日々の感じた事をつづる
永人のひとごころ
福島原発事故・東電旧経営陣に無罪判決
福島原発事故・東電旧経営陣に無罪判決
(安倍晋三と大谷直人⇒同類・同画数の縁)
9月19日、早朝。大谷は首相官邸を訪問した。
この日、東京地裁で強制起訴された東京電力の旧経営陣に判決が出る日である。
原発推進の安倍晋三は何が何でも無罪の判決が出るように、昨年自分が最高裁長官に任命した大谷直人を官邸に呼び、念入りに無罪判決が出るように東京地裁永渕健一裁判長に圧力をかけたものと思われる(推認される)。
安倍晋三 (首相) 大谷直人(最高裁長官)
610103 37 82
天格・安倍16 大谷10
人格・倍晋20大凶 谷直15大吉
地格・晋三13大吉 直人10大凶
外格・安三 9 大凶 大人 5大吉
総格・安倍晋三29吉 大谷直人20大凶
9画・10画・20画が共通の刑傷殺伐運。
正に同類・同画の似た者同士、
憲法も法律もクソくらえの安倍晋三と大谷直人、
行政の長・安倍晋三が最高裁長官に大谷直人を就任させるように閣議決定。大谷は昨年就任した。
今日19日の東京地裁の判決は安倍と大谷の予定通りに無罪判決が下りた。
何でもありの安倍晋三犯罪者内閣・犯罪者安倍晋三が内閣総理大臣・同じく犯罪者大谷直人が最高裁長官。
安倍の覚えがいい犯罪者は官民を問わず皆無罪になる。
日本国はとんでもない犯罪者馬鹿の安倍晋三を総理にして7年、どんどん悪化して、もはや先進国の面影すらなくなった。
国民はこの出鱈目な安倍自公政府を心底怒るべきだ!!
こころの除染という虚構 36
心の除染という虚構
36
私たちの本当の思いを聞いてほしい、それがどれだけ切実な思いなのかを。
「私たちは自然放射線のことを心配しているのではないんです。人工的に作り出された放射線が現実に降り注いだ結果、それが子供にどう影響するのかを聞きたいんです。だから、この会に参加したんです」敦子の切なる訴えに、女性講師は泣き出した。
「お母さんの気持ちはわかります。でも私たちはこれ以上は言えないんです」
一体何が起きているの?なぜ誰も子どもを守ろうとしないの? 敦子は今冷静に振り返る。
「どんな説明会も一緒でした。タバコとかポテトチップとかに問題がすり替えられる。そんなのみんな一緒でしょ? どこに住んだって。私が知りたいのはここに住むにあたって、どうやって子どもを守るかなんです。今、ここで生きて行くしかないのだから」
4月19日。文科省が発表した『校舎・校庭などの利用判断における暫定的考え方』において、屋外活動制限に該当する13校の一つに小国小が入った。
これを受けて4月22日、保原市民センターに於いて小国小の保護者、職員、教育委員会担当者を対象に、文科省による説明会が開催された。
国の人間と話せる貴重な機会に、敦子は頭に浮かぶ限り質問をした。聞きたいことは山ほどたまっていた。
「通学路は大丈夫ですか? 洗濯物を外に干していいのですか? 畑の野菜を食べていいのですか?」
答えは実にあっさりしたものだった。
「管轄外だからわかりません。次回に持ち返ります」こう言われて二度と持って返ってもらったことはない。
良人の享からは、「お前はバカか。管轄外のことなんか話すわけがない」と言われたけれど、敦子が聞きたいのはそこだった。
聞きたい情報は何も聞けず、どこに訴えてもまともに話を聞いてもらえない。この堂々巡りは敦子を消耗させていく。
ゴールデンウィークに入ってすぐ、伊達市は小国小学校の表土を剥ぐという形で、表土除去を行った。同時期に保原町にある富成小学校と富成幼稚園の表土除去作業も行っている。
表土除去の結果、小国小では1センチメートルの高さで6・76マイクロシーベルト有った線量が0・79に、富成小では同5・42マイクロシーベルトが0・61になったと「だて伊達市政だより」8月号で報告された。
除去した表土は校庭の一部に仮置きし、この作業の結果小国小、富成小、富成幼稚園ともに、屋外活動ができるようになった。敦子には順序が逆だとしか思えない。
この作業って子どもたちを守るためなにやったことなの
先ずは安全な場所に逃がすことじゃないの?拭っても拭っても拭えない伊達市への違和感がどんどん大きくなって行く。 続く
こころの除染という虚構35子供を逃がさない方針?
