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ナイターを観て帰れ!

23歳の夏から新宿西口の一等地にあるビルに入っていた投資顧問会社に勤務していた私は、埼玉県入間市のある産科医師宅に1年間下宿のような(家賃、食費など一切払わなくても良い約束だった。)生活をした時期がある。下宿する前のある土曜日の夕方投資作戦の打ち合わせも終わったのでそろそろ都内の部屋に帰ろうと医師に暇(いとま)の挨拶をしたところ、「吉野君!今晩ナイターを観て帰れよ!、」と言う。

この先生は巨人かどこかの野球フアンで(5歳の子供と住み込みの22歳位のメイドさんがいて、先生の奥様はその子の出産時に亡くなっているそうだ)一緒にテレビで観戦していけ、という程度のことだと思っていた。19時頃夕食が済んでお茶を頂いていたところ、入院病棟の方からガシャンと皿のようなものが割れる音がした。「そらー!ナイターが始まったぞう!!」と先生の声,「パパ!負けるな!がんばれ!」と5歳の男の子の声。

先生は洗濯板を持って病棟につながる廊下へ飛び出した。私も後を追う。やはり、廊下には皿の破片の様な物が散らばっていた。『これでもかーっ』と女性の金切り声。次に、パーンと音がしたと思ったら女性がスリッパを先生目掛けて放り投げたものを先生が洗濯板で受け止め、下へはたき落としたのである。「いい加減にしたらどうなんだ!」『うるさい!嘘つき!』いやはや、物を投げつける方と洗濯板で打つ方、5歳の子は打つ方への応援団、「毎週土曜日はこういう騒ぎになるんです!」とメイドの解説者、成る程、私は観客なんだ。

はじめて見る私の姿に遠慮したのか、バツが悪かったのか,女性は回れ右をして入院病棟の方へ消えて行った。「観ただろう!吉野君」「イヤー、すごいですねー」「子供の教育上も良く無いし、何とかしないとな。ソコデ貴方の力を借りたいと思っている。よく事情を話すから今夜はうちへ泊まってくれないかな?」大事な顧客であり断れない。しかし、大変な事になってきた様だぞ!(最終戦へ続く)

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旅立ちの予感

何となく落ち着かない。朝からモヤモヤ、そわそわする。誰かに話したいような、話したら「とんでもないっ!」と怒られそうな気もする、、、。夕方「たけよし!お爺さんがお菓子をあげるそうだから二階においで。」と祖母の声。階段を上り、祖父の枕元へ。

まさか本人に『おじいさん、今日死んでしまうよ』とはいえない。ソコデ、「おじいさん、これが生きてて最後のお菓子だね!?」と言ってしまった。母が低い声で『こらっ』と言って階下へ、間もなく私も下へ。すると父がいつの間にか囲炉裏の前にうなだれて座っていたが、母から報告を受けていたものか「縁起でもない事を言うな!!」と叱られてしまった。

母はいったいどこへ行ったんだろう?二階に祖父と祖母。下には父と私。14人の大家族である。あとの10人はどこで何をしているんだ?一人で夕食をとり、18時頃離れの二階で早々と寝床に入り、そのまま寝入ってしまった。23時頃長姉に起こされた。「ビックリしないでね、今お爺さんが死んでしまったんだよ」『解ってるよ』「えっ!なんでなの?」『今日は朝からそう思ってたんだ』母屋の二階で祖父の死に水をとらされた。

吉野精一郎、享年76歳。厳しいが優しくもあり、いろいろ教えてくれた祖父の、私には予見された旅立ちだった。祖母が葬儀の後もやって来る弔問客に、祖父の枕元で言った私の「せりふ」の事を話していたのを覚えている。昭和30年11月16日。私が大瓜小学校五年生の晩秋でした。

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助かりました。

宮城県色麻町の関井様ご夫妻が名取市の佐々木基こ様のご紹介で撰名したのは平成19年10月初めの事でしたが、11月1日夕刻関井婦人から「まだ一度もお目にかかっていないのにこんな電話をしてすみません。名取に電話したら先生にじかに電話をして聞くように言われたものですから」との電話が入りました。『いや構いませんよ、どうしましたか?』

