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課外第十二号:『幸』の文字

5月31日付けブログを投稿し,何となくgooニュースをクリックしたところ、川崎市の「幸」の付く地名で起きた殺人事件の報道があり,『幸』
の文字について投稿したばかりなので、これも何かの縁と思い、事件の内容を拾ってみた。

◎5月30日午前7時頃、川崎市『幸』区中『幸』町のアパート「『幸』栄荘」で「男が三人を刺した」と110番があり、神奈川県警『幸』署の署員が駆けつけたところ、アパートの隣に住む大家の柴田昭仁さん(73歳)と弟の嘉晃さん(71歳)妻の敏子さん(68歳)が刺され、三人は病院に搬送されたが死亡した。

アパート一階の自室にあぐらをかき、犯行に使った包丁を畳に突き刺した状態で酒を飲んで居た、自称無職の津田壽美年(すみとし・57歳)を殺人容疑で逮捕したという。

被害に遭った柴田さん夫婦は一階の別々の部屋に住んでいたが、嘉晃さんの隣に津田壽美年容疑者が住んでいたということだ。『幸栄荘』には風呂はなく、トイレは共同だった。

四年前から津田容疑者は嘉晃さんの部屋のドアがバタバタする音や洗濯機の音がうるさいとトラブルになっていたという。

『幸』いの文字が三つある場所で三人の不幸が死の形で現れたのである。
偶然とはいいながら、この不幸な事件の処理を幸署が担当する。

以下被害者・死亡三名
○柴田昭仁(9・5・9・4)運気10点
天格、14画
人格、14画、大凶。
地格、13画、大吉に凶を含む
外格、13画、大吉に凶を含む
総格、27画、大凶。
14画で何事にも破れる兆しあり。家族縁薄く、浮沈極まりなき不安定の運にて、中年頃までは智謀と努力とで奮闘し、経済的力量を備えるも、後年は、自我心を強くし、遭難運の27画で誹謗中傷、攻撃を受け、裏面の陰口治まることなく、辛労多く、以外の厄難を受け、天寿を完うすることなし。志、中途で破綻挫折する。

○柴田嘉晃(9・5・14・10)運気5点、第一型絶対的短命運。
天格14画
人格19画、大凶:刑傷殺伐の非業短命運
地格24画、大吉に凶を含む
外格19画、大凶。家族生死別の万事行き詰まり運
総格38画、吉に凶を含む

成功運;天(四)―人(九):大凶、乱離、困窮、急禍運なり。
基礎運:人(九)―地(四):大凶、絶対不安定なり、意外の変事ありて、生命、財産を失う。

三才の配置:天(四)―人(九)―地(四)大凶、第一型絶対的短命運。
脳溢血、心臓麻痺、急難、災害、自殺、その他全て急変の死を招き、短命の人生に終わる。

○柴田敏子(9・5・11・3)運気10点、
天格14画
人格16画、大吉に凶を含む
地格14画、大凶。浮沈の激しき辛労絶えぬ精神過労の短命運
外格12画、大凶。家族縁薄き厄難短命運
総格28画、大凶。不和争論に巻かれる遭難険悪の運

以下加害者
×津田壽美年(10・5・14・9・6)運気5点、第三型絶対的短命運。
天格15画
人格19画、大凶:刑罰殺傷の万事行き詰まり運。
地格29画、基礎運の凶により、吉から凶へ変化す。
外格25画、主運の凶を受け、吉に凶を含む
総格44画、大凶:破壊と破滅の大凶悪運。

44画の霊導:破家亡身最悪の象。悲運惨憺、破壊乱離の意を蔵す。万事意の如くならず、失意、逆境、煩悶、苦労多く、病難、遭難、災難、家族性死別、発狂、短命に陥る。

成功運:天(五)―人(九)大凶。苦労のみ多くして功なく、しかもかえって難を受け、他の嘲笑を買う。
基礎運:人(九)―地(九)大凶。一時大勢力を発揮する事あれど病難、災難に沈む。