心の除染という虚構
35
第一部分断
2・子供を逃がさない(伊達市の方針?)
小国が「避難」を考えなければならないほどの線量があると明らかになる前から、敦子の戦いは始まっていた。
「子供を守れることは、とにかくすべてをやりたい、ただただ、その一心でした。農林水産省に土壌調査をしてほしいと電話をしたり、民主党の玄葉光一郎さんにメールを書いたり、手当たり次第に動きました。市に『小国の線量を測って、測定値をきちんと出してほしい』というお願いもしました」とにかく何が何でも藁にでもすがりたい思いだった。
伊達市では4月5日発行の「だて市政だより」3号以降、市内各地の線量を公表するようにはなった。しかし、敦子は頭を振る。そんなことではないのだ。
「市は集会所の線量しか教えてくれない。あたしたちは集会所に住んでいるわけじゃないんです。家や学校とか子供が暮らす身近なところの線量が知りたいのに・・・」
やがて飯館村の全村避難の話が重大ニュースとなって駆け巡る。しかし、すぐ隣の小国は何事もなかった様に、『普通』の生活が続くだけ。これは何か、シュールなお芝居なのか?敦子には現実のものとは思えない。
「新聞で小国小が一番高いと報道されているのに、何で市も学校も何もしないの?何で説明会もないの?飯館村が避難になるっていうのに、何で小国には何もないの?絶対、ここだって同じじゃん」なぜ小国には救いの手が差し伸べられないのか。そのことだけでも知りたい一心で、地元紙に電話をした。
「あたしたち、新聞の線量を見て、自分たちが置かれている状況を考えているんです。ここだって飯館村とそんなに変わらない。なのに、何で、同じ線量なのに飯館村は避難出来て、小国には避難指定できないんですか?」
応対したのは記者らしき男性だった。
『飯館村は、本当に高い場所があるんです』
えっ?どういうことだろう。敦子は聞いた。
「じゃあなんで本当のことを書かないのですか?」
記者はこともなげに言った。
『だって本当のことを書いたら、怖いでしょ?』受話器を持つ手が震えた。
「新聞って本当のことを書かないの?まさか、そんなことがあるなんて・・・。今まで新聞もテレビも信じて居たけど、信じちゃいけないんだ・・・。世の中、そんなことになってるの?」
それでもまだ嘘であってほしいと、心のどこかで敦子は念じていた。
4月17日には県の放射線健康管理アドバイザー、山下俊一が伊達市で講演会を開いている。
テーマは、
『福島原発事故の放射線健康リスクについて』
「100ミリシーベルト以下なので大丈夫。50ミリシーベルトを超えても、癌になる確率はほぼゼロ。10マイクロシーベルト以下なら子供の外出もオッケー。遊んでも問題ない・・・」
敦子は周囲で盛んに行われていることの意味が解らない。小国小で行われた子どもと保護者に対しての放射能の学習会もそうだった。女性講師が話すのは、自然放射能のことだ。
「お花にも放射能があってね、飛行機にもあるしね、レントゲンにもあるよって・・・」
違う違う・・・たまらなくなった敦子は手を挙げた。 続く
こころの除染という虚構・33 ・ 34
心の除染という虚構
33
「こっちは子どもが心配でしょうがないから毎日玄関に水をかけてたの。テレビで言ってたことは全部やってたの。通り道は水で流して、外から帰ってきたら、服を脱がせてビニールに入れて直ぐに洗濯する。窓も夏場の熱くなるギリギリまで閉めていたの。冷房もしないで、とにかく外気を入れない生活。暑くなってどうしようもなくなって開けたんだけど」
噂でこのあたりの線量が高いらしいということが聞こえてきたのはいつだったか。隣の飯館村が全村避難になったころからか?