「実は私がキーを付けたまま買い物中に義父が車を運転して車ごと行方不明になりました。町の消防団、警察、そのほかで捜していますが今日が三日目、まだ見つかりません。私はどうしたらいいのでしょう?義父は大丈夫でしょうか?」『名前を教えていただかないと何とも言えません、関井なんといいますか?』「けいしです.尊敬の(けい)と、(つかさ)です。」

『関井敬司ですね。・・・脳神経系の治りにくい病いを持つようになってますから家族のみなさん大変ですね』「10年前から認知症にかかっています。最近は特にひどくてずっとオムツをしたままです。もう三日もオムツを取り換えていませんからねー。所持金もなしです。」『奥さん!しっかり聞いてくださいね。お義父様の事は腹をくくってください。最悪の連絡を覚悟してください!。問題は事故を起こすかどうかです。事故を起こせば貴女方が後始末に大変な思いをしますからね。私の感では貴女方の運気が撰名で強くなっていますから、事故を免れると思いす』
「そうならいいんですけどねー」

『それからお義父様がいなくなったのは誰のせい、彼のせい、と家族で責任のなすりあいだけはしないように、お義父さまは来るべきものがきてそのような行動を起こしたのだと思ってください。よろしいですね!』「ハイ解りました」・・・

その10日後、関井様の友人,色麻町の野口登久子様より「姿を消した場所から約20キロメートル離れた林の中で車と関井敬司様の遺体が見つかりました」との報告を受けたのです。「翌日から雪が降り始めたのでもし発見が一日でも遅れていたら4月の雪解けまで見つけられなかったと思います。交通事故を起こさなかった事も奇跡だと思います。本当に助かりました!!」

そう言って今日の午後、関井婦人,すなわち関井上子様が野口登久子様と共に松島の拙宅を訪ねてくださいました。

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なぜ国士舘へ?

石巻高校2年生の夏休み、昭和36年7月半ばより畜産を経営する三兄に頼まれ、得意先である仙台市鉄砲町の佐藤精肉店で住み込みのアルバイトをした。翌年10月早稲田の政経学部を目指して努力中のところ,三兄から「二人でハム作りの事業をやらないか?、お前は『帯広畜産大学』へ行って勉強して来いよ」父も『手伝ってやれば』と言う。

あら大変だあー!時間が無さ過ぎる。国立二期校で試験は九科目。無謀に過ぎる!それまでは私立の文系というので国語、英語、社会科社会の三科目に絞っての勉強故,四兄がお世話になった担任外の教師に相談したところ『あそこは誰でも入れるよ。大丈夫だ』との返事。その気になって5ヶ月の猛勉強。卒業式の後,東北大3年の四兄と上京、名苛谷の東京教育大学〔現、筑波大学〕で二日に亘って受験、英、国、社会、以外は殆どノックアウト!

諦めて帰郷の準備をしていたとき、都内の親戚の従兄から、『国』の付く大学が二つあって最後の募集をしているから受けてみたらどうか?と話され、急遽書類を取り寄せて出願し二校を受験した。国士舘大学と国学院大学、いづれも合格。前者は納入金5万円寄付金無し(当時私立大で寄付金の無いのは国士館だけだった、)政経学部経営学科。後者は経済学部経済学科納入金8.5万円寄付金20万円以上、国士舘に行く事で親の負担を軽くしたいと思った。ラーメン一杯50円の頃である。

三兄にはハム作りを諦めてもらうしかなかった。かくて、国士舘での学生生活、即ち、18歳での東京暮らし。多感のスタートを切る事と成った。

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無念の魂。

世に「あだうち」が認められているなら「和義さん!貴方はとっくにこの世の人ではないと思いますよ!」そんな声が日本国中のあちらこちらから聞こえて来るような『三浦和義』サイパンでの逮捕ニュースでした。良識を持つ圧倒的な日本人は、この人物を妻、一美さんを殺した〔第三者を使って殺させた〕犯人と思っているはずです。