三才の配置:天(五)―人(九)―地(九)大凶。第三型絶対的短命運
負傷、遭難、など、他動的、外傷的危険に陥り、短命の人生に終わる。

本来なら、この犯人こそが他から殺される運命なのであり、それが先に他人の三名を殺(あや)め、おそらくは将来死刑の判決を受け、不幸な業を背負って、人生を閉じる事に成るのであろうが、それもこれも運気の為せる業(わざ)なのである。

『幸栄荘』 幸多く、栄える筈のアパートに〔幸栄(栄は榮で14画)ー22画大凶。何事も思うようにならない運〕、運気の弱い人たちが集まって、起きた不幸な事件だが、図らずも、人の名に在っても、地名にあっても、建物の名にあっても、文字の意味する『幸』以上に「画数の持つ意味」が運気に現れることを理解していただければ幸甚であります。     (合掌)   






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三・信じた者勝ち

『勿論医者ではありません。ただ長年の研究で姓名を見るとその中の数字でどこが悪いか解ります。(一)境 幸太郎〔(一)14・8・4・14〕さんは先程話した所を病気するようになっているのです。それから息子さんは境 幸一〔(一)14・8・1〕ですね。35歳だそうですが未だ結婚前でしょう?』

「結婚する気はあるのですが、まだ・・・しかし、なぜその様な事が解るんですか?ちょっと恐いですね」

『幸一という画数が9画ですから、孤独運で家族縁薄く、なかなか結婚できないのですよ。仮に結婚しても家庭を維持できず、離婚することにつながります。ですからこのままなら、二重の意味で家庭を持てない事になります』と言いながら、ここで五靖閣の名刺を渡した。

「どうすればいいのですか?・正式にお願いします。何とか早く結婚して親を安心させたいと思っているのです」と息子は真剣な表情である。

同じ『幸』の文字を持ってこの親子は性格一致、相性吉の組み合わせである。

『境 晃市なら一年以内に結婚します。出来ますよ。それからお父さんも別な“こうたろう”で元気になって下さいよ。そんな薬のカバンを持ち歩く辛い人生では働いて金を稼いでも意味無いでしょう?』

「全くですね。私も正式にお願いしますから」ということで
境 晃太朗と撰名したのである。境父子にはそれぞれの新しい撰名を肌着に書いてもらう事にし、四方山話で夜遅くまで盛り上がった。

こうして長崎県壱岐の島から帰り、契約書を携えて中道リース仙台支店へ報告し、平田丸のリース契約を結び、それを持って志津川へ行き、高野組の佐藤常務さんへの報告を済ませ、リース契約書の連帯保証人欄へ署名捺印をして頂いた。平田丸は無事所有権の移転を済ませて九州長崎から5日間かけて石巻へ回航したのである。昭和62年6月下旬の事だった。

この平田丸は石巻工業港の拡張事業に従事した。社員の頑張りも大きく、いい仕事をして信用を付け、狙い通りの働きをしてくれたのである。
第三公福丸を凌ぐ性能と設備は正直に吉建工業の売り上げに貢献し、大幡の債務を順調に消化していく柱になってくれた。

何の事情も知らぬ大幡夫婦は、新しい設備をする吉建工業はどこからも金を持ってこれる筈は無く、多分大幡建設工業の財産を叩き売った金で
やっているのだろう、と言う、「下種のかんぐり」を続けていたのである。自分達の借金を一生懸命払ってくれている義弟の私に対して、相も変わらず、このような嫌がらせである。

この年の9月、福岡の境 晃太朗さんが礼状を寄越した。ほとんどの薬を飲まなくなったと言う。たったの3ヶ月ですっかり元気になり、薬なしでの外出も平気になったそうだ。間違いなく自己治癒力の強化や免疫力の増大等、体質の変化が起きた筈である。

息子の晃市さんは8月の見合い相手と付き合い始めたという。境父子は二人とも境の姓に合わない8画の『幸』の文字を取り除いて別の画数に置き換えてから本当の幸せを掴んだようである。
・・・・最後の嫌がらせ、へ続く。


