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何を云うの!・三・

年が明けて正月3日、会場に行ったところ、直ぐ解る人、誰だったか思い出せない人、会場を間違えて来たのではないかと思われるほどスッカリ変ってしまった人など三々五々集っていた。

稲井中学校・校歌

                      作詞:永野為武
                      作曲:佐藤長助

北上の流れ淙々と
緑の平野 一條に
真野川はあり
美しき我が稲井に
使命の春秋あぁ三年(みとせ)

潮風浄く身に受けて
文化の誇り築きゆく
金字塔あり
美しき我が稲井に
栄誉の春秋あぁ三年

鳥は翼を打ち広げ
勤労の命尊くも
健康はあり
美しき我が稲井に
協和の春秋あぁ三年

いろいろな同級生が参加した中で「森野いし子」さんが見当たらない。遅れて来るのかとも思ったがとうとう最後まで現れなかった。

幹事さんは二次会、三次会も用意したというが、毎度の事で私はいつも早めに帰宅する。この日も真っ先に会場を出て早めに帰宅した。

正月5日、年始の挨拶のために実家へ行った折に、弟に聞かれた

「還暦のクラス会は盛況だったですか?・・・森野いし子さんは行かなかっただろう?」

『うん、盛況だったよ。確かに“森野いし子”さんは来なかったが、あんた何故そのことを知ってるの?』

「つい先だって旦那さんを亡くしたからねぇ・喪中なのさ」

『えっ!どうして?』

「天王山(てんのうさん)という町外れの真野川で釣りをしていて川に転落したらしくて数日後に捜索隊に川底から発見された様だよ」。

『じゃ10月の半ばだろう。実家に来た時、釣り人が行方不明とかで騒いでいた、あのときの釣り人が“いし子さんの旦那さん“森野 博”さんだったのか・・・』・四・へ続く


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号外!『毒婦!木嶋佳苗』

『あなたの面倒を最後まで見ます』

『あなたに尽くします』

『あなたと結婚します』

精一杯の真心を込めたソフトな言い回しに、いろいろな男が結果として引っかかったことになり、数千万円を貢ぎ、挙句に命を取られてしまった。

何でも騙された男は10人以上で6人が死亡している。木嶋に殺された可能性が大きいがなぜか木嶋佳苗という姓名は未だ報道されないのはどうしてなのか、不思議である。

木嶋佳苗(4・14・8・11)運気10点大凶名。苗は笛で11画
天格:木嶋:  18画。
人格:嶋佳:  22画。大凶。志節破綻の運
地格:佳苗:  19画。大凶。孤独、刑罰殺傷運
外格:木苗:  15画。大吉に凶を含む。福寿円満の運
総格:木嶋佳苗:37画。大吉に凶を含む.。富栄運

成功運:天(八)―人(二)大凶。運命抑圧を受け、不伸不満の結果
脳を冒され健康を害す。

基礎運:人(二)―地(九)大凶。一時順調に伸長する事あるも、いつしか病弱に陥るなり。

練炭を使い、睡眠導入剤を使い、自殺や、焼死に見せかけた連続殺人事件の様相がハッキリして来た様である。

北海道出身、東京の大学を出た小太りのお世辞にも美人ではない女だというが、見かけよりも心や言葉が相手の男性を「とりこ」にしてしまうのだ。外格の15画がまさしく心根の優しさ、言葉の柔らかさを表出する元となっている。

金は持っているが心淋しい独身男性をコロリと騙して、金ばかりか命まで持っていくヒドイ犯罪女である。このような女が作られたのも姓名画数のもたらした結果であるといえる。

精神鑑定をした場合、無罪に成る可能性も高いといえる。現時点では完全に脳に異常をきたしている筈である。


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何を云うの!・二・

「そうだよ。それが何か?」

『ご主人は早死にしそうだから、博の文字を変えて別の“ひろし”にするといいのだが・・・』

「あなた何を云うの!」さすがにムッとした様子だ。

「第一、今あなたは何をしているの?以前にあなたの兄弟から建設会社の代表をしていると聞いたのだけど」

『平成9年にやめてね。実はいまこういう事をしていてね』と運気鑑定の名刺を渡した。20歳の頃から研究して来た事である。

「へえー、こんな事してるの!アンタも物好きだね~」と言う。決して物好きでやっている訳ではないのだが,無関心な相手からは、物好き程度にしか映らないのだろう。いや私の徳が不足なのだろう。

