって日本の民主主義を再び目覚めさせた人物』として伝えられるでしょう。
最後に学問と政治についてちょっとこの場でせっかくなので話したいのですが、安保闘争から東大紛争に至る50年代から60年代の紛争は、世間に『政治を語る学生は過激であり危険』という認識を植え付けて終わりました。
一方それを生み出したカウンターカルチャーとも言うべきの『学生は政治を語るべからず』のような風潮が生まれ、学生は世間から切り離された『ただ学べばよい存在』となりました。
いま学生は、社会が抱いている『学生と政治』という二つの言葉の組み合わせが持つ、一つのアレルギー反応から解放され、再び路上に立ちました。
ではかつてのように強い心情や、思想を持たない私たち現在の学生を動かしているのはなんなんでしょうか?
それは3・11以降、実感を持って突きつけられた放射能といったリアリテイーのある恐怖や、侵されようとしている自らの権利に対する現実的な危機感であり、立憲主義や憲法の破壊に対する怒りに他なりません。
それは決して首都東京だけの問題ではなく、東京から始まったこの学生の緊急行動は全国の若者の共感を呼び、今や全国で若者や学生たちが動き出しています。 続く
危機感が
学生うごく
みなもとだ
第四回・戦後70年目を迎えました
石巻弁・世相五七五
ずみんとう
ちぎすにまさる
あくしいだ。
永人
*
第四回
戦後70年目を迎えました。
大学院生・千葉泰真
あの言葉にすることさえできない悲惨な戦争の記憶のことと日本国憲法の崇高な理念の存在はこの国を戦場から遠ざけてきました。
現在とは、過去の上にあり未来につながる場所です。
この国の戦後70年の歩みとは『再び国民を戦争に送らない』という先人の願いであり、現代の誓いです。
戦争の記憶、崇高な理念、先人たちの願い、そして不戦の誓い。
それは一政権にてないがしろにすることは決して許されることではありません。
『民主主義ってなんだ』って昨年から僕たちが叫んでいたこの問いの答えを、僕たちはこの夏の戦いの中で見つけました。
この数カ月のこの国の民主主義の前進は決して過大評価ではありません。
正直『だるい』と思っていた政治の話を。
『面倒くさい』と思っていた投票に行き意思を示すことの大切さを。
『良くわからないけど大事だね』ぐらいの感じだった民主主義や立憲主義といった崇高な理念を今日本社会は再び見つめなおしています。
杖を片手に『憲法を守れ』と力強く叫ぶ老夫婦。
会社帰り抗議に参加するスーツ姿のサラリーマン。
地方の小さな町で開かれた抗議集会。
おしゃれをしながら渋谷でデモをする学生。
子供の手を引き一緒に行進する母親。
えー、やっと研究室から出てきた学者。
誰についてきたわけでもなく、見返りを求めるわけでもない。自らの意志で路上に立ったこの国の主権者の強い意志と覚悟を持つ彼らの姿に僕はこの国の民主主義の未来を感じずにいられません。 続く
自民党
聞きしにまさる
悪政だ
第三回・一隻1,500億円のイージス艦
第三回・一隻1,500億円のイージス艦
千葉泰真
すんぞうの
わげのわがらぬ
じにづがい
安倍晋三が声高に叫ぶ『戦後レジームからの脱却』とは一体なんなのか?
それは戦争への回帰なんでしょうか?
戦争から抜け出すということは現在の対米追随の外交ではなく、独立した主権国家として責任と誇りを持ち、国家運営を行うことこそが、『戦後からの脱却』であると僕は強く思います。
誰が言ったのか僕にはわからないのだけれど、
『政治とは国民の写し鏡である』という言葉があります。
ヘイトスピーチがあふれ、中国や韓国が嫌いだと訴えている本が売られている国は果たして美しい国なのでしょうか?
ナショナリズムを煽り、「強い日本」を掲げつつ、しっぽを振って覇権国家米国のパシリになるような政権があり続けることはこの国の本質にほかなりません。
安全保障の危機を煽る演説の中には『抑止する』という言葉がありますが、「争いを抑止する」互いに剣を突きつけ合い、兵器開発を競うことではなく、互いを深く理解し合うことこそが、争いの抑止です。
これは理想論でも非現実的な話でもありません。
1隻で1、500億円のイージス艦を買って抑止力なるものを高めた気にならず、1、500億円規模の文化交流をすればいいんです。
これは相当規模の文化交流になるでしょう。
歴史に残るような規模になるでしょう。そしてそれを通してお互いの胸に言葉や国籍を超えた共通の認識が刻まれるでしょう。
それは、もしも外交的な危機が訪れた際にイージス艦よりもはるかに争いを抑止する力に僕はなると思います。続く
晋三の
わけのわからぬ
かねづかい
第二回・誠実な政治の不在 すんぞうよ いいかげんに みをしげよ
第二回・誠実な政治の不在
大学院生・千葉泰真
みなさんに すんぞうよ
なおすてほすい おだってねえで
むがんすん みをしげよ
石巻弁・世相五・七・五
共通語訳は文末に・吉野永人
*
政治学を学ぶ身として、
今この国の議会と呼ばれる場所で行われている、
あの偉そうな茶番を僕は政治とはみなしません。
政治とはもっと叡智と誠実さに満ちた営みであり、議会政権主義とは違憲状態の選挙制度をよりどころにした多数決ゲームでもありません。
政治の話なんて知らなくても、興味がなくても、関わりがなくても生活をすることは出来ます。むしろその方がベターという社会の風潮すら感じます。
しかし政治に参加しないということは、現在の日本の選挙制度では体制に対して『イエス』ということです。
無関心でいることは、今起ころうとしている国家的犯罪に『イエス』という態度を示すことです。
与党だけで政治が行われるのなら、政権についている権力者だけが政治を行うのなら、さらに言ってしまえば安倍晋三だけが政治を動かすのなら、それは『独裁』と呼ばれる政治体制と何が違うのか、僕には良くわかりません。
『国民不在の政治』という言葉がありますが、確かにそう表現することもできるでしょう。
しかし、この国はまさに正当な手続きによる誠実な政治が不在なのではないでしょうか?