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二・人の情け

札幌市に本社の在る中道リース株式会社仙台支店が購入の船舶を担保にし、さらに船価の10%、3000万円を頭金として積む条件で引き受けるという。

最大の壁である保証人と頭金を誰にお願いするべきか考えた時、迷わず,一番信頼を寄せていた宮城県志津川町(現・南三陸町)の株式会社高野組の佐藤邦吉(さとう・くによし)常務取締役(45歳)に、相談した。

「吉野社長の骨折りが無かったら昭和48年に当社の高野生コン工場は砕石の供給ストップで立ち往生してしまった。あなたの努力で〔女川から船で志津川へ砕石を運んで応援させて頂いた〕我々は助かったが今度は私が恩を返す番だ。

保証人と頭金を引き受けるよ」と仰言っていただき、助けて頂いた。人様の温情、この援助によって私共は勇気百倍、全ての借金を返すことが出来ると確信したのである。

佐藤邦吉氏は株式会社吉建工業にとって、また再建会社の大幡建設工業にとっても大恩人なのである。

佐藤邦吉(7・21・11・6):運気10点
三才の配置:天(八)―人(二)―地(七)。大凶。第二型の絶対的短命運:発狂、神経衰弱、肺病、脳病等、長患、難治の病症(癌など)にかかり、短命の人生に終わる。

ところが、この大恩人は姓名の画数から来る『三才の配置(天格・人格・地格・の組み合わせによる運気のはたらき)』が難治の病いを起して、短命に終わる第二型の絶対的短命運なのである。何とか撰名を使っていただくようにお願いしたが、話だけは真剣に聞いていただいたものの、実行までには至らなかった。

兎も角平田丸購入の全ての条件が整い、昭和62年6月、羽田~大阪。大阪~長崎と飛び。長崎空港からプロペラ機で20分、私は長崎県壱岐の島へ降り立った。

我々に情報を提供したのは福岡の船舶取次業者である境商会の境幸太郎(60歳)さん、境幸一(35歳)さんの父子である。

壱岐の島郷ノ浦港でホテルを取り、船主の平田社長(56歳)と壱岐海運組合の理事長(70歳)それに私(42歳)の五人で確認事項を話し合い商談成立、契約書を取り交わした。

宮城から行った私と福岡から来た境親子は一泊する事となった。ホテルでの夕食会ということになったが、境社長は契約書取り交しの折から盛んに薬を飲んでいる。

『先程から随分薬を飲んでいるようですが、大丈夫ですか?』と聞いてみた。

「色々な病気を持っていますんで、この中は全部薬です」という。大きな黒い皮の手提げカバンの中身はビックリするほどの量の薬で満杯になっている。薬屋の営業マンでもそれ程は持っていない。

「父は神経質で、どこへ行くにもこのカバンを離しません。不安で離せないのです。勿論実際は私が一緒に行動して持ち歩いています。本当の鞄持ちですよ」と苦笑している。

『それは大変な事ですね。肝臓、胆嚢、自律神経、胃腸、大腸,高血圧、心臓、前立腺、などを傷(いた)めますね。45歳過ぎから色々と病状が重なったのではないですか?』

「話された通りです。吉野社長さんは医者もやっているんですか?」と冗談交じりに社長さんが言う。・・・信じた者勝ち、へ続く



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心身不倒第17章:年号は平成へ・一・新たな設備で

本来ならば、昭和63年12月3日に新事務所への引越しを予定していたのだが、11月26日の社員、小野龍志さんの労災事故死によりその作業を遅らせて、12月10日に引越しを完了させた。

正月の飾りも控えめにして、小野さんの御霊に哀悼の意を込め、静かに旧き年を見送って、昭和64年の新しい年の初めを迎え、4日には市内の神社で全社員参加の元、安全祈願祭を行い,今年度以降の安全と無事故を誓い合った。

共に苦労して再建の計画書を作成した星指 昭工務部長も参加すべきのところ、名古屋の家族の事情があって昭和63年10月31日付で退職していた事は少し残念な想いであった。