『立派なご主人にケチを付けられたと思うだろうが、博では長生き出来ないのだよ。特に私のこういう感は鋭いので、決して脅かす訳ではないですよ。

充分気をつけておいてくださいよ。病院でこんな話でもないから、後で電話を貰えば徹底的に説明してあげますよ』・・当方は親切の積りでも先様はありがた迷惑な話なのだろう。

「名刺だけは貰っておきます」と彼女に言われ、
「来年は還暦を迎えるので、若し中学の同期会があれば、
お互いに参加しましょう」と軽く参加の意志を告げられた。
私は会計を済ませて、病院を後にした。

この年〔2003年〕10月中頃、私は実家へ用事があって行ったところ、私の故郷であり、いし子さんの故郷である石巻市井内地区の北上川と真野川が合流する地点に天王山(てんのうさん)という神社があるがそこから真野川へ20メートルほど入り込んだ左岸で釣竿を残したまま、釣り人が居なくなったと騒いでいた。

たまたま私の長兄が石巻市の消防団長をしていた事もあって無線で連絡が入って来ていた。行方不明になって2日目だという。恐らくは絶望だろう。お気の毒な人が居るものだなと、釣り人がどこの誰かを知らない気楽さも有ってか、その程度の感じ方だったのである。

その頃、石巻市のグランドホテルで正月の還暦同期会を行う、という案内通知が飛び込んできた。いつの間にやら60歳。参加の返事を書き送った。・・・三へ続く。



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何を云うの!

2004年3月、石巻市立病院に眼鏡を新しくする為の視力検査を受けに行った。全体待合室の長椅子に腰を降ろしてふと前の方を見ると、やはり長椅子に座って本を読んでいる女性の後ろ姿が目に留まった。

私の生家の隣近所に住んでいた幼馴染の同期生、森野いし子(旧姓・江藤)さんと良く似ている。目を凝らして注意深く見ると、紛れも無く、旧・江藤いし子さんであった。

森野 博という人と結婚した話は聞いていた。彼女も眼鏡の調整で検査に来たのかな?と軽く推量してみた。この彼女は小学校六年の時に図書委員だったが石巻市立図書館に見学、研修に行った折、担当教員の阿部米子先生に引率された数名が『二色もちや』さんであん餅をご馳走になった。

阿部米子先生に『内緒ですよ』と口止めされたのに、翌日学校で皆に話してしまった女性、B子さんである〔本ブログ永人のひとごころ、2008年5月7日:二色もち。5月8日再会、を参照〕。

1956年昭和31年のことで、まだまだ日本全体が貧しく、戦後必死に立ち直ろうとしていた頃である。

ごく少数の生徒が、役得的にあん餅を1個~2個ご馳走に預かった事は、他の生徒にとっては、勉強どころではない大事件だったのである。翌日の教室は朝から放課後まで大騒ぎだった。とりわけ、図書委員長という立場の私に対する口撃はすさまじかった。

『食べものの恨みは恐い』というのは、今時はそれ程でもないだろうが、あの頃は、本当に実感させられたのである。

市立病院全体待合室で彼女の後ろ姿を見ながら懐かしくそんなことを思っていたとき『吉野永人さ~ん』と診察室に入るよう案内の声が掛かった。彼女もその声を聞いて一瞬振り返って私を見ると驚いていたようである。

私は彼女に軽く会釈して立ち上がり、診察室へつながる、中の待合室に入った。眼科の前で長椅子に座って順番を待ち、視力検査一切を終わってまた長椅子に座っていたとき、診察室から『もりの・ひろしさ~ん』と声がかかり、私と同年輩と思われる男性が、中へ入っていった。

もしかすると今の男性が彼女、森野いし子さんのご主人なのではあるまいか?だとすれば、いし子さんは付き添いで来たのだろうと思った。その後再び全体の待合室へ移った。先ほどの場所に彼女が座って先刻同様、読書していた。