この国の主権者は何があっても私たち国民一人一人です。
議会制民主主義において国会議員は僕たちの代表であるべきです。僕たちの代表が選んだ総理大臣もまた、僕たちの代表であるべきなのです。
残念ながら安倍政権はもう僕たちの代表ではありません。僕たちの代表ではない以上、安倍晋三が政権の座にとどまり続ける意義も大義名分もありません。
やはり僕たちは『日本を取り戻さなくてはいけないんじゃないか』と強く思うんですよね。総理の安倍晋三からです。
彼の前時代的な駄作、そして歪んだ.それからやっぱりダサいイデオロギーに立脚した政治に『NO』を叫びましょう。 続く
皆さんに 晋三よ
直してほしい ふざけてないで
無関心 身を引けよ
総理・安倍晋三の悪政により・・・
総理安倍晋三は悪政によって・・・
大学院生・千葉泰真
『安倍総理は悪政によって日本の民主主義を再び目覚めさせた人物として後世に伝えられるでしょう』
*
「枝路に立つ日本の立憲主義・民主主義・平和主義
大学人の使命と責任を問い直す」
学者と学生のシンポジウム
◎
錚々(そうそう)たる学者の方の後でこのように喋る機会をいただいて大変恐縮しています。僕の後に時の人となった奥田君が控えていますので。
大学院の修士課程で現在政治学を専攻している千葉泰真と申します。よろしくお願いします。
昨日幾多の遺恨を残しつつ成立した(とされる)安保関連法案ですが、法案それ自体の問題もさることながら、法案を成立させるプロセスにも本当に看過することができない幾多の問題がありました。
国民から委託された採決権を野党議員から奪うあの人間鎌倉ですね。そして説明をなかったことにする嘘と欺瞞、改竄(かいざん)と捏造(ねつぞう)にまみれた議事録。
先の国会を見ていると
『政治とは何か?』
『誰のために行われる営みであるのか?』
それが分からなくなったのは僕だけではない筈です。
ここにいらっしゃる、法律、憲法についてまさしく生涯をかけ、研究なされてきた学者の方々が安倍政治に対し、強い憤りを覚えているのと同じような感覚が僕の中にもあります。
僕は、恥かしいながらも大学院で政治学を学んでいるものとして、政治がなんであるかをケナサレた気がして悔しさと憤りを覚えました。
『政治とは一体何なのでしょうか?』ある辞書にはこのような定義で表されていました。
1、主権者が領土そして人民を治めること
2、ある社会の利害や対立を調整して社会全体を統合するとともに社会の意思決定を行い、これを実現する作用。
これに示されるように政治とは主権者が主となる行為です。その主体は政権を取り、権力を握ったつもりでいる個人[安倍晋三]では断じてありません。
そして社会の対立や利害を調整して社会全体を統合し、意思決定をなす作用、それこそが政治と呼ばれる行為なのです。
安倍政権が行っている社会の対立をあおり、権益にまみれた一方的な利害の調整は断じて政治ではありません!! 続く
がくしいの 学生の
せいずをおもう 政治を思う
まずめさよ 真面目さよ
石巻弁。世相五七五 たまげだや あべのでだらめ えそつぎだ
石巻弁・世相五七五
吉野永人作
おらやんだ
りんずこっかい
しらがねど
安倍晋三は、パンツ泥棒の大臣や、政治とカネの問題を抱えた複数の閣僚の問題、沖縄の基地建設強行問題、TPPの中身などを追及されることを恐れて臨時国会を開こうとしない。これは憲法53条違反です。
ががつれで
まだもがいこぐ
たのすいな
臨時国会を開かない理由に外遊の日程が詰まっていることをあげています。勝手な言い分で、大変な税金の無駄遣いでもあります。国会恐怖症の安倍晋三、奥さんを連れて暢気なものです。
たまげだや
あべのでだらめ
えそつぎだ
本当に戦後最低最悪の憲法無視・憲法違反の内閣総理大臣、安倍晋三のデタラメぶりにはあいた口がふさがりません。国家国民の疲弊に背を向け、世相の乱れを誘引しています。ほとほと愛想が尽きてしまいます。
ちたのうみ
おくりだされは
はやすぎだ
優勝24回の元横綱・北の湖理事長が直腸がんと多臓器不全のため11月21日、逝去した。享年61であった。まだ早すぎるが、この世からとうとう送り出されることとなった。
合掌
パリすみん
パーンのおどで
パニックだ
テロの不幸に遭ったパリの市民たち、追悼の人々であふれかえった街頭に何やらパーンと音がした途端一斉に駆けだしたり悲鳴をあげたり、恐怖感が抜けきっていない。
これから神経質な生活を余儀なくされるが、今後は日本においても大変な緊張感が強いられることになる。
吉外(きちがい)で独裁・安倍晋三の招いた日本向けテロの危機がやってくる。
さしあたって航空機や新幹線が最も狙われやすくなるだろう・・・
原発など狙われたら・・・
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