静かに迎えた、新年の仕事始めの日、昭和64年1月7日、昭和天皇が崩御されたニュースが流れ、長く続いた、昭和の時代が、とうとう終焉した事を思うと何か淋しい気にさせられたのである。

石巻地方は1月7日に正月の飾り付けを下ろし、ドント祭を行うが(仙台は14日)新年早々、日本は何となく重苦しく沈んだ空気の幕開けとなってしまった。
竹下内閣の官房長官小渕恵三氏により改元の新年号は、平成(へいせい)と発表されたのである。これにより昭和はいよいよ過ぎた時代となっていく。

さて、これより2年前の昭和62年5月、吉建工業は大幡時代に建造した船齢15年の第三公福丸の代わりに今後再建を進める事の柱に内航運送の権利を有する浚渫作業兼石材運搬船をどうしても新規設備する必要に迫られ、これを新規建造ではなく、既に建造された船の購入を計画した。

新規建造は時間もかかり、債権者が誤解して、『船を作る金が有るなら我々に支払え』と騒ぐ事も無いとは云えなかった。

急遽(きゅうきょ)、全国に購入予定の意志を発信し、資金の提供商社やリース会社を探し、吉建工業に対する連帯保証人を探す業務に入った。その様な意味でこの計画は出来るだけ手早く実行する必要があった。

こうした節目節目で私は先祖供養塔に行き,

『ご先祖さん、いつもの様にどうか私に力を貸して欲しい。これからの再建が順調に行くように、どうしても新規の設備が要る。したがって、
一、早く良い船を見つけられるように。
二、そのための協力者が早く現れるように。よろしくお願いします』

◎単にご先祖へお願いするだけでなく、必ずそうするように、そうなるように、と、自分自身が努力することを自覚し、行動することを肝に銘じながら『積極の心』で合掌するのである。

『マカ~ハンニャ~ハラミタ~シンギョオー~・・・カンジーザイ・・』
般若心経を唱えて帰途に着くのである。

福岡の船舶取次業、境商会という会社から、長崎の壱岐の島に平田海運という会社があり、そこの所有する平田丸という399トン型の船が建造後3年目で3億円の船価で売る、という連絡が入った。早速船舶部長を現地へ派遣し現物を確認したところ、

「我々の社に丁度いいのではないか」、という報告があり、この船の資料を持ち帰った。・・・人の情け、へ続く。



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七・・関東出張

昭和61年4月、吉建工業 工務部長星指 昭の人脈で千葉県木更津の石材販売業者A、東京品川の建設業者鏑木産業、の二社と組んで東京羽田沖の埋め立て事業に従事し、第三公福丸を派遣した。羽田空港の拡張を目的とする工事で約1年半従事した。千葉県館山港や木更津港から、東京湾を横切って羽田へ埋め立て土砂を運ぶのである。

安定した受注先を抱えた意味では再建の基礎固めに大いに役立った。当社の真面目な仕事振りや船員の評価は高く将来(東京湾海底道路)アクアラインの建設へ向けてのマリコン〔海洋工事、港湾建設などを得意にする大手建設業者〕への石材搬入の共同受注のために(総事業費1兆5000億円)、A社、鏑木産業,吉建工業の3社共同体を作ることとなった。

第一段階でA社が伊豆の河津町に石材産出の山を確保し、試掘を開始した。第二段階で吉建工業が5隻の船団を組んで東京港へ運ぶという構想の下に、北海道から三社を吉建の下に協力、参画して頂くことと成った。

昭和62年7月、北海道から海運の三社が伊豆の河津町の山を視察する事となり、現地に2泊3日の予定で、顔合わせ会を行った。一通りの業務を終え、二日目の夕食会で奥尻町から来た奥尻海運の木田徳雄社長さん(53歳)と話が合い、姓名と人生の話になった。

たまたま、木田社長さんの人格(20)と地格(27)と総格(36)が悪いから撰名するよう話したが、どう悪いのかと聞くので、ケガ・災難・遭難・病難の運気があり短命型なので『徳を得に変えれば』全てが良くなるのだと説明した。

