日々の感じた事をつづる
永人のひとごころ
09「形だけのあいさつ」は忘れる
09
「形だけの挨拶」は忘れる
人との関係は、言葉で織りなされます。
一言付け加える手間だけで、ただのやり取りに血が通います。
◎
本書の冒頭で患者さんがお帰りになる時に、「お大事に」と言わずに「ご自分を大切にしてくださいね」とお伝えするとお話ししました。
本来届けたい真意が伝わりにくい「挨拶言葉」は他にもあって、「おはよう」「おやすみ」「こんにちは」を始め、「ありがとう」や「いただきます」「ご馳走様」等もそうでしょう。
「おはよう」はもともと歌舞伎の世界で使われていたという説があり、「お早い御着きですね」という意味です。芸能界では夜でも「おはよう」と言って挨拶をするそうですが、ただのあいさつではなく、相手をねぎらう言葉だったと言えます。
「こんばんは(今晩は)」や「こんにちは(今日は)」は、本来、「今晩は月がきれいですね」
「今日は寒いですね」という共感や相手を思いやる言葉が後ろに続きました。
「ありがとうも」も「運んでくれてありがとう」と、言葉を添えることで、ただの挨拶から相手に思いを伝える言葉に戻すことができますね。何に対しての感謝なのか、それを追加することで、相手を丁寧に思いやる言葉に変えることができます。
それだけで、家族や友人、ご近所さんとのやり取りに血が通います。
更に、ただの「ありがとう」を
「○○してくれてありがとう」、
「ご馳走様」を
「時間をかけておいしいご飯を作ってくださってありがとう。ごちそうさまでした」と相手に伝えることで、自分は手間をかけ、大切にされる存在なのだと気づくことにも繋がるでしょう。
08「家族だから」は忘れる
08
「家族だから」は忘れる
一番身近な人にこそ、「時々きちんと」。
「親しき仲こその礼儀」を意識すると、すっと気持ちのいい空気が流れます。
◎
心療内科で患者さんを診ていると、家族に関する悩みもたくさん伺います。姑さんとの同居の悩みがあるかと思えば、息子の妻への不満もあります。
8050問題の真っただ中にいて、家から出ない子供の将来を悲観する80代の親がいるかと思えば、認知症の親の介護の相談をされる方もいらっしゃいます。
家族の悩みは家族の数だけ多種多様です。そして、それはどれも尊い悩みですが、同時に、家族だからこそ距離が取りずらく、心の程よい距離を保つことも難しいものです。
でも家族だからこそ、「親しき仲にも礼儀あり」を実践する事で、関係性が良くなることはよくあります。これは、他人行儀という事ではなくて、他人に対してするように、「時々きちんとする」という事。
自分の思いの丈は、「少しお時間いいですか」と時間を貰って、本音で話すことであったり、して貰ったことに、きちんと正面から『ありがとう』の言葉を伝え、悪かったと思ったら『ごめんなさい』を伝えるという事です。私は二女と同居していますが、日々の朝食やお昼の弁当は彼女が準備してくれます。そんな彼女にクリニックから帰宅するとまず最初に、「今日も朝からいろいろとありがとう。お弁当ご馳走様」と忘れずに御礼の言葉を伝えるようにしています。
身近な人に対してこそ、時々「きちんと」してみる。心を込めた「ありがとう」と「ごめんなさい」こそ、大切にしたいと思います。
07「親だから」は忘れる
07
「親だから」は忘れる
心療内科医・藤井英子91歳
あれこれ子供に「教えなきゃ」なんて思わなくていいのです。そそもそも、「しなさい」という前にまずはご自分を振り返ること。
◎
私は7人の子どもを育てましたが、子どもたちに対して「勉強しなさい」とか「親の仕事を継ぎなさい」などと言ったことは一度もありませんでした。
言う必要がないほど出来が良かったなんてことはありません。夫は夫で子供が悪いことをして学校から呼び出されるたびに。「これも自分の教育の結果だ」と、子どもを必要以上に叱ることはありませんでした。
命に関わったり、法律に触れたりするような深刻な事態でない限りは、子どもであっても「これはその人の人生」と、どこか俯瞰(ふかん)して見守ってきたように思います。
それが良かったかどうかはわかりませんが、たとえ家族であっても、近しい友人で会っても。相手の行動を決める権利はその人以外にはない、という事は確かな気がします。
「こうして欲しい」ときちんと言葉で伝えることは大切ですが、そこから先は相手の領域です。することもあればしな、いこともあるでしょう。相手を怒鳴り攻め、コントロールしようとしてもそれは人間関係の悪化を生み、大抵は徒労に終わります。
助言も、それが、自分の希望を相手を通して叶えるようなものであってはならないと思います。
「あなたにはあなたのやり方、考えがある。そのうえで、私には少しお手伝いできるかもしれない」。