「ほだに(そんなに)ここ危ねかったの?」って、何にも知らなかった。飯館村や川俣が高いって聞いてからは、ここも近いから高いのかと思ったけど、小国のどこが高いのかは、わがんねかったし」16
佐枝子は唇を噛む。「はっきり危ないってわかったのは、勧奨地点の話が出てタクシーがうじゃうじゃいるようになってから。新聞にも出てたし、あとでわがったんだけど、優との通学路は、ホットスポットだった。すごく高いところを毎日自転車で通っていたんだよね・・・・」
「この辺、もう空白」
早瀬道子は、新学期がスタートし、勧奨地点の話が出るまでの期間をこう話す。
「なんかもう、生きるのに一生懸命で、何も覚えていない」
長男の達也は徒歩で、小国小まで通っていた。小学2年生の足で25分ほどの距離だ。
「うちの通学班は、お母さんたちみんな働いていて、交代であっても子どもたちを車で送迎することは難しかった。みんな心配だけどどうしようもなかった。いくらマスクをさせても小学2年生の子だ。暑かったり苦しかったりすれば、すぐに外してしまう。
「すごく心配だった。歩かせていいのだろうかとずっと思っていて、ただ家では手洗い、うがいをきっちりさせて、外で遊ばせないなど、家で出来ることはしていたんです」勤務する幼稚園と同じ敷地にある小学校に、幼稚園児の検診で出向いたときのこと。道子は目を見張った。
「昇降口にゼオライトと雑巾が用意してあって、窓という窓は全部目張をしている。換気扇もそう。『すごい、何、この学校?』ってびっくり。なんでもアメリカ人の先生がいて、放射能に詳しいからやれたって。校庭や子供の通る場所で線量の高いところは気を付けるようにとテープで指示されてあって、4月初めからちゃんと子供を守る対策がされていた」
だから小国小にも、この取り組みを伝えた。校長は翌日には玄関に雑巾を用意するなど手早い対応を取ってくれた。
「当時の校長先生は、親の要望や心配に寄り添ってくれる人だった。ちゃんと親たちの話を聞いてくれたし」5月の連休明け、小国の線量が高いようだ、と通学班の班長から電話が入る。 続く
心の除染という虚構
34
「うちの班だけ、車で送り迎えしていないから、仕事を抜けてでも協力して、子どもの送り迎えをするようにしようって言う班長の申し出でがあってその通りだ、そうしようと、親たちみんなで協力してやることにしたんです」
最早子供を歩かせることすらできない、このような場所で、事故後も『普通の生活』を営まざるを得ない状況が強いられていた。
子どもを車で送迎するという、この決断は実に正しかった。後に特定避難勧奨地点が決定された際、道子たちの通学班がある山下行政区は、ほとんどの家が地点に指定された。それほど高線量のエリアだったのだ。
5月中旬道子は待ちに待った線量計を手にした。数時間という枠であっても、ようやく知人から線量計を借りることが出来たのだ。
ここで初めて、自宅内外の放射線量を測定したのだが、その数字を記した「20011年5月」のカレンダーは、4つに折り畳まれ、今も資料の中に大切に保管されてある。
カレンダーの裏に殴り書きの様に記された文字に道子の俊巡や驚愕など様々な感情が読み取れる。
台所 0・75 下の寝室0・20
畳 0・69 ぶらんこ1・92
玄関 0・96 クッキー4・13
子ども部屋0・38 駐車場 3・81
2階 0・56 牧草地 4・0
テラス 1・36 玄関前畑2・8
ばあちゃんの自転車 2・3
アイビー5・0
『クッキー』と『アイビー』は外で飼っていた犬の名前だ。
家の中でも1近くあって、外は5とか6とか。雨どいの下は6とか7とか、側溝は高すぎて測定不能。何でこんなに高いの?と目を疑って、別の機械でもう一度測っても同じ。これが現実だった。道子は確信した。「犬の背中で5あるって、こんなところへ一刻も子どもを置いておけない」
小国に全国のマスコミが押し寄せたのはその直後のことだった。
小国にとって避難というものが現実味を帯びてきた。
「お父さんは『避難に成ったら、すぐ出るからな』って、私も職場に、避難になったらやめさせてもらうしかないと、話をしてそういう覚悟でした」
仕事をやめることに未練がないと言ったら嘘になる。ただ仕事を続けながら、子どもたちを守ることは不可能だとも分かっていた。後悔の念は無い決断だった。
何時だったか覚えていないが道子はテレビのニュース番組をたまたま見ていた。アナウンサーはこう話していた。
「飯館村と同じ計画的避難区域に、という話を伊達市が断った」・・・ 続く
さすが!山本太郎・総理の器!!