『森野さん、いま、中の待合から・もりのひろし・さんと呼ばれて診察室に入っていった人はご主人ですか?』

「そうだよ。あなたはどうしたの?」

『眼鏡を作るんでそのための視力検査です。ご主人は?』

「糖尿から、目に来て視力が弱り、今日は定期的な検査をうけに来たんです」

『ご主人は・森野 博・と書くのですか?』・二・へ続く


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懲りるのはいつ?その五

今度こそ順子さんを改名か、撰名するべきだと谷藤文哉さんに警告したのが23年前のこと。谷藤さんは二回の結婚失敗には懲りていないのだ。

三度目の正直で今度こそ幸せを掴むと張り切っていた谷藤さんは、この頃から姓名画数の話を疎(うと)んじるようになっていた。わたしもそれ以来この話は谷藤さんにはしない事に決めていた。

時の流れは速く、今こうして2009年10月、突然谷藤さんから電話を頂き、谷藤さんの訪問を受けて、32年前二度目の別居と、23年前の三度目の結婚をした頃の我々の会話を思い出し、感無量であるが、眼の前の谷藤さんは脳梗塞を起して、大分老けて見え、70歳代半ばの雰囲気である。

もう既に元気一杯の頃の面影が薄い。順子さんは市議会議員として多年の政治活動に入った。どうやら勢いは完全に奥様の方向にあり、谷藤文哉さんの生命力は段々そがれつつあると見た。

延べ28年間にわたる谷藤文哉さんの人生の中で、折々に撰名と改名のチャンスがありながら、とうとう、実行に移す事も侭ならずに、今日の谷藤さんの姿を見るにつけ、“家族全員の運気の調和”が如何に大事かを思い知らされるのである。

谷藤順子さんは主運が33画の頭領寡婦運で偉大なる頭領たるの運気を示し、女性には却って大なる凶兆を来たす。けだし、女は男に従うべき先天の約束あり、然るに頭領運を有する時は、妻は夫を凌ぎ、両々霊的の暗闘を生ず。

故にたとえ婦徳完備すといえども、必ずや夫の運を破り、自ら斃(たお)るるか、夫と死別するか、二者その一に帰結す。

今の谷藤順子さんの様子ぶりと、谷藤文哉さんの様子を見ると明らかに、勢いの差が見られ、文字通り、順子さんの寡婦に至るべき事が充分に予想されるのである。

今のうちに、撰名か改名し、運気を強く保てば、必ず文哉さんの元気ぶりは回復して行く筈だと思っているのだが、恐らく文哉さんは未だ、そのことを認めたくないので、奥さんには話していないのだと思う。

やはりどんな事態になっても、いつになっても谷藤さんは懲りるということは無いようだ。トコトン姓名画数への理解を示したくないのであろう。それが谷藤さん夫妻を更に苦しめていく事に、一切気付いていないのである。信教の影響が強いのか、お気の毒だが仕方がない。

(再び吉野宅の応接間)

「私の母が今年7月に亡くなって、兄のいる東京で世話になっていたものですから、東京へ行って来ましたよ。93歳でした・・・」

『そうでしたか、それはご愁傷様でした』
午後3時頃帰って行ったが、谷藤文哉さんの後ろ姿の何となく勢いのなさには、母親を失った寂しさ以上の哀感が滲み出ていたように見受けられた。 ・完・




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懲りるのはいつ?その四

谷藤文哉:運気100点:完全大吉名
高橋松子:運気100点:完全大吉名
谷藤松子;大凶名:後家運、夫子との生死別運、(はじめの妻)

理想の二人は昭和41年に結婚、昭和45年に別居。48年に離婚。

いちどの離婚に懲りたはずの谷藤さんは、二度と失敗すまいと思いつつ別居中に出会った、和田知子さんと交際を経て、昭和49年に結婚。
昭和52年又もや別居を切り出されている。

和田知子:運気100点、完全大吉名。
谷藤知子:運気 10点、夫子との離別、大凶名。(二度目の妻)