親も子も、同じ場所に立ち、目線を合わせて話したいものです。
06「苦手な誰か」は忘れる
06
「苦手な誰か」は忘れる
「苦手な人とうまくやろう」なんて最初から思わないことです。関わりを絶てないならば、相手のことを考えない時間を作ること。
◎
仕事や親戚、ご近所づきあいなどで、苦手な人と関わらなくてはいけないこともありますね。出来る限り、苦手な人とは距離を置いて接するのが良いですが、立場上、日常的に交流が有ったり距離を置くこともできないという事もあるでしょう。
相手の気持ち苦手な部分、苦手のことに注目してしまうと、それを何とかしようとしがちですが、そうやって相手を変えようと働きかけると関係性は悪化してしまいます。
それだけでなく変わらない相手に執着するという現象が起こり、相手の一挙手一投足にストレスを感じることになります。嫌いなのに離れられないなんて、どちらにとってもただ不幸せでしょう。
そんな時は、しっかりと相手と自分の間に「心の境界線」を引くことが大切です。
そして「相手のいう事に振り回されない。相手の言いなりにならない」と決めることです。
それは「相手のことも変えようとしない」と決めることでもあります。
どうやっても他人は変えられないのですから、相手を変える努力よりも、できるだけ相手や相手の言ったことを「意識的に忘れる」努力が必要
身体を動かしたり、本を読んでその世界に埋没したり、映画を観たりすると最初はわずかな時間かも知れませんが、その時間は頭がそこから離れます。少し忘れられます。
そんな「忘れる練習」を繰り返し行うのです。練習を重ねるうちに、他に楽しい事、関わりたい人が見つかることもあります。
05「してあげる」は忘れる
程よく忘れて生きていく
1章・人間関係は程よく忘れる
05
「してあげる」は忘れる
誰かに成り代わって、課題を解決することはできません。いい人の振りをして、勝手に取り上げてしまわないことです。
◎「人の悩み事ばかり聞いていて心が折れることはありませんか」と聞かれることがあります。精神科医として人の心や体の悩みを診ていると、そのどれもが自分の人生を諦めていないからこそ生まれてくる尊い思いなのだという事がわかります。
その思いと人生に尊敬の念を抱きながら、自分ができる診療のため目の前の方に接する日々です。
人はそれぞれが自分の人生を生きています。自分は自分であって、他の誰かに成り代わることはできない―――そんなことを、患者さんたちは教えてくれます。
思わず胸に込み上げてくるような辛い環境の話を聞くとがあっても、患者さんの気持ちが分かるとか、自分が代わってそのつらさを解決してあげよう、なんて思うとしたらそれはおこがましい話だと思うのです。私にできるのは、漢方薬を使いながらその問題に向き合える心身を取りもどすお手伝いをすることです。
これは診療の場面だけではありません。相手の人生の課題を勝手に取り上げないこと、相手にその問題を解決する力があると信じて、立ち向かおうとするその姿勢を尊重したいな、と思います。
人と自分との間にきちんと境界線を引き、相手の人生を尊重することは、どんな人間関係においても大切なことだと思います。
04 「比べる」は忘れる
程よく忘れて生きていく
第1章・人間関係は程よく忘れる
04
「比べる」は忘れる。
人と自分を比べる必要などありません。まずは、自分そのままで「どうやれば心地よくなるか」「安心できるか」を考えてみましょう。
◎
随分前の話になりますが、結婚、出産された後に、うつ状態になった患者さんがクリニックにいらっしゃいました。お話を聞いてみると、子供と一緒に夫の実家へ行くたびに嫌なことを言われて姑さんに会うのがつらいという事でした。
そして「姑さんと仲の良い他の方がとても羨ましく、自分はなぜうまく付き合えないのだろう」と悩んでいらっしゃいました。
私は「他のひとと比べる必要も、気にする必要もありませんよ。しばらくは実家に遊びにいくときは夫にお願いしたらどうですか?無理をして、姑さんのところへ行ってうまく立ち回ろうとしなくても、あなたが心地よいと感じることを選んでいいのですよ」とお伝えしました。
その方は、さっそくそれを実践されたようで、実家へは夫に子どもを連れて帰ってもらうようにされたようです。
すると姑さんは息子さんが来るようになったことを喜ばれたようです。息子さんと話したかったのでしょう。息子と一緒にやってくるお孫さんとも仲良くなり、やがて、姑さんから。
「あなたも一緒にいらっしゃい」と言われるようになったと言います。お嫁さんへの対応も以前と違って、明るく、やわらかくなったようでした。
人と比べた、遠い憧れを抱き続けたりするよりも、ただ「自分がどうすれば心地よいのか、安心できるのか」を考えて暮らしを見直してみませんか?