さすが、山本太郎!!
9月11日・第四次安倍内閣の第2次内閣改造について、談話が出ていないのは「れいわ」だけだと言われたのでコメントします。
「出涸(でがら)しお友達内閣に関してのコメントは特にございません。
そんなことより、千葉の復旧に政府として全力で取り組んでください」
さすが山本太郎これぞ総理の器!!(←永人)
こころの除染という虚構32
心の除染という虚構32
上小国に住む、高橋佐枝子も信じられない思いで、マスコミの大軍を眺めていた。敦子と同じように、6月4日の新聞で自分たちが暮らすこの場所が、とんでもなく放射線量が高いことを
「事実」として初めて突きつけられた。
「それまでも高いらしいというのは合ったんだけど、本当かどうかなんて知らないから(しんにがら)。だから優斗は自転車で、霊山中学校まで通わせていたの。伊達市の広報誌でも大丈夫だと言ってるし、予定通りに学校も始まったから、本人もみんなと一緒にしたいと言うし」
この日は土曜。月曜から佐枝子は次男・優斗を車で中学校に送り迎えすることにした。徒歩2分ほどで霊山町中心部へ行く路線バスの停留所もあるが、そこまで歩かせることも不安だった。
幸いなことに上の2人の高校生は、福島まで通学する交通手段がないため夫の徹郎が出勤の際、阿武隈急行の保原駅まで送り、帰りは佐枝子が駅まで迎えに行っていた。故に高3の直樹と高1の彩に関しては、放射線量が高い場所を歩かせてはいない。
しかし優斗は無防備と言っていい状態で、高線量地域を朝夕自転車で走り抜け、加えてテニス部に入ったために、放課後は毎日砂埃り舞う校庭で部活をしていた。霊山中の空間線量(6月1日~7日)は伊達市の発表によれば、1・70~1・90マイクロシーベルト/時。
「最初はそれでも部活は屋内でやってたんだよ。廊下でボールを打ったり、でも割と早いうちに外でするようになった」文科省が校庭使用基準を3・8マイクロシーベルト時以下としたことにより、4月19日。
県教委は「学校の校舎・校庭等の利用判断における暫定的考え方」を発表。これを受けて伊達市では富成小学校。小国小学校、富成幼稚園以外の学校では。屋外活動しても問題ないと言われた。
優斗が通う富成中学校でも校庭での体育や部活が再開された。佐枝 子はどうしても心配で、何度か学校に電話をしている。
「校庭を除染したのが8月だから、除染していない校庭で、ずっと部活をやってたんだよ。あのころ居ても立ってもいられず、しつこく学校に電話を掛けた。何度聞いても校長先生は『大丈夫だ』って。通学はマスクをさせていたけど、部活ではマスクは取るの。
邪魔だからって。校長は伊達市に住んでいて、『伊達より霊山のほうが低いから、大丈夫だ』って、そればっかり」
後に伊達市は、除染に際し、線量に寄って市内を市内を3つのエリアに分けるのだが、校長が住んでいた伊達町は、最も線量の少ないCエリア。
霊山中学校がある霊山町中心部は小国同様最も線量が高いAエリアとされた。
中学生を護ろうという意識が、果たして学校長にどれだけあったのか。
現に優斗は、除染していない校庭だけではなく、ボールが転がれば、側溝のある草むらへボ―ル拾いに入って行くのが、常だった。
佐枝子は大きく首を振る。
「霊山中の生徒への配慮は、ジャージ登校だけ。ジャージなら洗えるからって。それだけ」霊山中は事故直後の2011年3月の春休み期間中も、外で野球などの部活をやらせていたという証言がある。原発事故後、伊達市で際立つのは中高生が守られていないという事実だった。
佐枝子は子どもたちが心配だからこそ、玄関からエントランスなど、子どもが通る場所はとにかく水で流すようにしていた。これが後に、特定避難勧奨地点の設定に当たり、仇となってしまうのだが・・・・・。続く