『二度有る事は三度で繰返す事も考えられます。どうですか、知子さんを旧姓に戻すか、谷藤での撰名か改名を考えて見ませんか?』

「もうスッカリ彼女は俺との生活を諦めているから駄目ですよ」

原因が解っていても、直して少しでも良くなろうとする意欲が谷藤さんから感じられないのである。

結局昭和55年にこの知子さんとも離婚に至った。

谷藤さんは中々「懲りない人」のようだ。

何事にも慎重であると思われた谷藤さんはまたまた新しい交際相手を見つけた。何と、またもや木田順子というこれも、“100点の完全大吉名者”であった。

木田順子:運気100点、完全大吉名。

谷藤順子:運気5点、夫子と生死別の短命運。大凶名。(三度目の妻)

ところが谷藤順子に成ると、最も悪い画数に成る。谷藤文哉さんの運気を圧迫し、生命力を薄めて行く形に成る。

谷藤順子(7・21・12・3)運気5点、大凶名。
天格:谷藤:  28画
人格:藤順:  33画、大凶。頭領寡婦運(後家運)
地格:順子:  15画、大吉に凶を含む(基礎運による)。
外格:谷子:  10画、大凶。病弱、苦難、困難運。
総格:谷藤順子:43画大凶。散財運

夫婦揃って自然に100点のかたちは極めてまれであり、この谷藤さんのケースも、三度100点の独身女性に会いながら、結婚して夫の姓を名乗るとすべて大凶名に変化し、実際に不幸を作っている。

特に三番目の順子さんは主運に後家運があるため、次第次第に夫の運を破り、夫を倒すか、自分が斃(たお)れるかのいずれかに帰すことを意味します。二人揃って健康、長命という事はありえない。その五へ続く



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懲りるのはいつ?その三

『谷藤文哉が完全大吉名なので出会いも完全大吉名の和田知子(わだ・ともこ)という素晴らしい頭脳明晰な女性で、あなた達は夫婦別姓で暮らしたとすれば何の問題も無く理想的な生活が出来たはずですが、知子さんが和田から谷藤に姓が変化した事で別人の女性になってしまったのですよ。』

「そういえば、段々話がすれ違ってきたからね。何か対策はありますかね?」

『奥さんを和田知子に戻して一緒に暮らす以外にないですよ。あなたの性格は5で土性、彼女は和田の時は3で火性、ウマが合ってたんだね。谷藤では9の水性であなたと相性凶、性格不一致になってしまったのですよ。

結婚して姓が変ると、早い人で数日、どんなに遅い人でも1年たったら性格に変化を起こしますからね。

谷藤文哉が気に入った女性は和田知子であり、谷藤知子ではない。また、和田知子だから谷藤文哉と結婚したかったのであり谷藤知子になったら、夫に不満が無くても、ウキウキの暮らしではなくなっている。

和田知子時代のように谷藤文哉に情熱を感じないということに成る』
谷藤さんはそこまで説明しても納得していない風であった。

『あなたが出会って理想的な女性と思い、結婚した知子さんは3の性格であなたを見ていた、谷藤に姓が変わって9の性格であなたを見たとき、とてもこの人とは“やって行けない”と思い始める、あなたの人間性に問題があるわけではない、彼女が一方的に息苦しくなっていくのですよ』

夫に不満が無いのに一緒に居ると息が詰まる、というややこしいが何とも解決の仕様が無い困った状態になって来る。

「実は彼女は再婚で、最初の女房の時も、今度とそっくり同じことを言われたのですよ。こんなことが有り得ますかね」

『充分有り得ますよ。恐らくその人にも後家運があったと思いますよ。
なんという名前ですか?』

「旧姓高橋松子です」・・これも100点の運気で完全大吉名である。

『結婚して谷藤松子、谷藤知子と全く同じ画数に成るので、谷口家の嫁としての松子さんと知子さんは全く同じ女性を物語っており、これではそっくり同じ事を繰り返すのは、有りうるのです』・・その四へ続く