必ずその先になりたい自分がいると思いますよ。
03 「誰かの意見」は忘れる
03
「誰かの意見」は忘れる
人の意見に耳を貸すことは大切。でも気にしすぎないことはもっとたいせつです。人の意見なんて、本人も覚えていない。無責任なことも多いものです。
◎
周囲の声が気になってしまうことは誰にでもありますよね。もちろん人の意見によって悩みの突破口が見つかることもありますから、真摯に耳を傾けることは大切ですが、あちこちから聞こえてくる、「ただ自分の意見を聞いて欲しいだけ」の無責任なアドバイスに振り回されないようにしたいものです。どんなに親しい間柄であっても人との間には「こぶし大」の間隔を空ける。
自分は自分、相手は相手、と距離を置き、自分の反応を大切にしながらちょっと耳を傾けるくらいがちょうど良いのです。
「ああ、この人はそう思っているのか」
「そうか、そういう考えもあるのか。自分はそれについてどう思うだろう」と相手との間に境界線を引くことができれば、『誰かの何気ない言葉』を間に受けて苦しむことはなくなります。
以前、クリニックに「会社で自分の悪口を言われているのではないかと不安で眠れません』という方がお越しになりました。お話を聞くうちに、あることないことをあちこちで話すお局(つぼね)さんの存在が見えてきました。
私は、「堂々としておられたらいいですよ」とお伝えしつつ、意識が過敏になってしまう心のケアをと、漢方薬を処方しました。
うわさ話というのは、やり玉にあげられている人よりも、不確かな情報で人を貶(おとし)めようとしている人の品格の問題です。
そのような相手のご機嫌を取ろうと、自分の大切な時間を注ぎ込む必要はありません。
自分の心を守るためにもさっさと距離を置いて、その人の存在を出来る限り忘れてしまう事です。
02「みんな仲良く」は忘れる
1章・人間関係は程よく忘れる
02
「みんな仲良く」は忘れる
全ての人に好かれるのは不可能です。嫌われてしまったならばそこからサラリと離れることです。
◎すべての人に好かれるのは不可能です。どれほどあなたが良い人でも、どれだけ人に好かれるために気を使っても、たまたま相手の心の傷に触れたり、相手にとって嫌なことをしてしまったりして、敬遠されてしまうことはあります。
たまたま相手に心の余裕がなかったり、問題を抱えていたりして、他人とよいコミュニケーションが取れない時期だったこともあるでしょう。それは、どれほど高級な鯛を差し出しても、「魚が嫌い」と食べない人がいるのと同じ。嫌われる時はどうしたって嫌われる。
原因のすべてが自分にあると思わないことです。
私もいつも人に好かれていたわけではなかったと
思いますし、長くクリニックの院長を務めていた時には、人間関係でも様々な窮地がありました。
「ああ、この人は自分のことをよく思っていないのだろうな」という人からは
「あらそう、それは仕方ないですね」とさらっと離れます。自分が苦手だと思う人からは、スッと距離を置く。年の功でしょうか、そんなことが身に着いたようです。
更にはそのことをいつまでも覚えているのを意識して止めること。聞かれて初めて思い出すくらいの方がお互い平和なのです。
自分のことを嫌いな人を何とかしようとする必要はありません。自分のことを好きでいてくれる人とどう人生を過ごすかを考えた方が、人生は明るくなります。
01「折り合い」は忘れる
1章
「人間関係」は程よく忘れる
01
「折り合い」は忘れる
人間関係は、考えすぎない方が上手く行く気がします。「折り合い」の前に、「相手を考えない時間」を持つ事です。
人間関係は自分と自分以外とのやり取りです。思った通りにはいかないものと思っていた方が、心は幾分楽でしょう。
私は『お気持ちはわかりますが、気にしすぎることをやめてみましょう』短気ですぐ腹を立てる[易怒性]のある方に対して、正面から受け止めていたらこちらが持ちません。