木田徳雄(4・5・15・12)運気10点・・遭難短命型
木田得雄(4・5・11・12)運気100点・完全大吉名

本人は是非変えるからと納得して帰って行った。ところが1ヶ月ほど過ぎて
「女房がなかなか理解してくれないので、撰名の話は無かった事にして下さい!」という事だった。

木田美子(4・5・9・3)運気10点・総格21格夫子生死別の頭領寡婦運(後家運)『結構ですよ、ただ仕事の方は決まったら、協力して頂きますよ』と返事をしたのである。だがこの仕事は河津の石材積出港の問題が解決せず、中途で諦めざるを得なかった。

平成5年7月12日、午後10時半頃、突然サイレンがなり、津波警報が発令された。当社は全船に待機指示を出し、警戒に当たったが、幸い石巻は何の被害も無かった。しかし、北海道奥尻島は相当な被害を受けたようだとニュースで流されたが、夜も遅く、その日は休んだが、翌朝奥尻の惨状が次第に明らかになった。

マグニチュード7,8。奥尻島の震度6。大津波が襲い死者201人。行方不明29人。被害総額1,243億円の記録的災害をもたらしたのである。12日午後10時17分の地震発生で22分に津波警報を出したが、それよりも早く場所によって最大20メートルの高さの津波が襲ったのだという。

翌13日、昼のNHKのテレビニュースで初めて犠牲者の氏名が発表されたが、最初に出た氏名が『木田徳雄』さんだった。奥さんの『木田美子』さんは無事だったがやはり文字通りの後家(寡婦)さんになってしまった。

若し『木田得雄と木田義子』の夫婦揃って撰名を使ってくれたなら、この災難を避け得たと思う。・・・年号は平成・へ続く。





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課外第十一号:何故こんなミスが!?

本ブログ昨日26日分:社員が大事だから(その六)をブログ原稿下書きの所から、ブログへ編集する時に、何かクリックミスしたようで文章が上下に行き違って居りました。この夜はいつもよりなぜか集中力が欠けていたのだと思います。

いつもと違う猛烈な睡魔と闘いながら、自分としては一生懸命直した積りでしたが〔2009:5:26:00:04:01投稿〕、なぜかまとまらず、いっそのこと、やり直した方が良いと思い再度下書きから本ブログへ編集しなおし〔2009:5:26:00:27:43投稿〕,文を読み終えてパソコンを閉じ、そのままコタツで仰向けになり朝まで眠ってしまいました。

27日は松島で午前8時に人とあう約束で石巻を7時に出たのだが、松島の用件を済ませて石巻へ戻り、5月27日分のブログを編集し、念のため、前日26日のブログを確認して驚いた。

修正した積りの午前0時4分01秒のミスした文章が、そのままになっているではないか!慌てて何とかしようと思っても私のパソコン知識ではどうにもならない。なんとも悲しい限り・・・本日、パソコンの先生に電話しようと思ったが、『ちょっと待てよ』、と思った。

何故こんなミスをしたのか?

『小野トミコ』とすべき会社の記録が、ベテラン事務員の考えられないミスで
『小野トミ子』とされていた話の展開をブログで示そうとしていた訳であり、社員のミスの話が私の編集のミスを呼んだということではなく、

小野さん夫婦の「墓参りに来い」という暗示なのではないかと思い、あえてこのミスのブログ部分を削除せずに残そうと思った次第です。

一昨年12月さいたまの千葉さんご夫妻と名取の佐々木さんご夫妻が四人で松島の私を訪ねてきたときにかんぽの宿近くで『小野トミコ』さんの葬儀案内の看板を見て来た事といい〔5月27日コメント参照〕、やはり小野ご夫妻の私に対する思いを感じる。

小野家のご遺族のその後の様子も見届けて、何かの不都合があれば、手を貸してやって欲しいという事か?(私はもとよりそのつもりでいる)。

ともあれ、本ブログの訪問者の皆様には見苦しい編集ミスをしました事を心からお詫びいたします。小野ご夫妻のご冥福を祈りつつ。〔合掌〕・吉野永人


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社員が大事だから(その七)