こころの除染という虚構 31
心の除染という虚構
31
平成24年3月11日までの推計値
宝司沢(ほうしざわ)20・0ミリシーベルト
石田 20・1ミリシーベルト
上小国 20・8ミリシーベルト
下小国 19・8ミリシーベルト
いずれも毎時である。
この中で霊山町石田宝司沢地区はすでに、5月中旬段階で国より
「計画的避難地域に該当する地域」と伝えられており、伊達市では『自主避難』という形で希望者のみ非難させる。すなわち「地域の実情に応じた対策がベター」だという判断を下した。
これが伊達市が後に積極的に採用した「特定避難勧奨地点」の原型となった。
文科省からの通知を受け取った市長の反応に、深刻さは伺えない。少なからぬ市民が、テレビニュースで、市長のこの様なコメントを記憶している。
『たまたまでしょう。急に線量が上がるのはおかしい』
報道機関は直ぐに、問題の大きさを察知した。その焦点となったのが小国地区だ。冒頭に記した会合で福山官房副長官が、「伊達の場合は小学校がある」と言及していたのは、小国小学校を指していた。
小国の住民にとってみれば、飯館村の全村避難の狂騒が一段落し、やれやれと思っていた直後だった。飯館村の人々への同情はあったものの、他人事でしかなかった『避難』が、自分達にも降りかかってくるとは青天の霹靂だった。
普段は、歩く人もまばらな山あいの里に、何台ものタクシーが停まり、カメラマンと記者らしき人間がマイクを持って、口を開く住民を求めて歩き回る。小国小学校の校門の前には報道の人だかりができ、その中を子どもたちがカメラや視線におびえながら登下校する。
一変してしまった小国の風景に、住民の誰一人として普通でいられるわけがない。
椎名敦子は、目の前の光景にただ立ち尽くす。
「こんなに取材のタクシーが張っている程、有名な場所だったんだ、小国って・・・」
一体、何が起きているのか、すべてが住民不在で進んでいた。
今回も『事実』を知らされたのは、市からでもなく国からでもなく、新聞報道だった。6月4日、土曜日の朝に配達された福島民報の一面トップに「新たに4地点、20ミリシーベルト超」の見出しが踊る。
1年間の推定値が20ミリシーベルトを超えるという地点にまぎれもなく小国という文字があった。
「上小国20・8、下小国19・8・・・」
えー、なにこれ・・・。
敦子は絶句するしかなかった。こんなの、私たち、誰も知らない。年間積算線量なんて、誰も教えてくれなかった。
外には朝早くから、タクシーが次ぎ次ぎに詰めかける。
「こんな小ちゃな小国に、タクシーばっかり、亭まっている。何でこんなにタクシーがいるのか、ああ、本当に気持ちが悪い」 続く
心の除染という虚構・30回
心の除染という虚構
30
第一部・分断
2011年6月6日、午前10時35分。
枝野官房長官室。
出席者 枝野官房長官、福山官房副長官、伊藤危機管理監、菅原局長、西本技総審、森口文部科学審議官他。
『伊達市と南相馬市の線量の高い地域についての議論(メモ)』抜粋
○福山副長官:無理矢理計画的避難地域にすることが必要ではないと思うが、面でないので経過観察とした、てんで本人の希望を聞くか、避難して欲しいというメッセージを出す必要があるのでは。
何で居てよいかと聞かれて答えようがない。
伊達の場合は小学校がある。
○森口文科審:伊達の小国小学校は表土を削った。
○枝野長官・福山副長官:出て行ってもらって良い。強制はしない、安全サイドに立って。
○伊藤危機管理官:区域の避難ではなく、個別の避難。
○枝野長官:政府としては、安全の観点から、20ミリシーベルト前後なので大丈夫だが、安心の観点で情報提供をして避難を希望する方には避難して頂く、というラインでどうか。