この患者さんは職場を辞めることは考えておられなかったので、「相手と心の距離を持つようにしてみてください」とお伝えし、不安を落ち着かせる効果のある
半夏厚朴湯(はんげこうぼくとう)や
当帰芍薬散(とうきしゃくやくさん)
気を補う、補中益気湯(ほちゅうえつきとう)などを処方しました。
私がおつたえしたかった心の距離とは、相手のことを考えない時間を持つ事。相手に自分の時間、思考を占領され無いよう、例えば
「職場にいないときには考えない」
「思い出しそうになったら他のことをやる」といった心の線引きをすることでした。
その方は、次の来院時には、表情が明るくなっておられ、「心の中では折り合いがついて解決しました」とおっしゃっていました。
人間関係のごたごたでは、「折り合いを付けなくては」と頑張ろうとするのを一度止めてみるのも手です。あいてと距離を置けることばかりとも限りません。そんな時には、
「いったんその存在を忘れる時間を作る」こと。
自分の中の折り合いは、相手をきちんとあるべき場所に『置く』ことから始まる気がします。
程よく忘れて生きていく 2
程よく忘れて生きていく
2
心療内科医・藤井英子91歳
私は、産婦人科として7年間、そして精神科医として30年以上患者さんからたくさんのことを教えてもらいましたが、この本を通してお伝えしたいのは
他の誰でもなく自分から目をそらさないで欲しいという事。
自分を真っ先に大事にし、自分の声を聴き、自分をいたわり、慈しむこと。
そのために「忘れていい事」と、
その反対の「大切に心にとどめおきたいこと」を提案してみたいと思います。
必要のないものを「忘れる」ことで、自分が本当に大切にすべき物事が見えてきます。
だからあなたも、
誰かのことはいったん忘れて「ご自分を大切になさってくださいね」。
「そうは言っても、嫌な気持ちとか、後悔とか、忘れたくても忘れられないものじゃないですか?」
そんな声が聞こえてきそうです。実際にクリニックでそう言われたこともあります。翌日に持ち越してしまうどころか、ずっと昔のことなのに、魚の小骨のように、胸につかえて今でも取れることがない・・・と。
私自身は、嫌な感情や、重い通リにならなかった出来事への残念な思いや、ネネガティブな気持ちを、翌日に持ち越すことはほとんどしません。
その秘訣は、実は本当に簡単な方法です。それは「持ち越さない」と決めること。
人は、自分でそう思うからそうなります。
私は、嫌なことが起きたり、悲しいことが有ったりしたとき、
「起きたことは起きたことだ」ととらえる癖をつけています。
起きた出来事をあれこれ考えるより、次にどうするかを決める方が大事。
「今日の負の感情は今日まで」。
「起きたことについてグズグズ言わない。どうするかを考える」――最初からそう出来ていたわけじゃありませんが、
長く生きていると、いつの間にかそんな風に、気持ちをスッキリ立て直すことができるようになりました
これまで、「嫌なことを引きずってしまう」という人も毎日「練習」するとで、新しい習慣が自分になじんできます。
最初は「10分だけ脇に置く」から初めて見ましょう。
嫌なこと、
執着、
行き過ぎたこだわり、
誰かへの期待、
後悔、
過去の栄光 は、程よく忘れる方がいい。
その一方で、
自分自身のことに集中すること。
自分の居場所を心地よく保つ事。
大事にしたい絆を大切にし続けること。
有り難いと思う心。
それらは忘れずに日々心に留め置く。
いい塩梅を見つけたいと私も日々模索中です。
人はもしかしたら「覚えて居過ぎ」なのかも知れませんね。
「忘れていい」とちょっと気持ちを変えることで、さっぱりとした気持ちのいい心で、毎日を楽しく過ごせる気がします。続く
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