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懲りるのはいつ?その二

「血液をサラサラにする薬を調合され、それ以来、入院する事も無く、手術をする必要もなく、今日に至っているんです」この頃からだんだんろれつが回らなくなってきた感がする。

「吉野さんも白髪が多くなったね~」谷藤さんの真っ白になった頭の話をしようと思っていたら、先に私の頭の事を切り出されてしまった。確かに白髪が増えつつあるが、谷藤さんに比べれば、問題にならない少なさだ。

普段、谷藤さんには『早く白髪頭になりたい』と私が話していたのを思い出して彼は「白髪が増えてよかったね」とお世辞の積りで私に言ったのだろう。私は

『そうですか、ありがとうございます』と答えた。

「ところで俺も68になったよ・・・」と突然別の話に飛ぶ、

『ああそうですか』とは言ったものの、75~6歳に観える。

谷藤さんはあたりをくるくると見渡す。私との会話がちぐはぐになってきた。・・・なんと言うことか、ついこの間まで政治、経済、会社経営などのことをああだ、こうだ、と話し合っていたが、今は全く焦点が合いそうにない。

病にもいろいろあるが、脳血管にちょっとの異常があるだけで、こんなにも変化してしまうものなのか・・・

32年前の谷藤さんとの会話を思い出す。

「吉野さん、俺女房に別居してくれと言われてさ、困ってしまったよ。
俺は何も悪い事していないしさ、『何が不満なのか話してくれ、悪いことがあったなら直すよ』といってるんだが、困ったことに『あなたには何も不満が有りません、私がこの家にいると息が詰まりそうでこれ以上耐えられないのです』と言うのだよ。こんなことってありますかね?」

『ふーん・・・多分それは後家運といって、一方的に妻が妻たるの務めを果たせず、相手と生死別するケースがあるのだが、それはその女性が一方的にそうなってしまう訳で、夫が暴力を振るうとか、バクチをするとか、浮気が絶えないとか、稼ぎが悪いとか、

およそそういう理由が無い状態で起きる状況で、これが一番厄介なことなんだが、あなたも真面目で明るく、頑張っている人だからあなたに欠点があるとは思えないし、第一あなたは完全大吉名だしね。そうだとすると奥さんには後家運の21・23・33・39などの画数が有るはずだ。奥さんの名前は?』

「谷藤知子ですが旧姓は和田です」

『やっぱり39画の頭領寡婦運(とうりょうかふうん)がある。この運気が原因で、息が詰まる情況を作ってしまうのです。年の経過と共にあなたの言うことに耳を貸さなくなってきます。主人のあなたを押しのけて気性も段々強くなってきます。俗に云う”カカア天下”になって来るのです』。・・・・その三へ続く。


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懲りるのはいつ?

「今日は~、吉野さんのお宅ですか?」
『はいそうですが』

「しばらくです。谷藤文哉です」珍しい人からの電話だ。
『やあ~、本当に久しぶりですね、少し声が別人のようですが何か有ったのですか?』

「二年前に脳梗塞をやりましてね、それから少し舌の感覚がおかしくなりましたので・・・」谷藤さんは○○株式会社の代表取締役をしていたが、三年ぶりの電話を寄越したのである。

『そうですか・イヤ~それは、大変でしたね』

「デモね、軽かったので、大した後遺症もなく、正直なところホッとしているのです」
『良かったですね、じゃ、車は運転できますね?』

「できますよ。それでこれからお宅へ遊びに行こうと思っているのですが、構いませんか?」
『構いません。家内は用件が有ってこれから留守にしますが、気をつけておいで下さい』

「じゃあこれから早速行きます」
午後1時30分頃、谷藤さんはスーツ姿でやって来た。

「しばらくです」
頭が真っ白になっている。心なしかよろけている感がする。ソフアに座り向かい合ったが、ネクタイの結びがいい加減になっている。脳梗塞の後遺症なのであろう。