「一美さん殴打事件」と軽く言うが怪我ではなく、アソコで落命していれば即;殺人成立;だったのです。次に妻の命を奪う為の作戦は、まづ、 威力の弱い銃で自分の『足』を撃たせて自分を被害者に仕立て、妻に対しては頭を撃たせた。威力の弱い分だけ妻の死に至るまでかなりの日数を要したわけです。

佐々木良次さんを父に[外格佐々次で20画] 、佐々木康子さんを母に[地格康子で14画-辛酸の絶ゆる事なき夫子との生死別運]、佐々木一美と命名され[外格佐々美で23画、地格一美で10画]育ったのですが、23画の頭領運で良縁を得ることなく、10画の大凶悪運で厄難、短命を免れず、三浦和義〔人格浦和で19画ー刑罰殺傷運]という男と一緒になり(悪縁そのものだった)三浦一美となって[人格浦一で12画、外格三美で12画,地格一美で10画]運気の意味するとおりの短かい人生に終わってしまいました。

父良次さんは「悔しい!、悔しい!」を連発しながら18年前に死亡[短命運]、同様に短命運の母、康子さんは(もう少し生きるはずだった一美さんの寿命を貰い受けている)「娘一美の敵をとらないうちは死んでなるものか!!」 と懸命に頑張っている。因果応報の理でいけば、妻の命を奪ったアメリカの地で『第1級殺人』犯としての三浦和義の処刑がなされる筈であります。

本事件に関し、日本の警察、検察,一審の裁判官は(死刑であるべきを無期懲役の判決を下した残念さはあるが)有罪という意味で至極妥当な見解を示したと思う。が、二審の逆転無罪判決、及び検察側の上告を棄却した最高裁の判事たちの誤った認識、不見識、無能振りが殺人犯を今日まで増長させてしまった。

被害者の無念さ、遺族の悲しみ、悔しさ,噴りには時効等有り様もない!!。アメリカが執り行う[正義の処断]による一美さんの『無念の魂』はそう遠く無い時期で癒されると思います.今日は一美さんの誕生日なそうですね、佐々木康子さん頑張ってください!!〔合掌〕 

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長者の娘も

昨日の23日、松島町手樽に午後一時の約束で国家公務員の男性がやって参りました。「大安吉日」故に今日を選んだのだそうで、縁談についての相談でした。「2年ほど交際し婚約までした女性から昨年5月に『ある件が原因で』婚約解消と交際の打ち切りを言い渡され、それ以来会うことも無く今日まで来たがどうしてもその相手を忘れられず、何とかならないでしょうか?」と言う主旨でした。

「ある件と言うのは解決できるんですか?」「もう去年の11月に解決しました」「それなら問題ないんじゃないですか?」「それが、相手は裕福な家の娘さんなもので、、。」「長者の娘も乞うて見よ!ということわざがあってね、何事もやってみなければわからない、ということなんですよ。『たとえ相手が大金持ちの娘であっても、好きになったのなら勇敢に申し込んでみればよい。案外にくれないものでもない、』と教えているのです。

一度は本人達も両家も納得した時期もあった訳だし、貴方が彼女以外に考えられないなら全力で立ち向かう事!。まづ相手のご両親と娘さんにお詫びのご挨拶をし、週1回手紙を書く.週2回の家庭訪問をして自分の気持ちと熱意、誠意を解ってもらう。

貴方に四人の親の面倒を見る覚悟と尽くす心があるなら貴方の願いは成就する筈、貴方のために24日のブログにこの事を書いておくから,くじけそうになったらクリックして良く読んで頑張り通してください!」ここまで話して帰って頂いたが、波乱を暗示するかのように雷と突風、雹まで降って来た。