○福山副長官:伊達の小学校は開けておいて良いのだろうか。
○枝野長官:子どもの避難は強く促す。学校は除染して学校の周りが低ければ良いし、周りが高ければ避難を促す。20ミリシーベルトの境目は柔軟に対応する。
1 見えない恐怖
激震はまず小国を襲った。
始まりは、降ってわいた様に小国にマスコミが大挙して押し寄せたことからか。
それとも、1枚のファックスが伊達市に送られてきたことか。
2011年6月3日文部科学省からのファックスが伊達市に届いた、この日、文科省は放射線分布マップを公表したが、その結果、伊達市内で年間線量が20ミリシーベルトを超える地域があることが明らかになったのだ。続く
心の除染という虚構29
心の除染という虚構
29
序章の最終回
3月20日と言えば放射性ヨウ素も高かった時期だ。新学期が始まり、子ども達は小学5年と4年生になった。
「伊達市の広報は逐一読んでいました。市長が、何も心配ない、大丈夫だ、と書いていたし、その通りだと思っていました。疑うなんて、そんな気持ちは一切ないですよ。市が言っていることは正しいって。それよりも、あのころは、父のことが心配でたまりませんでした」
4月下旬、健太のクラスメートが3人、避難を決めた。健太がお別れの手紙を書くと悲しそうな顔で母に伝えた、その時。
「あの時、何でか分からないのですが、私、息子と娘に泣いて謝ったんです。
『ごめんね、うちは今、避難できない』って。
他の家では避難を考えることが出来ているのに。あたしには全然、出来なかったっていうことが・・・」あの時、あふれ出た涙はなんだったのか。
原発のことは、気になっていないと言えばうそになる。しかしあの時、どこかへ逃げようなんていう考えは全くなかった。
なのに健太の身近にいる友達は、すなわちその親は「避難」という重大な決意をあらわにした。
ひとえに子どもを守るためだ。それ以外の理由がある筈もない。そこまでの差し迫った状況にここは今、なっているのだろうか。
真理には何もわからない。
ただただ、転校する友達に手紙を書いている健太の姿がたまらなく不憫だった。私は逃げるということも考えられない親なんだ・・・。そこに思い至った瞬間、涙となった。
「健太ごめんね。詩織ごめんね」
謝罪の言葉が口を突いて出た。ウソ偽りない思いだった。
ほどなく父が亡くなり、事態の急展開に真理は巻き込まれて行く。一人残された母が急速に弱っていく。不安定になって行く母の心を、娘として支えるだけでも必死だった。真理にとっての2011年は、刻一刻と変わる家族の状況に対応するだけで精いっぱいだった。
だから放射能のこと、被爆から子供をどう守るか・・・。それは二の次三の次のことだった。
だって伊達市が大丈夫だと言っているのだから、大丈夫に決まっているし、ガラスバッジも訳が分からないが付けているし、ホールボディカウンター(WBC)検査も伊達市はやってくれているし、だから、心配はないのだと。
真理に、甘くない「現実」が付きつけられるのは翌年、甲状腺検査が始まってからのことだ。
それは我が子の死がちらつくほどの、過酷で理不尽な現実だった。
序章終わり。
第一部・分断へ続く
さすが 大和太郎!!
さすが、山本太郎!!
9月11日・第四次安倍内閣の第2次内閣改造について、談話が出ていないのは「れいわ」だけだと言われたのでコメントします。
「出涸(でがら)しお友達内閣に関してのコメントは特にございません。
そんなことより、千葉の復旧に政府として全力で取り組んでください」
さすが山本太郎!!これぞ総理の器!!(←永人)
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