つい先ほど家内が出がけにポットに入れていった桑茶の熱いのを大きく分厚い湯飲み茶碗に入れて出した所、直ぐに飲もうとする。

『谷藤さん、熱いから少し置いて飲んでください』と注意を促したがそれでも繰り返し飲もうとする。全く凛々しく事業やり手の谷藤さんの面影は消えてしまっている。

「こうして、左の手には力が入らず、右手で応援しないとご飯茶碗を持つのも大変は大変なんですよ」

『利き腕のほうではなくて良かったのかな』

「そうだよね。実は一昨年の8月に仙台から東松島の自宅へ帰ろうとしたとき、三陸自動車道で何度も左に寄って行き、ゴォーンというタイヤの警告音で修正しながら帰ったのだが、何かヘンなので家に帰らず、そのまま東宮城循環器科に行ったところ、右側に軽い脳梗塞の症状が見られるということだったのです」・・・・・その二へ続く。



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773(七奈美)基金・その三

ダンスダンサーの猪田 武さんも結婚三ヶ月で妻の肺癌判明、直ぐに入院の後、四ヶ月で死亡、結婚から八ヶ月で最愛の妻を失った。気の毒を絵に描いたような今回の試練だったと思うが、これも運気と言えば運気そのものなのである。

猪田 武(一)〔13・5・8・(1)〕運気10点大凶名・第三型絶対的短命運

天格:猪田:18画
人格:田武:13画、成功運により大吉から凶へ変化する
地格:武(一):9画、大凶・〔前運は武で8画〕
外格:猪(一):14画、大凶
総格:猪田 武:26画、三才の配置の凶により大吉に凶を含む。

成功運:天(八)―人(三)大凶:成功極めて困難、肺患、その他の難症を生じ,はなはだしきは発狂、変死す。

基礎運:人(三)―地(九)大凶:基礎絶対不安定。意外の変事有りて生命財産を失う。

三才の配置:天(八)―人(三)―地(九)大凶:第三型絶対的短命運
負傷、遭難など、すべて他動的、外傷的危険に陥り、短命の人生に終わる。

◎ 地格9画大凶:外格14画大凶:共に家族縁を薄くし,妻子との生死別に遭い、血族の不幸を悲しみ、幾多の障害に病難に出遭うなど不遇を余儀なくされ、経済的困窮、浮沈波乱の短命運を表示しております。

二人はそれぞれが全く似た者同士の凶運気を持った同類の縁で結ばれたカップルだったと云える訳であります。
勝野七奈美:大凶名、運気10点、第二型絶対的短命運
猪田 武  :大凶名、運気10点、第三型絶対的短命運
猪田七奈美:大凶名、運気10点、苦労困難病弱短命運

勝野六洋(勝野 洋)、勝野八千代(キャシー中島・勝野六洋と1979年に再婚一男二女をもうけた)、夫妻は共に子を亡くす大凶名であり、凶兆のはなはだしき運。

次女:勝野雅奈恵・・・27歳、頭領寡婦運の凶名。
長男:勝野洋輔・・・・26歳、この長男だけが吉名である。

勝野 洋は男だけに毅然として今度の不幸に耐えているが、キャシー中島はひたすら涙、涙で、『酒もタバコもやらない娘が何故肺癌などになったのか?』と親よりも先に逝ってしまった愛娘の不幸を語る痛々しい姿は憔悴し切ったそのものの姿であった。

決して誰も望まず、誰も願う事の無いこのような不幸がどうして起きるのか、何故勝野家と猪田家に突然襲って来たのかについて、関係者一同はただただ納得いかず、茫然と悲しみに暮れるばかりであろうと思われる。

“姓名画数がもたらす運気”が、それぞれの身に降りかかる人生模様そのものなのだと解れば、悲しみも時間と共に癒され薄れていくのだと思うが

“姓名画数と人生模様が一致する”と云う『この理』を知らずに居れば、
何故だ?、どうしてだ?の疑問、疑心が生涯付きまとう事に成る筈だ。

773基金の主旨と実行行為は尊いことであり、その意味では勝野ご夫妻に敬意を表するが、がん予防の検査以上にそれぞれの家の姓に合う、
良い運気をもたらす良い画数の名を使う事の方がより大事なのだ。

猪田 武さん自身の運気から、やがて来るだろう災難、厄難、病難の「生命にかかわる不幸の襲来」をこのままでは避けきれないと思う。(合掌)



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