一、 事故のあった日の朝食の時(事故は午前11時50分頃に発生)、小野さんは盛んに足をさすって疲れた疲れたと繰り返して言うので,「あなただけ疲れるのはおかしいな」と船長に冷やかされていた事、普段はこんな事は一度も無かった。
二、 最後の手順にやるべき作業を、最初の手順でやるように主張して皆を驚かせていること。
三、 小野さんを病院に運んだあと船室を見に行ったところ小野さんの部屋だけが人事異動の時の様に荷物が纏められ、きれいに片付けられていた事。本人が片付けたのだと思うが、何故この日の朝に限ってそうしたのか誰にも解らない。

午前2時に本人の母親に「仏壇の前に立って」小野さんの姿を見せた事と云い、(船があった牡鹿町から自宅の鳴瀬町(約50キロメートル)へ行き,また急いで船にもどったので殊更足が疲れたとでも言うのだろうか?)矢張り、こうなる定め「運命」だったのですかね?』〈云わば、私が予期した通りなのです〉

皆も「その通りかもしれない」と頷いた。

『奥さん、今朝の“石巻かほく”に掲載した死亡広告をごらん頂きましたか?』と尋ねた。

「見ました。種々お世話かけてすみません」

私は瞬間的に直感が働いて
『事務員が記録していた家族関係のノートに

“小野トミ子”(3・11・2・3・3)となっていたものですから、今思うと本当は
“小野トミコ”(3・11・2・3・2)が正しいのではないですか?
漢字を使った「トミ子」なら総格が22画。
片仮名を使った「トミコ」なら総格が21画で頭領寡婦運となり、37歳を過ぎた人生の後半で夫を亡くす運なのです。奥さんは間違いなくその立場になったのですから、片仮名の「トミコ」が正しいのではないかと・・・』〈22画でも後家さんに成る事はあるが〉

「その通りです。“小野トミコ”という片仮名が正式な名前です」

『〈死亡広告を見て〉何故間違っていると連絡してくれなかったのですか?』

「何から、何までお世話になっているのに、申し訳なくてその事は言えませんでした」

私と奥様の会話を聞いて周囲の者は皆驚いた様子だった。
会社の事務員は大幡時代から16年勤務のベテランで、普段は確実な仕事をしており、まさか会社の記録にミスしていたとは思わなかったし、小野さんの奥様も遠慮して間違いを言わなかった故に、若し瞬間的に私の感が働かなかったら、この件はミスのままで経過した事になる。

いよいよ長男がアメリカから帰国したのを受け、無事葬儀を終え、会社は小野家へ誠心誠意補償させていただいた。又、小野家の皆さんには姓名と運勢の関係をよく理解していただき、娘夫婦は葬儀の後、直ぐに撰名し、円満に暮らした。

翌年故人待望のお孫さん〈女子〉が誕生し、命名させていただいたが、早いもので、来年(2010年3月)は女子大学を卒業する。平成19年12月トミコさんは龍志さんのもとへ旅立ったのである。・・・・
・ ・・・関東出張へ続く。



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社員が大事だから(その六)

「主人は『社長さんから名前の字を替えて使うように何度も奨められた』と話して居りました」と奥さんが答えた。

ここで私が主索する運気鑑定・五靖閣(ごせいかく)の名刺を5人に手渡した。私は人助けの意味もあって、「姓名画数と人生」の研究を吉建工業という事業とはまったく別の次元で長年続けていたのである。

『それから昼間聞いた、故人のお母さんの話では今朝午前2時頃仏様の前に立っていた龍志さんに声をかけたということですが、事故のおきる約10時間も前に、魂の予知行動が始まっていたのだと思います。こういう場合は普段と違う行動や、言動をする場合が多い様なのです。

後で仲間から小野さんの行動に何か変化が無かったか良く聞いてその辺のところをご報告します。いずれにしても,本人は誰かに手を掛けて殺された訳ではなく、あくまでも偶発的な事故によって、不慮の死に至った訳であります。