人生は一度っきり、ここで頑張らずにどうする!!。

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受けた恩

いつ行っても必ず納豆を買ってくれる家がありました。「何故なのか」を祖父に訊いても黙っているので、祖母に訊いたところ「あそこへお爺さんが頼まれてお金を貸したんだよ。いくら頑張っても借りた金を返せないので(代わりに家と屋敷を取ってくれるよう)向こうから言われたんだけれど、8人の家族でどこへも行くあての無いことを知っていたお爺さんは、お金の貸し借りは一切無かった事にしてあの家族を助けてあげたんだよ。

売りに行くたび、お前に受けた恩を返しているんだよ。」成る程,そういうことでしたか。やっぱり祖父は偉いなー!と思ったものです。そうしたある日の午後、家の前の北上川で祖父と竿を並べてハゼつりをしていたとき、祖母から聞かされた話の事を「おじいさんはやっぱり偉いんだねー」と言ったところ、「お前も大きくなったら困っている人を出来るだけ助けてあげろよ。

でもな、人にしてあげた事は早く忘れろ(この言葉の意味を自分なりに思い知ったのは25年後の事でした)。受けた恩は決して忘れるな。それから、一生懸命頑張ってそれでも貧乏だとしても人は潮笑(わら)わない。だがな、悪い事をして人から後ろ指を指されることだけはするなよ!」一言、ひとことが腹腸(はらわた)に沁(し)みる小学校四年生の秋でした。

ブログの題名を「永人のひとり言」から「永人のひとごころ」に変えました。つながりにくい時は、念のため、http://blog.goo.ne.jp/yosinonagato/をクリックしてみてください。よろしくおねがい申しあげます。

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的中で嫌われる

平成13年11月末、仙台から来訪者がありました。両親と娘さん(すでに撰名済み)、娘さんの婚約者(22歳)の四人で、この婚約者は3歳上の兄のことで
相談に来たと言う。「私の兄がかれこれ一年近く行方不明になっています。全く音沙汰がありません。これまで(全国の有名な拝み屋を20軒尋ねて)聞いてみたんですけど全員に、無事でいる、そのうち出てくる、都合があって身を隠しているだけ、大丈夫だ、若いから心配ない、といろいろ言われたんですがどうですか?」と聞かれました。

私は「お兄さんの姓名は?」と尋ね「桜下人志です」と言う答えを聞いて「私は無料で鑑定しています。何を言っても怒らないで聞いてください」。本人の納得を確認してズバリ切り出したのです。「桜下人志さんは急禍急変と災害を含む突然死型の絶対的短命運を意味しますから、長生きは出来ません。私の勘ではすでに誰かにヤラレてこの世に居ない気がします!」

私のこの言葉で雰囲気が怪しくなり四人ともしばらく無言でしたが、桜下さんは「ソンナ馬鹿なっ!!」と気を取り直したものか「どうせ無名な者の言う事だから!!」と思ったかは解りませんが、静かに帰って行かれました。その後しばらくして、仙台の山口組系の組幹部が殺人容疑で逮捕されました。

平成13年3月桜下人志さんを五人で暴行し、重しを付け、相馬港の海に沈めて殺したというのです。弟さんが私に相談に来た8ヶ月前に「殺されていた」訳です。生死にかかわり、しかも私の予感が「悪い形に的中する為」か、無料で鑑定したほかに、嫌われてしまう事が多いようです。

桜下人志さんは大崎市鹿島台の出身で、この鹿島台には私の兄が婿入りしております。これにも何かの縁を感じます。 なお、「永人のひとり言」は他に紛らわしいものがありますので、次回以降は『永人のひとごころ』で検索賜りますようよろしくお願い申し上げます。

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二人でパンを買う。

いつも血糖値を上げないように気をつけているので、私が好きな菓子パンを食べすぎないよう家内の目が厳しい筈なのに、作日に限って「おとうさん、二人でパンを買いましょう、私は私で買うから、お父さんも自分で買ってネ」と言う、(変な事を言うもんだなー?しかし、先日、利府町の今川富美子様からおいしいパンを頂戴したのが丁度無くなったからマアいいかな)と思いつつ買い物籠にジャムパンを一個入れました。