またそうなる運気を姓名の画数に有していたという事に成ります。とは云ってもあくまでも仕事中の事故であり、会社の責任者として、誠意を持って今後の対応をする積りで居りますので、その点はご安心頂きたいと思います。もう一度ご焼香させて頂き、今日のところは一先ず帰らせていただきます』

30人程残っていたと思うが全く静まりかえって誰も何も言わなくなった。事故の状況を明晩まで詳細に調べ,遺族,関係者に報告すること、葬儀社の手配も会社で行った事、その他の段取りや手順を奥さんとその弟に話し、焼香して表に出た。時計を見たら20時40分だった。

車に乗ろうとした時、故人の奥さんが小走りに追いかけて来た。

「あのう、先程、名前を見て社長さんが言った事、本当なんです。塩釜の伯父は皆と折り合い悪く、特にお父さん(故人)が最も嫌っていた人でした。

しばらく出入りが無かったので、今日突然来たのには皆であきれて居たのです。皆が言えなかった事を社長さんに代わって言って頂いたと思います。今後は“私と息子が遺族代表”ということになりますので,伯父の事は一切無視して下さい。親類の皆もその積りでいますので」

『良く解りました。今後何かと大変でしょうが、出来るだけの事はしますからどうぞ気を確り持って頑張ってくださいね』

「有難うございます。よろしくお願いしますから」

翌日、[石巻かほく]という地元紙に小野さんの死亡広告を載せた。

妻   小野トミ子・・・会社にある社員名簿に記載されていた故人の奥さんの姓名である。これをそのまま新聞社に伝えた。

午後四時、小野家を訪れ、遺族、親類一同に事故の一部始終を伝えた。
『特に当日の小野龍志さんの行動と言動について、何か変わった事が無かったか仲間に聞いてみたところ、色々不思議な事があった様でした。・・以下に報告します』・・・続く




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社員が大事だから(その六)

「主人は『社長さんから名前の字を替えて使うように何度も奨められた』と話して居りました」と奥さんが答えた。

ここで私が主索する運気鑑定・五靖閣(ごせいかく)の名刺を5人に手渡した。私は人助けの意味もあって、「姓名画数と人生」の研究を吉建工業という事業とはまったく別の次元で長年続けていたのである。

『それから昼間聞いた、故人のお母さんの話では今朝午前2時頃仏様の前に立っていた龍志さんに声をかけたということですが、事故のおきる約10時間も前に、魂の予知行動が始まっていたのだと思います。こういう場合は普段と違う行動や、言動をする場合が多い様なのです。

30人程残っていたと思うが全く静まりかえって誰も何も言わなくなった。事故の状況を明晩まで詳細に調べ,遺族,関係者に報告すること、葬儀社の手配も会社で行った事、その他の段取りや手順を奥さんとその弟に話し、焼香して表に出た。時計を見たら20時40分だった。

車に乗ろうとした時、故人の奥さんが小走りに追いかけて来た。

「あのう、先程、名前を見て社長さんが言った事、本当なんです。塩釜の伯父は皆と折り合い悪く、特にお父さん(故人)が最も嫌っていた人でした。

しばらく出入りが無かったので、今日突然来たのには皆であきれて居たのです。皆が言えなかった事を社長さんに代わって言って頂いたと思います。今後は“私と息子が遺族代表”ということになりますので,伯父の事は一切無視して下さい。親類の皆もその積りでいますので」

『良く解りました。今後何かと大変でしょうが、出来るだけの事はしますからどうぞ気を確り持って頑張ってくださいね』

「有難うございます。よろしくお願いしますから」






後で仲間から小野さんの行動に何か変化が無かったか良く聞いてその辺のところをご報告します。いずれにしても,本人は誰かに手を掛けて殺された訳ではなく、あくまでも偶発的な事故によって、不慮の死に至った訳であります。

またそうなる運気を姓名の画数に有していたという事に成ります。とは云ってもあくまでも仕事中の事故であり、会社の責任者として、誠意を持って今後の対応をする積りで居りますので、その点はご安心頂きたいと思います。もう一度ご焼香させて頂き、今日のところは一先ず帰らせていただきます』