そのとき、家内がどんなパンを買うかなんてすっかり忘れていました。「よしのさーん,代引きの荷物デース!」こんな朝早くどこから何が着いたんだろう?「何か来たよー」と台所の家内に向かって言う、「代引きだからお父さんが受け取って!」だと。「13、540円です!」アー、又私の小遣いが減る。宅急便が帰った後、「何を買ったの?」と聞いた。「ホームスパンのマフラーよ!」だってさ。昨日注文したのだと言う、発送元、盛岡市材木町、ホームスパンハウス盛岡店。

パンはパンでもいろいろあるもんですね。ホームスパンとジャムパン、我が家は家内が一番強く、残念ながら私は二番目です。斎藤誠紀さん、この家内こそ我が家の椿姫です。???石巻と松島両方の庭に家内が植えたいろいろな椿がそろそろ咲き始めます。咲いたらみなさんでお茶のみにおいでください、我が家の椿姫がうまいお茶で歓待してくれる筈です。

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命あっての。

平成13年6月末仙台市駅前、メトロポリタンホテル1F喫茶室で福島市から来た紹介者の佐藤彰値(さとう、しょういち)様と36歳の会社社長、その奥様、小学2年生の男のお子様、の4名様と会い、主に社長様の運気について真剣に説明させて頂きました。

「社長さんはこれまで思い通りに世渡りして相当な経済力を身につけてきましたね」「なーに年収数億円ですよ」と紹介者、「大したものですね。ですが、貴方の運気は37歳から飛んでいる飛行機のエンジンが急に止まって一気に墜落するような(急変遭難運)ですよ。何もかもが挫折する運気ですよ!間もなく37歳でしょう?佐藤さんの紹介で私とこうして今日この場で会えた事を幸運と思ってください。」と一気に話したが、やはり「信じられない!?」という様子。

無理もない、「はっきり言います。貴方は人と争って、或いは恨みを買って誰かにヤラレてしまいますよ!来年は直ぐ37歳ですよね。」半分は無礼な奴だと腹を立てながら聞いているのかも知れない。夫妻は無言のままでした。紹介者は「この社長さんにはほかに二人の女の子が居るんですよ、その子たちのも鑑定して下さい」と言う。私は夫々の姓名を聞き、家族全員の運気を説明しました。

紹介者も知らない横山家の事を私の口から次々とついて出るので社長夫妻は時折り顔を見合わせてすっかり驚いた様子振りでした。結論は、「家族全員撰名して有意義な人生を目指そう!」という事に成りました。・・・ところが、11月の末、社長さんの奥様から「主人がどうしても元の名前の字に戻すそうです。わたしから先生に電話してそのことを伝えるように言われて電話しました。

この件については今後一切触れないで欲しい、とも言っております。」「解りました。どこからか雑音でも入ったんでしょう?。奥様や子供さんは撰名を使ってくださいよ!社長さんの事は今後私からは何も言いません」紹介者には一応その件は伝えておきました。

年明けて平成14年元旦社長さんから賀状が届いたが「横山 昇」例の急変遭難運の戸籍名でした。1月7日佐藤彰値(紹介者)様から電話があり「先生のところに横山社長から年賀状届きましたか?」「来ましたよ」
「撰名の横山昇立(よこやま・のぼる)を使ってないでしょう!?全くあの社長は何を考えているんだろう!?今日奥さんによく言っておきましたから、先生の勘は当たるんだから馬鹿にしちゃ駄目だ!とね。」

1月14日12時半頃「先生!大変な事に成ったよー」と佐藤様からの電話「どうしたんだ?」「横山 昇がね、ヤラレました!さっき、ピストル4ぱつ撃たれて死んでしまったよー!!」・・・またひとつ私の勘が当たった訳ですが、「奥様や子供達の為にも私の言う事を信じて欲しかった」と思うのです。

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