またそうなる運気を姓名の画数に有していたという事に成ります。とは云ってもあくまでも仕事中の事故であり、会社の責任者として、誠意を持って今後の対応をする積りで居りますので、その点はご安心頂きたいと思います。もう一度ご焼香させて頂き、今日のところは一先ず帰らせていただきます』

翌日、[石巻かほく]という地元紙に小野さんの死亡広告を載せた。

妻   小野トミ子・・・会社にある社員名簿に記載されていた故人の奥さんの姓名である。これをそのまま新聞社に伝えた。

午後四時、小野家を訪れ、遺族、親類一同に事故の一部始終を伝えた。
『特に当日の小野龍志さんの行動と言動について、何か変わった事が無かったか仲間に聞いてみたところ、色々不思議な事があった様でした。・・以下に報告します』・・・続く






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社員が大事だから(その五)

『はじめに娘さんと旦那さんのことから解説します。亡くなられたお父さんも孫さんの誕生を大変楽しみにしていた様ですが、今二人の中は最悪の状態で、娘さんはお腹の子供が居なかったら、今直ぐにでも分かれたいと考えている筈です。

恋愛で結婚したのだと思いますが、何よりも旦那さんの生活力が弱くて、先行きを案じる毎日で、親にも打ち明けられずに悩んでいる状態です。

旦那さんは自分でも本当に妻子を養って行けるのか不安でならず、妻から離婚を言いだされたら、その求めに応じるしかない、ともう腹を固めている筈です』。

仏様の前で話すのは辛かったが、全体を理解して頂く為には話さないわけには行かなかった。

「何だって!!それ本当なのか?お前達は!?」と奥さんの弟がビックリして二人に聞いた。二人とも

「うん」とコックリ頷いて下を向いたままだ。

「何て事だ!!」と言って暗い顔をし、二人を見ている叔父さんに向って私は話を続けた。

『叔父さん、二人とも名前の字を替えれば、円満で何事もない夫婦に成りますから、その事は心配しなくても良いのです。それよりも叔父さんの姓名はこれこれですよ。・・・将来子供のことで悩みが絶えなくなります。北海道の叔母さんはコレコレこうです』・・・全くその通りだと一様に驚いている。

線香の煙でむせるような中、全員が静まりかえってしまった。先ほどまで怒鳴っていた塩釜から来た年配の男性に向って言った。

『あなたは身内の方だと思いますが、普段故人と折り合いが悪く、行き来もなかった筈です。更に言えば、親類全体とも仲が悪い状態にあった筈です。テレビで小野さんの事故死を知り、会社から高額の補償金をせしめてその一部を貰うか、借りるかそんなことを考えながらここへ来たのでしょう?

あなたは日頃から、常識を理解しない人です。・・・第一,先程からそこの仏様に一本の線香さえも上げていないでしょうが・・・』ここまで言えばこぶしを振り上げて向って来るだろうと思ったが本人は顔が真っ赤になり、うつむいてしまった。

『皆さんは私と初対面の筈です。なのに、私が今言った事は全て当てはまっていると思いませんか?私は皆さんの姓と名の字画数を見て話しただけです。人の姓名に現れる画数というのはそれ程、その人の生き方、場合によっては今度の小野さんのように死に方さえも決めてしまうものなのです。

・・・皆さんはショックかも知れませんが、三人が海に入って何故この小野さんだけが仏様になったと思いますか?・・・小野龍志さんは
遭難、災害、事故等で、絶対に長生き出来ない運気を姓名の画数に持っていたのです。

私は社員が大事だからこそ、小野さんに長生きして欲しくて何度も名前の文字を替える様に本人に奨めたのですが、本人が私の言う事を聞いてくれなかったのです。今年の8月に奨めた時は“そこまで言うなら会社を辞める”とまで言われました。

奥さんに聞きますが、どうですか?亡くなられたご主人はその事を奥さんに生前、話をしていた筈だと思いますが?』・・その六へ続く






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